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News: 2009年6月アーカイブ

June 25, 2009

ベルリン・フィル デジタル・コンサート・ホール、来季のパスは149ユーロ

デジタル・コンサート・ホール。もう少し明るい雰囲気のデザインでもいいような気もするが。●ベルリン・フィルのネット・ライヴ中継Digital Concert Hallだが、今季のシーズン・パスが8月27日で切れる。なので、それまでに全部のアーカイブを一通り見なければとあわてていたのだが、どうやら来季のシーズン・パスを購入すれば、今季の分も全部アクセスできるようだ。なるほど、そりゃそうか。ベルリン・フィルからすれば、すでに収録してあるアーカイブをわざわざ出し惜しみする必要はないよなあ。
●ただし、来季のシーズン・パスは149ユーロなんである(これはサービス開始の時点ですでに発表されていた)。今季は89ユーロだった。これが微妙なところで、今季はシーズンの半ばから始まったから安価だったんだろうが、アーカイブにはシーズンのはじめの頃の公演もちゃんと含まれていた。89ユーロというのは超お買い得設定だったんである。今季分をすでに全部見ちゃった人には、来季の149ユーロはやや割高に感じられるかもしれない。
●国内市場はまた別だけど、1アルバム10ユーロ(または10ドル)を音楽配信の標準価格と考えて、ベルリン・フィルの最新30公演が何アルバムに相当するかという話だな。
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●東急のフリーマガジン「SALUS(サルース)」7月号、ワタシの連載はヴェルディの「アイーダ」の凱旋行進曲がお題。沿線各駅、Bunkamura、東急百貨店、東急ストアで配布中。

June 23, 2009

昼から「チェネレントラ」

●先週、新国立劇場のロッシーニ「チェネレントラ」に出かけた。平日午後2時からの公演。新国立劇場に限らず、平日昼の公演って増えてる気がするし、お客さんもよく入っている印象がある。新国の昼公演はこれで2度目なんだけど、太陽が頭の上にあるのに暗い劇場にこもるってのが不思議な気がする。まあでもそれは週末の昼でも同じか。いや、なにか違うな。
●そのうち平日午後公演ではなくて、平日午前公演が増えると予想。午前10時開演とか。そのほうが足を運びやすい人が多いと見てるんだけど、どうっすかね。リタイア世代も現役世代も。
●公演のほうはいろんなブログで絶賛されている通り、大変すばらしいものだった。アントニーノ・シラグーザとヴェッセリーナ・カサロヴァが登場、ジャン=ピエール・ポネルによるバイエルン国立歌劇場のプロダクションをレンタルして上演(再演演出グリシャ・アサガロフ)。オケはデイヴィッド・サイラス指揮東フィル。シラグーザのスターぶりを満喫。
●オペラ・ブッファで苦手なのは舞台から客席への「笑いの強要」。ワタシがオペラの文法に慣れてないからなのかな、あまりにくだらない「コミカルな仕草」とかで笑わされそうになるとそれまでの愉快な気分がさっと吹き飛ぶことがあるんだけど、そういう笑えるか笑えないか、レイジ・ウィルスに冒されてゾンビになるかどうかという点で言えば、ギリギリ笑えるほうに分類される舞台。危険な瞬間はあってはらはらしたけど、セーフ。ワタシの周囲にもゾンビになっていたお客はいなかった。オペラ劇場って、日常にひそむゾンビ化しやすい場所トップ5に入ってると思う。実際、よく見かけるし(←それ何の話?)。
●「チェネレントラ」すわなち「シンデレラ」。これはだれに対してもあらすじの説明が不要なオペラっすよね。イジワルな継母がいて、可憐な娘がいるわけだ。継母は毎日鏡に向かって言う。「鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのはだぁれ?」。あっ、ちがった、これ「白雪姫」だ!
●いや、「チェネレントラ」って継母じゃなくて継父になってるんすよね。あと「魔法」っていう要素がないので、カボチャの馬車が出てこないのが惜しい。ガラスの靴も出てこなくて、代わりにブレスレットを片方残していく。魔法使いじゃなくて哲学者が出てきて、微妙にお説教くさい。継父が「チェネレントラの財産に手をつけてしまったのに」的なことを言う。つまりファンタジーよりもリアリズムなんだなと実感。
●ワタシが王子なら、決してアンジェリーナ(チェネレントラ)を選ばない。アンジェリーナには「カルメン」のミカエラと同じ匂いがする。つまり、一見そういう役柄ではないようでいて、実はヤな女。オペラ界のヤな女トップ3はだれだろう。ミカエラ、アンジェリーナ、あとは……そうだなあ、「トゥーランドット」のリューとか? アンジェリーナの「感じの悪さ」は、冒頭の「♪昔あるところに王さまが~」の歌とか(そんなの歌うかフツー)、初対面の王子(従者と偽っている)に真っ先に身内の悪口を言い出すところからも伝わってくる。大声で「わたしは正義~」とか叫ぶ人を信じてはいけない。一方、クロリンダとかティーズベは若いからバカなだけで、大人になって地位を得たり責任を背負ったりすれば成熟した優しくて賢い女性になりうる。あの哲学者にはどうしてそれがわかんないのかなあと全力で歯ぎしりしてみた(←どんなオペラの見方だよ!)。

