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News: 2012年12月アーカイブ

December 28, 2012

ノリントン&N響の「第九」で聴き納め

ベートーヴェン●年内の演奏会はこれで聴き納め。ノリントン指揮NHK交響楽団の「第九」へ。今年は年末の「第九」に久々に足を運んだ、しかもカンブルラン&読響に続いて2度も。奇しくも、その両者とも「歓喜の歌」で来し方に思いを馳せるという年中行事的な「第九」とはまるで違った「第九」。改めて交響曲第9番という作品の美しさやおもしろさに感嘆させられる。二人ともアプローチは違うけどアウトプットはある意味似ているというか……いや逆かな? 演奏時間がとても短いのは同じ、でもノリントンははるかに細部まで意匠に富んでいた。
●ノリントンはいつものように弦楽器対向配置(コントラバスは後方横一列)、ノンヴィブラートのピュアトーンで、これまでのN響とのベートーヴェン・シリーズでも見せたように木管楽器は倍管、ホルンを下手に、トランペットとトロンボーンを上手に金管楽器を両翼に分ける。で、なんと独唱者も下手後方に。オケのなかのパートの一つみたいに。合唱は200名以上の大合唱団(国立音楽大学)。あらゆるところに仕掛け満載で聴いたことのない「第九」。第1楽章の冒頭からして小刻みなクレッシェンドが用意されててびっくり。至るところで遠くから近づいてくるような細かなクレッシェンドがあって遊園地の乗り物に乗ってるみたいな楽しさ(笑)。ノリントンの左手は奏者への指示であると同時にお客さんへのガイドでもあって、「さあ、ここのホルン、おもしろいことするからみんな聴いてね!」みたいなメッセージが込められていると思う。で、ときどき客席に横顔を見せてニッコリと「ほら、おもしろかったよね」って微笑む。実際、愉快で笑わずにはいられない。
●第1楽章、第2楽章はまるでティンパニ協奏曲かというくらい、ティンパニ(植松さん)が表情豊か。第3楽章のホルンソロはほれぼれするようなまろやかさ(福川さん)。第4楽章、マーチの場面は戦慄。シンバルがはっきりと強弱強弱と叩いて、これが軍楽隊であり戦争シーンなのだということを強調する。怖い。テノールは下手奥から懸命に軍楽隊に対抗するが、彼らを従える主役にはなりえない。それと鮮やかなコントラストを成すのが合唱とトロンボーンによる安らかな教会の音楽。なんて起伏に富んだドラマティックな音楽なの、この曲は。
●プログラムのインタビューで、当時の演奏スタイルについての正しいインプットと遊び心を反映させたりドラマ性を高めたりするための自由なアウトプットは演奏の両輪であって、相反するものではないといったことをノリントンは語っていて、なるほどそういう言い方ができるのかと。「ベートーヴェンが即興演奏の名手であることを、もう一度思い出してみてください」。

December 27, 2012

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013のサイトがオープン

lfj2013公式サイト画面写真●「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013」のサイトがオープンした。といっても「ティーザーサイト」って言うんすかね、あえてトラフィックの少ない年末年始に一枚モノのフライヤーをペラッと置いた、みたいな趣向。次回のテーマは「パリ、至福の時」。当初「フランス音楽と(パリで活躍した作曲家たちの)スペイン音楽」と説明されていたのと内容は変わらないが、よりキャッチーな言葉でいうと「パリ、至福の時」。
●現時点での情報では、来日アーティストとして特に注目されるのはラムルー管弦楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、ミシェル・コルボあたりか。渋さ知らズも再登場する。
●で、今回の絵柄はなんと気球に乗った9人だ。9人もいる! 「タイタンたち」のときも人数多いなあと思ったが、今回は9人。48人でLFJ48とかそんなことにはなっていないが、LFJ9でも相当多い。だれがだれだか、わかるだろうか?
●ざっと名前だけ書いておくと、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、ミシア・セール、アルベニス、メシアン、サティ、ファリャ、プーランク。ミシア・セール(Misia Sert)は作曲家ではなく、当時の多くの芸術家たちのパトロンを務めたサロンの女主人。こんな小さな気球に9人も乗っていては、今にもケンカが始まるのではないかと心配になる。

