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Disc: 2007年11月アーカイブ

November 16, 2007

エンリコ・オノフリ指揮のモーツァルトが11/21にリリース!

オノフリのモーツァルト●聴いた人はきっと覚えている、昨年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」で鮮烈な印象を残してくれた、エンリコ・オノフリ指揮ディヴィーノ・ソスピーロのモーツァルトを。「聴きなれた交響曲第40番がまるで未知の曲であるかのように響いた」という感想/文言それ自体がいまや消尽されてしまっている感ありで躊躇するけど、でもやっぱり言ってしまう、あのモーツァルトの交響曲第40番がまるで未知の曲であるかのように響いたんすよっ! 先が読めないモーツァルト。オノフリって誰?っていう方には、とりあえずイル・ジャルディーノ・アルモニコのコンサートマスターと説明。
●で、そのオノフリ指揮ディヴィーノ・ソスピーロのモーツァルトが国内盤CDで11/21にリリースされるのだ(HARBOR RECORDS)。曲はモーツァルトの交響曲第40番とセレナータ・ノットゥルノ(こっちも相当おもしろい)。オマケとして特典DVDがついていて、オノフリ氏のかなりがっつりしたインタヴューとリハーサル風景付き。一足先に中身を聴かせていただいたが、昨年ライヴで聴いた40番そのもの。ブックレットでオノフリ自身が述べてるんだけど、彼はモーツァルトをシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)の風潮から生まれたものとして見ている。ウィーン古典派のアポロン的な優美な存在じゃなくて、C.P.E.バッハの直後に書かれたアグレッシヴな音楽。「そんなの今さら新しい知見でもなんでもないよ」と思われるかもしれないけど、題目唱えるだけじゃなくて、音楽として実現して、まっさらな状態で出会った聴衆を虜にしちゃう人はそういない。昨年はなにひとつ知らずに聴きにいって腰抜かしたもんなあ。あ、そのときも書いたけど、こういう音楽に出会うたびに、いかに「既知のもの」として片付けずに何度でも驚けるかってのが個人的にきわめて重要。
●ちなみにオノフリは来年1月、浜離宮朝日ホールのヘンデル・フェスティバル・ジャパンに来日して、「水上の音楽」と「戴冠式アンセム」を指揮してくれる。公認ファンサイトができているので、詳細はそちらへ。

エンリコ・オノフリ ファンサイト

November 7, 2007

グルダとモーツァルトのソナタ第7番ハ長調 K309

グルダ モーツァルト・テープス2●再びフリードリヒ・グルダのモーツァルト・テープス2の話を。このやや音質に難のある続編2枚組と、前作の比較的音質良好なグルダ・モーツァルト・テープ3枚組を合わせると、モーツァルトの「ピアノ・ソナタほぼ全集」ができあがる。埋もれていたグルダの録音がよみがえったのは大変すばらしい。しかし、「ほぼ全集」であって、2曲だけ欠けているのが気になっていた。「どうしても使える録音がなかったんだろう」と勝手に解していたが、後日続編のほうの解説書を見てその謎が解けた。息子のパウル・グルダが書いている。
●2曲欠けているのは、第7番ハ長調K309はグルダは真作ではない(アポクリファ)と考えていたから、第18番ヘ長調K533/494のほうはもともと別に書かれた2作品がまとめられたものだから、ということなんである(あっ、CDの解説書本文には英独仏語どれもK533/594と書かれているけど、これはK533/494の誤植)。後者のほうは問題がない。K533/494というケッヘル番号が示すように、この曲はまずロンドK494が単独の作品として書かれて、その後アレグロとアンダンテK533が書かれ、両者を合わせてソナタとして出版された。だから第3楽章のほうが先に書かれているわけだ。モーツァルトも承知の上のことだと思うので、ソナタにしちゃえばいいのにと個人的には思うが、もともとソナタじゃないといわれればその通り。でも惜しくない? この曲のアンダンテは後期のモーツァルトならではの簡潔な音楽で、ワタシの脳内では、ソナタ第16番変ロ長調K570とかピアノ協奏曲第27番とかクラリネット協奏曲とかと同じような位置に分類されている。グルダがソナタの仲間に入れてくれなくて残念だ。
グルダ、モーツァルト●で、前者、第7番ハ長調K309が真作じゃないって話はワタシには初耳で驚いたんである。K309、新しいケッヘル目録の番号だとK284b。どのソナタ全集にもフツーに収められている曲だと思うが、ほかにもそういうことを言っている人っているの? パウル・グルダもそのあたりさらっと書かないで、もう少し事情を説明してほしかったぞ。で、第7番ハ長調K309、あなたはお好きだろうか。ワタシはこの曲の第1楽章が大好きなんである。世間一般ではマンハイム時代の作品ということになっているこの曲、特に第1楽章はモーツァルトのソナタのなかでも目立って「明るい」。いや明るいというか、行き過ぎた躁状態というか、この浮かれぐあいはアンバランスだろうっていうほどの気前のよさである。調子に乗りすぎ、少し壊れ気味のモーツァルト。やや歪な魅力がある。でも、第2楽章、第3楽章はもっとバランスが取れている。そして、ワタシにはどこからどう聴いてもモーツァルトに聞こえる。
●もし仮にこの曲がモーツァルトじゃなくて、たとえば「モーシァルト」って人の作品でしたと判明したとしたらどうする? きっと、ワタシはモーシァルトのファンになる。そして願う、だれか優れたピアニストがモーシァルト全集を弾いてくれと。

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