●27日はデュトワ指揮ロイヤル・フィルへ。前半にメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」序曲、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ユジャ・ワン)、後半にドビュッシーの「海」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。最初のメンデルスゾーンからして描写的で、これが景勝地に触発された音楽であることを思い出させる。後半のフランス音楽では精彩に富んだオーケストラの美しい響きを堪能。オケに対して何の先入観も持たずに聴いたんだけど、こんなにいいオケだとは。スーパー・プレーヤー集団という趣ではまったくないんだけど、全体から生み出される響きは艶やか。特に弦の澄明度が高い。
●ユジャ・ワンは今回も鮮やかな赤のタイトなミニワンピ、ピンヒールで登場。足を交差させてコクンと折れ曲がる独特のお辞儀スタイル。「せっかくユジャ・ワン呼ぶのにショパンだなんて……」と思っていたんだけど、始まってみるとユジャ・ワンにしか弾けない、コントラストの強い、鋭敏でクールなショパン。これなら納得。
●会場にいたティーンエイジャーの女の子たちが「ユジャ、ヤバい」とか口にしていて(もちろん強い称賛の意味の「ヤバい」)、ドキッとする。そういえば、若い女の子たちが憧れるスター・ピアニストっていう存在がありうるのだった/ありうるべきなのだった。いつだって断崖絶壁を背に立ってるみたいな尖がったキャラは猛烈にカッコいい。自然な伸びやかさとは無縁で、どんなに鮮やかに弾き切ったとしても「本当はもっと弾けるのでは?」と思わせるような宿命的な英才を背負っているかのよう。つまり、真に「アイドル」ってことなんだけど。
News: 2013年6月アーカイブ
デュトワ&ロイヤル・フィル、ユジャ・ワン
マリインスキー・バレエ「白鳥の湖」ライブ・ビューイング
●23日はシネマサンシャイン池袋でマリインスキー・バレエ「白鳥の湖」ライブ・ビューイングへ。指揮はゲルギエフ、主演はエカテリーナ・コンダウーロワ、振付はプティパ/イワノフ。これ、本来はマリインスキー劇場から生中継で、しかも3D上映をするという企画だったんすね。公演日は6月6日。日本ではディレイ中継(という言葉が使われている)で、なおかつ2D上映。METライブビューイングでもそうだけど、時差の都合もあって日本では生中継というわけにはなかなかいかない。
●上映が始まると、劇場内にゲルギエフと主演ダンサーたちが並んで立っている。ゲルギエフがマイクを持って英語でメッセージを述べる。さらにタレントさんと思しき女性司会者も登場し、幕間にはダンサーやゲルギエフらのインタビューが入るという方式(ほぼみんな英語でしゃべる)。この種の企画はみんな先発のMETライブビューイングのスタイルを踏襲しているわけなんだけど、なんというか、これがロシアっぽいというか、手作り感満載。METライブビューイングがいかにプロの演出家によって手際よくコントロールされているか、ルネ・フレミングやデボラ・ヴォイトの司会がいかに訓練されているかがよくわかる。でもマリインスキー・ライブの垢抜けない感じもそれはそれで味わいがあって、あまり洗練されすぎててもがっかりしたと思う。
●バレエについては門外漢なのだが、中身のほうもしっかり楽しんだ。オーソドックスな「白鳥の湖」で、ダンサーたちのアスリート的能力の高さから高水準の舞台であろうことを察する。カーテンコールに至るまで、あらゆる所作が美しい。しかしジークフリートは白鳥と黒鳥の区別がつかないんすかね。黒鳥のそばで、見るからに悪魔っぽい邪悪なオジサンが躍っているというのに……。まさに恋は盲目!(違う)。最後はハッピーエンドで終わった模様。各国生中継されているとあってか、オーケストラも気迫のこもった演奏を聴かせてくれた。