December 21, 2012

チパンゴ・コンソートのコレッリシリーズvol4 ラ・フォリア

コレッリ●20日は近江楽堂(オペラシティ内)でチパンゴ・コンソートのコレッリシリーズvol4「ラ・フォリア」。ウッチェリーニ、カステッロ、フレスコバルディ、ガブリエッリ(懸田さんの無伴奏チェロ!)らの作品をさしはさみながら、コレッリの名作であるソナタ作品5をシリーズで完奏。最後は「ラ・フォリア」で華やかに掉尾を飾った。チパンゴ・コンソートは杉田せつ子さんのヴァイオリン、懸田貴嗣さんのチェロに、今回はバロック・ハープの西山まりえさんが参加。チェンバロ、リュート、ハープと回によって通奏低音を担う楽器が入れ替わる趣向になっている。近江楽堂はとても小さな空間で、いつも高い天井から残響が客席に降り注ぐような感覚があるんだけど、今回はバロック・ハープのいっそう豊かな響きに包まれることができた。シリーズ最終回にふさわしくヴァイオリン、チェロともども出色のコレッリ、冬晴れの蒼天を思わす爽快さにすっかり満ち足りた気分に。
●来年コレッリの没後300周年なんすよね。しかしワタシは今年、チパンゴ・コンソートのコレッリで没後299周年を大々的に祝した気がする。そういえば、今年生誕199周年のワーグナーも二期会「パルジファル」とかデ・ワールト&N響「ワルキューレ」第1幕、マゼール&N響「言葉のない指環」、スクロヴァチェフスキ&読響のデ・フリーヘル版「トリスタンとイゾルデ」等で、十分に祝った。同じくヴェルディ生誕199周年も上岡&新日本フィルの「レクイエム」があったし、ブリテン生誕99周年に関しては新国立劇場「ピーター・グライムズ」がハイライトになってくれた……来年はだれを祝えばいいのやら?

December 20, 2012

カンブルラン&読響の「第九」

ベートーヴェン●日本人なら年末に「第九」を聴きたくなるという、この不思議な現象。数えてみたのだが、今年は12月の東京都内だけでも50公演を超える「第九」がある。おおざっぱに一回平均2000人規模と考えて(NHKホールははるかに多いが)、のべ10万人が東京で「第九」を聴く。そんな曲はほかにない。本来作品そのものには「来し方を振り返る」みたいな年の瀬成分がまったく含まれていないのに、多くの日本人は「歓喜の歌」を耳にして「ああ、今年も暮れるね、いろんなことがあったね」と感じてしまう。近所の宝くじ売り場でループで「歓喜の歌」が流れてて、前を通るたびにもう助けてって感じなのだが、いかんともしがたい。
●で、19日はシルヴァン・カンブルラン指揮読響の「第九」へ(サントリーホール)。新国立劇場合唱団、木下美穂子(S)、林美智子(Ms)、小原啓楼(T、高橋淳から変更)、与那城敬(Br)。かつて聴いたなかでもっとも軽やかな「第九」。カンブルランは「第九」から歳末性(←そんな言葉ありません)を容赦なく剥ぎ取る。思わせぶりな大仰なゼスチャーをさしはさまずに、キビキビと音楽を運ぶ。快速テンポでサクサク進行。う、美しい。「うわ、この第九、外はサクッ、中はふわっ!」みたいな(なんだそりゃ)。
●「第九」っていうより「第9番」、すなわち「第8番」の続編としての「第9番」。第8ってマシーンの音楽じゃないすか。マシーンといっても、オネゲル「パシフィック231」みたいな後のスチームパンク的な未来をイメージさせる蒸気機関じゃなくて、メルツェルのメトロノームのような漸次的で素朴な反復運動の可笑しさがテーマ。第9番でも終楽章のマーチとかコーダの始まり方には、機械が「カタン、カタン」から「カタカタカタカタ……」とリズミカルに動き出す際の様子の可笑しさがあると思う。
●重々しく振り返るより、カッコよく締める一年。さすが「第九」で、昨夜は6公演もあるうちの初日だったんだけど、明日以降カンブルランとオケの間でさらに熟成するんじゃないかという気がする。

December 19, 2012

グライムズ!グライムズ!

