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News: 2010年5月アーカイブ

May 28, 2010

「影のない女」@新国立劇場

影のある女●R・シュトラウスの「影のない女」へ(新国立劇場/26日)。このオペラ、あらすじを読んでもぜんぜん意味がわからない。どれくらいわからないかというと、モーツァルトの「魔笛」と同じくらいわからない。そして「薔薇の騎士」が「フィガロの結婚」であるように、「影のない女」は「魔笛」っぽい。地上があって霊界があって、超自然的な力を持つ者がいて、寓意と象徴があふれ、物語の起承転結が無視され、最後には二組の夫婦(バラクとその妻、皇帝と皇后/タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナ)が試練を乗り越えてめでたく結ばれ、その子供を予言する。
●が、話はひとまずわからないとして、音楽的には最強なんである。まずこの大編成っぷり。劇場のピットが奏者でびっしり埋まっている光景はそれだけで楽しい。歌手なんて黙らせてしまえ!(ウソです)。オケはエーリッヒ・ヴェヒター指揮の東京交響楽団。すばらしい。劇場の空間を官能的なシュトラウス・サウンドで満たしてくれた。いつもこの劇場でこの水準で聴けたらなあ、欲を言えばキリはないんだけど、この数年にこの劇場でワタシが聴いたなかでは最良のオーケストラだった……と感動していたら、指揮者にブーが出た(笑)。人それぞれであるのだね。
●このオペラの題名役は皇后(エミリー・マギー)であるわけだが、主人公といえるのはバラクの妻(ステファニー・フリーデ)だろう。演出のドニ・クリエフは、このドラマの本質を「貧しい一市民の女が抱くフラストレーションと欲求不満」と述べ、バラクの妻を抑圧された女として描く。この社会では女は男に買われるものであり、染物職人バラク(ラルフ・ルーカス)はその対価を妻から十分に受け取っていない。
●せっかくの現代の新演出なのだから、第一次世界大戦の直後の初演、フェミニズム以前という作品の時代背景は忘れてしまうことにして、この「影のない女」を観よう。バラクの妻という登場人物はひたすらに不平と愚痴を叫んでいるだけの女である。第2幕だったか「わたしはなにもしていないのに」と歌うように、まさしくなにもしていないことこそが彼女の困難を生み出している。役名は「バラクの妻」で、彼女には名前がない。だが逆説的にも彼女はバラクの妻であることを拒み、また染物職人バラクのパートナーとしてその職を助ける素振りも見せず、しかも外に出たところで出会う若い男は乳母(ジェーン・ヘンシェル)が作り出した幻影でしかなく、浮気にも至らない。なにもしていないし、何者でもなく、名前もない。自分探し、やってみる?
●バラクの妻は染物職人バラクにとって大切な仕事道具である乳鉢を誤って割ってしまう。バラクは悲しむが、バラクの妻は逆ギレしてますます欲求不満を増大させる。そんな二人の息苦しい現実に、超自然な霊界がわずかに入り込んだだけで、二人は互いを求め合い唐突にハッピーエンドを迎える。なぜなんだろう、やっぱりわからない。演出家はそれなりに明快な回答を用意した。「影のない女」の超自然的な要素はすべてバラクの妻の妄想なのだと。いやしかし待て。それはプログラムで演出家本人がそう書いてあるからワタシは知ったのだ。そのアイディアは舞台からは伝わってこなかったぞ。
●舞台はとても低予算を感じさせる寂しいもの。中に石を積んだ金網状の細長い直方体をいくつかと、住居を表現する板張りの壁面をいくつか用意して、その配置一つで霊界も地上界も表現するというのだが……。モノが動く割には場面ごとのコントラストが乏しく、全般に歌手も空間も手持ちぶさたに見えたのは、ワタシがわからないからなのか。
●演出家はすべてはバラクの妻の妄想という。が、これはバラクの脳内世界だと解釈したい気もする。だって名前を持つのはバラクだけなんだから、普通に解すればそうなるわけで。日々二六時中欲求不満を爆発させる妻に苦しんだ挙句、脳内から霊界やら皇帝やら皇后を実体化させ、乳母を操り妻を別の男と駆け落ちさせようとするものの、最後に思いとどまり現実に返る夢オチ。いやそれじゃおもしろくないか。むしろバラクの妻という存在すら妄想で、バラクは孤独な中年男というほおうがおもしろいかな。染物職人という仕事すら妄想でホントは無職でしたとか(なんの話だそりゃ)。