June 19, 2009

新しいポストとか移籍とか

●新聞報道が出てすっきり。

樫本大進さん、ベルリン・フィルのコンサートマスターに内定(読売新聞)
樫本大進さん:ベルリン・フィルコンサートマスター就任へ(毎日新聞)

●例のベルリン・フィルのライヴ中継Digital Concert Hallで、5月のペトレンコ指揮の演奏会を見てたら、コンサートマスターのブラウンシュタインの隣に見慣れない(いや見たことのあるというべきか)日本人らしい男性が座っているなーと思ってたら、次の小澤征爾指揮のメンデルスゾーン「エリア」ではコンマス席に座ってて、あれれ、これは樫本大進氏では?と驚いてたんである。
●これもびっくり。新日本フィル、ダニエル・ハーディングが2010-2011シーズンより指揮者陣に加入。スゴいなあ。年間4プログラム6公演振る。普通なら首席客演指揮者くらいの呼び名になりそうだけど、タイトルは Music Partner of NJP。
●その前の2009/2010シーズン詳細については、こちらに詳細あり。個人的に気になる名前はジャン=クリストフ・スピノジ(6月)。ハイドンとロッシーニ。
●あとは中村俊輔のエスパニョール行きが今日にでも発表されるんじゃないかという雰囲気なんだが、内心大逆転もありうると思ってる。

June 17, 2009

「夜想曲集~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」(カズオ・イシグロ著)

カズオ・イシグロ「夜想曲集」●予約して発売日にゲット、すぐ読んだ。カズオ・イシグロの最新刊「夜想曲集~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」(早川書房)。短篇集だが、それぞれ題材はある程度共通している。副題にあるように「音楽」と「夕暮れ」をめぐるわけだが、言い換えれば「ミュージシャン」と「(夕暮れを迎えた)夫婦」がテーマ。あとドロップアウトした(しつつある)若者/元若者。
●「美しく切ない物語」みたいな意匠の中に、可笑しくて苦い真実を描くという点では、カズオ・イシグロのほかの長編と同じ。5つの作品の内、特に感銘を受けたのが「モールバンヒルズ」と「チェリスト」。別に「ネタバレ」を気にするような話じゃないけど、これから読もうという方は以下は読後に目を通したほうがいいかも。
●「モールバンヒルズ」の題からエルガーを連想する方は鋭い。ギタリスト志望の若い主人公が、ロンドンを離れてモールバンヒルズのカフェで働いていると、スイスからの観光客の夫婦に出会う。ダンナのほうは上機嫌だ。

「エルガーについてのいいドキュメンタリ映画を見ましてね、それからずっと来たいと思っていました。エルガーはモールバンヒルズが大好きだったのでしょう? 隅から隅まで自転車で走り回った、とありました。そして、私たちもついにここに来た」

 ダンナは休暇を楽しむ観光客にふさわしい快活な態度で「イギリスはすばらしい国」「みんな親切」と喜んでいる。でも奥さんのほうはずっと不機嫌。ひょんなことから、二人は実は音楽家だとわかる。といっても、コンサートホールの舞台に立つ音楽家ではなく、観光地のレストランで民族衣装を着て演奏して、お客を喜ばせるような仕事だ。主人公から「どんな音楽をやるんですか」と問われて、ダンナは「一番やりたいのはスイス民謡で、これを現代風にアレンジしてやる。時には過激にアレンジする。ヤナーチェクとかヴォーン・ウィリアムズからインスピレーションを受けることが多い」みたいなことをいうが、奥さんは「でもいまはあまりそういう音楽は、やらないわね」という。実際にはビートルズやカーペンターズとかABBAをやってるわけだ。口では尖がったオリジナルの音楽をやりたいとかいってても、レストランで演奏できるのはみんながよく知ってるヒット曲。そう、それが仕事というものの現実だろう。
●ダンナはなんだって物事をポジティブに捉えて喜ぶ。人生、物事は万事喜びを持って向き合えば喜ばしいものになるし、つまらないと思えば本当につまらなくなる、そういう価値観。これはまあ本当にその通りなわけだ。ワタシのような根っからネガティブな人間ですら、実はそう思っていて、さほどぱっとしないレストランでも「おいしいねえ」と言えば本当においしくなるし、ありきたりの観光地の風景でも「これは見事だ!」と言えば本当に見事になると知っている。そうせずにどうやって生きろと? おそらく奥さんのほうもそうやってダンナと喜びを共有してきたのだろう。でも「夕暮れ」を迎えて、もうそのダンナの「僕はラッキーだ」についていけなくなった。だって、そうしていっしょに暮らしてきたら、若い頃の志はどこへやら、あちこちの観光地のレストランでビートルズやABBAを演奏するばかりだし、たまに休暇をとっても冴えないカフェとかみすぼらしい民宿に甘んじてるわけで、それでもダンナは「僕はラッキーだ」って言い張ってる。はぁ、あたし、もう人生に疲れてきたわ……。
●カズオ・イシグロが巧いと思うのは、この夫婦を若い主人公の視点から描いているところ。この主人公は才能も野心もあるし、カバーバンドなんかやる気はなくてオリジナルの曲を作ってる。でもまちがいなく大人になったら、このダンナと同じになるよ、っていう話なわけだ。真実すぎる……。
●「チェリスト」も傑作。音楽家志望の若者は必読(笑)。若いチェリストが謎の女教師に出会い個人レッスンを受ける。女の批評は恐ろしく辛辣だが的確で、若者はレッスンにのめり込み、「生涯でこれほどうまく演奏できたことはない」と思うほど、成長する。で、どうなったかというと、不機嫌で凡庸なオヤジになったという話。イジワルだが、かなりコミカル。女教師に爆笑。