「20世紀を語る音楽 2」●アレックス・ロスの「20世紀を語る音楽 2」の「グライムズ!グライムズ! ベンジャミン・ブリテンの情熱」と題された章は、ホモセクシャリズムの視点によるこの著者ならではの力強いブリテン論になっている(著者は本書を「最愛の夫」に捧げている)。ブリテンとピーター・ピアーズの関係よりむしろ彼の少年愛的な傾向について一歩踏み込んで書かれていて、20代で訪れた母の死以降、ブリテンは同年代のゲイの男性との関係とティーンエージャーに対する恋愛っぽい愛着の間で引き裂かれ、「指揮者のヘルマン・シェルヘンの息子で18歳のヴルフ・シェルヘンとの友情は、あわや性的な接触へと進むかという瀬戸際で揺れた」という。詩人W.H.オーデンは「板のようにやせた少年、つまり未経験の無垢な子」に夢中になるブリテンに、それは大人になる不安を避け、少年時代の記憶への誤った逃避だと非難したが、ブリテンは耳を貸さず、オーデンとの友情を捨てた。
●本書によれば「ブリテンが何年も親しくした少年たちは、その後彼について誰も悪くは言っていない」。唯一の例外として、13歳で当時23歳のブリテンに言い寄られ、叫び声をあげて椅子を投げつけたハリー・モリスの証言が紹介されている。
●「ピーター・グライムズ」の初期台本の草案では、グライムズと少年の関係はより性的に描かれ、「漁師は少年の若さと美しさに逆上する」。ある草稿には漁師のこんな台詞があったという。

おまえの身体は九尾の猫鞭の
挽肉だ。おお! いかすやつだ
肌がなめらかで、お望みどおりに若い
おいで猫よ! むち紐をふりあげて! 息子よ跳びかかれ
跳びかかれ(鞭打つ)跳びかかれ(鞭打つ)跳びかかれ、
ダンスは始まった

●しかし作品の構想が進むにつれて、ピーター・グライムズのセクシャリティとサディズムは覆い隠され、彼は悪辣な暴漢から疎外された犠牲者へと姿を変えてゆく。結果的に作品は多義的な解釈を許すようになり、奥行きを増したといえるだろう。今年、新国立劇場で観たウィリー・デッカー演出では、グライムズは第一に社会との折り合いのつけられない不器用な犠牲者であり、少年との関係は寒々しいベッドひとつで示唆するに留められていた。もし猫鞭のシーンが残っていたら、グライムズへ共感を寄せる観客はずいぶん減ってしまったにちがいない。

December 13, 2012

絵本の電子書籍サイトPICTIOで「親子で楽しむクラシック」

ピクティオ●告知を。以前、日経パソコンオンラインで「ネットエイジのクラシックジャンキー」で連載をしていたときの担当S氏が、その後独立して会社を立ち上げ、絵本のサイトPictio(ピクティオ)をリリースした。Pictioは電子書籍で絵本を創る会社で、電子書籍といっても端末で見るというよりも、自宅で手軽にプリントできるのがミソで、従来の書籍の絵本ではカバーできない新たなニーズを満たそうとしている。たとえば海外在住の日本人で手軽に日本語絵本を入手したいという方や、あるいは保育園や幼稚園で(何度でもプリントできるので)破れたり汚れたりしてもかまわない紙芝居として使ったり、病院や医療関係で衛生面を考えて「捨てることのできる絵本」として使用する、といった利用方法が想定されている。「いつでもどこでも良質の絵本を」というのがコンセプトだ。
●で、直接絵本とは関係がないんだけど、このPictioで連載「親子で楽しむクラシック」として拙稿を載せていただいている。絵本と合わせて、小さなお子さんのいる親御さんにご覧いただければ幸い。

