●「ミュージック・ジャケット大賞」という賞が投票を募集中(どういう主催者なのかサイトを見てもぜんぜんわからないのが謎)。2010年4月~2011年3月に発売された国内盤CDのなかから、すぐれたジャケットを選ぼうということで、業界関係者による一次審査を通過した50作品がノミネートされている。
●で、挙げられた50作品を眺めてみると、たしかにどれもカッコいい。一枚を除いてどれも聴いていないので、中身との関係はわからないんだけど、見ているだけで楽しくなる。手がかかっていて、知恵も絞られているなって感心する。なるほどー、「クラシックのジャケは酷い」って言う人たちが求めるのはこの水準なのかなあ?
●ノミネート中、唯一の知っているアルバムが吉松隆版「タルカス」。少し反則っぽい気もするが、これは原典へのリスペクトもあってということなのか。クラシック系(?)はこれ一枚のみ。
●LPからCDに変わった時に「ジャケットの楽しみがなくなる」って言われたけど、結局CDになってもジャケの魅力は健在だ。さらにCDというフォーマットも次の段階に進もうとしているが、仮に配信のみのアルバムばかりになったとしても、やっぱりジャケを気にする人は多いかも。ジャケっていうかサムネイルっていうか、もしかしたらアイコン。思わず「アイコン買い」とか。
●クラシックで最強に強まったジャケって、どれなんすかね。
News: 2011年9月アーカイブ
最強ジャケ
ラ・ロック・ダンテロン・ピアノ・フェスティバル落ち穂拾い その2
●ラ・ロック・ダンテロンでは昼にリハーサルが始まる前に、ステージ上に何台かグランドピアノが運ばれて、ピアニストが1台を選ぶ。写真はケフェレック。スタインウェイ2台とベヒシュタイン2台が置いてあって、ケフェレックはすごーく入念に弾き比べて、結局ベヒシュタインの1台を選んだ。
●毎日こんなことをやるわけだから、しょっちゅうステージにピアノを出し入れしなくてはならない。ステージといっても野外なので、裏手はそのまま外に通じていてなにもない。この裏側からそのままピアノを搬入するわけだが、どうやるとかいうと、農業用のトラクターに乗せて運ぶ。
●なるほど、この小村でもトラクターならいくらでもありそうだ。ピアノを乗せる台はステージの高さとぴたりと一致していて、スムーズに出し入れできるようになっている(トラクターの都合に合わせてステージを設計したんじゃないかと思うほどだ)。ピアノにかぶさっているカバーには PIANOMOBIL と書いてある。若い兄ちゃんがさくさくピアノを運ぶ。
●会場の端にラジオ・フランスのプレハブみたいなブースとクルマがあった。ここで中継しているのかー。クルマにネットラジオでおなじみのロゴが並んでいて、すごくカッコいい。実際にはNHKのロゴくらいありふれたものなんだろうけど、これに乗せてもらったら気分いいだろうなと思う。
ラ・ロック・ダンテロン・ピアノ・フェスティバル落ち穂拾い その1
●東京に真夏が戻ってきたから、というわけでもないのだが、8月のラ・ロック・ダンテロン・ピアノ・フェスティバル落ち穂拾い。細かい話はどこにも書く機会がなかったので。
●南仏の小村に忽然とあらわれる野外劇場にお客さんがびっしりと入るのだが、見ての通り屋根はステージ部分にしかない。じゃあ、もし雨が降ったらどうなるのか?
