News: 2012年11月アーカイブ

November 29, 2012

2013年 音楽家の記念年

●そろそろ来年の音楽家の記念年について。
●今年2012年はジョン・ケージ生誕100周年とか、ショルティをはじめとする多数の巨匠指揮者の生誕100周年があったものの、一般向けには不足と思われたのか、むしろドビュッシー生誕150周年が話題になってしまった気がする。フツー、150なんていう中途半端な数字ではほとんど相手にされないんだけど、かなり例外的な現象だったかなと。
ジュゼッペ・ヴェルディ●それに対して、来年2013年はにぎやかだ。なにしろワーグナーとヴェルディがともに生誕200周年を迎えてしまうわけで、ともに非常にリソースを消費してしまう作曲家だけに、すでに199周年の今年あたりから助走が始まっている感もあり。
●で、この二人の存在があまりにも大きいので、例年だったらネタになりそうなブリテンとかルトスワフスキとかアルカンがかすんでしまいそう。むしろストラヴィンスキー「春の祭典」初演100周年のほうが目立つかも。初演が音楽史上の事件として広く知られている作品ナンバーワンだし。
●去年は指揮者の生誕100周年が目立ったけど、今年は歌手の生誕100周年が豪華。

[生誕100周年]
ベンジャミン・ブリテン(作曲家)1913-1976
ヴィトルト・ルトスワフスキ(作曲家)1913-1994
モーリス・オアナ(作曲家)1913-1992
ノーマン・デロ・ジョイオ(作曲家)1913-2008
モートン・グールド(作曲家)1913-1996
ティホン・フレンニコフ(作曲家)1913-2007
高田三郎(作曲)1913-2000
ルネ・レーボヴィッツ(作曲家・指揮者)1913-1972
ジャン・フルネ(指揮者)1913-2008
ティート・ゴッビ(歌手)1913-1984
リチャード・タッカー(歌手)1913-1975
フェルッチョ・タリアヴィーニ(歌手)1913-1995
柴田睦陸(歌手)1913-1988
吉田秀和(評論家)1913-2012

[生誕200周年]
リヒャルト・ワーグナー(作曲家)1813-1883
ジュゼッペ・ヴェルディ(作曲家)1813-1901
ヴァランタン・アルカン(作曲家)1813-1888
アレクサンドル・ダルゴムイシスキー(作曲家)1813-1869

[生誕300周年]
ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス(作曲家)1713-1780

[没後300周年]
アルカンジェロ・コレッリ(作曲家)1653-1713

[その他]
ストラヴィンスキー「春の祭典」(1913)初演100周年

November 28, 2012

LFJ新潟2013のテーマは「モーツァルト」

ビバ、モツァルト●そういえばこの近辺じゃあまり話題になっていないんだけど、来年のラ・フォル・ジュルネ新潟のテーマは「モーツァルト」なんである(→新潟日報)。知ってた?
●東京のテーマは「フランスとスペイン」とか「パリ」とかいろいろ言われているんだけど、どんな言い方になるんすかね。基本的にナントのほうは「**年から**年までのフランス音楽」みたいな打ち出し方で済むみたいなんだけど、日本の感覚だともっとキャッチーなテーマがほしくなる。
●新潟の本公演は4月26日~28日。東京やナントのテーマから外れるけど、モーツァルトってのは英断では。わかりやすいし(モーツァルトの音楽が、じゃなくて、テーマがはっきりしててイメージが共有されやすい)。
●個人的に東京でやってほしいなと思う作曲家はベートーヴェン。第1回でやってるけどやり切ってないだろうし、まだみんな知らなかったわけだから。