May 26, 2010

METライブビューイング「アルミーダ」~魔女っ子ルネさんコスプレショー

●行ってきました、METライブビューイング今季最終作ロッシーニの「アルミーダ」。メットでもこれが初演という作品で(テノール6人必要ってなんだそりゃ)、ワタシはなんにも知らずに予備知識ゼロで観にいった。ルネ・フレミング(アルミーダ)、ローレンス・ブラウンリー(リナルド)、メアリー・ジマーマン演出、リッカルド・フリッツァ指揮。あれ、リナルドが出てくるの? アルミーダって魔法使いなのか。これ、魔法オペラなんすね。同じ題材で書かれたヘンデルの「リナルド」を比較的最近BCJの公演で観たばかりではないか。メアリー・ジマーマン演出の舞台はカラフルな見世物小屋マインドにあふれてて秀逸。楽しい。
●本来終幕で出てくるらしい黙役の「愛」(姿はキューピッド。少女が演じる)と「復讐」(マスクを被った死刑執行人)が最初から出てきて、説明的な演技をしてくれるのも成功してる。尻尾が矢印になってる「いかにも悪魔です」な冥界の住民たちもキッチュでクール。十字軍の勇士が義務と愛の狭間で葛藤するなんていう辛気臭い話には、こういう過剰さにあふれかえった舞台が必要なんだろう。
●とはいえ、これ、1幕は話がわかりにくいと思わないっすか。あと終幕は物語的に尻切れトンボ感全開。アルミーダ役もリナルド役も難役だろうに、おまけにロッシーニを歌えるテノールが6人必要(一人二役すれば減らせる。この日も降板があって5人に減っていた)とか、そりゃ上演されないだろうなと納得。舞台もアイディアが乏しかったら悲惨なことになりそう。
●で、ヘンデルら多くの作曲家が題材にした「リナルド」もの(「解放されたエルサレム」由来っての?)ではあるけど、ヘンデルの「リナルド」と同じ物語という気はしなかったな。なぜかっていうと、主役が魔女アルミーダだから。アルミーダが主人公というか、もっといえばルネ・フレミングが主人公で彼女のためのオペラというか。1幕の終盤で唐突に魔法を使うんだけど(あれ可笑しい)、古典的な「魔法の杖」(指揮棒?)を取り出してきて魔女っ子モードに入って、ルネ・フレミングはこれをとても楽しんでるっぽい。女子はみんな魔女っ子になりたいにちがいない。そして2幕で衣装を着替えて登場する。コスプレなのか。ステキ! ああ、オレも女子に生まれたら魔女っ子になってコスプレしたかったぜ……。はあはあ。ん?
●すばらしいと思ったのは2幕。舞台は美しい魔法の庭園(本当は冥界の魔物が作り出した幻影だ)。この幕はストーリーがほとんど動かず、歌の出番も少なく、大半がバレエで埋められる。見とれてしまうほど美しい妖精たちが踊る(ああ、高解像度画質ってすばらしい)。アルミーダが骨抜きにされるのもよくわかる。夢のような楽園だ、一生ここで過ごしたい。ダンサー、みんなきれい。そんな眼福シーンをたっぷりと見せてくれた後で、チュチュをつけた男の魔物たちが出てきていっしょに踊る。いやー、物事の本質を突くときには笑いを一緒にセットにするってのが大事だよなあ。完璧。