●今回の企画は全国どの映画館でも同じ日時に1回だけ上映されたみたい。つまりその日の都合がつかない場合は別の日時や別の劇場で見るという選択肢がない。不便なような気もするけど、本来「ライブ」はその日その時の一回限りのものだから、映画館でも仮想的な臨場感を楽しもうということなんだろうか。
今週末はマリインスキー・バレエ「白鳥の湖」ライブ・ビューイング
●オペラに限らず歌舞伎や演劇、コンサートなど「舞台の中継を映画館で観る」という企画がどんどん広がっているようで、6月23日(日)に全国各地の映画館でマリインスキー・バレエの「白鳥の湖」が上映される。プティパ/イワノフの古典的な振付で、主演はエカテリーナ・コンダウーロワ。指揮がゲルギエフでもあるし、どんな雰囲気のものか、客層含めて興味があるので観にいくつもり。マリインスキー第二劇場の新オープンを記念して、6月6日に行われたばかりの公演。
●配給はライブ・ビューイング・ジャパンという会社。上映コンテンツ一覧を眺めてみると、Perfume WORLD TOUR 2nd イギリス公演とか、GACKT LIVE TOUR 2013 など、ポピュラー系のライブとコンサートが中心で、ほかに舞台やミュージカルなどが並んでいる。大まかに言えば、CDやDVDなど作りこんだパッケージメディアの時代から、ライブとライブ配信の時代へと向かう流れの一環なのかなあと思ってみたり。
ボロメーオ・ストリング・クァルテットのベートーヴェン・シリーズ最終日
●週末を振り返って、15日はボロメーオ・ストリング・クァルテットのベートーヴェン・シリーズ最終日へ(サントリーホール ブルーローズ)。弦楽四重奏曲第15番イ短調、第14番嬰ハ短調、第13番変ロ長調「大フーガ付」 という休憩2回を挟む長丁場。一曲目から第15番とは、なんというプログラム。でもこの3曲ならこの並びになるか、最後は「大フーガ」で締めたいとするなら。第14番は圧巻。先日この曲を題材にした映画「25年目の弦楽四重奏」を紹介したけど、あの映画のなかの第14番はなんと重苦しかったことか。明快さ、ユーモアを感じとる。しかし最後はすさまじい集中力でクライマックスが築かれ、もうこの第14番までで帰宅したとしてもぜんぜん満足できたと思う。2回目の休憩後、ラストの第13番+「大フーガ」。まるでマラソンの最後の100メートルを11秒で駆け抜けるみたいな、シリーズ最終日ならではの余力を残さない渾身のベートーヴェン。「大フーガ」がお別れの音楽に聞こえてくる。
●5日間のうち3日行っただけでもこれなんだから、全部通ってたらどれだけ強烈な体験になったんだろう。22時終演。この「祭り」感はやはりベートーヴェン、特に後期作品あってこそか。
●最初は物珍しく感じた譜面台のMacBookだけど、3日目にはもうその存在すら忘れている。あっという間すね、風景になじむのは。
下野&N響「惑星」、ラザレフ&日フィル「シェエラザード」
●この週末はオケの公演が盛りだくさん。いつもそうだけど、いつにも増して。
●8日は下野竜也指揮N響(NHKホール)。バッハ~エルガーの「幻想曲とフーガ」、シューマンのピアノ協奏曲(ネルソン・ゲルナー)、ホルストの組曲「惑星」。ゲルナーのピアノがNHKホールの巨大空間をまったく気にも留めないかのように繊細で控えめな表現を聴かせてくれたのが印象的。オケも音量をぐっと抑えて、シンフォニックな味わいはなくなる代わりに室内楽的なひそやかさが醸し出されて、好感度大。剛腕ピアニストでもほとんどこの空間には打ち勝てないんだから、だったらこのアプローチはありか。後半の「惑星」は逆に音圧三割増しくらいのマッチョなホルスト。咆哮するブラスセクション。
