●クワッチュ、クワッチュ、クワッチュ! 混雑度75%くらいの地下鉄東西線で、その男はガムを噛んでいた、リズミカルにしかし力強く、インテンポで、口蓋内で反復される咀嚼と圧搾のシンフォニーを車内に轟かせていた。クワッチュ、クワッチュ、クワッチュ! これほどまでに雄渾なガムの噛み方をワタシは見たことがない、いまにもシトラス系の香りが漂ってきそうだ、ガムベースから滲み出るジューシーな果汁ゼロパーセントの糖液が仮想的にワタシの口に中にも再現される。クワッチュ、クワッチュ、クワッチュ! ガム男の耳には青いイヤフォンが刺さっていた、耳の中に差し込むインナー型、そうか、その溌剌と運動する咬筋はまさに彼の外耳道で繰り広げられる音のドラマと同期しているのであろう、ではそれはいったいどのような音楽なのか、楽曲に内在する不屈の精神が勇ましく顎関節を運動させるのか、あるいは優美なロマンスが口腔で甘く冷涼なキシリトールとなって再現されているのか、そう思ったら。クワッチュ、クワッチュ、クワッチュ! 男はカバンからCD-Rをはみ出させていた、盤面に青い手書き文字が見えた。クワッチュ! ガムミュージック、それはおそらく己の音楽。クワッチュ!音楽を作り、噛む、クワッチュ! 車内のだれもがガム男の音楽に聴き入っていた。