December 12, 2012

ソヒエフ&トゥールーズ・キャピトル管弦楽団

●10日はソヒエフ&トゥールーズ・キャピトル管弦楽団へ(サントリーホール)。ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番(諏訪内晶子)、ベルリオーズ「幻想交響曲」というプログラム。先に開かれた横浜公演での「シェエラザード」他の評判がずいぶん盛り上がっていたけど、こちらもお客さん大熱狂、ソヒエフの一般参賀付きの名演になった。昨年の仏フィガロ紙での「フランスのオーケストラ通信簿」っていう記事で、最優秀オケとしてパリ・オペラ座管弦楽団、パリ管弦楽団、そしてこのトゥールーズ・キャピトル管弦楽団の3つが挙げられていて、フランスの地方オケが選ばれるとはよっぽど目覚しい躍進ぶりなんだろうなあとは思っていたけど、さすがにそれだけのことはあるというか。意欲と勢いがあって、明るく鮮やかな音色を持つオーケストラ。特に弦は強力。ただでさえソヒエフの作る音楽が濃厚な上に、アンコールにビゼー「カルメン」第3幕間奏曲、レオンカヴァッロ「道化師」間奏曲(これがよかった)、「カルメン」第1幕前奏曲でお腹いっぱい。
サン=サーンス●後半以降が強烈すぎて前半の印象が霞むけど、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を聴けたのは貴重かも。この曲、古今の「名曲リスト」的なものにはよく載ってるけど、その割にあまり実演では取り上げられないのでは? 第2楽章の終盤、オーボエの甘美な旋律に続いて、ハーモニクスでアルペジオを演奏する独奏ヴァイオリンにぴたりとクラリネットが影のように寄り添って、森厳で幻想的な音色を作り出す(なにかの鳥の鳴き声なんすかね?)。録音じゃピンと来てなかったけど、あのヴァイオリンとクラリネットの奥行き感がこだまみたいでおもしろい。

December 11, 2012

アデス「テンペスト」@METライブビューイング

●今週のMETライブビューイングはイギリスの作曲家トーマス・アデスの「テンペスト」。ロベール・ルパージュによる新演出でMET初演。作曲者アデス自身の指揮。現代オペラではあるけれど、すでに多数の劇場で上演されている成功作「テンペスト」。ワタシは初めて。題材がみんながよく知ってる(ことになってる)シェイクスピア作品とあって、もう名作扱いなんすかね、さっそくルパージュが読み替えを施して、プロスペローの魔法の島が「ミラノ・スカラ座」ということになっている。プロスペローは実弟の策謀によりミラノ大公の座を追われたわけだけど、その漂着した孤島がスカラ座であると(笑)。今や魔法の舞台としてはオペラ劇場くらいしかふさわしい場所はないとも解することができるが、このアイディア自体はそれほど前面には出てこない。
ミランダ(テンペスト)●METはバロックオペラのパスティーシュ「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」でも「テンペスト」ネタをやってたけど、また今回も(まるっきりカラーは違うが)「テンペスト」。歌手陣は主役級から脇役までアデスの難曲を見事に手の内に収めていたと思う。アリエル(オードリー・ルーナ)は高音域の連続で、しかも常に高所にいてアクロバティックな姿勢もとらなきゃいけなくて、大変な役柄。主役プロスペローはキーンリーサイド。悩める等身大のプロスペロー。この話ってプロスペローから愛娘ミランダがひとりだちをするという親子の話でもあるんすよね。それで全能のプロスペローが苦悩し、彼の片手には長杖がにぎられ、舞台はオペラハウスとなると、プロスペローの姿に「リング」のヴォータンの姿が重ね合わさってくる。「全能性は苦悶と喪失を伴う」という普遍の真理の反映とも言える。
●アントーニオ役はトビー・スペンス。卑劣なヤツなんだけど、最後に敗者となる姿が味わい深い。フェルディナンド役はアレック・シュレーダー。美声。この人って、以前METのオーディションのドキュメンタリー映画で「連隊の娘」のハイC連発してた人っすよね? ついに来たかー。ナポリ王ウィリアム・バーデンの切々とした悲しみの表現もすばらしい。三者三様のテノールを楽しめるのが吉。
●ルパージュ演出は幻想味豊かで、エンタテインメント性もあって見ごたえ十分。「リング」よりずっといいのでは。METの予算が有効に活用されている感があって。好みが分かれるのは「ブリテンの再来」アデスの音楽か。まったく前衛的ではないので20世紀音楽を聴き慣れた人には穏健ではあるけど、器楽曲とは違って長いオペラのなかで、物語と寄り添った起伏を受け取れるかどうか。第1幕1場は正直辛いと思ったが、2場に入ってからは冴えてくる……。もちろんブリテンやショスタコーヴィチもNGという方なら、不協和音の連続と格闘することになるが。