May 19, 2010

映画館でコンサート。シネ響「マエストロ6」

●映画館でオペラというのはMETライブビューイングをはじめいくつがあるが、今度はオーケストラ・コンサートのシリーズなんである。シネ響「マエストロ6(シックス)」が7月より新宿バルト9他で公開。

シネ響「マエストロ6」
http://www.cinekyo.jp/ (音が出ます)

●「マエストロ6」、つまり6人の指揮者が登場する。こんなラインナップ。

ラトル/ベルリン・フィル、ラン・ラン、ジルベスター2009
アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団、エレーヌ・グリモー、2008
ムーティ/ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート2009
バレンボイム/ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート2010
マゼール/NYPの平壌コンサート2008 (ネット中継が話題になった)
ドゥダメル/シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ、ルツェルン復活祭音楽祭2007

●「映画館で鑑賞する」というスタイルはMETライブビューイングと同じだけど、意味合いはかなり違う。METのほうはあくまで中継。日本では生の舞台からは遅れて上映されるが、それでも最新のものにちがいない。一方、こちらの「マエストロ6」は鮮度を追いかけるんじゃなくて、完成品のライヴ映像を映画館で見ようという趣旨なんだろう。これはこれでわかる。DVDがあったって、家じゃなかなか見ないし、立派な機材もない、だったら映画館でイベントとして楽しんじゃおうと。
●少し微妙なのは当日3000円、前売2700円の価格設定か。オペラの場合は一本上映するとおおむね普通の映画2本分くらいの時間を映画館で占有してしまうから、価格が上がるのは自然だ。でもコンサートなら映画1本分とほぼ同じ時間だからなあ。
●Twitter上でこのニュースをつぶやいてみると、これは楽しみだという反響多し。そもそもオペラよりオーケストラ・コンサートのほうがファンも多いし、敷居も低いだろうから、予想以上に人気を呼ぶかも。ドゥダメルの「マンボ」を大画面で見るのは確かに楽しいにちがいない。デート向きなのか(笑)。

May 16, 2010

東京バレエ団「オネーギン」

オネーギン●14日(金)、東京バレエ団の「オネーギン」へ(東京文化会館)。ジョン・クランコ振付。音楽チャイコフスキー。ここのところダンスづいている、たまたまなのだが。ワタシはバレエは完全に初心者なので、先日の「シルヴィア」と同じようなことを感じた。いやー、同じ「オネーギン」といっても、オペラの「オネーギン」とはぜんぜん別世界なのだなあ。幕が上がっても誰も歌わない。そして出てくる人物みな美しい、容姿が、姿勢が、所作が。タチヤーナ役は吉岡美佳さんという方なんだけど、風に吹かれたら飛んでいってしまいそうなくらい軽やかで、物理法則を無視するかのごとく重力から自由に踊っていた。
●で、これってプーシキン原作で音楽がチャイコフスキーなわけだ。オペラのほうの筋を知っているから、バレエのほうもすごく親しみやすい。登場人物がどういう人で、今どんな場面を踊っているか、すんなりわかる。でも不思議なんすよね、それなのにチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」からの曲は一曲たりとも使われていない。代わりにピアノ曲集「四季」からの曲の編曲が多いっぽい。そんなものなのか。管弦楽はジェームズ・ダグル指揮東京シティ・フィル。バレエではオペラほどオケに関心を持っているお客さんは多くないようだ。ワタシにとってはピットの中で弾いている人たちはみんなスター。
●これ前回も書いたっけ? 同じ場所でやる似たような舞台芸能なのに、客層がオペラとはまるっきり違う。とにかく若い。フツーに若者がたくさんいる。そして女子率が猛烈に高い。オペラは中高年がほとんどなのに。このバレエのお客さんは年を取ったらオペラのほうに来てくれるのだろうか? いや、来ないよな、たぶん。