November 27, 2012

ピエール=ロラン・エマール~ル・プロジェ エマール2012 II

●もう先週だけど23日はピエール=ロラン・エマール公演二日目へ(トッパンホール)。一日目の続編みたいにドビュッシーの前奏曲集第2巻が前半に演奏されて、後半はアイヴズのピアノ・ソナタ第2番「コンコード」。ほぼ同時期に作曲された両曲が並ぶ。これが同時期なんだからアイヴズってどんだけ先進的なの、いやメインストリームからすっとんきょうなくらい孤絶しているっていうべきか。あと、もうひとつのプログラムの意図としては「引用」。アイヴズの「コンコード」にはベートーヴェン「運命」ってのはいいとして、ドビュッシーはなんだっけ? えーと、「ピックウィック卿を讃えて」が「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」くらいしかわからないんだけど……あ、「花火」のおしまいに一瞬「ラ・マルセイエーズ」か。で、ワタシは行ってないんだけど前日のエマールのレクチャーでは「交代する3度」にストラヴィンスキー「春の祭典」が出てくるとか、そんな話がされたんだとか。
エマールのドビュッシー●一日目と同様、コントラストの鮮明なドビュッシーもよかったけど、やはりアイヴズが断然いい。実演で目の当たりにするとこんなに凄絶で吸引力が強くて、しかも楽しい曲だったのかと再認識。フィジカルにスゴい。トーン・クラスター用のものさし(じゃないだろうけど、黒い棒)をエマールがポロッと落っことすスリリングな場面もあったり(ポロリもあるよ!)、途中の楽章終わったとたんにピロピロ携帯鳴ったりとか、これだけ強靭剛悍な音楽が鳴り響けばそんなハプニングも起こってしかるべきと思う。眉間にシワを寄せて聴く100%シリアスな曲なんだけど、どこかスラプスティック風味。あちこちにジャジャジャジャ~ンが出てくるし。ソローとかナサニエル・ホーソーンって何のことよ? 超越主義、ププッ、みたいな。譜面を置いて鬼神のごとく鍵盤と格闘するエマールは、澄ましてドビュッシーを弾いてるときよりだんぜん精彩を放っていた。

November 23, 2012

家庭交響曲ダブル

シュトラウス●R・シュトラウスの「家庭交響曲」が一週間に2つの違うオーケストラで演奏されるという珍しいことに。17日の飯森範親指揮東京交響楽団、21&22日のエド・デ・ワールト指揮NHK交響楽団、ともにメインプロが「家庭交響曲」。会場も同じサントリーホール。N響は2公演あるから、この週はサントリーホールで3回、「家庭交響曲」が演奏されたってことなんすよね。嬉しいような、もったいないような。
●飯森&東響は少し変則的なスタイルの公演で、前半にマーラー~ベリオ編の「若き日の歌」より5曲(ロディオン・ポゴソフBr)、後半にシュトラウス「家庭交響曲」のみ。これだと正味1時間強しかないわけだけど、前半のおわりにマエストロ飯森が「家庭交響曲生オケ付き解説トーク」を披露してくれた。「これがリヒャルトで、このテーマがパウリーネ、ここは息子のフランツ……」と、合間に自分でオケを実際に振りながら説明するという超親切仕様。この解説にしっかり時間を取って、それから休憩に入って後半で本番を聴くという流れ。これ以上はないぜいたくな楽曲解説ですごくありがたかったけど、その分、プログラム本編が短くなっているので、お客さんとしては意見が分かれるところかも。事前の解説も効いてか、本編の「家庭交響曲」はいっそう描写的で、能弁。わざわざチェロを第一ヴァイオリンの向かい側に配置して、夫婦の対話(vnがパウリーネ、vcがシュトラウス)まではっきり見せてくれて。
●一方、デ・ワールト&N響はぜんぜん違う「家庭交響曲」。「家庭」よりも「交響曲」のほうに焦点が当たっているというか、見事なアンサンブルでシュトラウスの精緻な管弦楽法をたっぷりと楽しませてくれた。金管は好調、重厚な弦とあいまって堅固で骨太のシュトラウスに。終盤の快速テンポがスリリングで、この曲にあると思っていた「てへ。」みたいな照れとか「(苦笑)」みたいな要素にあまりかまわずに、猛然と疾走して鮮やかにフィニッシュ。これだけビシッと言ってやればパウリーネもフランツも大人しくなるだろう、くらいの勢いでオヤジ圧勝感。
●フランツ……、リヒャルトのお父さんもフランツなんすね。ところで、「家庭交響曲」に描かれてた息子フランツは、大人になってどういう人物になったんすかね?