●聞いたところでは、全席分のレインコートが用意してあるらしい。ただ、実際に使用する機会はほとんどなくて、この10年で2、3回とか、それくらいしか出番がなかったんだとか。雨が降らないことよりも、そんなに降らないのにレインコートが全員分あるという用意周到さに驚いた。ホントかなあ? 日本だったらわかるけど……。
●その話を聞いて飛行機の緊急用酸素マスクを思い出した。非常時には自動的に各席に垂れ下がるっていうんだけど、あれもいつも本当に出てくるのか、つい疑ってしまう。実際にあれが出てくる場面になったら、もう酸素があるかどうかなんてどうでもいいくらい絶望してそうな気もするし、だったら別に少しくらい故障して出てこなくても大差ないんじゃないのとか、世界中の整備係の人のなかにはいいかげんに考える人もいそうなものだが、実際のところどうなんでしょ。でもそんなことを知る状況には追い込まれたくないぞ。
●スタジアムでレインコート着るってのは、サッカーファンにはおなじみの作法すね。
映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」
●試写で映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を見た(ミシェル・オゼ、ピーター・レイモント監督)。これは予想を覆しておもしろかった。ファン必見。
●グールドの映像ドキュメンタリーはこれまでにいくつも制作されている。グールド本もいまだに刊行され続けている。今さらグールドを神話的存在として崇める映像を作ってもまったく新味がないし、かといって「神話の多くは誇張と自己演出でした」と見せるだけでは映画にならない。だからあまり期待していなかったんだけど(実際、グールドを知らない人のために、映画はおなじみの伝説を繰り返すところからはじめる)、後半に入ってがぜんおもしろくなった。グールドのパートナーだった女性たち3人が全員登場するからだ。彼女たちの存在は近年活字媒体では明らかにされているが、映像として本人が出てきて話すんだから、これはもう生々しい一次資料だ。関係者の年齢からいってもここで撮っておかなかったらもうチャンスはなかった。
●一人はグールドのデビュー時代の恋人フランシス・バロー(1925-2009)。グールドが弾いていたチッカリングは、彼女が人から借りて自分の家に置いていたピアノだったんすね。グールドはこのピアノでゴルトベルク変奏曲の練習に励んだ。そして後にピアノを買い取った。この楽器、昔はグールドが子供時代から弾いていたことになってなかったっけ?
●二人目は大物だ。作曲家ルーカス・フォスの奥さんで画家のコーネリア・フォス(1933- )。グールドはルーカス・フォスに電話している内に、奥さんとも親しくなり、いつの間にかもっぱら奥さんに電話をかけるようになった。彼女はルーカス・フォスを捨て、二人の子供を連れてトロントのグールドのもとに来る。グールドは二人の子供のこともかわいがった。4人で事実上のファミリーをなしていた時期はグールドにとっても幸福な時代だったようだ。コーネリア・フォスのみならず、二人の子供たちも映像に登場して、トロント時代の思い出を涙ながらに語る。この関係はやがて壊れ、コーネリアは子供を連れてふたたびルーカス・フォスのもとに戻る。
●三人目の女性はグールド・ファンには覚えのある顔だ。写真のヒンデミットの歌曲集「マリアの生涯」でグールドと共演したソプラノ歌手ロクソラーナ・ロスラックだ(1940- )。グールドはたまたまラジオでロスラックがルーカス・フォス(!)の作品を歌うのを耳にしたことから、彼女を共演者に指名する。これがきっかけで関係が始まり、ロスラックはグールドに「家庭を教えようとした」という。
●三人の証言から描かれるグールド像は、苦悩する普通の男だ。コーネリア・フォスが夫のもとに戻った後に、彼女とよりを戻せないかともがいたりもする。苦悩の種類としてはむしろ平凡であり、禁欲的なイメージはどこにもない。そして晩年になるにしたがって、あらゆるものをコントロールしなければ気が済まない偏執に飲み込まれ、過剰に薬物を摂取する姿には悲哀すら漂う。「若い頃はインタビューにも当意即妙の答えを返していたのに、だんだん質問も回答も台本にそったものしか受け入れなくなった」という指摘が特に印象に残った。
●10月29日、渋谷アップリンク、銀座テアトルシネマ他、全国順次公開。配給アップリンク、2009年カナダ、108分。
美しすぎる指揮者アロンドラ・デ・ラ・パーラ
●美しすぎる指揮者(って言われてるの?)メキシコ出身のアロンドラ・デ・ラ・パーラ指揮ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラの演奏会が、今晩9月13日(火)19時よりライブ配信される。演目はベートーヴェンの「英雄」他。詳細はNTT DATA CONCERT OF CONCERTS のページへ。
