●ナントの「ラ・フォル・ジュルネ」会場のシテ・デ・コングレはこんな感じの建物。会場の片隅のプレスセンターにノートPCを持ち込み中。演奏会を行う場所は全部で7会場。2000人弱入る大ホールがいちばん大きくて、普通に演奏会が開かれそうな場所はこの一ヶ所のみ。後は基本的に会議室みたいな場所が多い。狭いところは定員80名とか120名とか。
●つまり東京国際フォーラムとかなり似ている。違うのはチケットに座席が振ってあるのは2000人弱の大ホールだけで、あとは全部自由席というところ。800人入る会場でも自由席。開演前はずらっとフランス人たちが行列をなして待っている。
●開演時間はおおむね遅れる。16時開演とかでも、16時になってもまだ入り口で行列ができてるとかざら。それでも東京と同じように次々演奏会は開かれる。Arteの中継が入る公演はプログラムにその旨明記されている。つまり中継が入る演奏会は、予定通り開かれるので開演は遅れませんよ、ということを伝えているっぽい。
News: 2010年1月アーカイブ
ナントのシテ・デ・コングレ
「クラシック迷宮図書館」(片山杜秀著)
●出ました、「クラシック迷宮図書館」(片山杜秀著/アルテスパブリッシング)。「レコ芸」連載の「片山杜秀のこの本を読め!」(+α)が一冊にまとまっているんだが、音楽書の書評というものがこんなにおもしろくなるものなのかと改めて驚愕。しかも読みやすい。こういうものが雑誌連載で成立してたっていうのはいろんな意味で奇跡的なことだろう。対象となる本を超越して、書評それ自体がワクワクしながら読める。理想。
●これ、もともとの連載企画が相当な力技だったはずなんすよ。なにしろ月刊誌の書評だから「今月はそれほど興味深い本が出なかったので休みます」というわけにはいかない。そもそも音楽書を発行している出版社の雑誌で、音楽書を紹介するコーナーを設ければ、それは「自社本の宣伝コーナー」になりがち。営業なり編集なりの意向で「今月は自社のこれを紹介し、来月はあれを紹介する……」とオートマティックに流れが作られていってもおかしくない。なのに、ひたすら「書評」という記事のおもしろさを求め、片山さんに書きたいものを書いてもらうことを優先させ、毎月毎月まとまった字数で他社本を評し続けたわけだ。どう考えても、片山さんも編集部も大変な思いをしたにちがいないんである。すごい手数のかかった書評。頭が下がる。
●それがこうして一冊にまとまった。祝。単行本として読んでみると、さらに切れ味が増しているような気がする。
鉄骨を渡るカラフ~「トゥーランドット」@METライブビューイング
●METライブビューイングでプッチーニの「トゥーランドット」。新宿ピカデリー。
●ゼッフィレッリの超豪華プロダクションで、指揮は若いアンドリス・ネルソンス(指揮台に立つ前はピットでトランペットを吹いていたという珍しい経歴)。トゥーランドットはマリア・グレギーナ、カラフはマルチェロ・ジョルダーニ、リューはマリーナ・ポプラフスカヤ(誰よりも拍手をもらってた)。
●最近ワタシはオペラを見るにあたって、「オペラお約束対応変換フィルター」的なものを装着しないことにしているのであり、「ネタにマジレス」モードで鑑賞するのが基本姿勢。かつては、どんな水平方向にビッグサイズな中年歌手がトゥーランドットを歌ったとしても、「この人は見たこともないくらいの美しい若いお姫様なんです」と己を欺いていたが、もうそんな姑息な作戦はとらない。
●で、トゥーランドットは何者か。彼女は美しくもないし若くもない。それどころかかなり年を取っている姫様である。父親から結婚しろと繰り返し言われているのに、「私は神聖な身です」とか「復讐が云々」とか言って取り合わない。取り合わないどころか婿となるべき若者を次々と殺してきた。いつまでも少女のままでいたい。なにしろ親は中国皇帝なんだから、結婚の重みが凡人とはぜんぜん違う。大人になる責任を回避しているうちに、30歳になり、40歳になり……とナゾナゾ連続殺人を繰り返しながら少女のままでいるサイコ姫だ(←年齢は台本上の設定じゃなく、歌手を見ての話だ)。「大人になるくらいなら死ぬ」じゃなくて、「大人になるくらいなら殺す」というところが権力者の娘。
●そんな姫に王子たちが群がるのはなぜか。姫に求婚して殺されるのは、中華から見て辺境各国の王子たちだ。王子でなければ相手にもされないという以前に、王子でもなければここまで旅するのも容易ではないのだろう。そしてカラフが逃亡王子であったように、みな国に王子として収まっていられないせっぱ詰まった事情をそれぞれ抱えているにちがいないんである。権力の座を追われたとか、国が貧しいとか。対してトゥーランドット姫は物質的には極限まで豊か。王子たちにとって「この世でもっと美しい姫」は「この世でもっと美しい(富に恵まれた)姫」なんじゃないか。カラフや首を斬られた王子たちは、もともと選択の余地もないまま、命がけの(しかもかなり絶望的な)チャレンジに向かったとも見える。