November 22, 2012

ピエール=ロラン・エマール~ル・プロジェ エマール2012 I

●21日はピエール=ロラン・エマールの「ル・プロジェ エマール2012」へ(トッパンホール)。リサイタル2公演の間にレクチャー1回をはさむという3日間のシリーズ。リサイタルIはクルタークの「遊び―ピアノのための」より7曲、シューマン「色とりどりの小品」Op.99より9曲、クルターク「スプリンターズ」Op.6、ドビュッシーの前奏曲集第1巻というプログラム。以前の「コラージュ─モンタージュ」のような寄木細工仕様にはなっていないけど、今回も小品集を集めた小品集・集というかメタ小品集とでもいうべきミクロコスモス無双。
エマールのドビュッシー●前半のクルターク~シューマン~クルタークは間を置かずに続けて演奏して、急−緩−急ならぬモダン−ロマン−モダンの三部形式のように一気に聴かせる。既存作品の組み合わせに新たなコンテクストを付加しようという点では、「コラージュ─モンタージュ」に継続するシリーズといえる。前半クルタークからシューマンに移行するときに感じる眩暈が、後半ドビュッシーの前奏曲集のたとえば「西風の見たもの」→「亜麻色の髪の乙女」と続く瞬間にも感じられて、見知った風景を初めて来た場所のように思わせる。ピアノの響きは多彩で、くっきりと鮮明。すなわち異なるキャラクターが集められた柄物をぜんぶいっしょに扱ってもすっきりときれい、しかもぜんぜん色落ちしない。それがエマールの洗浄力。(←それ去年も書いてないか?)
●アンコールは3曲。先日亡くなったエリオット・カーターが100歳で書いたFratribute(フラトリビュート)、リゲティの練習曲集第2巻から「魔法使いの弟子」、ハインツ・ホリガーの「エリス」。楽しい。曲目的には本編もアンコールも交換可能だと思うんだけど、やっぱりアンコールのほうが楽しく感じられるのは、なにが出てくるかわからないっていう福引き的な遊戯性ゆえなのか?

November 20, 2012

マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団

●19日、サントリーホールでマイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団。←名前が長い。が、MTT&SFSOだと十分通じない感じ(それともSFS? あるいはSF響?)。独奏のユジャ・ワンはショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番の予定だったのに、ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディに変更。これに激しく落胆してテンションは下がっていたのだが、当日足を運んでオケの音を耳にしたらもうそんなことは忘れてしまった。メイン・プロはマーラーの交響曲第5番。期待通りというか期待を上回るうまさで、まさにトップレベルのスーパーオケ。金管の輝かしさ、パワーと安定感は尋常じゃないし、木管のソロはだれもかれも聞きほれる見事さで、どうっていうことのないフレーズでもいちいち聴きどころになってるし、艶々した弦のデラックス感も最高(弦の席次は数週間単位でローテーションされるんだとか。なので最後列のプルトまでみんなバリバリ弾く感じ)。サントリーホールじゃ飽和するってくらいに音がでかいんだけど、思いっきり余力を感じさせる。弦は対向配置で第一ヴァイオリンの隣にチェロ。超高解像度マーラー。
ティルソン・トーマスのマーラー●お客さんの集中度もすさまじかった。終わった瞬間の沸き方も久々に目にするもので、MTTは2度にわたってソロ・カーテンコールに呼び出された(「一般参賀」と比喩するにはMTTはあまりに若々しすぎる)。語り草になるレベルの名演だったのでは。オケの機能美と表現力があまりにも秀逸で、帰り道はむしろ憂鬱になった。サンフランシスコという街に対する嫉妬心で。絶望。
●たとえるなら、世の中クセ者ぞろいでおもしろいよなーとそれなりに充足してるところに、最高に頭もよくてルックスもよくて元気溌剌とした健康体で性格もよくてリッチで寛容で頼りがいがある、そんなまぶしすぎるヤツが入ってきて、すべてを吹き飛ばしたという気分。燦々とふりそそぐ陽を浴びて、どこにも陰が見当たらないマーラー。昔、バーンスタインが全宇宙の苦悩を背負って呻き声を発しながら棒を振ってたマーラーが冗談に思えてくる。明るい。MTTがときおりテンポを揺らして歌い込むと、マーラーは最高に上質なエンタテインメントになる。あのアダージェットの絢爛さ。ただうまいだけじゃなくて、作品観をひっくり返すくらいのインパクトがあった。「名曲」ってのはこうやってバージョンアップされて時代を生き延びていくのだなあ。

●参照→ 「オーケストラは未来をつくる~マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦」(潮博恵著/アルテスパブリッシング)。終演後著者の潮さんとご挨拶できて吉。
November 19, 2012