December 10, 2012

ケラス&ベルリン古楽アカデミー、デュトワ&N響のローマ特盛りプロ

●8日はトッパンホールでジャン=ギアン・ケラスのチェロとベルリン古楽アカデミーによるヴィヴァルディ中心のプログラム。スタイルが大きく異なる両者がどうして組み合わさることになったのかはよくわかっていないんだけど、それぞれ非常にクォリティの高い演奏を聴かせてくれた。ベルリン古楽アカデミーのみで演奏している時間と、ケラスが加わってチェロ協奏曲を演奏している時間とで、別の時間が流れているような「一粒で二度おいしい」状態。格調高い辛口ヴィヴァルディに、ケラスが艶やかさを添えた。
ナイチンゲール●7日はNHKホールでデュトワ&N響。ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、リストのピアノ協奏曲第2番(独奏はルイ・ロルティ)と来て、後半にレスピーギのローマ三部作「ローマの祭」「ローマの噴水」「ローマの松」を一挙演奏するというローマ特盛りプログラム。ローマ三部作は間に少し拍手が入ったものの、デュトワは指揮台に立ったまま次の曲に進み、あたかも一曲の大作交響詩を振るかのよう。交響詩が合体して一つの交響詩になるメガ交響詩。バンダもオルガンもチェレスタもナイチンゲールの鳴き声も(天井から聞こえてきた。チリチリとLPの針音が聞こえた気がするんだけど?)総出演する一大スペクタクルで、あの巨大なNHKホールが音響で飽和した。もちろん大喝采。
●「ローマの松」「ローマの竹」「ローマの梅」のローマ三部作はどうか。三管編成、二管編成、一管編成とだんだん編成が簡素になっていくとか。

December 6, 2012

ライヒ「ドラミング」おかわり

ライヒ:ドラミング●復習ってわけでもないんだけど、たまたま目についたのでNonsuchに録音したスティーヴ・ライヒ「ドラミング」を。part2以降を再生してみて、昨晩のコリン・カリー・グループとの隔たりを改めて実感。これはすごく精緻にできていて(録音だし)、おかげでむしろ静的な印象。やさしくて繊細な音楽。パート2でマリンバにボーカルを重ねるところも音色もとてもよく調和している。パート3の口笛も。ライブじゃこうはいかない。コリン・カリー・グループから伝わってきたのは、もっと熱気にあふれていて、汗の飛び散るような音楽。「ライブ」って言葉がふさわしい。PAの設定ひとつでずいぶん違って聞こえるだろうとは思うけど。
●ところで、part2からpart3への移行部でグロッケンシュピールがだんだん「近づいてくる」のを聴くと、ワーグナー「ラインの黄金」を連想しないすかね。おー、ニーベルハイム来たかー、的な。リズミカルにマレットを振る姿が、やがて採掘労働に勤しむ侏儒たちに見えてくる。
●告知を。USENさんの番組「B68 ライヴ・スペシャル ~CLASSIC~」、今月はワタシのナビゲートで佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団のライブ音源をご紹介。上旬と下旬と一プログラムずつ、USENなので各回毎日リピート放送中。

December 5, 2012

コリン・カリー・グループのライヒ「ドラミング」

●4日は東京オペラシティでコリン・カリー・グループのライヒ「ドラミング」へ。前半に「クラッピング・ミュージック」(ライヒ御大登場)、「ナゴヤ・マリンバ」「マレット楽器、声とオルガンのための音楽」、後半に「ドラミング」の名曲プロ。PAあり。客層が猛烈に若い。クラシック系のお客さんが何割か、現代音楽系のお客さんが何割かいて、あとは別ジャンルの方々という感じ(テクノ/エレクトロニカ系?)。いろんなジャンルの聴衆がいっしょになって、同じアーティストを聴いて盛り上がれる機会って貴重かも。
●すごいんすよ、若者たちのライヒ翁に対するリスペクトが。休憩中にライヒの席にサインを求める長蛇の列ができてた。鋭敏な好奇心が起動してるので舞台への集中度も高くて、みんなでじっと固唾を呑んで聴く雰囲気。その点ではクラヲタと同じ。
●「ドラミング」はライブならではのおもしろさで、生身の人間が叩いてる感があるとこんなにスリリングな音楽になるのだと実感。シンプルなリズムが重なりながら万華鏡のように光景が変容していく。マシーンみたいに完璧だと退屈になるのかも。どこかで大チョンボで崩壊する可能性が担保されていないとつまらないというか。パート2でマリンバの音型に対して、楽器の響きを模倣したボーカルが声を重ねて徐々にフェイドイン&アウトする……んだけど、ぜんぜん声でマリンバの模倣なんてできないよ!とか思えるも楽しい。パート3のグロッケンシュピールに口笛?+ピッコロはよく溶けあうんだけど。
●「ドラミング」が終わって客席からライヒがステージ上に呼ばれると場内総立ち、大歓声に。「ブラボー」じゃなくて、「ヒョー!」とか「イェーイ!」な異文化的掛け声が渦巻く。満足そうに微笑むライヒ翁。立ち上がって熱狂的な拍手を送る若者たち。この構図はどこかで見たような……朝比奈隆? ライヒ=朝比奈説というのを考えてみたが、「一般参賀」という流儀がこの聴衆にないのが惜しい。
●本日5日も公演あり(→詳細)。