●「美しすぎる」ってスゴい形容句だなあ。「美人××××」だと暗に美人ではないと言ってる気がするので、ホントに美人のときは「美しすぎる」を使うんだろうか。
●次世代惹句としては「美しすぎない××××」がいいんじゃないかな。本当に美しそうな予感がするもの。
3Dで見るラトル指揮ベルリン・フィル「音楽の旅」
●以前にロイヤル・オペラの3Dカルメンをご紹介したが、今度は3Dのオーケストラ・ライブだ。なんと、ラトル指揮ベルリン・フィルの3D映像が映画館で公開されるんである。ソニーのLivespireで、10月頃公開予定。2010年11月にシンガポールのエスプラネードホールで収録されたライブ映像で、曲はマーラーの交響曲第1番「巨人」とラフマニノフの「交響的舞曲」。試写会に足を運んだ。
●「でもどうしてオーケストラに3D?」という疑問はひとまず置いて、3D用のメガネをかけて見る。もう、すんごく3Dなのだ。実物よりも3D。3D映画を見たことがある方ならわかると思うけど、現実の肉眼にはあんなふうな奥行き感はない。肉眼よりももっと立体的に飛び出て見える。ステージ上の「手前」と「奥」の距離感がすごい。で、「手前」にフォーカスされたときの画像の解像度もすさまじくて、左からホルン・セクションを映すとサラ・ウィリスの腕の毛穴までくっきり見えそうな鮮明さ(笑)。いやもう、ホント、すごいんですよ。フルートのアンドレアス・ブラウの白くなったヒゲの一本一本まで識別できるっていうか、オーボエのアルブレヒト・マイヤーの髪の脱色感まで伝わるっていうか。ときどき自分が舞台に立っているかのように錯覚する。
●つまりオーケストラを「見て楽しむ」ことができる。「聴いて楽しむ」ものなのは当然だけど、そこに「見て楽しむ」の要素を発見させるのがこの3D映像。で、オーディオ一般についてよく思うんだけど、たまにどこかで本格的な高級オーディオを聴かせてもらうと、ものすごい臨場感があるじゃないすか。コンサートホールに行っても、絶対に客席でそんな音は聴くことができないよっていう音が鳴る。「生」より生々しい。「いつもこんなオーディオ装置で聴いてたら、生のコンサートホールじゃ臨場感がなくてつまらなくなってしまわないか」と心配になるくらい。じゃあ、オーディオがそうなら、ビジュアルもそうであってもいいんじゃないか、っていう発想もありうるかもしれない。3D映像で見るベルリン・フィルの臨場感は、生のコンサートホールでは体験できないわけだから。サントリーホールのP席だったら少し体験できるけど、でもそれとも違うなにかがある。浮遊できる透明人間になって、演奏中に舞台の上やら横やらを自由にふらふらして、奏者のすぐそばで演奏を眺めてる感じなんすよね。そう考えると「生より生々しい」という点で、ビジュアルでオーディオに負けないくらいのインパクトを与えうるのが、この3D映像なのかなと思った。
●でも、実際にこの映像を見てると、だんだん3Dだということを忘れてくる。演奏そのものがあまりにも強烈なので、ただただベルリン・フィルのすごさに圧倒されてしまう。映画としてはまず「巨人」のほうを純粋なライブ映像として見せて、続いて、ラフマニノフ「交響的舞曲」をシンガポールの風景画像(これは意味がよくわからない)をさしはさみながら上映する。休憩がないし(ほしかった)、「巨人」でクライマックスが来ていることもあって、後半のラフマニノフはぼんやり眺めるモードになってしまった。映画館ではこの形式だけど、パッケージで販売する際には普通のコンサート映像として(風景映像なしで)、ラフマニノフ、マーラーの順に収めるとのこと。これは納得。
らじってみた
●いよいよNHKのネットラジオがはじまった。名称は「NHKネットラジオ らじる★らじる」。「らじる」じゃなくて「らじる・らじる」でもなくて「らじる★らじる」。★が入るのがすばらしい。ラジオ第1、第2、NHK-FMの3種類が聞ける。ようやくNHK-FMをネットで聞けるようになったのはありがたい。ただし、日本国外からは聞けないのは残念というか、なんだか申しわけない(諸外国の放送はみんな自由に聞かせてもらってるのに、その「お返し」ができないなんて!)。
●そもそもFM放送をきれいな音質で受信するというのはなかなかハードルが高いので、ネットでノイズなしで聞けるというだけでも嬉しい。それにいまやラジオよりネットのほうが家庭での稼働率はずっと高いだろうし。
●FM PORT「クラシックホワイエ」もネットで聞けるようになってくれないかなあ。auのLISMO WAVEを使用すると聞けるのだが、これはまだ対応機種が少ないし、auのみの独自サービスだ。