カヴァコスのベートーヴェン、デ・ワールト&N響のブルックナー

●Jリーグが佳境に入っているが(あのJリーグ昇格プレーオフの結果はなに!?)、先週のコンサートから。
カヴァコスのベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集●14日、レオニダス・カヴァコスのヴァイオリン・リサイタルへ。前日、同じトッパンホールでコパチンスカヤの突き抜けた演奏を聴いたばかりだったんだけど、この日は対照的に王道のベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ・プロ。特に後半の「クロイツェル」が圧巻で、この曲でこんなに燃焼度が高くて、なおかつ堅牢でスケールの大きな音楽を聴けるとは。文字通り固唾を呑んで聴き入ってしまった。ピアノのエンリコ・パーチェが完璧にソロと息の合った伴奏を聴かせてくれて、さすがレコーディングしたコンビ。DECCAレーベルから、ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ全集がリリースされている。
●カヴァコスの名が最初に視野に入ったのはBISからシベリウスのヴァイオリン協奏曲初稿がリリースされたときだと記憶しているんだけど、あの頃に今のカヴァコスのメジャー感を予測した人は少なかったのでは。いまやベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスだし。あとルックスもすっかり垢抜けて、最高にクール。一年切ってないらしいストレート長髪は、片手に紙袋を持って秋葉原を歩いてもまったく違和感がないが、それがヴァイオリンを持つと宇宙一カッコいいロンゲ男子に変身する。ぜひ髪は切らずにこの路線で巨匠への道を歩んでほしい。
●16日はエド・デ・ワールト指揮NHK交響楽団へ(NHKホール)。ブルックナーの交響曲第8番。皇太子殿下ご来臨。ニュースにもなっていたらしい。一曲のみの大曲プロなので休憩はないのだが、開演前にさっそく男子トイレに長蛇の列ができた。いわゆる「ブルックナー行列」である。世間一般ではトイレの行列といえば女子のものと思われる方が多いかもしれないが、演奏会でブルックナーが演奏されると男子側に行列ができる。殿下もブルックナーがお好きなのだろうか。侍従とブル8の版問題について語り合っていたりするかもしれない。演奏は後半に進むにつれて熱気を帯び、豊麗で重厚な響きが生まれていた。
●ブルックナーって、聴く人みんなこだわりポイントがそれぞれ違うのか、わかりあえない音楽って気がする。クラヲタがパーティの席で話題にしてはいけない作曲家ナンバーワン。

November 16, 2012

大井浩明POC#12ジョン・ケージ「一人のピアニストのための34分46.776秒」と「易の音楽」全巻

●15日は古賀政男音楽博物館のけやきホールで、大井浩明さんのピアノによるPOC(Portraits of Composers)#12、ジョン・ケージの「一人のピアニストのための34分46.776秒」と「易の音楽」全巻。「34分46.776秒」はプリペアド・ピアノのための作品だが、猛烈なプリペアド具合で、なおかつピアノの外部を用いた特殊奏法(外側を叩いたり、ペダルを踏む騒音を鳴らしたり、鍵盤に爪を滑らせて擦過音を発したり)が加わり、さらにピアノ以外に笑い袋やクラッカーまでが乱入して、まさにおもちゃ箱をひっくり返したような多種多様な音色のパレード。しかも演奏中に奏者がプリパレーションを自ら調整するという荒業もたびたび飛び出す。プリペアド・ピアノ作品とはいっても「ソナタとインターリュード」のような甘美なメロディのある曲とはまったく違うストイックな音楽で、というか偶然性が用いられていると思われるので、そこに文脈を認めるかどうかは聴き手に委ねられる。
●で、偶然性の総大将みたいな作品として、どこの本にも出てくるけど実際には聴いたことのない(ライブでは)「易の音楽」全巻。コイン投げの結果という偶然によって音の諸要素が決定され、実際にそれが演奏可能かどうかも顧みられていないという恐るべき作品。偶然で決まっているんだから、そこに作り手の意図はない。起承転結もない。なので作品全体としては、これを聴くのは滝行。でも何もかも純粋にランダムかというと、作り手が最初に定めた一定のルールがある以上、本当の乱数列みたいなものでもないはず。それと、乱数であってもそこに人は意味を認めることは可能なので、部分部分では聴き手は意図された文脈を感じておかしくない。その気になれば感情表現すら読み取れるかもしれない。
●偶然から音楽を作ろうといっても、じゃあコイン投げの結果をどうやって音高、リズム、和音、テンポ等々に結び付けようかとなると、なんらかの恣意は必要になるだろう。じゃ、本物のランダムとはなにかというと、たとえば乱数列。剥き出しのランダムネス。たった今、実際にexcelで一桁の整数の乱数を発生させてみたら、こうなった。
3
9
9
7
1
9
●これは本物の乱数。しかし、そう知らずにこの数値を読んだらどう感じるだろう。3,9,9と並ぶ列は明らかに3の倍数、あるいは3の乗数という「操作」や「意図」を感じさせる。続く7は、9の一つ下の奇数というオペレーションだろうか。次に1が来て、最後にまた9に戻った。円環構造だろうか。するときっと次は、9,3,...と続くのか? もしかすると大小様々な円環がいくつか連続して大きな構造を作ろうとしているのか。全部奇数だということはいずれ偶数列に変容するのだろう……。と推し量るかもしれないが、これは正真正銘の偶然、たった今発生させた一発目の乱数列だ。にもかかわらず、この数列からは、文脈を読み取らないほうが難しい。
●しかし、今のは一桁の整数だった。じゃあ、次に八桁の整数で乱数列を生成してみよう。
34521900
62835402
74254949
41308591
38856015
58533128
●さて、今度も同じく6つの整数が並んだが、この並びから文脈を読み取ることは可能だろうか。たぶん、ムリ。次にどんな数が来るかもまったく予測できない。一桁の整数と八桁の整数では、その母集団の大きさがまるで違う。仮に音の諸要素から音高という要素を取り出すと、ピアノの場合、単独音としては(特殊奏法部分以外は)88鍵から選択されてて、これは半音階という飛び飛びの値を持った数列ということになる。つまり母集団の大きさとしては一桁の整数の乱数列よりは大きいけど、八桁の整数の乱数列よりは小さい。「意味を読み取りたくなる」結果が時折生まれるのは母集団のサイズに起因するものなのだろうか? 偶然性で作った曲のはずなのに、その結果がしばしば人の意思による音列の操作から生み出されたものに似て来るという現象は、こういった母集団のサイズと、(連続する周波数ではなく飛び飛びの値を持つ)半音階列という要素の共通が生み出すものなのかもしれないなあ……。
●と、滝に打たれてふと思ったりするのも、人間の奏者がいて怪物的大作と向き合う実演の迫真性があってこそ。POCシリーズの次回#13は12月12日にファーニホウ&シャリーノが、1月26日にはジョン・ケージその2(南のエテュード集)が予定されている。詳細はこちらに。