June 15, 2009

マルティン・シュタットフェルトの平均律

●初めて足を運んだ、所沢市民文化センターミューズアークホール。ウチからだと都心のホールより全然近いではないか。所沢航空記念公園に寄って満喫する濃やかな緑、なぜか一角にコスプレな人々がワラワラと集結してて、あれなんのキャラ、忍者?と謎に思いつつ、今日のリサイタルはコスプレ・デイであったか、どうしてワタシはバッハのカツラをかぶってこなかったのかと後悔したところで、ホールに着く。
●バッハを弾くピアニストでなにがイヤかって言えば「グールドの再来」という惹句。どんよりと萎える。で、シュタットフェルトは戦略的に「再来」しすぎてて、最初のアルバムがゴルトベルク変奏曲だったじゃないっすか、あれを一瞬耳にして、あまりにもグールドに似ている(けど別物もちろん)とショックを受けて以来、なぜか悲しい気分になり、このピアニストは隣の並行宇宙にしか存在しないことにしようと決めてしまっていたのだ、少し前までは。
●でもすごく上手い、CD聴くと、猛烈に。こんな人ほかにそうそういないわけで、誘惑に抗えずに聴きに行ってしまった、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲リサイタル。そしてこれを悶絶しそうなほどに楽しんでしまう無節操な自分。上手い、きれい、ビックリ箱満載の凝った表現、そうかこれどうしてグールドに似てるって思ったんだろ? 残響の豊かさでCDでのシャープで尖がった印象は相当後退する。
●平均律って「前奏曲とフーガ」ワンセット一曲完結の曲集のはずで、通して弾く必要も聴く必要もないと思うんだけど、でも通すとなんか筋の通ったドラマがあるように聞こえるのは気のせいなのか。はじめはハ長調とかハ短調の前奏曲みたいに無機的というか幾何学的な美しいパターンなんだけど、終盤になると変ロ短調の前奏曲は葬送行進曲だし、ロ短調のフーガを聴く頃には受難曲の終曲を聴いてるような気分になる。
●最近、このパターンでびっくりすることが多いんだけど、終演後にサイン会があって、長蛇の列ができるんすよ。でもこれって会場でCD買った人向けなんすよね。シュタットフェルトのファンはみんなすでに買って持ってるんじゃないか、いや持っててももう一枚買うのか、それにしても一公演でこんなに売れるのか。会場売り比率ってどれくらいなんだろ。

June 12, 2009

「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」(広瀬大介著)