●9日はラザレフ指揮日フィルのサンデーコンサート(東京芸術劇場)。ボロディン~グラズノフの「イーゴリ公」序曲(先月のフェドセーエフ&N響に続いてまたも)、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」(伊藤恵)、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」というエキゾティック・プロ。「エジプト風」が真にエジプト的だとしたらスマソなんだけど、キッチュでクールな異国趣味として楽しむ、「アラビアン・ナイト」と地続きの架空の土地のごとく。すなわち、中央アジアの草原で遊牧民どもを蹴散らしたイーゴリ公は、アフリカに向かい、ナイル川でヌビア人の愛の歌を聴き、そこから船に乗ってアラビア半島に向かう。船乗りはシンドバッドだ。イーゴリ公はカレンダー王子として波乱万丈の冒険の旅を続ける……。「シェエラザード」は極彩色の幻想譚というよりは、赤褐色のスケールで陰影豊かに描かれた、砂漠の熱風を思わす骨太の物語。
チェンバーミュージック・ガーデン2013でボロメーオ・ストリング・クァルテット
●サントリーホールのブルーローズ(小ホール)で開催中の「チェンバーミュージック・ガーデン2013」。今年はボロメーオ・ストリング・クァルテットのベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲シリーズが聴きもので、6日の第2夜へ。弦楽四重奏曲第10番「ハープ」、第11番「セリオーソ」、第12番。チラシに「4ギガ分の、ベートーヴェン」とキャッチがあるように、全員譜面台にMacBookを乗せてスコアを見ながら演奏するというスタイル。いやー、これはなかなか壮観。譜めくり用にUSB(たぶん)にフットスイッチをつないでいて、足でめくる。
●どの曲もすばらしかったけど、特に後半の第12番を満喫。息が詰まるような峻厳なベートーヴェンというよりは、多彩な表情を見せながらも明快でしなやか、陽性、高機能。コンピューターが並ぶ絵面ほどギークな雰囲気はなくて、むしろ開放的。続く公演もますます楽しみになってきた。4人の並びはvn.1, va, vc, vn.2。
●4台のMacBookはおそろいではなくて、モニタサイズはまちまち。第2ヴァイオリンの若者がいちばん小さくて、モバイルとして普段使いしててもおかしくない感じ。休憩中もマシンは開いたまま舞台に出しっぱなし。タブレットPCじゃなくてノートブックってところがカッコいいと思う。
新国立劇場でヴェルディ「ナブッコ」、グラハム・ヴィック演出
●4日、新国立劇場でヴェルディ「ナブッコ」。グラハム・ヴィック演出。今シーズンはこれが最大の見物かなと期待していたんだけど、最終日だったこともあり事前にSNS経由で演出がどんなものになるかある程度伝わっていた。しかも意外とウケていないような……。劇場に入るとすでに幕は開いていて、舞台がショッピングモールに置き換えられている。ブランドショップみたいなのが並んでいるので、典型的にはこれは「デパートの1階」じゃないかな。エスカレーターもあるし(が、中身は階段で、みんな自分の足で昇ったり降りたりしていたのが少し可笑しい)。
●オペラを過去の古典芸能としてではなく「今の私たちの物語」とするために、読み替え演出は歓迎すべきというか、必須なものだとは思う。「ナブッコ」自体、初演時に聴衆が熱狂したのは、みんなが紀元前のバビロニアとエルサレムの物語に共感したからじゃなくて、それを自分たちイタリアの物語と受けとるだけのコンテクストが共有されていたからのはず。で、じゃあ「デパートの1階」ってのはどういう対立軸があるって読み替えなの?
