●またもや足がすくむのであるが、告知せねば。拙著「クラシックの王様 ベスト100曲」が三笠書房・王様文庫より発売。ほぼ今日あたりに書店に並ぶはずであるが、すでに昨日に出ていたお店もある模様。前作「クラシックBOOK」と同様、またもミニCD付きで文庫本という、手軽なクラシック音楽入門書である。前回は主に作曲家を取り上げたのに対し、今回は曲目を切り口にして100曲を紹介している。その合間に須栗屋敏先生コーナーがあったりもする。帯のイラスト&推薦文は「ダーリンは外国人」の小栗左多里さんからいただいた。畏れ多いことである。CDの選曲はワタシ、音源はユニバーサル・ミュージックさん。本文2色刷り。
●きわめて平たく入門者向けに書くことが求められており、しかもわずか100曲という超名曲を紹介するということであるから、詳しい方から見れば「そんなの知ってるよー」みたいな周知の事実や有名な逸話が必然的に並んでしまう。それをどうやったら楽しくなるか、リファレンスではなくて読めるものにできるか、と日々悶々と悩みながら書き進め、萎れたり凹んだり浮かれたり沈んだりしながら(←ネガ率75%)、ようやく刊行までたどり着いた。この大変に気恥ずかしいという気分をどうしたらいいものか。お客さん、あなたみたいな心の美しい人がきっと買ってくれると思ったんです!(なんすかそれは)
News: 2008年1月アーカイブ
「クラシックの王様」ベスト100曲 (飯尾洋一著)
「ラ・ボエーム」で自分モッサリ
●金曜夜に新国立劇場でプッチーニ「ラ・ボエーム」。マウリツィオ・バルバチーニ指揮東響、粟國淳演出。オケの響きがすばらしかった。視覚的に侘しくならない舞台も大変に吉。とても楽しんだ。ミミはマリア・バーヨ、ロドルフォは佐野成宏。
●でもワタシは昔からこのオペラが嫌いだった。どうしてかなと思い出してみると、たぶんリアル若者だった頃に接した第一印象が非常に悪かった。こんな悲恋に涙してはいかん、という意地もあったんだろうけど、たぶんあちこちにオヤジ臭を感じてしまっていたせいであり、たとえば主人公と愉快な仲間たち。
●ボエーム、すなわちボヘミアン。ロドルフォもマルチェッロもショナールもコッリーネも、みんなカネも食い物もないけど志だけはあって、不確かな己の未来に賭けることを躊躇しない若者たちじゃないっすか。詩人とか画家って配役表にはあるけど、詩人の卵であり画家の卵であって、本当はまだ何者でもない。でもリアル若者視点で見ちゃうと、舞台上の歌手たちが全然そう見えない。声質じゃないんすよ。体の動きのキレというか、ニンゲン30歳を超えたあたりから徐々に動きにモッサリ感が出てきて、若者を装っても椅子に座るとか立つとかそういう単純な動作がごまかせない。で、ヘタをすると、2幕のカフェ・モミュスの場面なんか、テーブルを囲んでモッサリどっしりドッコイショと腰かける芸術家の卵たちが、居酒屋で管を巻く人生にくたびれたオッサンたちに見え、一方でそのそばに立つ黙役の給仕がスラッとした若者だったりすると、「あの給仕こそが休日に詩を書き絵を描き思索に耽るにふさわしいのではないか」などと、つい考えてしまったりする。という罠。しかし、そんなことを思いつくのは自分自身がまだ体にキレがある頃だったからであり、自らモッサリと劇場の椅子に座る年齢になってしまえば、もはや気にならない。は~、ドッコイショ、ミミ、なんとかわいそうに。滂沱。ヨイショっと。
●ミミの歌う歌詞って、かなりお花畑系だけど、でも本当に美しい。どこかに適当な訳詞があれば引用したんだけど、見つからない、まあいいか(→と思ったらふくきちさんからトラバが。ここに訳詞。感謝)。私の名はミミ、でも本当の名前は呂場耳子ルチア、空を眺めて小さな部屋で暮らしています、雪が融けると最初の太陽が私のもの、四月の最初の接吻が私のもの、みたいなのが。
●そういえば「ボエーム」はクリスマス・イヴで始まるのだった。イヴにふさわしい光速一目ぼれで物語がスタートするけど、結末が不憫すぎるから終わる頃にはクリスマスのことなんてすっかり忘れている。もし今ワタシが劇場支配人か楽譜出版社の担当編集者とかで、作曲家からこのオペラを受け取ったら、きっと黙ってられない。「どうしてハッピーエンドにしないんだ!! 頼むから書き直してくれ、そうすればこのオペラはきっとクリスマスの定番になれる。ディケンズの『クリスマス・キャロル』やチャイコフスキーの『くるみ割り人形』みたいに、毎年クリスマスになったらみんながこれを見たくなる。ミュージカルにも映画にもテレビドラマにもなる。だからハッピーエンドに書き直してくれっ!」
●もちろんワタシは100%まちがっている。プッチーニの「ラ・ボエーム」は世界中の劇場で一年中上演されている。そんな名作をクリスマスものに貶めてどうする。
もしやあなたは1953年1月5日生まれでは!?