November 14, 2012

コパチンスカヤの無伴奏

●13日、トッパンホールのパトリツィア・コパチンスカヤの「無伴奏」リサイタルへ。ヴィターリのソナタ集より「カプリッチョ・ディ・トロンバ」、クルタークの「サイン、ゲーム、メッセージ」&「カフカ断章」より(弾き歌いあり)、ピセンデルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ イ短調、エネスク(エネスコ)の「幼き頃の印象」より「フィドル弾き」、バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、というプログラム。これに当日バッハ「シャコンヌ」が追加されていた。
●知らない曲も知ってる曲もぜんぶ初めて聴く曲のように聞こえる強烈さ。獰猛で、チャーミング。半ばシアターピース的に曲想を全身で表現しながら、時折フレーズの終わりに客席にまっすぐ向かって目を見開いてプチドヤ顔を見せてくれるのが、コワかわいい。全身全霊で表現する崖っぷちの音楽の連続で息つく暇もなし。バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタなんて、こんなに鋭利で針の振り切れた演奏を聴くと、今まで聴いてきた演奏はなんだったのかと感じる。アンコールにホルヘ・サンチェス=チョンの「クリン」(曲が終わった瞬間、みんなワッと笑った)、ピアソラのタンゴ。テレビ収録あり。
●トッパンホール→神楽坂駅(どマイナールート)は坂道の急登(笑)があるので、行きは楽チン(死語)だけど、帰りは少しだけキツい。そこをあえて登ってショートカット感を味わいたい。神楽坂から飯田橋を歩くと坂道を下る格好になるので、神楽坂駅は坂の上にあるっていうことなんすよね。