●演出家のプロダクション・ノートを読んでもぜんぜんピンと来ない。ここではナブッコは武装したギャングなんすよ。つまり、デパートのブランドショップでお買いものをするお金に少々余裕のある人々vs武装したギャングっていう対立。これにどうして説得力を感じないのかなーと考えてみたんだけど、この両者って対立する階級というよりはむしろ構成員を共有しかねないのが今のニッポンじゃないかなって気がする。社会の対立軸はたしかにいろんなところにあって、たとえばブランドショップのお客vs安売り店のお客とか、裕福な老人vs仕事のない若者とか、正規雇用vs非正規雇用とか、いろんな切り口が可能なんだろうけど、デパートのお客vs武装ギャングっていうのはどうかなあ。お店とギャングならまだしも。
●なので、アビガイッレは武装ギャングのボスである父ナブッコと奴隷女の間に生まれた子供として己の出自に苦悩するわけなんだけど、出自を引け目に感じるとしたらそれはギャングの側じゃなくて、デパートの客の側じゃね?とか、「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」を歌うデパートのお客さんたちは、いったいなにを想ってどこに行きたがってるの?とか、肝心なところの読み替えが整合性を欠いているように見える。
●これ新国のための演出だから言っちゃうと、ヴィックの書いていることを読むと、彼は「物欲にまみれ、所有欲を露わにする現代人」に批判的な目を向けているみたいなんだけど、これが今の日本にはピントがずれてる感じ。日本人はむしろ物欲を失ってて、一方で金銭欲にまみれているんじゃないのかな。みんな物を買わない(買ってくれない)。物の価値は下がってて、一方でお金の価値が上がっている。つまり「デフレ」だ。問題の設定が逆なのでは。
●と、文句言いつつも、それでもなにも問題意識のない演出よりはずっといい。音楽面では充実していたし。マリアンネ・コルネッティのアビガイッレは迫力十分。樋口達哉のイズマエーレがすばらしい。美声で声量もあって、容貌も映える。指揮はカリニャーニ、オケは東フィル。澄明な響きによる、精彩に富んだヴェルディ。合唱はいつものようにため息の出る美しさ。
映画「25年目の弦楽四重奏」
●映画「25年目の弦楽四重奏」の試写を拝見。監督・脚本はヤーロン・ジルバーマン。原題は A Late Quartet で、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調をモチーフとして、25年目を迎えた世界的な弦楽四重奏団に訪れた危機を描く。な、なんという(われわれクラシック音楽ファン以外にとって)一般性を欠いたテーマなのかとのけぞるが、物語のテーマは普遍的で、しかも俳優陣は豪華。脚本のクォリティも高く、見ごたえあり。
●弦楽四重奏団「フーガ」を演じるのは、第1ヴァイオリンがマーク・イヴァニール、第2ヴァイオリンがフィリップ・シーモア・ホフマン、ヴィオラがキャサリン・キーナー、チェロがクリストファー・ウォーケン。さすがにみんな演奏は演技であり、ツッコミを入れたくなる場面もあるけど、そのあたりは些末なこと。物語はチェリストがパーキンソン病を宣告され、今季限りの引退を決意するところから動き出す。その一つの事件がきっかけとなって、これまで絶妙のバランスで調和がとれていた4人の関係が壊れはじめる。
●きっかけは病であるけど、その後はエゴの噴出で、第2ヴァイオリンがエマーソン弦楽四重奏団みたいに(とは言わないけど)、第1と第2を曲によって交代してみよう(=オレにも第1を弾かせろ)と言いだしたり、第2ヴァイオリンとヴィオラ(この二人は夫婦)の間に亀裂が入って娘まで巻き込んだ家庭内のゴタゴタがあったりと、実に味わい深いエピソードが続く。ある意味、主役は第2ヴァイオリン。
●これから上映なのであまりネタを割らないようにしなければいけないんだけど、苦いテイストの秀逸なエピソードがいくつもあった。第2ヴァイオリンとジョギング仲間のダンサーのエピソードとか、夫婦が娘のためのヴァイオリンのオークションに参加する場面とか。第1ヴァイオリンの強いんだか弱いんだかわからない人物像もいい。むしろ25年間の調和が絵空事であって、これが現実の人生だろうっていう生々しい手触りがある。
●なお、実際に演奏を担当しているのはブレンターノ弦楽四重奏団。チェロのニナ・リーが本名のチェリスト役で出てくる。7月6日(土)より角川シネマ有楽町他、全国ロードショー。