●今年のベストCDとかベストコンサートを選ぶのも楽しいんだけど、もう少し大ざっぱな枠で振り返ってみた、2009年。
●まず録音。今年から、CDプレーヤーから音楽を聴くよりも、PC経由で聴く時間のほうが長くなった。非オーディオ者なので圧縮音源であっても気にしない。ただPC経由で聴くってのには2種類あるんすよね。一つは「CDを聴く」行為がそのまま「mp3を聴く」みたいに平行移動しているパターン。最初からデータを入手するにせよ、CDからリッピングしたものを再生するにせよ、やってることは同じで媒体が変わっただけ。もうひとつはネットラジオなんかでライヴを聴くパターン。こちらは圧縮音源がどうのこうのというレベルの音質ではなくて(もともと放送録音だし)、ライヴであること、新しいことに価値あり。
●で、PCから音楽を再生するのに慣れると、CDプレーヤーの電源入れたり、トレイを開いてCDを入れ替えたりするのがメンドくさいと感じるようになる。もちろん棚からCDを取り出すのもメンドくさい。人類として絶賛退化中。でも今のところPCに入っている音源より、CDのほうが圧倒的に多いんすよ。だからPCだと選択肢が少なすぎるわけで、それでどうするかといえばネットラジオに走る。まったく意味不明。なんのためにこれまでCD買ってきたのか。
●だから今までに購入したCDを全部PCにリッピングしたいと一瞬夢想するが、それはそれで困ることも多いわけで、こういう状態ってまさに過渡期なんだと思う。落ち着く先がどういう形態かはまだわからないんだけど、個人的にキーとなると思うのは、米国amazon mp3ストアが日本にも開放されるかどうかということと、メジャーレーベルがナクソス・ミュージック・ライブラリーみたいな定額ストリーム再生サービスを始めるかどうか、といったあたり。
●あとコンサート。今年は自分としてはたくさん通ったんだけど、「レコードからライヴへと変化する音楽産業」っていうイギリスの音楽産業事情と似たようなことを実感する場面も多々あり。CDが売れるのもコンサート会場だし。クラシック音楽の基本的な考え方として「生の演奏が本物であり、録音はその代替物である」といったものがあると思う、同意できるかどうかは別として。でも新録音が減って、録音だけでは音楽的な欲望を十分満たせなくなってくるからライヴに足を運ぶ、みたいな「録音の代替物としての生演奏」という逆流現象も都市部では起きてるんじゃないかなあ。
●これが進むと、地元で日常的に聴ける地元の音楽家の存在の重要性が増すことになる(年がら年中ウィーン・フィルやベルリン・フィルを聴いてられる人は少ない)。ネットワークによる音楽の流通が発達すればするほど、世界的メジャーによるパッケージメディアの支配力が弱まり、ドメスティックなものローカルなものに光が当たるようになる……というのが「風が吹けば(日本の)オケ屋が儲かる」理論。どうか。
●ネットは断然 Twitter。おもしろい。SNSでもありチャットでもありブログでもあり。「掲示板」じゃないところがいい。
News: 2009年12月アーカイブ
グッバイ2009
映画「のだめカンタービレ最終楽章 前編」
●映画館で観てきました、「のだめカンタービレ最終楽章 前編」。期待に違わぬ完成度。これはテレビドラマ版にも言えたんだけど、なにしろ話の筋はもうよく知ってるわけなんである、原作に忠実だから。それでも楽しめるというのは、やはりテレビドラマとしての作り込みがしっかりしているから(あ、映画か。でも映画館で観るテレビドラマだな)。思った以上にロマンス要素よりコメディ要素に比重が置かれていて、しっかり笑えた(いちばん笑ったところ→のだめの「空気読め」)。
