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zombie: 2009年4月アーカイブ

April 28, 2009

ゾンビと私 その5 「イントゥ・ザ・ワイルド」

●CNNとかABCとかのニュース映像で「メキシコから豚インフルエンザが発生し……」と報道されてて、猛烈な既視感。これはまるでゾンビ映画の導入部ではないか。映画ではたいがい事件は最初は小さく発表され、既知の病の新型のように伝えられ、そのうち未知の脅威に格上げされ、しまいには想像を絶した全人類的パニックになる。「人混みを避けましょう」「なるべく外出はしないように」「非常事態宣言が発令されました」……。だが、いくらゾンビ映画が予言的な物語であっても、現実に新型インフルエンザが猛威をふるうのはまっぴらごめんなのであって、事態が沈静化することを願う。
「荒野へ」●アラスカの荒野で死体となって発見された青年について取材したジョン・クラカワー著のノンフィクション「荒野へ」。この本の最初の刊行は1997年で、当時これを読んでもワタシはいまいちピンと来なかったのだが、最近、ショーン・ペンが「イントゥ・ザ・ワイルド」として映画化してくれた。これは圧倒的にすばらしい(ゾンビは一切出てきません。実話だし)。裕福な家庭に育った22歳の青年が、ハーバードのロースクールへの進学も決まていたにもかかわらず、2年間の放浪の旅に出かける。親にも黙って出発し、お金もカードも捨てて、アラスカを目指す。現代社会の欺瞞にはもううんざり、オレは大自然と一体になるぜ! 知性にも体力にも恵まれた青年は、アレクサンダー大王にちなみ自らをアレックス・スーパートランプ(超放浪者)と名乗り、人のいないアラスカの広大な大地で、独りで生活を始める……。で、どうなるか。もちろん死ぬ。
「イントゥ・ザ・ワイルド」●彼の死体は山中に打ち捨てられた廃バスのなかで発見された。餓死である。これはいろいろな解釈が可能な事件ではあるが、狩のスキルをはじめとして自給自足するための知恵や技術を何も身につけずに、人間の居住地を離れてしまえば、人は死ぬのである、いかに勇気ある若者でも。青年は死と直面して悟ったことを手帳に記す。たとえば「幸福は他人と分かち合うことで実体化する」といったように。アレックス・スーパートランプなどというふざけた名前を捨て、孤独の中で本名を再び名乗る。つまり、理想に燃えた若者は大人になる。が、同時に彼は文明社会へと帰る道を見失い、このまさに命がけの跳躍に失敗し、死を迎える。では彼は単なる愚か者なのか? いや、誰がそんなことを言い切れるものか……。
●原作になく、映画にあるのは圧倒的な映像美。アラスカの大地の雄大さに言葉を失う。自然は恐ろしいから美しいのだ。電気も水道もない、誰一人居住していない土地というものが、どんなに神々しく峻烈であることか。そして、閃いた。そうだ! ここだっ! ここなら、町にウィルスが蔓延してみんながゾンビ化しても助かるかもしれないっっ!(←ここ本題)
●そう、たとえ自分以外の全人類がゾンビになっても、人っ子ひとりいない土地なら、そのままゾンビっ子ひとりいない土地になるだけであって、感染する心配は無用である。アレックスは孤独のうちに死んでしまったが、もし生き延びるとしたら何が必要だったのか。狩なのか、農耕なのか、孤独に耐える強靭な魂なのか、仲間なのか。クルマとガソリンなのか、小型自家発電装置とパソコンなのか。もはやゾンビ化することを避けられそうもない社会に生きる者にとって、このアレックスの失踪事件はきわめて示唆的である。果たして人は荒野で生きてゆけるのだろうか?