December 3, 2012

ハーディング&新日本フィル浦和遠征→デュトワ&N響「子供と魔法」

●いよいよ決着がついたJリーグの話はまた後日にすることにして、12月1日はオケ2公演ハシゴ作戦。まず埼玉会館でハーディング&新日本フィル。このホールも初めてなら浦和駅で下車したのも初めてのような気がするが(埼スタは浦和美園だし)、浦和というだけでアウェイ感を感じる。マリノス者としては実はレッズは嫌いな相手ではないのではないのだが。
ストラヴィンスキー●曲はチャイコフスキーの交響曲第4番とストラヴィンスキーの「春の祭典」。ステーキ食べてウナギ食うみたいなデラックス・プロで、なんで?とも思うが、一応ロシア・プロではあるのか。デッドなホール音響もあって、陶酔的なロマンや激情に駆られるドラマ性に依拠しない、でも生気にあふれたチャイ4は、その先のストラヴィンスキーを見すえるモダン風味。冒頭金管セクションの咆哮や、第3楽章中間部の素っ頓狂テイストな木管の主題が「春の祭典」を予告しているかのように錯覚させられる。で、「春の祭典」はハーディングならではのカッコよさ、斬新さ。「春のロンド」でコントラファゴットの低音を執拗にブリブリ強奏させたり、第2部序奏の弱音器つきトランペットがありえないくらい超弱音だったり、アイディアが豊富。全体の大きな流れも緊迫感が途切れずスリリングだった。
●響きがデッドなのは拍手してても感じる。音の「返り」がない気がしてつい普段より強く叩いちゃう(笑。でも本当)。ただそれが悪いかというと必ずしもそうでもなくて、普段聞こえないものもはっきり聞こえるのは吉。慣れというか脳内補正が強力に働くので、どれくらいが「ちょうどいい」んだかさっぱりわからない。
ラヴェル●夜はNHKホールでデュトワ&N響のストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」とラヴェル「子供と魔法」の短いオペラ演奏会形式二本立て。歌手がかなり重なるとはいえ、なんてぜいたくなのか。夜鳴きうぐいすのアンナ・クリスティがチャーミング。デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソンの雄ネコ&大時計が芸達者すぎて可笑しい。合唱は二期会合唱団。秀逸。作品のインパクトは「夜鳴きうぐいす」より断然「子供と魔法」。台本も音楽もすばらしくよくできている。
●「子供と魔法」って、本来コレットの台本レベルではまるっきり親から子を見た話なんすよね。物語の発端からして、ソファーとか椅子とか大時計とかティーポットとか、口を利きだした無生物たちは、みんな子供に辟易してて、悪意を持っている。子供の愛しさだけじゃなくて、憎たらしさ(愛情に基づくものであるにしても)が原動力になってる。ああ、懲らしめてやりたい。そしていい子になってほしい。で、最後には「ママ」って泣きついてほしい(事実このオペラは「ママ」の一言で終わる)。でも生涯独身を通したラヴェルは、子の視点で曲を書いてる。いたずら坊主のイノセントな世界に共感を寄せ、音楽には少年時代と母性へのノスタルジーが詩情豊かに息づいている。こんな音楽を書けるのはラヴェルしかいないし、「笑えるんだけど泣ける」のは奔放な恋愛遍歴を持つコレットが台本を書いてこそか。子供を描くオペラとして完璧だと思う。

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