●テレビと違ってラジオはいろんな距離が取れるのがいいんすよね。じっくり聞くだけじゃなくて、家事しながらとか運転しながらとかブログ更新しながらとか、すべてを占有されなくて済むので。
●「らじる★らじる」の追加など、クラシックのネットラジオと音楽配信リンクを更新した。どぞ。
日本初のイベントチケット保険サービス、チケットぴあ「チケットガード」
●ぴあ株式会社とチケットガード少額短期保険株式会社が、日本国内では初となる不使用チケット費用補償保険「チケットガード」のサービスを9月中旬に開始予定する(→プレスリリース)。なんと、チケットの保険だ。「チケットぴあ」での購入者を対象に、券面金額に応じて一定の保険料を払えば、一定の事由でイベントを観覧できなくなった場合に不使用のチケットの代金を支払ってもらえる(同行予定者の分も一名までOK)。
●なるほどー、確かにコンサートやオペラのチケットを何ヶ月も前から買うってのは、なかなか先の都合が読めない人にとってはリスキーだ。ぐずぐずしてると希望の席が買えないから思い切って買う、でもいざ公演日になったら忙しくてとても演奏会になんて行ってられない。よくわかる。それに……今こんなだから(?)いろんな意味でタイムリーなサービスかもしれない。例として挙がっている、20,000円のチケットに対して保険料1,440円というのも、悪くない。つまりこの例だと1/14以上の確率で行けなくなりそうなら保険料を支払う価値がある……。
●と思ったが、待て、これは保険だ。条件をしっかり読んでおこう。<保険金をお支払いする主な場合>として、以下の項目が明記されている(注釈部分は割愛、プレスリリース参照)。
・チケットを使用する方のご家族(*6)の病気・ケガによる入院(*4)・通院(*5)
・チケットを使用する本人またはご親族(*7)がイベント当日から遡って7日以内に死亡した場合
・イベント当日の交通機関の運休・遅延(2時間以上の遅延)
・チケットを使用する方が居住する住居の火災・家屋損壊等(イベント当日から遡って30日以内に罹災した場合)
・チケットを使用する方の裁判員任命
・チケットを使用する方の急な出張(宿泊を伴う国内出張、海外出張)
・チケット使用予定者に上記の事由が発生し、その同行予定者もイベントに行かなかった場合(ただし、当該事由で保険金が支払われるのは、事由が発生したチケット使用予定者1名につき、同行を予定していた方1名まで)
●というわけだ。「仕事が忙しくなったから」とか「別の用事が入ったから」なんてのは、出張と重ならない限り、対象外のように読める。電車の遅延にしても、2時間以上が条件。そして「お目当ての出演者がキャンセルしたから」なんていうのは考慮されていないっぽい。実際にサービスが始まったら、よく条件を確認しておかねば。急な出張の多い方には便利かも。
ピーター・ゼルキンのリサイタル
●しばらく演奏会的には夏のシーズンオフみたいな気分になってて、久しぶりな気がする、オペラシティでのピーター・ゼルキンのリサイタル。しかし待ち構えていたのは演奏会というよりは儀式だったかも。予定されていたシェーンベルクの3つのピアノ曲op.11が武満徹「フォー・アウェイ」に変更され、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調と休憩後にディアベリ変奏曲。
●武満が終わった後、客席に完全な静寂が訪れて、みんなピアニストが鍵盤から手を離し膝に置くまで拍手を控える。そこまではまだ普通かもしれないんだけど、ベートーヴェンの第31番の終わりでも完璧に静まるんすよ、曲が静かに終わるわけじゃないのに! ピーター・ゼルキンが鍵盤から手を離してもまだ拍手をためらい全員そろって静けさを求める客席。どうすか、この異様なくらいに静けさ好きな東京の聴衆。そのうち東京の客席は、深い感動の表明として、拍手自体を止めるところまで先鋭化するかもしれない。いや、いったん拍手になれば大喝采、盛んなブラボーが出てたけど。ベートーヴェンの2曲とも、ベートーヴェンを聴いているというよりは、ピアニストの孤独なモノローグに耳を傾けている気分になる。スゴい。自由だ。いや不自由なのか。LFJのポゴレリチを思い出した、少しだけ。
●アンコールにバッハのゴルトベルク変奏曲からアリア。父ルドルフ・ゼルキンの有名なエピソードを連想する。あるとき、アンコールにゴルトベルク変奏曲のアリアを弾いたら、そのまま止まらなくなって変奏曲に突入して、結局最後まで全曲弾いてウルトラ長大アンコールになったというあの話。もしかしてピーターもぜんぶ弾くんじゃないのか!って、そんなことあるはずないんだけど、アリアを弾き終えたところで心の中で「次、次も行こうよ」と催促してしまった。そもそもディアベリ変奏曲だってルドルフの得意のレパートリーだし。なんなら武満に戻って「2周目」でも嬉しかった。