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不定期連載「ゾンビと私」

April 22, 2009

ゾンビと私 その4 「ショーン・オブ・ザ・デッド」

●最近、続けて演奏会で怖い場面に遭遇したんすよ。どちらもかなり年配の方なんだけど、大声で他のお客さんに怒鳴っている。ある人は、ロビーの本来なら腰掛けるべき場所に荷物を置いた若者に対して、「そこは荷物を置く場所ではない!」と激昂していた。ある人は、他のお客の座席の足元にカバンか何かが置いてあったのに足を取られたのか、「荷物はクロークに預けろ!」と怒鳴りつけていた。怖い。相手に小さな非があるとここぞとばかりに怒りを爆発させ、大声を発しながら襲いかかる。ワタシは気づいた、あ、これはレイジ・ウィルスだ。ワタシも感染すると憤怒のみに衝き動かされるにちがいない。
●ホントはゾンビ映画を見たいわけじゃないんすよ。そうじゃなくて、このゾンビ化せずには済みそうもない社会の中で、どうやって生き抜けばいいのか、それを考えるためのゾンビ映画。ぜんぜんダメかもしれないけど、もしかしたら予習が有効かもしれない。隣人がゾンビになったらどうするのか。街がゾンビであふれたらどうするのか。「砂漠に行けば助かるかもしれない。ただしガソリンスタンドの場所は事前に要チェック」とか先に知っておくと、少しは安心かもしれないし。いや、クルマ持ってないけど。あと、「窓のそばに立ってると死亡フラグが立つ」とか、知っておいたほうが知らないよりはマシなんじゃないか。
ショーン・オブ・ザ・デッド●基本的に登場人物が全滅しがちなゾンビ映画の中で、唯一、明るい結末が待っているのはどれだろうと考えると、やはりこれしかない。「ショーン・オブ・ザ・デッド」(エドガー・ライト監督)。「ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン!」の人と同じ監督&役者なんだけど、こんなに可笑しいゾンビ映画はない。だって、これ、大人になりきれないダメ男がゾンビとの戦いを通して、真の大人の男になるという物語なんすよ。
●で、はっと気づいた。ゾンビと戦うためには何が必要か。「お前ら、全員ぶったぎる」とか言ってチェーンソーとか振り回すと、即座に死亡フラグが立って、そのチェーンソーが自分に向かってくることはこれまでのゾンビ映画の傾向から明らか。言うじゃないですか、「怪物と対決するものは自ら怪物になる」って。それが字義通りの意味で適用されてしまう。これは方法論としてまちがっているのだ。それに対して、「ショーン・オブ・ザ・デッド」が教えてくれるのは「大人になれ」ということ。これは生易しい戦いではない。だが怪物にならないために、演奏会に出かける前に鑑賞しておくべきゾンビ映画というと、今のところこれしか思いつかない。
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不定期連載「ゾンビと私」

April 14, 2009

ゾンビと私 その3 「バイオハザード」

●読者の方よりお便りをいただきました。「拝啓、iio様。先日貴サイトにて『ゾンビと私』の記事を読み、さっそく「ドーン・オブ・ザ・デッド」のDVDを鑑賞することにいたしました。ですが、どうしてもゾンビの恐ろしさに耐えられず最後まで見ることができません。「28週後……」も借りてみたのですが、やはり気分が悪くなってしまい、目を開けていられませんでした。一緒に見ていて主人もこんな気味の悪い映画を見るなと申しております。わが家でも楽しく鑑賞できるゾンビ映画はないのでしょうか?」
「バイオハザード トリロジーBOX」Blu-ray●ありますっ! そう、ワタシも同感なのです。ゾンビは好きだけど、ゾンビ映画は怖いから見てられない。近年次々ゾンビ映画が製作されてるけど、到底見る気になれない。でも、そんな臆病なゾンビ・ファンにも安心してオススメできるのが、こちらの「バイオハザード三部作」。もともとカプコンのゲームソフトを原案としてできた映画なので、ユルさという点ではゾンビ映画界でも抜群(たぶん)。そして意外にも三部作になってるほど、人気が高い。
●もちろん本質的にゾンビなので、人がどんどん襲われるゾンビ大盛り映画なんだけど、他のシリアス路線と違うのはあくまでホラー・アクションなので、「もう人類どうしたらいいの!」的な絶望に襲われずに済む。普通、「絶望」を基調とするゾンビ映画に「ご都合主義」は不要なんだけど、このシリーズではそれが立派に生きているのが救い。
●あと、目を見張るべきは、「バイオハザードIII」の舞台。まるで「マッドマックス2」みたいに、砂漠の中で生き残った人類たちが殺伐とした共同体を作りながら暮らしている。これは実に示唆的なのであって、いくら人類の大半がゾンビ化したところで、ゾンビそのものは増殖しない。つまり、人類が密集して暮らしていない場所は、ゾンビ化した世界でもやはり人口(いやゾンビ口か)が少ないままだから、都市部よりは生き残れるチャンスがずっと大きい。ラスヴェガスなんて街を少し出れば荒涼たる砂漠が広がっているんだろう、そんな砂漠ではゾンビが群れを成すほど大勢棲息している可能性はかなり低い。
●今後、ワタシたちの世界がゾンビ化した場合のことを考えると、これは重要なヒントになる。ただ、砂漠のように人口密度が極端に低い場所というのは、人間にとって生存の容易な場所ではない。自力で移動は困難なため、クルマなりバイクが必要になる。となれば、欠かせないのはガソリン。都市が放棄された終末的世界ではいかにガソリンを確保するかが己の生存確率を大きく左右することになる以上、「バイオハザードIII」が「マッドマックス2」に似てくるのは必然だ。1981年の「マッドマックス2」において世界を荒廃させたのが核戦争であったのに対し、2000年代の「バイオハザード」では「T-ウイルス」の感染拡大が原因であった。Tはtyrant(暴君)のT。「28日後……」&「28週後……」における「レイジ(憤怒)ウィルス」もそうだが、現代において世界を破滅させるのは人間の感情の暴発なのだ。