「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」●これは大変な力作。あと少しで読み終えるところなのだが、「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」(広瀬大介著/アルテスパブリッシング)が実におもしろく、ためになる。副題に「『無口な女』の成立史と音楽」とあることからもわかるように、この本はシュトラウスの後半生、それも台本作家ホフマンスタールを失った後についての研究書である。
●R.シュトラウスというと、一番人気のあるのは若き日に書かれた交響詩群だろう。オペラを聴かない人はもっぱらこのあたりを聴く。で、オペラ好きであれば、後の「サロメ」や「ばらの騎士」も聴く。うまくいけば「影のない女」や「アラベラ」も聴くだろう。が、シュトラウスは長寿なんである。「アラベラ」の後もまだまだ生きて、作曲も続けている。「英雄の生涯」とかを書いてた頃は19世紀だったのに、「無口な女」を書く頃にはもうナチスが台頭している!
●で、ワタシなんかにとっては、「アラベラ」より後のシュトラウスというのは、ところどころ見えてるところもあるけど、全体としては光の差し込まない鬱蒼とした森みたいなもので、特にシュトラウスの生涯、その社会背景といったものについてはさっぱり見えていなかった(世界が激動していた時代なのに)。それがこの本を読んで、ぱっと一気に明るく見通せるようになったような気がする。
●特に興味深かったのが第2章と第3章にかけての、シュトラウスとツヴァイク、そしてシュトラウスとナチ政府の関係。ツヴァイクはあの「マリー・アントワネット」の作者として知られていると思うが、ツヴァイクとシュトラウスの往復書簡に加えて、ツヴァイクとロマン・ロランとの往復書簡も残っていて、ツヴァイクのシュトラウス観、驚くほど確かな音楽観といったものもうかがい知れる。シュトラウスとナチスとの関係についても知らなかったことだらけで(特にゲッベルスとのやり取り)、これを読んでいなかったらうっかりするととんでもない誤解をしかねなかったなと思うところ多々あり。
●この「リヒャルト・シュトラウス 『自画像』としてのオペラ」は、もともと広瀬大介さんが博士論文として執筆されたもの。ミュンヘン大学に留学し、現地で一次資料をはじめとする多くの資料・文献に触れた著者にしか書けない本であり、広瀬さんのシュトラウスへの情熱や見識が300ページ以上にわたってぎっしりと詰まった好著である。でも研究書として立派だっていうこと以上にワタシが感心したのは、この本が実に読みやすく、読み手に対して「読書の楽しみ」まで与えてくれるところ。一ページ読んだら、次にどんなことが書かれているか、その先の一ページを読みたくなる。おもしろい本を読み慣れている方は「そんなのフツーじゃん」って思うかもしれないけど、そういう音楽書は決して多くはないし、書き手の側に立てば、これは全身全霊を尽くして一種の奇跡を起こしてようやく実現できることだと思う。

June 8, 2009

鬱々と「暁の歌」~アンデルシェフスキ

●少し前にムストネンがN響でアンコールとしてシューマン「暁の歌」から一曲弾いてくれたんだけど、一ヶ月も経たない内にまた「暁の歌」。サントリーホールのピョートル・アンデルシェフスキのリサイタル。プログラムからしてすばらしいんだが、シューマン「暁の歌」、バッハのパルティータ第6番ホ短調、休憩をはさんでヤナーチェクの「霧の中で」、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調。ああ、これは鬱々として聴くには最強。
●プログラムに注意書きの紙がさしはさまれていて、「暁の歌」はシューマンが精神を病む直前に完成させた最後の作品だから、拍手はご遠慮くださいみたいに書いてある。それだけでホントに拍手しないお客さんの行儀のよさに驚く。
●ピアノに向かってブツブツと独り言を繰ってるとそれがぜんぶ詩になってた、という演奏。満喫。特に後半。
●機嫌の良し悪しとは無関係に放っておくとナチュラルに鬱々しがちな人っているじゃないですか、根っこが暗めの人。つまりワタシなんだけど(笑)。そういう人間の魂をグワシッとつかんでくれる音楽をたっぷり浴びて、一通り聴き終わった後に思ったことは、もう一回最初からぜんぶ弾いてくれないかなあという無理難題。これから梅雨入りもするだろうし、雨の日にジメジメしながら引きこもってCDで聴くか。
●カーネギーホールで弾いたライヴCDは微妙に東京と曲目が違ってて、バッハのパルティータが第2番で、シューマンが「ウィーンの謝肉祭の道化」。ヤナーチェクとベートーヴェンは同じ。「ウィーンの謝肉祭の道化」は、「あまりにも自分の内面に近すぎるから、今後はもう演奏しないだろう」って言ってるそうで、それもなんだか饒舌な気がするけど、カッコいいからいいか。

June 3, 2009

コンサートホール未体験

●いつの間にか登録していたヴァン・クライバーン・ファウンデーションのメール・ニュースで、現在開催中のヴァン・クライバーン・コンクールの途中経過が出ていた。ファイナリストに辻井伸行さんの名前発見。まだ20歳なのかー。いや、サイト上の写真を見ると、すっかり大人になっているというべきか。
●ファイナルの模様はネット中継されるそうなので、聴きたい方はどぞ。放送スケジュールは「おかか since 1968 Ver.2.0」を参照するのがわかりやすくて吉。
●暮らしに役立つ豆知識。「東京エレクトロンホール宮城」は仙台にある。欧文表記だとTokyo Electron Hall Miyagi。
●暮らしに役立つ豆知識その2。「コンサートホール自由が丘」は演奏会場ではなくパチンコ屋さん。どうやら「コンサートホール」という大手のパチンコ・チェーンがあるみたいなんだけど、ひょっとしてお店に入ると弦楽四重奏とかの演奏があったりするんだろうか……。

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