November 12, 2012

山田和樹&日本フィル→エド・デ・ワールト&N響

●10日はダブルヘッダーを敢行。昼は山田和樹指揮日本フィル(サントリーホール)。山田和樹正指揮者就任披露演奏会。プログラムがすばらしくて、前半に野平一郎「グリーティング・プレリュード」、ガーシュウィンのピアノ協奏曲(パスカル・ロジェ)、後半にヴァレーズ「チューニング・アップ」、ムソルグスキー~ストコフスキー編の組曲「展覧会の絵」。前後半ともシャレっ気のある小品で始まった。ヴァレーズの「チューニング・アップ」はオーボエのチューニングで開始されて、ぼんやりしていると本当のチューニングが始まったのかと錯覚するが、その後、さまざまな名曲の引用をさしはさむ喧噪のヴァレーズ流祝典音楽に。「ウ~~~」とサイレンが鳴るセルフパロディ?がウケる。続く「展覧会の絵」のチューニングで笑いを取るのは期待通りのお約束。楽しい。
●「展覧会の絵」、有名なラヴェル版は1922年。ストコフスキーは1939年。もちろんストコフスキのほうが新しいんだけど、その隔たりは思ったほど離れているわけでもない。ストコフスキー版は冒頭のプロムナードが弦楽合奏で始まる。普通に考えればそうなるような気がする。編曲としてはラヴェルのほうが奇抜なのかも。たとえば「古城」ではファゴットに続いて、ラヴェルはサクソフォンでメロディを吹かせるけど、通常のオーケストラ編成であれば、ストコフスキのようにコーラングレをあてるのが本筋だろう……と思っていたら、なんと、この日の演奏では「古城」でラヴェル版同様にサクソフォンが登場した。ん?記憶違いだったのかなと思ったけど、ひょっとしてストコフスキ版はオプションでサクソフォンも選択できるということなのかな? きっとここに書いておけば、親切な方がfacebookページのコメント欄で教えてくれそうな気がする……。
●オケは秀逸。4曲ともに美しい響きを聴かせてくれた。新ヤマカズ恐るべし。
おもちゃの剣。攻撃力+1●夜はNHKホールでエド・デ・ワールト指揮N響。前半が武満徹「遠い呼び声の彼方へ!」「ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に」と独奏ヴァイオリン(堀正文)を要する曲が2曲。後半はガラッと雰囲気が変わって、ワーグナーの「ワルキューレ」第1幕演奏会形式。これは強烈。大編成のオーケストラ、あのホールの大空間にもかかわらず歌手陣の声がよく通る。エヴァ・マリア・ウェストブレークのジークリンデ、フランク・ファン・アーケンのジークムント、エリック・ハルフヴァルソンのフンディングの3人。字幕が入ったおかげもあり、すっかり「ワルキューレ」の物語世界に没頭できた、なんの舞台もないのに。でもあの第1幕ってストーリー的にはジメジメと3人がもっぱら語り合ってるだけでノートゥング以外はこれといって必要な舞台装置やら演出やらはないのかも。
●アーケンは少し喉のコンディションに苦しんでいて、最初セリフで「水を分けてほしい」どうたらこうたらと歌った後で、足元のエビアン(推定)を口にしたのはシャレかと思ったけど、その後なんども水を飲むことに。でも歌手陣の聴衆をひきつける力は並大抵のものじゃなかったと思う。終わった瞬間のブラボーはまれに見る盛大さ。歌手3人とオーケストラでこれだけ奥行きのある音楽を作れてしまうなんて。ワーグナー偉大すぎる。
●しかし盛り上がっただけに、第1幕だけ聴いて帰るって、なんだか不思議。この宙ぶらりんになった第2幕への期待感はどうすれば。みんなウチに帰ってCDとかDVDで渇望をいやしたのだろうか?

November 9, 2012

ルプーのオール・シューベルト

●8日は東京オペラシティでラドゥ・ルプーのオール・シューベルト・プロ。前回の東京公演はキャンセルになってしまったので、ようやく。16のドイツ舞曲D783、即興曲集D935、ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調。ルプーはピアノ椅子ではなく、高さの調節できない普通の椅子(オケで使うパイプ椅子?)にどっぷりと腰かけて弾く独特のスタイル。舞台は暗め。近年の世評があまりに高すぎて、期待半分不安半分くらいに身構えていたんだけど、すっかり魅せられて放心してしまった。ディテールまで徹底して彫琢したシューベルトのはずなんだけど、外枠の大きな流れは滑らかで淀みない。弱音方向の繊細な表現に重心が置かれて、深みのある音色もすばらしい。作為の重畳だけが自然体を装えるという意味で、すぐれてシューベルト的なのかも。
●ルプーが曲間、楽章間を取らず、緊張感を切らさないように意図する一方で、客席側からは(特にソナタの楽章切れ目で)「ここで間がほしい」と要求するかのように逐一咳払いが起きた。ワタシの解釈では、これはマナーの問題ではなく、ピアニストvs聴衆の目に見えないバトル。自分の儀式化された世界を完成させたいピアニスト対こっちを置き去りにしないでっていう客席の一部との。おもしろいと思ったけどなあ。
●客席に内田光子、アンデルシェフスキ、小菅優といったピアニストたちの姿あり。アンコールもシューベルトで、ピアノ・ソナタ第19番第2楽章と「楽興の時」第1番。