●曲の使い方がうまい。ベト7が冒頭に使われるのはテレビと同じだけど、ちゃんと頭からやるんすよ。これも効果的。チャイコフスキーの大序曲「1812年」の場面も盛り上がったし、その後の本来歓喜の場面に「悲愴」終楽章をかぶせてのだめ一人の取り残された感を表現する演出も絶妙。終盤も「おっ」と思う曲が出てきたな。
●のだめのピアノはラン・ランが吹き替え。レーベルの枠を超えた豪華ゲスト登場。とはいえこの前編でのだめが弾くのは「トルコ行進曲」のみ。ラン・ランもそれらしくノーマルじゃない弾き方をしてくれている(かなり男性っぽいとは思ったけど)。
●プログラムを見ると、マルレ・オケのプレーヤーで役がついている人のプロフィールが乗ってて、これがかなり多彩。もともと音楽家なんだけど役者もやるっていう人が多いんだけど、たとえばあの気難しいコンマスの人は本業は翻訳家なんだとか。スキンヘッドのホルンの人は東響首席ホルン奏者のジョナサン・ハミルさん。
●千秋の指揮がうまくなってる(笑)。
●リアリズムの観点からはもちろんツッコミどころ超満載なんだけど、これラブコメだから。映画館は親子連れ多数。実写「のだめ」はファミリーで楽しめるラブコメなんすね。
「全身音楽体験~大野和士と子どもたち~」12/26 教育テレビで放送
●NHKの年末特集番組をひとつご案内。「全身音楽体験~大野和士と子どもたち~」。指揮者大野和士さんと子供たちのワークショップを追ったドキュメンタリーで、題材となるのはストラヴィンスキーの「火の鳥」とドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」。子供たちは普通の都内の小学生で、音楽を聴いてその情景を自由に体で表現したり絵を描いたりする。
●秋に大野和士指揮リヨン歌劇場管弦楽団の「子供たちに贈るスペシャル・コンサート」(Sony Music Foundation主催)があったけど、それと並行して数度にわたってワークショップが行なわれていたんである。ワタシは取材で現場におじゃましたのだが、普通の子供がいきなりストラヴィンスキーの「火の鳥」を耳にしてどういう反応をするかとか、大野和士さんの子供との接し方の異様なうまさとか、ダンスをサポートするために登場したコンドルズ(サラリーマンNEOのテレビサラリーマン体操に出演してる方々です)の音楽と身体表現を自在に結びつけるワザであるとか、見どころ満載だったんである。
●こちらは8月にNHKのスタジオで行なわれたワークショップの模様。大野さんが「火の鳥」をピアノでバリバリと弾きながら、コンドルズの近藤良平さんが子供たちを引き連れて怪しい動きを見せてます。最終的にどんな番組になってるかはワタシも知らないので楽しみ。録画しておいて、仕事納めしたらのんびり見ようかと。
全身音楽体験~大野和士と子どもたち~
12月26日(土)教育 午後3:00~4:30
DG Web Shop で DeccaおよびPhilipsの音源も購入可能に
●いつの間にか日本語ページもできているドイツ・グラモフォンのDG Web Shopが、さらにパワーアップ中。同じユニバーサルミュージック系列レーベルであるDecca(含む旧Philips)の音源も購入可能になっている。
●といっても、デフォルトではドイツ・グラモフォンの音源しか表示されていなくて少しわかりにくい。まず検索窓にキーワードを入れると(たとえば Bartoliと入れてみる)、出てきた結果一覧の左側に Add Decca releases to search result とDECCAのロゴ入りで表示されるので、こちらをクリックする。するとDECCAに録音されたバルトリのアルバムがズラッと出てくる。
●旧PhilipsのアーティストもすでにDECCAに含まれる扱いになっているらしく、 Uchida とか Brüggen とか Ozawa も購入可能。