●しまった、これは1月5日に書こうと思っていた話題だったのに忘れていた、と1月15日に思い出して書くが、1月5日はピアニスト誕生日特異日であったのだった。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920/1/5)
アルフレート・ブレンデル(1931/1/5)
マウリツィオ・ポリーニ(1942/1/5)
1月5日生まれのあなたはピアニストの才能がないか念のため要確認。このパターンで進むと、数列的には1953年1月5日や1964年1月5日に偉大な才能が誕生している可能性が高いと見た。
●本日のさやわかニュース。暴走族がフットサル試合 解散記念に県警署員と。ボールは友達♪
へーんしん! トゥ!
●1月27日(日)8時よりスタートとなる仮面ライダーキバ(テレビ朝日)、「こぐまノート」さんのところで知ったのだが、主人公の職業はなんとヴァイオリン職人だっていうんすよ! ヴァ、ヴァイオリン職人! 父親からヴァイオリン工房を継いだっていうんだから。いやー、こりゃ「の◎だめ」の「ベト7」で驚いている場合じゃないな。
●敵は人類のライフ・エナジーを餌として生きているヴァンパイア一族のファンガイア。で、主人公紅渡は「なぜ自分が変身できるのか、なぜ自分が戦わなければならないのわからない」まま、ベルトの力で仮面ライダーキバに変身して戦う。父もファンガイアと戦っていたらしくて、その父が残したヴァイオリンが人々の運命のカギを握る、っていうんである。なんか微妙に「北京ヴァイオリン」とか「レッド・ヴァイオリン」入ってるっぽいが、昔の単純な仮面ライダーと違って、超人ヒーローでありながらも自分探しをしながら戦わなきゃいけないのが今っぽい(そういえば初代ライダーとかV3とかって、職業はなんだったんでしょか。ていうか職業=超人ヒーローじゃダメなのか)。
●決め技はなんなのかなあ。やっぱり変身した状態でヴァイオリン弾くのか。ライダーがヴァイオリン弾くと怪人が「うわぁー、止めてくれー」って頭を抱えて苦しみ出すとか←ギル博士の笛かよっ!(古すぎ)。あ、でもヴァイオリニストじゃなくてヴァイオリン職人か。
●主題曲はパガニーニのカプリースとかかなあ(ワクワク)。毎週録画すべきなのかどうか悩む。あと敵の戦闘員は今でも「イーッ!」って鳴いてるのかどうかも知りたいぞ。
ギリギリ・ニューイヤー・コンサート2008
●しまった、プレートル指揮の「ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート2008」、今年は生中継で見ておけばよかったかも、って今頃思ってもダメなのだ、なにしろだいたい今日あたりが一年でいちばんお正月から遠い日なんだから。録画で見る「ニューイヤー・コンサート」の気の抜けたビール感といったらないが、でもこれがしばらくしてCDになって出てくると、案外気が抜けてない感じになるのが謎。CDのレーベルがDECCAってのに意表をつかれてるし。
●ていうか「ニューイヤー」の賞味期限って話題的にいつまでなんだろう、松の内ギリギリOKなのか、三が日限定か、いやそんなことに悩む必要ないだろうと思いつつも言えば、今年は選曲も演奏もよかった、それオッフェンバックそのまんまだろうっていう「オルフェウス・カドリール」とかフランスをテーマにした曲もいいし、それ以上に演出が「ユーロ2008」、つまり「ヨーロッパ選手権2008オーストリア・スイス」を意識してて、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」のバレエがサッカーを題材にしてたり、プレートルが袖からサッカー・ボールを持って登場したりするんすよ! で、ウィーン・フィルのメンバーたちがオーストリア代表のマフラーをどこからともなく取り出して、首に巻く。あー、カッコいいなー、これは。
●しかも83歳っすよ、プレートルは。そのプレートルがボールを持って、指揮台に立って、左足、右足、膝、肩、頭と小野伸二ばりの華麗なリフティングを披露し、最後はロナウジーニョも真っ青の切れ味鋭いエラシコを決めて、ウィーン・フィル団員たちをドリブルで抜き去っていく……わけはない、断じて。プレートルはボールを一蹴りもしなかった。でも十分。欧州選手権を自国開催するっていう高揚感は、2002年のニッポンと似た感じなのかもしれない。強豪国にほど遠いっていう意味では立場的にも近い(昨年のオーストリアvsニッポンを思い出す……ちなみにオシム前監督はオーストリア国籍を持っている)。
●来年の指揮はバレンボイム。ワーグナーのように重厚で劇的な「美しく青きドナウ」や、マーラーみたいな軍楽調の「ラデツキー行進曲」が鳴り響いてくれることを期待。ウソ。