●となれば思い出すのは「カイジ」だ。カラフに出題されたトゥーランドットの斬首クイズは、エスポワール号に乗り込んだカイジの「限定ジャンケン」、あるいは「鉄骨渡り」。そしてトゥーランドット姫は利根川幸雄だ。追いつめられた果ての求愛行動。カラフは無事3問ぜんぶ正解したのに、なんと、さらに相手にクイズ返しをしてチャンスを与えてしまう(ざわ、ざわ、ざわ……)。こういった一見不合理だが、実はより多くを得るためには合理かもしれないという戦略もカイジ的な気がする。
●このオペラでいちばんまともなのはピン、ポン、パンの三人。首切りクイズにチャレンジしようとするカラフに対し、そんなバカなこと止めろ、あの女だって裸になればただの女だ、なにもちがわん、そんなことをするくらいなら嫁を100人娶れ、みたいなことをいって諭す。宮仕えで不条理な職務を長年遂行してきた人たちならではの大人のアドバイスって感じがする。
ウィーン・フィルの自主制作盤
●ナクソスさんのディストリビュートでウィーン・フィルの自主制作盤が発売されるとの情報あり(2月24日発売予定)。「5人の指揮者によるハイドンの交響曲集」という3枚組で、内容は以下に。アーノンクールもいればブーレーズもいる。さすがに強力。
1.交響曲第12番ホ長調 クリストフ・フォン・ドホナーニ
1991年11月10日 ムジークフェラインザール
2.交響曲第22番変ホ長調「哲学者」 ズービン・メータ
1972年1月16日 ムジークフェラインザール
3.交響曲第26番ニ短調「悲しみ」 フランツ・ウェルザー=メスト
1998年3月22日 ムジークフェラインザール
CD2
1.交響曲第93番ニ長調 ニコラウス・アーノンクール
2009年5月10日 ウィーン・コンツェルトハウス
2.アーノンクールによる演奏についての語り
3.交響曲第103番変ホ長調 ニコラウス・アーノンクール
2009年5月10 日 ウィーン・コンツェルトハウス
CD3
1.交響曲第98番変ロ長調 フランツ・ウェルザー=メスト
2009年9月8日 ルツェルン
2.交響曲第104番ニ長調 ピエール・ブーレーズ
1996年3月24日 ムジークフェラインザール
●ウィーン・フィルの自主制作盤は今後も予定されているとのこと。期待大。
●Twitterで見つけた写真。ネコ柄のネコ。神様の茶目っ気を感じる。
新国立劇場2010/2011シーズン
●15日に新国立劇場の2010/2011シーズン・ラインナップが発表されている。オペラ公演の一覧はこちら。
●歌手などあれこれ注目点は多いと思うんだけど、とりあえず自分用に演目と指揮者オケ演出家のみ書き出しておこう。「トリスタン」は大野和士、「椿姫」で広上淳一初登場、「ばらの騎士」はアルミンク/新日本フィルがピットに入る。
☆モーツァルト「フィガロの結婚」 ミヒャエル・ギュットラー/東京フィル、アンドレアス・ホモキ
☆ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」 フレデリック・シャスラン/東京フィル、フィリップ・アルロー
★ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」 大野和士/東京フィル、デイヴィッド・マクヴィカー
☆團伊玖磨「夕鶴」 高関健/東京交響楽団、栗山民也
☆ヴェルディ「椿姫」 広上淳一/東京交響楽団、ルーカ・ロンコーニ
★プッチーニ「マノン・レスコー」 リッカルド・フリッツァ/東京交響楽団、ジルベール・デフロ
☆R・シュトラウス「ばらの騎士」 クリスティアン・アルミンク/新日本フィル、ジョナサン・ミラー
★モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」 パオロ・カリニャーニ/東京フィル、ダミアーノ・ミキエレット
☆プッチーニ「蝶々夫人」 イヴ・アベル/東京フィル、栗山民也
●しかし毎度思うんだが、新国立劇場のページの作りはわかりにくい。どうして各公演のリンクを飛んだ先にキャストが載っていないのか謎。公演日程と主要キャスト、チケット料金くらいは同一のページに載せてほしい。
●オペラ&バレエのラインアップについて、新芸術監督による演目説明会あり。入場無料、要事前申込み。
映画「オーケストラ!」