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不定期連載「ゾンビと私」

April 8, 2009

ゾンビと私 その2 「ドーン・オブ・ザ・デッド」

●最近、海外のネットラジオを聴いてるとやたらと受難曲だのオラトリオだのにぶつかるなあと思ったら、もうすぐ復活祭じゃないっすか。えーと、今年は4月12日か。復活するかなあ、死者が……ウジャウジャと。ってわけで、本日もゾンビについて語りたい。
「ドーン・オブ・ザ・デッド」●ゾンビ映画における21世紀の新しいスタンダードはどれかと問われたら、迷わず挙げたいのがこの「ドーン・オブ・ザ・デッド」(ザック・スナイダー監督)だ。なんて偉そうに言ってみたくて言ってみたが、ホントはそんなことをいう資格はワタシにはないのだ、なぜならばこの「ドーン・オブ・ザ・デッド」、ジョージ・A・ロメロの歴史的傑作「ゾンビ」のリメイクとして作られたというのだが、ワタシはその肝心のオリジナルのほうを見ていない。ていうか、見はじめたんだけど、怖くて見てられなくて序盤で脱落したんすよ、ホント気持ち悪いし。そんな根性なしがどうしてこの「ドーン・オブ・ザ・デッド」を最後のエンディングまで見れたのか、今にして思うと謎すぎるのだが、この新「ゾンビ」のほうも相当に怖い。怖いといってもホラー的な、あるいはスプラッター的な恐怖ではない。とにかく「感じが悪い」。見てるとどんどんイヤ~な気分になる傑作なのだ。ここに予告編があるから見たい方はどうぞ。この映像はそんなに怖くないので比較的安心、たぶん。
●で、このゾンビも「28週後……」と同じく、走るんすよ。全力疾走するゾンビ。「疾走する悲しみ」といえば、これほど悲しい状況はないだろってくらい。で、これはオリジナルの設定を引き継いでいるようなんだけど、みんなでショッピングモールに立てこもるんすよ。何でもモノがそろってるから立てこもるにはいい場所でもあり、また人間のエゴとエゴが醜くぶつかり合う場所として消費社会のシンボルであるショッピングモールほどふさわしいところもない。とことん絶望的な状況である一方で、全般にかなりブラックなユーモアが散りばめられており、どんよりした気分で歪んだ笑いで引き攣りながら鑑賞するには最適な映画である。オリジナルとは別物と批判されることも多いようだが、この過剰なバッドテイストはゾンビ映画の王道なんじゃないだろうか。
●暗闇で出会って怖いものといったら、そりゃ幽霊も怖いし、野生動物とかも怖いし、虫とかも怖い、場合によっちゃ鳥も怖い、でもいちばん怖いのは人間だよね、すなわちゾンビ。
●DVDについているオマケ映像「番組の途中ですが緊急特別番組をお送りします」(ニコ動なので要登録でスマソ)がまたエグい。ホント、ヤになるね、ひどいね、ゾンビは。でもまだまだ不定期に続きます、「ゾンビと私」。