May 13, 2010

新日本フィル2010/11シーズン記者発表会。ブリュッヘンのベートーヴェン・チクルス他

新日本フィル2010/11シーズン記者発表会
●新日本フィルの記者発表へ(5月12日)。盛りだくさんの内容だったが、その中からポイントを3つ。
●まず、ブリュッヘンのBeethoven Project。これはすみだトリフォニーホールと新日本フィルの共同企画として開催されるもので、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏会が開かれる。来年2月8日から19日までの全4回。第1番から第9番まで順に演奏される。ブリュッヘンのアイディアで、リハーサルはまず第9番から始められて、第1番へと遡ってゆくという(そしてまたプログラム順にリハーサルをする)。オケは約一ヶ月間ブリュッヘン漬けになるというぜいたくなプロジェクト。
●次に音楽監督クリスティアン・アルミンク(写真中央)。現在の2010/11シーズンまでの契約を2012/13シーズンまで延長すると発表された。これでアルミンクの就任期間は2003年以来計10年間となる。
●そして2010/11シーズン・プログラムについて。これはすでに発表されているが、なんと定期演奏会にはたった4人の指揮者しか登場しない。音楽監督のクリスティアン・アルミンク、前述のフランス・ブリュッヘン(ベートーヴェン以外にはバッハのロ短調ミサも振る)、Music Partner of NJPのタイトルを持つダニエル・ハーディング、そして初登場となる、特に20世紀以降の音楽に定評のあるインゴ・メッツマッハー。これが日本のオケなのかと思うような豪華な陣容。「毎回違う指揮者が振ると3日練習をして終わり。しかし客演指揮者の数が少なければ、それだけ一人一人の指揮者と時間をかけてじっくりと音楽を作ることができる。人間同士の信頼関係も築ける」(ソロ・コンサートマスター崔文洙:写真右)。ずいぶん思い切った4人指揮者体制で、このシーズン・プログラムには抜群のインパクトがある。
●客演指揮者陣はそれぞれビデオ・メッセージを寄せていた。ハルトマンを指揮するメッツマッハーのコメントがいい。「ハルトマンの交響曲第6番を振るのをとても楽しみにしています。私の大好きな作品です。本当なら全曲やりたいのですが、なかでも第6番は特別です。日本ではあまり知られていないかもしれませんが、彼の交響曲、特に第6番はとても重要な作品なのです」。こう熱っぽくいわれると、今すぐにでもハルトマンの交響曲第6番を聴きたくなる。

