●新国立劇場の2006/2007シーズンのパンフレットを眺めていて、「平日マチネ」っていうチケット・シリーズがあることに気がついた。各演目に一公演ずつ開かれるのかなと思ったら微妙にそうではなくて、10演目中7演目にある。ニュープロダクションには必ずあり。公演数ベースで数えると47公演中の7公演だから全体の約15%が平日マチネ。これはなかなかスゴいんでは。
●団塊世代の大量退職をビジネスにつなげようって話を最近よく耳にするけど、それを別にしても平日マチネって需要がある気がする。いや、たいした根拠はないんだけど、新宿とか渋谷とかって平日の真っ昼間でもいっぱい人がウロウロしてるじゃないっすか(おいおい)。映画館も人気作だと客席は埋まってる。リタイアした人はもちろん、曜日と関係ない仕事してる人とか。あと意表をついて、サボリーマン究極の憩いの場になるとか。「初台の客先に営業/直帰」。ほとんど先発完投型でダイナミックなり。上司に初台ってなんだっけとか聞かれたときは、「あー、オランダの船舶会社の船長さんが道に迷ってさまよってるからフォローしてきます」とかテキトーに言っとくと吉。
News: 2006年1月アーカイブ
極楽平日マチネの予感
魔笛ホイ補遺~究極セレブにスタオベ
●(承前)「魔笛」に出てくるザラストロ教団のみなさんが着ているオレンジ色の長衣を見て思い出すものは何か。これはきっとワタシだけじゃなくてあの舞台を見たことのある多くの方が同じではないかと信じるのだが、ずばり、名作映画「猿の惑星」のオラウータンである(もちろん旧作のほう。ティム・バートンのリメイク版はどうだったか覚えていない)。
●「猿の惑星」に登場する猿には3つの種族がいる。それぞれに性格と職業属性を持っていて、器用で知性のある科学者チンパンジー、粗暴な体力バカの軍人ゴリラ、成熟した知恵を持つ政治家オラウータンの3種族。オラウータンはいつもオレンジ色の制服を着用していた。彼らはチンパンジーもゴリラも知らない世界の秘密を知ってるんだけど、保守的すぎて秩序をぶち破ってまでも前進しようっていうパワーに欠ける。「魔笛」の教団とイメージが重なる。ザラストロ=ゼイウス博士説(笑)。オレンジ色というのは叡智の象徴なのですね……っていうのはいま口からでまかせに言ってみただけなのでホントかどうかは知らない。
●東京のオペラ公演の客層には「なんちゃってセレブ層」っていうのもあると思うんだが(ワタシゃ嫌いじゃない)、一昨日の「魔笛」では第2幕から究極のセレブリティ、皇后陛下がお見えになった。おお、夜の女王vsリアル女王(違うけど)なのか。ご入場のときもご退場のときも、客席はスタオベ。このとき遠くから「かわいー」と小声を発した女子がいたことは忘れず書き留めておきたい。
新国立劇場で「魔笛」~ビミョーにモーツァルトイヤーその1
オレは自然児だから、寝て食って飲んで、あとはかわいい女のコでもいればそれでいんだよね。(パパゲーノ)
●新国立劇場でモーツァルト「魔笛」を観てきた。有名なオペラの中で「魔笛」くらいヘンな作品はない。このオペラには物語がない。あるけど、ない。「魔笛」のあらすじはどこにでも転がってるけどどれを読んでも意味不明で、実際書きようがないんだと思う。フリーメイソン云々って話は作品内には説明されてないわけだから脇に置いとくとして、もし予備知識レスにこのオペラに接したとしたら、どんなふうに受け取るんだろ。
●まずパパゲーノっていう、ごく常識的な欲望を持った、正気の人物がいる。世界では新興宗教の勢力が増してて、教団は小うるさい独り善がりなモラルを振りかざしながら、人を拉致して洗脳してて、娘を拉致された母親が助けようとするんだけど救出に失敗しちゃう。いいとこの見目のよい坊ちゃんはサティアンに監禁されてあっさり洗脳される。最後まで抵抗していたパパゲーノも色仕掛けで籠絡されちゃう。教団は完全勝利してバッドエンド。こんな感じかなあ。
●98年の演出に猛烈遅レスだけど、ミヒャエル・ハンペの月とか地球とか銀河が見える舞台ってのもスゴくない? ここから地球や月が空に見えてるってことは、これは火星が舞台ってことなのか(笑)。
●あと、これは昔はじめて「魔笛」を見たときからの疑問なんだけど、パパゲーノって「鳥刺し」っていうじゃないっすか。鳥刺しってのは竹竿の先にトリモチつけて鳥を獲る人って解してるんだけど、だったらどうして鳥っぽい格好をしてるんだろ。鳥を獲るから鳥人間になるってのは、鹿を撃つ猟師が鹿人間の格好をしたり、マグロ漁船の漁師がマグロ人間の格好をするのと同じくらいの意外性があると思うのだが、もしかしてワタシは根本的になにかをわかっていないのかもしれん。っていうかマグロ人間ってなんだよ。
●やっぱりオペラってすばらしいなあ。(←どうしてその結論なのか)
ニューイヤー・コンサートでテレビ正月
●正月になってほっと一息ついたらあっという間に4日。大晦日も元旦も秒速1秒の速度で彼方へと遠ざかっている(そりゃそうだ)。
●元旦のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート、今年はマリス・ヤンソンスが初登場。だらだらとテレビを眺めながら満喫。昔はニューイヤー・コンサートなんてマンネリでつまらんと思っていたのだが、最近は違う。マンネリなほどいい。細々としたアイディア(携帯電話のネタなんてギクッとさせられた)だとか多少の選曲の違いだとか指揮者の個性の違いといったものはいいとして、あとはなにも変わらなくて吉。元旦にテレビをつけたら、去年と同様お約束だらけの演奏会がある。同じような音楽を聴く。変わらない正月があるってのはほとんど僥倖っていってもいいくらいのものだろう。逆にいえば、正月を重ねていけば、そのうち誰にだって必ずあんなことやこんなことがあって、変わりないとも無事だともばかり言ってられない(そんな必要はなかったと思うけど、実際昨年はスマトラ沖地震・大津波の影響でラデツキー行進曲が自粛され、「変わらぬ正月」は約束されたものじゃないことが示された)。だから変わらない今年の正月というものがあるならば、その喜びを分かち合おうってのが様式化されたニューイヤー・コンサートの趣旨であり、そのような新年を謹んで祝うに値するものとしてワタシらは毎年この言葉を繰り返している。あけまして、おめでとうございます。
●ケータイもそうなんだけど、「山賊のギャロップ」もドキドキ度が高い。あの鉄砲、本物だったらどうしよう、とか(笑)。日頃、鬼指揮者のことを腹にすえかねている団員が、この曲で指揮者を撃つ。が、指揮者も同じことを企んでいて本物の銃を持ち込んでおり、血の流れる銃創を手で押さえながら反撃する。山賊のギャロップ殺人事件、結果は引き分け。