November 8, 2012

ジュリアーノ・カルミニョーラ&矢野泰世@トッパンホール

●7日はトッパンホールへ。ジュリアーノ・カルミニョーラのヴァイオリンと矢野泰世のフォルテピアノによるオール・モーツァルト・プログラム。ヴァイオリン・ソナタからト長調K379(第27番)、変ロ長調K378(第26番)、へ長調K377(第25番)、イ長調K526(第35番)。「アウエルンハンマー・ソナタ」の3曲と成熟期の一曲を組み合わせたプログラム。これまでカルミニョーラはヴェニス・バロック・オーケストラとの共演でしか聴いてなかったんだけど、モーツァルトを弾いてもやっぱりカルミニョーラ。闊達自在、大胆でコントラストの鮮やかなモーツァルトを満喫。デュオなので、アンサンブルを従えてソリストとして登場するときみたいにフェロモン全開とは行かないけど、クラッとするような見得を切る瞬間がたびたび訪れてサービス満点。ムンムンしてる。
●トッパンホールへのアクセスはいろんなルートがあって公式サイトには最寄り駅として飯田橋、江戸川橋、後楽園が案内されている(あとは都営バスも)。これ以外に東西線の神楽坂という手もあって、トッパン→トーハン本社脇→音楽之友社脇と歩く出版業ルートで神楽坂に出ることができる。この三社以外にもこのあたりには印刷や製本、製版、取次など出版関連の会社が密集している。

November 6, 2012

エリオット・カーター103歳で逝く

Elliott Carter 100th Anniversary●アメリカの作曲家エリオット・カーターが逝去。11月5日、ニューヨークの自宅にて。享年103。長命だっただけでなく、100歳を超えてもなお現役の作曲家として活動していたという並外れた創作力を誇っていた。合掌。
●写真はナクソスのアメリカン・クラシックス・シリーズの生誕100周年記念アルバム。自らの生誕100周年を祝った作曲家というのは他にいるのだろうか。録音は多数。ピエール=ロラン・エマールによる「ナイト・ファンタジー」他、メジャーレーベルからのリリースも多い。

November 5, 2012

ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団

●もう先週だけど、1日はブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団へ(サントリーホール)。ベートーヴェンの第3番「英雄」と第7番のプログラム。これは今年足を運んだ演奏会のなかでもっとも客席が沸いた公演だったかも。第7番が終わった瞬間の怒涛の「ブラヴォー」もスゴかったが、最後はやはり一般参賀に。N響といい、DCHで観るベルリン・フィルといい、ブロムシュテットが指揮したときの一般参賀率の高さには驚嘆する。
●N響で「新世界より」を聴いたときも思ったけど、ブロムシュテットが振るとみんなブルックナーみたいに聞こえる。レンガを土台から黙々と積み上げていって、しまいにとんでもない威容が浮かび上がる、といったように。ぜんぜん中庸の美じゃないし、ベートーヴェン7番は意外とヘンタイ度も高かった。ぶっきらぼうに見える棒が次第に音楽を白熱させてゆく様は圧巻。そして多くの老大家と異なり、85歳なのにスルスルッと身軽に歩ける壮健さは人体の神秘。オケは先入観よりずっとまろやかなサウンドを聴かせてくれた。
●「シューマンの指」(奥泉光著)がもう文庫化されている。文庫版解説は片山杜秀さん! この小説は音楽ファンのために書かれた傑作。でもどう傑作かを言おうとすると、そのこと自体がネタを割ってしまう可能性があるから、あまり言えない。未読の方はamazonのレビューから目をそらす必要あり。