May 9, 2010

LFJ2010東京備忘録

lfj2010

●お祭りってのは終わった直後は「ああ、これからどうやって日常に戻るんでしょか」と放心するけど、二、三日も経つとあっという間に過去の思い出へとすっ飛んでいく。旅みたいに。
●で、LFJ2010東京備忘録、自分の記憶のためにも。
●今回の自分的テーマは「ホールAの逆襲」だった。5000人収容のホールAは音響面でも不利だし、アーティストとの距離も遠いから、ついチケットの確保に逡巡することもあるわけだが、終わってみれば結果的にもっとも強烈な忘れられない体験となったのはホールAの公演ばかり。コルボ指揮によるメンデルスゾーンのオラトリオ「パウロ」、ポゴレリチの常軌を逸したショパンの協奏曲第2番もホールA。オルガ・ペレチャツコの歌声を聴けたのもそう。
●「パウロ」みたいなオラトリオ公演字幕なしの場合、対訳を見るか見ないかは迷いどころで、なじみが薄い作品だから見たほうが確実に伝わるものは大きいけど、一方で客席でみんながペラペラめくって「筋を追う」状態ってどうなのかなって気もするわけだ。この公演は対訳を希望者にのみ300円で販売していた。希望者方式はいいかも、全員に配ると数千人がペラペラめくることになるから。ワタシは対訳があるかどうかわからなかったので、去年の芸大奏楽堂「パウロ」で配られた対訳を家から持参した。こっちは字が大きくて読みやすくて得した気分(笑)。そして、やはりパウロの音楽はすばらしかった。回心と殉教の物語は、非キリスト者のワタシの胸さえも打つ。イエスがサウロ(パウロ)に語りかけた後、「起きよ、光を放て!」 の壮麗な合唱が頂点を作り、一転して「目覚めよと呼ぶ声聞こえ」の敬虔なコラールへと続く場面では、客席5000人中2000人くらいが鳥肌を立てたんじゃないだろうか。南無~。
ポゴレリチは怪演。ゆっくりゆっくり歩いてステージに登場する。テンポは伸縮自在で全般には極端に遅く、強弱のコントラストは強烈で両極に偏っている。協奏曲なのによくここまでやりたい放題やるというか、聴いたことのないようなショパン、ていうかこれはショパンなのか。この曲の前にショパンの師エルスネルの交響曲ハ長調があって(シューベルト風)、それプラス協奏曲で1時間の枠が取ってあった。しかし1時間経ってもぜんぜんショパンは終わっていない。やっと終わったと思ったら、ポゴレリチは係員の制止も聞かずに、第2楽章のアンコールを始めた。このアンコールの途中で、もう終了時間を30分も超過している。ワタシはOTTAVAの生放送出演予定が入っていたので、やむを得ずそこで退出してしまったんだが、ほかに次の演奏会へと向かうお客さんも少なからずいた(あるいは次の公演の何曲かをあきらめた人も多かっただろう)。スケジュールのつまったLFJで、60分の公演が90分経っても終わらないなんて。でもまあ、そんなことがどうでもよくなるほど、ポゴレリチは特異な演奏を披露してくれたし、なんというか、この奔放さがルーティーン化されたお約束だったとしても、痛快な気分になれる。会場は沸き方はこれまでのLFJで見たことのないもの。なにしろ5000席ソールドアウトの公演でこうなんだから。
●今年のナントのLFJでのルイス・フェルナンド・ペレスのリサイタルを思い出した。予定されていた曲目が終わって、お客さんは手拍子で大盛り上がり、ペレスはアンコールに遺作のノクターン嬰ハ短調だったかなにを弾き始めた。すると係員のおばちゃんがすっ飛んできて、演奏を止めさせた。「もう時間がありません!」。客席から大ブーイングを浴びたけど、おばちゃんは平然としていた。次にポゴレリチを呼ぶ機会があったら、いっしょにあのナントのおばちゃんも招聘したほうがいいかもしれない。
●開場前のホールAで入場待ちするときの混雑度が例年より高かった気がする。
●今年はホールCに一度も足を運べなかった。ケオハネとピエルロ&リチェルカール・コンソートのヘンデル・オペラ・アリア集は猛烈に楽しかったはず。
●「暗がりのコンサート」はおもしろかった。舞台と客席の間についたてを立てて、「誰が弾いているか」を客席からは見えないようにする。そして曲ごとに演奏者が入れ替わる。曲目は当日発表。ぜんぶ終わった後で、はじめて演奏したピアニストが顔を見せる。ワタシが聴いた回ではケフェレックはじめ4名が登場した。
●最終日のプレス懇親会、いつもなら来年度のテーマが発表されるが、今回は発表にまでは至らず。つまり来年のナントのテーマは(これは2月からわかってたんだけど)「ポスト・ロマンティシズム」ということで、ブラームス、リスト、マーラー、R・シュトラウス、新ウィーン楽派等々、ルネ・マルタンから次々と作曲家の名前が挙がったんだが、東京のほうはこれをもとに検討中である、ただブラームスは登場する可能性が高そうだ、という話。マーラーのような大編成が必要で、なおかつLFJのフォーマットには収まらないものをどうするかが悩みどころだし、やるにしても「ポスト・ロマンティシズム」とか「後期ロマン派」みたいなカタい言葉をそのままテーマに入れるのもどうかということもあるかも。ブラームスは問題ないだろうけど(来場者の「取り上げてほしい作曲家」アンケートでも第1位だった)、これを後ろの時代にどこまで広げるのか。マーラー・イヤーだしマーラーまで期待したいっすけどね。
●丸の内・周辺エリアの関連イベントと合わせたのべ来場者数は80万7千9百人。前年より増えた。好天にも恵まれた。
●OTTAVAブースに毎日出演した。いろいろな方にご挨拶できた。
公式レポートはブログに加えて、実験的にTwitterもはじめてみた。
●自分用お土産を買い忘れた。