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不定期連載「ゾンビと私」

April 6, 2009

ゾンビと私 その1 「28週後……」

「28週後……」●どうしてこんなにもゾンビにひきつけられるだろうか、そしてなぜゾンビはこんなにも恐ろしいのだろうか。ゾンビ、見たい、すごく見たい。でも怖い、すごく怖い。ワタシは怖い映画が苦手なのだ。昨夜、意を決してWOWOWで録画しておいた「28週後……」(ファン・カルロス・フレナディージョ監督/ダニー・ボイル製作総指揮)を見はじめた。いきなりゾンビ映画ならではの「イヤ~な感じ」が満載で、20分ほど見たらもう怖くて見てられなくなった。「怖さ」が「怖いもの見たさ」を超えてしまいギブアップ。もう忘れよう、前作の「28日後……」も怖かったが、この続編「28週後……」はそれを超えるバッド・テイスト。この映画はもう見ない。
●翌日、太陽が天高くまで昇ると、昨夜「見ない」と決めたばかりの「28週後……」の続きがどうしても気になった。今なら明るいからきっと大丈夫。ふたたび再生すると、そこには予想通りの、いや予想以上のイヤ~な展開が繰り広げられる。
●舞台は前作と同じくロンドン。ダニー・ボイル監督の前作「28日後……」では、霊長類を凶暴化させるレイジ・ウィルスが猛威をふるって、イギリスから人が死に絶えるという話だった。これは「ゾンビ」とは名乗ってないんだけど、ルール的にはゾンビと同様。レイジ・ウィルスの感染者はあっという間に凶暴化して、人間を襲ったり食ったりする。襲われた人間はすぐに感染して、自分もゾンビ化する。血液とか唾液でも感染するけど空気感染はしない。感染者は知性も言語も失う。これは最近のゾンビ映画の潮流みたいなんだけど、こいつら、走るんすよ。全力で疾走するゾンビ。これが怖い。太陽と緑に輝く美しい田園地帯を、人間が死に物狂いで走って逃げ、それを血まみれになったゾンビの集団が大またで走りながら追いかける。怖すぎる。もうイヤです、かんべんしてください……。
●で、前作でロンドンはゾンビの街になるんだけど、爆発的なゾンビ人口の増大によって食糧難になり、ゾンビは餓死したという設定で、28週後、アメリカ軍の管理のもとでロンドン復興がはじまっている。もちろん、復興するどころか、またウィルスが大暴れするわけだ。人としての正しい行為、勇気、愛、自己犠牲、そういうものが一切報われない容赦のない悪夢的世界が描かれる。怖いだけじゃなくて、嫌なもの、醜いものをたくさん見せつけられる。前作同様、物語を支配するのは「絶望」だ。
●「ゾンビ」ではなく「レイジ・ウィルス」っていうふうに名づけたところが秀逸。「憤怒ウィルス」ってことだろうけど、まさにこれに感染したとしか思えないように突然怒り出す人って、今の世の中たくさん見かけるじゃないっすか。突然キレる。で、たしかにこれは猛烈な感染性があって、誰かがキレると、他の人もキレる。電車の中とか、恐ろしいことにコンサート会場とかでも見かけるんだな……。なにかささやかな不快がきっかけとなって、「レイジ・ウィルス」に感染しちゃう。これは大都市が憤怒のパンデミックにより滅ぶという予言的な物語なんすよね。感染者も怖いし、自分が感染したらと思うともっと怖い。
●これ、さらなる続編として「28ヵ月後」ってのが作られるんだろうなあ、あの結末の場面からすると。あそこだけは少し笑った。辟易しつつも。

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不定期連載「ゾンビと私」

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