November 4, 2012

「愛の妙薬」@METライブビューイング

妙薬ありますMETライブビューイング2012/13シーズンが開幕。第1弾はドニゼッティの「愛の妙薬」(11/9まで)。バートレット・シャー新演出で、ネトレプコがアディーナ、ポレンザーニがネモリーノ、クヴィエチェンがベルコーレを歌う。
●もうMETライブビューイングはすっかり彼らなりの方法論を確立していて、安心して楽しめる。映像、音声、幕間の舞台裏紹介やインタビュー等々。さっきまで役になりきっていたスター歌手をつかまえて幕間にインタビューをするなんて、最初はドキッとしたけど、今はこれがないと物足りなく感じる。生のオペラともDVDとも違う、まったく新しいエンタテインメント。映画館だから、ワタシはカップホルダーにホットコーヒーやペットボトルのお茶を置いて、上映中も静かに飲む。本物のオペラと違って、いろんな面で気合いを入れなくて済む日常感がいいんすよね。
●で、「愛の妙薬」。ポレンザーニがあまりに精悍な顔つきだから、どうしたって抜け作ネモリーノには見えないんだけど(あんな意思の強そうな風貌をした男がため息ばかりついているはずがない)、でも結果的には不要なおちゃらけがなくて、出来のいいラブコメに仕上がっていた。この話はドゥルカマーラ(アンブロージョ・マエストリ)以外は、コミカルな要素をあまり強調しないほうが楽しいのかも。人物設定としてアディーナにもネモリーノにもリアリズムが感じられる。アディーナって農場主のお嬢なんすよね。だからダメ男なんて絶対許せないんだけど、この演出を見てると最初からネモリーノに惹かれているんだなというのがよく伝わってくる。まさにツンデレ。
●ポレンザーニの「人知れぬ涙」に怒涛の大ブラボー。配布されたタイムスケジュール表に「生の舞台さながらに、拍手やブラヴォーの歓声を歓迎いたします」と書いてあったが、映画館で一緒にブラボーを叫ぶ人はいなかった。ワタシらシャイだから。でも、少しは拍手も起きていたので、いずれそういう文化が定着するかもしれない。「生の舞台さながらのフライング・ブラヴォー」とかどうか。
●「愛の妙薬」って、ため息ばかりついてる他力本願なダメ少年が、外的な力を借りて自己実現するという男の子の願望充足オペラなんすよね。たとえるならネモリーノがのび太、アディーナがしずかちゃん、ベルコーレがジャイアン、ドゥルカマーラがドラえもん。

November 2, 2012

リュウ・シャオチャ指揮フィルハーモニア台湾記者会見&シンポジウム

フィルハーモニア台湾記者会見&シンポジウム
●1日昼、ホテルオークラでリュウ・シャオチャ指揮フィルハーモニア台湾のミニ記者会見&シンポジウム。11月9日の東京公演に先駆けての開催。壇上には写真左より司会の音楽評論家吉村渓氏、梶本眞秀KAJIMOTO代表取締役社長、大野順二東京交響楽団楽団長、ホアン・ピードァン中正国立文化中心芸術総監督、リュウ・シャオチャ フィルハーモニア台湾音楽監督、ジョイス・チュウ同楽団事務局長。フィルハーモニア台湾はこれまでにLFJにも出演しているけど、実は今年から海外向けの名称を「台湾フィルハーモニック」に変更している。今回は便宜上「フィルハーモニア台湾」の旧称を使う。
●シンポジウムは「アジアのオーケストラの今」と題されたもので、明快な論点を持って談論風発するというものではなく、台湾側と日本側でそれぞれの楽団事情の現状認識を述べあうといったところ。日英同時通訳のインカムが用意されていたので、短時間の割には情報量は多かった。一言で印象を述べれば「フィルハーモニア台湾は恵まれた環境にあって勢いがあるなあ」。もともと100%国営のオーケストラだったのが、2005年に再編されて、公益法人として独立し、政府からの助成金も徐々に減らされて、現在は60%にまで下がったというのだが、それでも60%はスゴい。大野順二東響楽団長は「東響は10%未満だから大変うらやましい話」。ホールも練習環境も整っているようだし、おまけに聴衆層がぜんぜん違う。「聴衆の60%が30歳以下なので、シニアにも足を運んでもらえるように割引チケットなどで工夫している」(ジョイス・チュウ事務局長)と、まるっきり東京とは逆転世界。東京と台湾の年齢別人口分布も違うんだろうけど、それ以上の違いのはずで、「日本と違い、台湾ではシニアにとってクラシック音楽はなじみの薄い文化」(ホアン・ピードァン中正国立文化中心芸術総監督)という背景がある模様。クラシック音楽は若者文化なんすよね。まあ、かつては日本の聴衆も今よりずっと若かったので、今後どうなるかはわからないけど。
●リュウ・シャオチャ音楽監督は「オーケストラは社会の縮図。私たちの楽団は台湾の多文化社会を反映して、好奇心に満ち、若くフレッシュで、オープンマインドを持っている。今回は楽団の特徴を知ってもらうためによく知られた作品を並べた」とのこと。東京公演ではドヴォルザークの「新世界より」、グリーグのピアノ協奏曲(萩原麻未)他が演奏される。招聘元のプロモーション映像はこちら

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