May 6, 2010

LFJ金沢も閉幕

lfjk2010

●東京のLFJが閉幕した翌日に、LFJ金沢最終日へ。可能な限り演奏会をハシゴした。金沢は昨年よりかなり盛況な印象。演奏会によっては、(一昨年の初回もあったように)舞台上に客席が設けられて、間近で演奏を楽しむことができるようになっていたり、売り切れた人気公演については立見席を販売したりと、柔軟な対応が取られていた。東京でも公演があった小曽根さんとヨペックの演奏会なんかはこちらでも人気がある。全席指定なのに立ち見が多くてどうしてかなと思ったら、そういうわけだったと。
●もちろん地元OEKの公演も人気で、舞台後方にずらっと客席が並んでいて即席のP席状態。正確には客席じゃなくて、「ステージキャスト」の席って呼んでる。いいと思う、金沢では。
●記者発表によれば、のべ10万人超が足を運んだということなので、大成功だろう。それよりも来年のテーマが驚きだった。発表前に耳にしたウワサと違ってたんだが……。LFJKの来年のテーマは「ウィーンのシューベルト」。シューベルトはナントと東京では一昨年に取り上げられている。OEKのサイズを考えると、ナントの「ポスト・ロマンティシズム」をそのまま採用することが難しいのは当然のことだが、そこでシューベルトを持ってくるとは。ルネ・マルタンの話からすると、2年前の東京と重複する企画もいくつかありそうだが、一方でOEKというホストオーケストラを持つ金沢ならではの新企画もきっと生まれるにちがいない。
●金沢はLFJにはちがいないけど、その一方で独自スタイルを完全に定着させているという感じがする。

lfjk2010交流ホールでのクロージングコンサート

May 4, 2010

LFJ2010最終日ドタバタ中

lfj2010.jpg

●LFJ2010最終日に到達。感想はまた後日に。ポゴレリチがあらゆる記憶を上書きした気もする。
LFJ公式レポートブログ、ぜひご覧ください。
●そしてLFJ金沢へ向かわねば。

May 2, 2010

LFJスペシャルナイト「パイプオルガンで聴くショパンとその時代」

●今回のLFJは前夜祭と本公演の間の一日に、スペシャルナイトっていうのがあるんすよね、東京芸術劇場で。「パイプオルガンで聴くショパンとその時代」。オルガンおよびピアノ演奏は鈴木優人さん。ショパンをオルガンとピアノで両方弾いたりというのもおもしろかったんだけど、ショパン以外の部分のプログラムが多彩で、期待以上のおもしろさ。メンデルスゾーンの6つのオルガン・ソナタop.60より第6番とか、アルカンの足鍵盤のための12の練習曲第1番とか(名前の通り足鍵盤だけで弾く。笑)。そしてリストのバッハの名による前奏曲とフーガはやはり圧倒的。全宇宙をオレの音楽で征服してやるぜ的なリストの巨大さの前に喜んでひれ伏す。
●ゲストとしてショパン研究の小坂裕子さんのトークもあり。小坂さんは今回のLFJでは毎日の講演に加えて、NHKのLFJサテライトスタジオから生中継される番組「きょうは一日ショパン」にも出演する。ちょうど新刊「フレデリック・ショパン全仕事」(アルテスパブリッシング刊)も出版されたばかりでもある。これはショパンの作品解説書として、とても「使える」上に「読める」という好著。全作品が作品番号順に解説されており、作品事典でありながら、順に伝記として読み進めることができるようになっている。作品番号のない珍しい作品についても、最後にまとめられている。一冊だけ手許に持つならこれかと。

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