●価格は一枚モノで 10.99ユーロ前後(mp3/320k)。mp3でもiTunesなどよりは高音質だが、最近の新譜は FLACロスレスでもダウンロードできる。ロスレスなのでCDの中身と1bit違わぬ同一データ(のはず)。こちらは12.99ユーロと少し価格が上がる。
●なぜか日本からの購入はユーロ建て。国によってはドル建てで価格は同じなのだ(つまり国ごとに10.99ユーロだったり10.99ドルだったりする)。ドルとユーロの比率が1対1からどんどん離れてくるにしたがって国による価格差が大きくなる。
●なお、DECCAのアルバムには 7days stream(事実上の一週間レンタル?)が可能なものは少ない。このあたりも含めてトータルでレーベルを意識せずに使えるようになるとさらに強力。
●先日ご紹介したDG Radioをクラシックのネットラジオと音楽配信リンク集に追加。まだベータ版だけど利用価値大と見た。
映画「シャネル&ストラヴィンスキー」(ヤン・クーネン監督)
●前に少しご紹介した映画「シャネル&ストラヴィンスキー」の試写を拝見。これは良いね。シャネルとストラヴィンスキーの二人の関係を描いた映画なんだけど、ストラヴィンスキーのかの有名な「春の祭典」初演シーンから始まるんすよ。20世紀の音楽史でもっともスキャンダラスなあの場面、1913年のパリ・シャンゼリゼ劇場でのロシア・バレエ団(バレエ・リュス)公演だ。タイムマシンがあったら、あの日に飛んで現場を見たいシーン、ナンバーワン。ストラヴィンスキー、ディアギレフ、ニジンスキー、ピットのオケを振るのはピエール・モントゥーだ(ちゃんとモントゥーっぽい髭の役者さんがすんごく苦心しながら棒を振ってます!)。「春の祭典」好きな人はこの冒頭シーンだけで感動するんでは。ワタシは鳥肌立った。たぶん、客席の騒動を過剰に演出していないところが成功してる。
●物語的にはココ・シャネルとストラヴィンスキーの恋が軸になっている。事前に一抹の不安を抱えていたんだけど、いやいや大丈夫。美しいものだけではなく、ちゃんと醜いものは醜く、憂鬱なものは憂鬱に描いてある。ストラヴィンスキーは当時もう結婚していたんである。幼なじみの従妹と結婚して、子供もいて、でも奥さんは病弱。奥さんは楽譜の校正もしてくれるし、誰よりもストラヴィンスキーの作品に的確な批評をしてくれる。でも夫は有名人になって、シャネルみたいなセレブのターゲットになっちゃう。よくある話だ。この奥さんがいいんだ(と奥さんに共感しながら見る)。ストラヴィンスキー(マッツ・ミケルセン)の人物像も味わい深い。音楽家としては天才なんだけど男としては凡庸っていう描き方だと解した。
●選曲も吉。「春の祭典」以外に、5本の指で、5つのやさしい小品、ソナタなど。
●最後の場面は多少わかりにくいかも。でもオススメ。冒頭がクライマックスなつもりでどぞ。2010年1月 シネスイッチ銀座、Bunkamura ル・シネマ他にてロードショー。
PHOTO(C)EUROWIDE FILM PRODUCTION
世界一YouTubeで視聴された日本人ピアニスト小林愛実、EMIからデビューへ
●以前、YouTubeで話題になって世界中から爆発的なアクセスがあった(なんと400万ビュー)小林愛実ちゃんが、いよいよEMIクラシックスからCDデビュー。ていうか、大人と子供の時間の流れは違うからびっくりするわけなんだけど、動画で小学生だった子がもう14歳で中学生っすよ! デビューCDはベートーヴェン「ワルトシュタイン」、ショパンのスケルツォ第1番&第2番他でDVD付き。EMIの特設サイトはこちら。