●ゴールデンウィーク公開の映画なので気が早いのだが、なんとなく「これはひょっとすると傑作かも」という匂いがプンプン漂ってくるのが、「オーケストラ!」(ラデュ・ミヘイレアニュ監督。原題 Le concert )という作品。オーケストラをテーマにしてて、しかも「パリ・シャトレ座の全面協力を得た圧倒的迫力のコンサート撮影」なんて惹句を目にすると、なんだか「のだめカンタービレ」を連想してしまうわけだが(あちらはウィーン楽友協会か)、「のだめ」が若者たちの物語であるのに対して、「オーケストラ!」は挫折した大人たちの物語だ。
●設定はこう。主人公はロシア・ボリショイ劇場の清掃員として働くアンドレ。実は彼はかつてボリショイ・オーケストラで活躍した才能あふれる指揮者だったんだが、共産主義時代に政治的問題をきっかけに失脚してしまい、今は冴えない中年男になってしまっている。アンドレはある日、劇場事務所に届いたFAXを見つける。内容は「サンフランシスコ交響楽団がキャンセルしたので、代わりにパリ公演に出演するオーケストラを2週間以内に見つけてほしい」というもの。
●で、アンドレはクレージーなことを思いつく。自分と同じく、落ちぶれたかつての仲間たちを集め、ニセのオーケストラを結成し、これをボリショイのオケとしてパリに引き連れていこうじゃないか、と。そして、タクシー運転手やらポルノ映画の効果音担当やらの元楽団員たちに声を掛けるのだが……というあらすじ。どうっすか? なんかそそる。これって「逆ライジング・スター・オーケストラ」だし。
●Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座他、全国順次ロードショー予定。刮目して待つ。以下はオリジナルの予告編。
作曲家アニバーサリー2010
●2010年がやってきた。で、今年アニバーサリーな作曲家および音楽関連の人をピックアップ。ワタシの感覚だと、記念年というのはちょうど100年単位のときにそれらしくなる。150年とか30年というのはあまり「使えた」ためしがないので、100年単位のみで。
●ただし例外はマーラー。今年生誕150年を迎えて来年没後100年を迎えるので、連続記念年となる。これは盛り上がるかも。すでにUniversal Editionがこんなブログを立ち上げている。
[生誕300周年]
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)作曲家
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)作曲家
シャルル=シモン・ファヴァール(1710-1792)台本作家、オペラ=コミック支配人
[生誕200周年]
フリデリック・ショパン(1810-1849)作曲家
ロベルト・シューマン(1810-1856)作曲家
オットー・ニコライ(1810-1849)作曲家
[没後100年]
ミリー・バラキレフ(1837-1910)作曲家
カール・ライネッケ(1824-1910)作曲家
[連続記念年 生誕150年→没後100年(2011)]
グスタフ・マーラー(1860-1911)作曲家
[生誕100年]
サミュエル・バーバー(1910-1981)作曲家
ロルフ・リーバーマン(1910-1999)作曲家
ピエール・シェフェール(1910-1995)作曲家(ミュジック・コンクレートの創始者)
ウィリアム・シューマン (1910-1992)作曲家
ルドルフ・ケンペ(1910-1976)指揮者
ジャン・マルティノン(1910-1976)指揮者
ピーター・ピアーズ (1910-1986)歌手
ジュリエッタ・シミオナート(1910- )歌手
アントン・デルモータ(1910-1989)歌手
アンリエット・ピュイグ=ロジェ(1910-1992)教育者、ピアニスト
平井康三郎(1910-2002)作曲家
●上記以外にも該当する音楽家は何人もいるが、あまり需要のなさそうな人は載せず。あと、16世紀は1510年「頃」生誕の人は何人もいるけど(ディエゴ・オルティスとかカベソンとか)はっきりしないものに「ちょうど何年」という言い方をするのはヘンなので除外。生没年は「新編音楽中辞典」に準拠。
●メジャーどころでは圧倒的にショパン。LFJもショパンだし。
●シューマンが割を食う感じだけど、シューマンで盛り上げるのって難しいっすよね。存在としてはメジャーなんだけど、むしろ負のオーラみたいなところにこそ魅力ありで、カラっと陽性に盛り上がるよりは、ジメジメと気難しく味わいたいというか。でもウィリアム・シューマンが生誕100年だからダブル・シューマン祭は可能(笑)。 Schumann/Schuman とか Schuman(n) みたいな感じで。
●バーバー生誕100年はいいかも。
●シミオナートは存命なのか。