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News: 2009年11月アーカイブ

November 27, 2009

ベルク「ヴォツェック」@新国立劇場

アルバン・ベルク●新国立劇場でベルク作曲「ヴォツェック」を観た。バイエルン国立歌劇場との共同制作による新演出。アンドレアス・クリーゲンブルク演出、ハルトムート・ヘンヒェン指揮。
●平日昼間公演だったので、日の高いうちから狂人だらけのオペラを観てしまった。「ヴォツェック」がどんな物語かってのを一言で説明すると、頭のおかしい貧乏下級兵士が、金欲しさに怪しい医者の人体実験台になったり、内縁の妻を刺し殺したりして、最後は自ら土左衛門になる絶望底辺オペラ。いやー、もう暗い。絶望的に暗い。
●演出的な見どころはたくさんあった。まず、舞台上に水を張ってある。みんな足元をビチャビチャ言わせながら歩くことになる。ヴォツェック家から一歩外に出ると、水たまり。これは第1幕の頭からあって、そのまま第3幕のヴォツェック土左衛門シーンでは沼になるわけだ。マリーを殺したナイフを投げ入れ、血を洗い流し、沼に溺れていく。つまり、これは「沼ガール」ならぬ「沼オヤジ」の話なんである。ヴォツェックが沼に溺れるのと同様、どの登場人物も最初から沼に足を入れているようなもので、いずれだれもが沼に絡み取られていくという絶望を示唆している。
●子役の演技がスゴい。天才かも。この演出では子どもがほとんど舞台上に出ずっぱりになっていて、ヴォツェックがいるそばの壁に「お父さん」とペンキで書いたり、マリーのところに「売女」と書いたりする。最後に「ホップホップ」って言う場面以外は歌もセリフもないんだけど、かなりの達者な演技が必要で、カーテンコールではブラボーが出たほど。ある意味、この子が主人公であり、この子の視点から見た世界を描いているともいえる(演出家はヴォツェック視点で描いたと言っているが、そんなことは気にしない)。
●物語の悪夢的な世界観はかなり強調されており、ヴォツェック一家以外の人間はみな醜い怪物的な姿をしている。仕事を求める失業者たちがいる。黒子たちがみなナイフを持ち、次から次へとヴォツェックに手渡していく。もうどうしたってヴォツェックはマリーを刺さないわけにはいかない。で、最凶に後味の悪いのは、このナイフが、最後に父も母も失った子どもの手に渡されていくところ。子どもは将来のヴォツェックであり、狂気も貧困も暴力もそのまま彼に受け継がれていくであろうという出口なしの絶望。
●このテーマは二通りの受け取り方があると思う。ひとつには、「ヴォツェック」の世界を、そのまま現代のわれわれの社会が抱える問題として受け止めるという方法。仕事がない人間が下級兵士になったり人体実験台になったりするというのは、命とカネを交換するということであり、ある部分では現実そのものだ。フツーの暮らしをする人も、何かの拍子であっさり仕事を失うかもしれない。戦争が始まるかもしれない。ヴォツェックでありマリーであるかもしれない私たち、という見方。
●もうひとつは、これこそがファンタジーという受け止め方だ。オペラはずっと前からいろんなファンタジーを描いてきた。古代エジプトの英雄とか中国の王女様とか神々の没落とか。でもそんな空想にはもう飽きたとする。じゃあとことん豊かで平和でオペラを贅沢に楽しみ尽くす人々にとって、なにが物珍しい絵空事かといえば、貧困とか狂気とか絶望だろう。この両者のタイプのお客さんが共存しているのが現代の劇場。
●音楽的には第3幕がすばらしいっすね。これは本当に感動する。陰惨すぎるけど。