●で、昨晩サントリーホール小ホールにて、その小林愛実ちゃんのミニリサイタル&プレス発表会あり。CD収録曲から何曲かを披露してくれたんである。もちろんうまい。そして曲に没入して弾くタイプで音楽的にも視覚的にも表情豊か。そこまでは予想通りだったんだけど、演奏が終わってからの質疑応答でびっくり。もうメチャクチャにキャラが立ってる! 椅子に座りきれないくらいの大勢の聴衆を前に、まったく緊張もしないし人見知りもせずに、まるでクラスメイトとおしゃべりするみたいに話す。「音楽以外で好きなのは~、食べること。あと寝るのが好き」。本番前だろうといつでもどこでも昼寝できるとか、さっきまでバリバリ弾く天才少女だったのに、のび太くんみたいなこと言い出すし(笑)。
●放っておくと先生と二人で漫才状態。「練習は、うーんと、一日4時間って決まってるんだけど~」「あなた4時間もしてないじゃないの」「えー、4時間って言っておけばいいじゃん」。朴訥とした親しみやすい語り口に、客席がどっとわく。絶対テレビでウケる。愛されキャラと確信。
神童モーツァルトが弾いたヴァイオリン
●11日(金)は六本木の国立新美術館へ。ザルツブルク国際モーツァルテウム財団他の主催による記者会見で「モーツァルトの神童ヴァイオリンを聴く会」。当時6歳のモーツァルトが最初に手にしたヴァイオリン「モーツァルト・キンダーガイゲ」の日本初お披露目。楽器は1746年製作で、子供用の4分の1サイズと2分の1サイズの中間の大きさ。オーストリア国外に持ち出されたのはこれが初めてなんだとか。
●楽器を弾いてくれたのは14歳の松本紘佳さん、チェンバロは小林道夫氏。チェンバロとヴァイオリンのためのソナタ ハ長調K6および同ニ長調K29の初期作品から抜粋で演奏してくれた。楽器の音は……そうだなー、音そのものがなにかを語るわけじゃないけど、これを実際にモーツァルトその人が手にしていたということを考えるとあまりに歴史の重みがありすぎて非現実的な気分になるというか。演奏した松本紘佳さんの感想は「とても温かい音がする楽器」。
●記者会見にはOTTAVAさんもいらっしゃっていて、音声を収録していた。なので、そのときの演奏を少しだけオンデマンドで聴くことができる(OTTAVA amoroso for weekend 12/13 番組なかほど)。ご関心のある方はどぞ。記者会見での録音なので雰囲気だけでも。
DGラジオ(ベータ版)など
●ドイツグラモフォン・レーベルが静かにスタートさせたDG Radio(β版)。これもネットラジオの一種ということになるのかな。DGのアルバムが次々と流れる。メニューは先方が選ぶのだが、たとえばこのディスクはそんなに聴きたくないから次のにスキップする(あるいは前のにもどる)とか、同じディスクの中でトラックを進めたり戻したりするのは自由。ただしポーズ・ボタンはない(ラジオだから当然といえば当然だが)。ベータ版のためか、ワタシの環境だとpianoチャンネルはうまく動作しない。通常チャンネルは無問題。
DG Radio (Beta Version)
http://dg.freshdigital.co.uk/pages/dg/radiotile.jsp
●いろいろな新しいサービスがどんどん始まるなあ。基本線としては音源はパッケージとして購入するものから、iTunes的なダウンロード購入を経て、無料または定額でストリームを聴くものへと変化しつつあるように思う。
●なにもかもがそうなるという話ではなくて、ライトユーザーは無料でなんでもストリーム、でも特定の需要が発生する比較少数のユーザーが(アーティストのファンだから手許に所有したい/資料として保持したい)、ダウンロードしたり、パッケージを購入したりというピラミッド型のイメージで。いや、「ユーザー」じゃなくて、正しくは「ファン」だな。「カスタマー」は勘弁。
エンリコ・オノフリ/チパンゴ・コンソート@紀尾井ホール
