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Useless: 2006年1月アーカイブ

January 10, 2006

粘着オヤジ@スーパーエクスプレス

●正月に郷里から帰京する際、ワタシは特急列車と新幹線を乗り継いで、計4時間ほどの旅をする。在来線から新幹線への乗り換えの間隔はほんの10分ほどしかないのだが、接続がうまく行かなかったことはない。が、今年はさすがに違った。正月としては異例の大雪で、途中の除雪がうまくいかなかったのか、在来線が急遽ルートを変更することになった。大雪の区間を迂回して、別の新幹線の駅へと向かう。1時間以上、余計に電車に乗ることになるが、まあその日の内に東京に着かないわけでもないんだから、慌てることはない。大雪だもん、それくらいしょうがない……が。
●一人、ワタシの座席のすぐ近くで、どうしても納得いかないオヤジがいたのである。通りがかった車掌さんをつかまえて、苦情をまくし立てはじめた。「行き先が変わるんなら、なぜ乗るときに行き先表示を変えないのだ。それに接続先の新幹線はどうなる。指定席をとってるのに、これじゃあ予約した電車に乗れないでしょ。これ、今ここで新しい指定席予約できるの? えっ、できないの。それじゃあ困るよ、あなただって旅行するときにこんなんじゃ不愉快だよね。JRのシステムはこういうことに対応できていないのか、そもそもね、国鉄が分社して東とか西とかになったから……」。この苦情が続く続く。5分経っても10分経っても苦情を言い続ける。
●見たところ50代半ば、スーツを召した一見立派そうな粘着オヤジは、JRの大雪対応の甘さに始まり、国鉄の分社化は誤りと主張し、さらに日本人の危機管理能力の低さにまで言及して大風呂敷を広げた。酔ってるようには見えない。ワタシも周囲の人々もそわそわし始めた。迷惑なのである。このオヤジは指定席をとった接続先の新幹線に乗れないことが許せないらしく、代替席に必ず座れるのかどうかと車掌を詰問する。車掌はおそらく大丈夫だと思うが絶対とはいえないと答える。粘着オヤジ、畳み掛ける。わずかでも自分は譲歩できず、JRには完璧な対応をする義務があるという態度。
●しかしどうせ大雪でダイヤはグチャグチャなんである。どこに着こうが、そこには本来の予約客を乗せられなかったガラガラの新幹線がいるわけで、臨機応変、そのときに到着した乗客が適当に空席に座ればいいんである。あとはJRでどうとでもするだろう(事実、問題なく空席に座れた)。仮に最悪それがムリだったとしても、大雪のような非常事態であれば、JR側だけじゃなく乗客だって少しくらいは不利益を分担して受け入れたってしょうがないじゃないか。と、このオッサン以外は納得してたと思うのだが、粘着攻撃は止んでくれない。まるで他の乗客の代弁者として、私が正義を振りかざす役目を請け負ってやったのだという態度でネチネチネチネチと車掌を責める。
●ワタシは大勢乗っている若者の誰かがブチ切れるんじゃないかと心配になった。「オヤジ、しつけーぞ、もう黙れ!」とか。が、みんな耐えた。JR西日本の車掌さんはひたすら低姿勢であった。偉い、偉すぎる。同じ苦情を30回くらいループして、ワタシがその場の空気に耐え切れず「走行中の特急列車から逃げ出すにはどうしたらいいか」を考えはじめた頃、ついに粘着オヤジの攻撃は終わった。しばらくして、終着駅に着いた。ワタシの目の前を、そのオヤジが出口へ向かって悠然と歩いている。この頃ワタシは堪え性がない。なにか一言いってやりたい。でも、まあ、ろくなことにならんだろう。ぐっと堪えた。しかし空想上のワタシは後ろから粘着オヤジの肩をグワシッとつかんでいた。なんだとばかりに振り向いたオヤジに対して、ワタシは冷徹にこう言い放つのである。「あんた、ひょっとしてクラヲタだろ?」

January 6, 2006

厄払いでGO!

●正月に帰省し、今年は大厄だというので実家の近所の神社で厄払いをしてきた。クソガキの頃に遊びまわっていた神社に何十年ぶりかで出向く。両親にいわれるがまま、連れられてきたのだが、恐るべし伝統文化の断絶、ワタシは厄払いといってもなにをするのかが全然わかっていない。これが東京でするというのであれば、ワタシは事前にググるなり厄払いドットコムへ行くなりして、徹底した予習をするわけであるが、故郷に帰るとそのようなネットワーク上にプールされた知識にアクセスしようなどとは思わないもので、ただ親任せになってしまう。父母は地元のだれもが知る常識に従うかのように、奉納するお酒と紅白の大鏡餅を用意し持参したのだが、そういう知識はどこから共有されているんだろうか。ワタシは玉串の持ち方ひとつ知らず、どこで玉串料を渡すものかもわからずオロオロし、そもそも数え年ってものをわかっておらず、神様を前にして2礼2拍1礼するというのを何度聞いても覚えられない。放っておくと文化はちっとも伝承されない。が、御祓いをしてもらうとなぜか嬉しく、気分はちょっぴりスピリチュアル。神主さんは太鼓を叩いた。ストラヴィンスキーの「春の祭典」を想起させるような、原始の大地を感じさせるワイルドな独特のリズムだった。
●神主さんは言う。「厄年の厄というのは、厄介者の厄ではなく、本来は役である。すなわち厄年の者は普段よりも気をつけて神様の世話をしなさい。ふと思いついたときに神棚の水を取り替えるとか、そういった小さなことでも結構です」。厄払いの後、厄除けの神符をいただいた。お札は神棚に祭るのだろうが、東京の賃貸マンションにそのようなありがたいものは設置されていない。代替案としてワタシはウチでいちばん立派な収納具である3段スライド式CD棚にお札を飾っておくことにした。
●帰り際、神主さんは2月の節分祭にもいらしてくださいとプロモーションを忘れない。先代の神主さんは実に威厳のある立派な風貌をされていたものの、営業活動には熱心ではなく、正月でも夕方5時を過ぎれば門を閉ざすような方だったが、今度の神主さんは大変才覚があるという話。正月の夜間営業はもちろんのこと、左義長なども規模拡大されて書き初めはより力強く炎に舞い、節分祭では地元の芸妓など呼んで踊らせ、自ら豆を勇壮に撒き、人が集まり、となればローカルTV局も絵に描いたような節分行事を撮るために取材に訪れ、そしてますます人が集まるという好循環で地元での神社プレゼンスを急上昇させている。ダイレクトな集金活動より、イベントとプロモーションを重視する方法論はきわめて現代的であり、事実、街のあちこちで4色刷りの節分祭のポスターを見かけるのだ。
●もちろん神主さんがビジネスに長けていたからといって、そのありがたみは少しも減じることはない。一通りの儀式を終え、ワタシは安堵し、呆けた頭で「腹減ったなー、昼メシはなんだろなあ」とマックス世俗的な気分に浸っていると、バリアフリーではない神社に罠のように仕掛けられた段差に足をとられ、危うく厄払い直後に転倒してケガというワタシも神主さんも面目丸つぶれの事態に陥りそうになった。が、ワタシは転ばなかった。バランスを失っても転ばない。つまり、これ厄払いのおかげであり、ここに神様の庇護をワタシは強く感じたんである、ビバ厄払い。

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