November 25, 2009

四重奏+四重奏

上海クァルテットのベートーヴェン●ジュリアード弦楽四重奏団+上海クァルテット@紀尾井ホール。師弟カルテットの共演ということで4+4=8なんである、すなわちメンデルスゾーンの八重奏曲が聴ける。ジュリアードがバルトークの2番やって、上海がベートーヴェンのラズモフスキー第3番、それから休憩後に合体ロボのように強まってメンデルスゾーンの八重奏曲。鏡像のように左にジュリアード組、右に上海組が並ぶ様は壮観。なんでこんなに人たくさんいるの?的な賑やかなお祭り感あり。
●しかしスゴくないですか、メンデルスゾーン。あの八重奏曲みたいな奇跡の名曲を16歳で書くって早熟にもほどがある。16歳っすよ。16って自分なにしてたかなー。早弁とか? 筆箱隠したり隠されたりとか? 同じ人類とはいいがたい、もはや。
●CD聴いてるとそうでもないんだけど、実際に目にすると8人中4人もヴァイオリニストがいるんすよね。うわ、多いな、このまま増えるとオケになりそうとか一瞬思うんだけど、でもヴァイオリンのおいしいメロディはだいたい第1ヴァイオリンが一人で弾いて1+3みたいになって、一人で3人あるいは7人を向こうにまわしてバリバリゲシゲシ弾いてますみたいな戦闘力の高さを発揮するところが見どころ聴きどころ味どころ。一人すなわちジュリアードのニック・エーネット。メトロポリタン・オペラのコンサートマスターからジュリアードの第1ヴァイオリンへと華麗なのか地味なのかよくわからない鮮やかな転身。
●ジュリアード弦楽四重奏団って63年間のあいだに12人もメンバーが代わってるんだそうです。ただ、代わるときは一度に一人ずつ。63年続いてるものは100年続く。100年続くものは200年、300年、いや1000年続くかもしれん。千年カルテット。そこまで未来になると、さすがに中身はずいぶん変わっててもおかしくない、いつの間にか四重唱団になってるとか、人類以外がメンバーに参加しているとか、そんな軌道レスな未来を軽く透視。
●上海クァルテットは雄弁で派手であった。彼らも83年結成だから四半世紀は経ってるわけだ。
●「クァルテット」よりも「カルテット」にしたいな、ウチ表記は。場所によっては徹底的に「クヮルテット」なところもあると思うが。ほかに「ヮ」ってなんに使ったっけ? 「ヮ」使ったのは「ぁぃιぁぅョゥヵィ」のときが最後かも。

November 15, 2009

ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団@ミューザ川崎

●ホール内でバイエルン放送の取材スタッフらしき方々を見かけたので、きっとブログがあるだろうなと思ったらやっぱりありました>Symphonieorchester on Tour。ドイツ語だけど。
●で、ヤンソンスが「日本で一番好きなホール」と言ってるミューザ川崎での公演。これはスゴかったなあ。ドヴォルザークのチェロ協奏曲(ヨーヨー・マ独奏)、ブラームスの交響曲第2番というプログラム。最高のクォリティを持ったオーケストラでこれだけの名曲プロを聴けばもちろん感動が訪れるわけなんだけれど、それに加えてお客さんを喜ばせようというサービス精神の旺盛さ。ヨーヨー・マがチェロ協奏曲で渾身の熱演を聴かせた後、オケに絡みまくった。まずはアンコールでバリエールの2台チェロのためのソナタ第3楽章、3台のチェロとオーボエでモリコーネの「ミッション」、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュード。バッハ以外はオケのメンバーとの共演なんである。
●で、後半に入るとヨーヨー・マはフツーにオケのなかに入って出てきて、なにげにチェロの最後尾のプルトに入ってそのままブラームスの2番を弾いてるんである。ヨーヨー・マはときどきこれやるみたいなんだけど、もう楽しくてしょうがないという雰囲気で、両隣としきりにアイコンタクトをとりながらニコニコして弾く(ブラームスのここのところ、すばらしいよね、ね、みたいな)。全身からハッピー・オーラが発散されまくっていた。
●ブラームスの後、さらにアンコールがあって、グリーグの「ソルヴェイグの歌」、おしまいにもう一度ヨーヨー・マをソリストの場所に座らせてブラームスのハンガリー舞曲。楽団員が全員退いても拍手が鳴り止まず、最後はヤンソンスが一人で出てきてスタンディング・オーベイションの「一般参賀」。帰り道のお客さんたちが、みんなとてもいい表情をしていた。