●紀尾井ホールでエンリコ・オノフリ/チパンゴ・コンソート。オノフリの音楽は「びっくり」が満載なんだけど、まさか音を出す前にこんな「びっくり」があったとは。オノフリ、超ダイエットして20キロ減量。誰それ! 今回共演するチパンゴ・コンソートのリーダー杉田せつ子さんのブログに写真が載ってるので、見るのが吉。精悍かつにこやかにお蕎麦を食べてます(左)。この頃とえらく違うんすけど。
●ヴィヴァルディもモーツァルトもたっぷりの眩暈感を満喫。昨年、ヘンデル・フェスティバル・ジャパンで来日したときよりも、オノフリのやりたいことがアンサンブルに伝わってたんじゃないだろうか。そして「四季」ってこんなに描写的で、しかもダンサブルな音楽だったのだと改めて実感。ていうか、「四季」はいつもそうなんである。この約一年くらいの間に聴いた「四季」はほかに寺神戸亮&レ・ボレアード、ビオンディ&エウローパ・ガランテ、カルミニョーラ&ヴェニス・バロック・オーケストラがあって、みなスタイルはそれぞれなんだけど、いちいち驚く。媒介するアーティストは違っても全部同じ「四季」で、源にあるのはヴィヴァルディ(そりゃそうだ)。天才。
●3年前かな、「ラ・フォル・ジュルネ」で最初にオノフリを聴いたときと同じことをまた感じたんだけど、どんな新鮮な演奏、未知のアプローチに接したとしても、それを「最初はびっくりしたけど、もう手の内は読めた」とか「誰それを聴いたときに比べれば驚きはない」と感じたとき、ワタシは1ポイントを失う。多くを「なんだ、それなら知っている」に収める方法論は効率よく失点を積み上げることにほかならない。大量失点して退屈な人になることを防ぐために、ディフェンスを敷くことが必要になる。知らない音楽、新鮮な感動がワタシにとってはディフェンス、よく知ってる何度も聴いたCDの名演奏を繰り返し聴くほうがオフェンス(逆ではない)。オフェンスは失敗したときでも得点がないだけで失点はしないんすよ。サッカーと同じで、まずディフェンスありきで、それがうまくいったときにオフェンスの機会が生まれるというのが個人的原則。
●本日もう一公演あり。弾むような気分で楽しめますように。
ヘンデル「リナルド」@BCJ
●東京オペラシティで鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンのヘンデル「リナルド」(演奏会形式、12月6日)。これは楽しかった。「リナルド」というと、えーと、あのアリアが突出して有名じゃないっすか。あれ、なんて言ったっけ、いきなり度忘れしたぞ、「流れよわが涙」じゃなくて、うーん、あっ、そうだ、「私を泣かせてください」だ。でもそれ以外は冗長なんじゃないかと心配してたら、ぜんぜんそうじゃなくて、むしろサービス満点で愉快。
●物語に文学的な味わいなんかないんすよ、道徳的なお話で。その代わりに劇場に来た人を退屈させないためのさまざまなギミックにあふれている。ビシャーン!って雷鳴が轟いたり、嵐が吹いたり、小鳥がさえずったり、魔女が出てきたり、変身があったり、バトルシーン(バッタリア)があったり……。小鳥のさえずりは初演時には本物の鳥を放ったそうなんだけど、それって山っ気たっぷりの見世物小屋的なセンスっすよね。こういうのが18世紀初頭のロンドンにはあったわけだ。このセンスを20世紀に継承したのは主に映画とかテレビなのかも。愉快であるがゆえに客席で笑う瞬間っていいな~。
●先日Twitterでもつぶやいたけど、ヘンデルのオラトリオ「時と悟りの勝利」を聴いていたら、途中でおなじみ「私を泣かせてください」が流れてきたんすよ。調べてみると「時と悟りの勝利」のほうがオリジナルで、ヘンデルは「リナルド」にこの曲を流用したと。というか「リナルド」は流用だらけ。ハノーファーからロンドンに初めて渡ったヘンデルは、当地での最初のオペラとしてわずか2週間でこの曲を書いた。短期間に絶対に成功するオペラを書かなければならない、となれば、旧作から自信作を何曲か借りてくるのもわかるし、初めてのお客さんにもウケのよいわかりやすい仕掛けを施すのも納得。ヘンデルの(そして興行主の)サービス精神の豊かさ、聴衆へのフレンドリーさがすばらしい。
