●なんとなく風貌とかに縁遠さを感じて親しめなかったんだけど、改めて新譜を聴いて驚嘆した、ナイジェル・ケネディのベートーヴェン&モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲。先にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聴いたんだけど、全楽章にナイジェル・ケネディ自作のカデンツァが付いてて、これがすばらしい。なんと、エレクトリック・ヴァイオリンを弾き、これにベースや管、チェンバロが加わってビートを刻む、とか自由奔放。でもこれ、奇抜だから楽しいというのではなくて、フツーは単にカデンツァに異質な音楽を持ち込んだって居心地が悪くなる。
●たとえば第1楽章だったら、このカデンツァに漂う野暮ったいユーモアみたいなテイストを耳にして、本家モーツァルトの1楽章の冒頭主題にもまっさらな目で見れば同じ味わいがあるんだと気づく、みたいな仕掛けが感じられるからワクワクできる。さらに「おおっ!」とのけぞったのはベートーヴェンの第3楽章のカデンツァ。これもナイジェル・ケネディのオリジナルで(第1楽章はクライスラー)、やっぱり途中でベースがビートを刻みはじめるんすよ。でもこれ聴いたら「あっ」と思うのは、これはまさしくベートーヴェンの第1楽章冒頭が裸のティンパニで「ビートを刻む」ことで開始されるのに呼応しているわけで、19世紀初頭に一瞬一小節だけ立ちあらわれたビートミュージック(笑)を受けて現代にカデンツァを書くならこうなるという、時空を超えたコール・アンド・レスポンスが成立している。正しい。オーセンティシティとはかけ離れているけど。こういう豊かな創意は成熟のあらわれなんだと思う、対極に原理主義みたいな未熟さを仮定すると。ジャケ裏にモヒカンでサンダーランド(かなあ?)のユニ着てるいかにもな後姿が映ってるけど(もう52歳だよ)、彼に対して漠然と抱いていたイメージがガラリと変わった。
Disc: 2008年9月アーカイブ
September 3, 2008