November 13, 2009

ジャイ子としてのトスカ ~ 「トスカ」@METライブビューイング

●ウェブサイトも刷新されてMETライブビューイング新シーズン開幕。まずは「トスカ」。カリタ・マッティラ(トスカ)、マルセロ・アルバレス(カヴァラドッシ)、ジョージ・ギャグニッザ(スカルピア)他。指揮はレヴァインが体調不良で降板してジョセフ・コラネリ。リュック・ボンディ新演出。
●「トスカ」ってオペラそのもの、ギミックに頼らないオペラ的なものだけでできてるオペラで、登場人物も少ないし物語の筋も一直線で、オペラ100%のオペラだと思うんすよ。だから好きだっていう人と、だから苦手だって人がいる、たぶん。で、じゃあこれがオペラ代表選手だとして、知人に見せたらこう言われたとする。「えー、なにこれ、体格のいい中年男女が取っ組み合いしててなんか不潔っぽい」。ここでワタシはどうにかして弁明しなきゃいけないわけである。「いやいや、違うんすよ。あのカリタ・マッティラっていう人は美しい歌姫の役なんですよ」。知人は反論する。「あれはジャイ子だよ、しずかちゃんキャラには見えないよ」
●でもそんなこと言われたらオペラは成り立たない。だからなんとかして、「ジャイ子ではなくてしずかちゃん」だと納得してもらって、なんの弱点もない完全無欠の音楽を楽しんでもらおうと今までは考えていた。でもこのリュック・ボンディの新演出を見て、考えが変わった。
●このトスカって、どうしようもない女なんすよ。かわいげのある嫉妬深さじゃなくて、少しヤヴァい感じで嫉妬深い。1幕の教会(質素だ)にカヴァラドッシの描いた絵が飾ってあるじゃないですか。あの絵に描かれた女に嫉妬して、女の青い目を自分の色である黒に塗りつぶせとカヴァラドッシに要求する。ホントに筆を持って描きかえようとするんだから、男の仕事に「口を出す」どころか「手を出す」わけだ。これだけでもどうかと思うのに、スカルピアに嫉妬心を煽られたら怒り狂ってこの絵をバリバリと破いちゃうんすよ。歌姫なのに他人の芸術には一切の敬意を持たない。ヤな女でしょ。
●で、ハタと気づいた、これ、トスカがしずかちゃんだと思い込もうとしてたんだけど、違うんだ、このトスカはジャイ子なんすよ。ジャイ子を無理矢理しずかちゃんにしようとするから齟齬が生じるんであって、ジャイ子としてのトスカ像を作り上げればいい。これは客席にも伝わっていて、カリタ・マッティラの振る舞いに対して「クスクス」笑い声が起きる場面がいくつもある。だってコミカルだから。
●そう思うといろんなことに納得がいく。スカルピアが3人もの妖艶な娼婦を侍らせているにもかかわらずトスカを欲するのは、しずかちゃんたちに倦んだ末のジャイ子への洗練された欲望なのだと理解できる。しずかちゃんの悲劇が前世紀的で刺激に欠けるものになりつつあっても、ジャイ子の悲劇であれば21世紀的な私たちの実像を半歩先から照らし出すことができる。
●第3幕、処刑場にあらわれるトスカって、本来の人物像としては少女であるがゆえに、無邪気にカヴァラドッシのニセの処刑を信じて「銃が鳴ったら、上手に倒れる演技をしてね、劇場のトスカみたいにね」とかわいらしく語るんだと思うけど、カリタ・マッティラは一味違う。「あんた、銃で撃たれたらさっさと倒れなさいよ、あたしみたいに演技してよ、アッハッハッハッ」と少し厚かましいオバさんみたいな雰囲気をよく出している。だからここでも客席から笑いが漏れる。なるほど。しずかちゃんじゃなくてジャイ子だから。美しい音楽に、美しいだけの人物はもうそぐわない。そうリュック・ボンディは言っている(言ってないけど)。