●魔女ってよく出てくるじゃないですか、ヘンデル。ヘンデルだけじゃなくて去年聴いたハイドンの「騎士オルランド」にも魔女アルチーナがいた。みんな魔女が大好き。彼女たちの子孫が「魔笛」の「夜の女王」なのか。あと変装で登場人物が入れ替わるネタも大好きっすよね、数百年にわたって。
●魔女アルミーダを歌ったのはレイチェル・ニコルズ。パワフルでなんか厚かましい魔女感ありでステキ。2幕で「私を泣かせてください」を歌うお姫様役は森麻季。アリアの後に盛大な拍手。というか2幕が終わった時点で、まるで終演したかのような熱烈な拍手があって、お客さんの喜びっぷりもマックス。
「アイーダ」@METライブビューイング
●METライブビューイングの新シーズン第2弾は「アイーダ」。80年代以来のソニヤ・フリゼル演出による超豪華プロダクションで、みんなが「アイーダ」に期待するようなスペクタクルは全部詰め込まれている(ただし象は出てこない。馬なら出るけど)。壮麗な舞台装置。戦士とか奴隷とかエキストラも大勢出てくるし、エキゾチックなバレエもあってサービス満点。幕間のインタビューや舞台裏紹介も相変わらず楽しい。
●キャストはヴィオレタ・ウルマーナ(アイーダ)、ヨハン・ボータ(ラダメス)、ドローラ・ザジック(アムネリス)。強力である。そして最近のライブビューイングでは珍しいくらい、全員水平方向に体格が立派。こういった容姿と役柄の乖離については、前作「トスカ」では「ジャイ子化されたトスカ像」と解釈することですっきりと納得できたが、今回の「アイーダ」はそうはいかないんである。「トスカ」でのカリタ・マッティラとは違い、アムネリス歴20年のザジックのシリアスな演技に対して、客席から笑いが起きることはない……。伝統的なオペラの舞台だから。
●「アイーダ」ってアムネリスの物語なんだなと改めて思った。このオペラで人間的に苦悩する魅力的なキャラクターは彼女だけ。前半はスペクタクルでドラマが霞みがちだけど、後半に描かれる王女アムネリスの人物像は本当に味わい深い。自分を拒絶する男に対して、権力を振りかざして「あたしを好きになれ」と要求する。自分と結婚しなかったら生き埋めの刑、でも結婚すれば将来の王位だって手に入れられる。これほど有利な取引を求められたのに、男は「死んでもお前といっしょになるのはイヤだ。ていうか事実死ぬし」と拒絶する。こんな屈辱はない。でもいざ男が死ぬとなると、彼女は祭司たちに必死に減刑を乞うわけっすよね。じゃあ減刑になってラダメスが死刑にならなかったとしても、あんたどうするのよ、決してあの男は自分のものにはなりゃしないよ。でも助けてやってほしいと願う愛。愛が深い、いや欲が深いともいえて、人間は悲しい。
●アムネリスに比べると、アイーダやラダメスの言動は首尾一貫してなくて、その場しのぎの選択をしてきた人たちに見える。特に第3幕でのアイーダと父アモナズロのやり取り、ラダメスから機密事項を聞き出す場面には、この父娘の身勝手さがよくあらわれている。終幕でラダメスとアイーダが地下牢に閉じ込められてもあまり同情できない。むしろアイーダがどうやってひそかに地下牢に潜入できたのか気になる。ワープ? もしラダメスが生き埋めの刑じゃなくて、たとえば象による踏み付けの刑とかになってたら、アイーダはひとりで閉ざされた地下で餓死か窒息死することになってたんすよ! そんな愛なんてない。勇者ラダメスと敵国の王女アイーダとの悲恋よりも、アムネリスの報われない愛。堪能。
●12月4日まで各劇場で公開中。上映劇場一覧はこちら。