November 10, 2009

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2010は「ショパンの宇宙」

●ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2010、テーマは「ショパンの宇宙」と決定。開催期間は4月28日(水)~5月4日(火)、そのうちコア期間は5月2日~4日の3日間となる、と。こちらの公式リリース(PDF)にあるように、ショパンの全作品が網羅されるんである。全作品というのは、全ピアノ曲はもちろんのこと、全歌曲でもあり全室内楽作品でもあるわけだ。作品数は多くはないが、日頃なかなか耳にする機会の少ない曲も聴けるはず。
●あと上のリリースにあるイメージビジュアルのショパンが、キモカッコいい。これまでもバッハとかシューベルトとかモーツァルトとか、鮮やかでステキなイラストがポスターを飾ってくれたけど、ワタシには今回のショパンが最高傑作。だって、少しキモいんすよ、このショパン。キモい、でもカッコいい。この「キモカッコいい」っていうのが今っぽい、とても。
●コア期間は今年と同じく3日間ということで。
●それから、本日adidasよりニッポン代表の新ユニ発表。うーん、このデザイン、ワタシにはよくわからん(笑)。フツータイプとピッチリタイプの2種類あるのはいいとして、この胸というか首の下の赤い目立つ四角形はなに? カッコ悪いところがカッコいいのか? 「レッドカード標準装備」なんていう人までいて、不吉でもある。「博士、この赤い矩形には主審のレッドカードを誘発する効果があることがわかりました!」
●ただ現行バージョンの首周りが黄色いのもとってもヤだった。赤も黄色もなしにして、ブルーと白だけでいいじゃないかと思うんだがなー。

November 6, 2009

ミンコフスキ祭り開催中

●いやー、スゴかった。圧巻。ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊@東京オペラシティ。期待はしてたけど、まさかここまですばらしいとは。なんという躍動感、情熱、ファンタジー、サービス精神。そしてラモーとモーツァルトであれだけ客席がわくとは(残念なことに、空いていたけど)。
●予定と曲順を入れ替えてまずはラモーを先に演奏。ラモーって、管弦楽が好きな人と歌が好きな人がいると思うんすよ、たぶん。ワタシは管弦楽派だから組曲だけで充足できちゃうんだけど、だったらオケの曲だけ集めてセットにしてみたら、ということで「空想のシンフォニー~もう一つのサンフォニー・イマジネール」。CDでも同趣向のが出てるけど選曲は違ってるみたい。「カストールとポリュクス」「遍歴騎士」「アカントとセフィーズ」「優雅なインドの国々」等々からおいしいナンバーを集めて一曲分(CDでは前にルセが序曲を集めて一アルバムにしてたのと似た発想)。これで楽しくならないわけがない。ブリュッヘンとかヘレヴェヘとかで刷り込まれた頭には、速いテンポの曲はより速く颯爽と、といったように感じられて、突風みたいに強烈なラモー。聴いていて思わず笑ってしまう。
●モーツァルトは「ポストホルン」セレナード。そう、ポストホルンが登場する。でもポストホルンだけじゃない。郵便局の自転車に乗って舞台にあらわれるという演出(笑)。しかもこの自転車、「日本郵便金沢支店提供」とのこと。どうやら金沢公演に使った本物の郵便局の自転車をそのまま東京まで持ってきたようだ。さすが、オリジナル主義。と思ったがオリジナルは郵便馬車か。でもまあ「郵便」なのはホントだ。前にブリュッヘン指揮新日フィルの「軍隊」でも舞台パフォーマンスが演出としてあったけど、こういうのはいいっすよね、深刻な曲じゃないんだから。音楽のほうも実に精彩に富んだモーツァルトで、今まさにそこから音楽が生まれてきてるんだ感、全開。
●ミンコフスキがルーヴル宮音楽隊を結成したのって20歳の時だって言うんすよ。1982年。昔、ERATOからCDが出てた頃は、まだアーノンクールとかブリュッヘンとかガーディナーの世代がバリバリ新譜を出してた時代で(いや今でも出てるか)、「え~、ミンコフスキ?」みたいな反応する人もいたけど、それからどんどん活躍の場を広げて、27年経った今も同じオーケストラが最強に強まりながら続いているんだから、これも大変なことっすよね。
●アンコールにラモー「優雅なインドの国々」より「トルコの踊り」、モーツァルト「ハフナー・セレナード」のロンド、グルックのバレエ音楽「ドン・ジュアン」より「怒りの舞」。頼んでないのにご飯大盛りにしてくれる、みたいな。会場に熱狂が渦巻いて、とてもいい雰囲気が生まれていた。「一般参賀」的な拍手と喝采。タイムマシンに乗ってもう一度あたまから体験しなおしたい。いつまでも聴いていたい。そんな演奏会だった。ワタシは行けないんだけど、本日もう一公演、オール・ハイドン・プロあり。

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