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zombie: 2010年10月アーカイブ

October 12, 2010

ゾンビと私 その18 御岳山ハイキング

●長かった夏が終わり、ようやく秋晴れの一日が。御岳山にハイキングに行って来た。
御岳山からの眺望
●ふー。いい眺めだこと。あっ、すいません、実はケーブルカー使って、一気に登っちゃいました。
●なぜ山へ行くのか。この不定期終末連載「ゾンビと私」をご愛読いただいている皆様には今さら説明するまでもないことであるが、念のため簡単に説明するとこういうことだ。地上がゾンビであふれかえるZdayに備え、私たちは人口過疎な場所を避難所として見つけ出す必要がある。東京のような高密度地域はあっという間に感染は広がる。感染者がお隣にガブッ、お隣がそのお隣にガブッ。都市秒殺。しかし山なら人口密度が薄い上に、ゾンビは理由もなく山を登攀しないであろう。という仮説に基づき、この数年間にわたり毎秋、東京近郊低山をリサーチしているわけだ。
御岳山の記念写真はこちらへ●はい、チーズ。パシャッ。うーん、御岳山は昭和の香りに満ちてるなあ……ていうか、ここ、山頂が超賑わってる! 地方都市の繁華街より賑わってるんじゃないかというくらい人多すぎ、みやげ物屋だらけ。しまった……。近年足を運んでいる奥武蔵方面の怖いくらいの寂しさに比べ、御岳山はなんと繁盛しているのであろうか。これ、場所がメジャーすぎてゾンビ・ハイキングの選択肢として失敗してないか!?

御岳山で神に祈ろう!
●山頂には関東有数の霊場、武蔵御嶽神社がある。そう、来るZdayにできることといったら、ここで神に祈るしか……しかしこんなに人が多いんじゃここに来るまでに自分もゾンビになってるぞ!
●ちなみに、この山にはコジャレた雰囲気の女子がいっぱいいました。山ガールだ。彼女たちもZが来たらみんな山ゾン……いやいや、ステキですねー、山ガール。

御岳山にも鎖場が
●おっとこんなとこに鎖が! この大岩を登れるようになっているようだ。なるほど、これは対ゾンビ的には優れた地形かもしれない。ゾンビは鎖を登らないだろう。しかし、登ってどうする? 下にウジャウジャとゾンビ・ハイカーたちが待ち構える中で、大岩の上で袋小路に入るだけかもしれない。いずれにせよ、鎖で登るような怖そうなところに近寄るつもりはないのでスルーして先へ。

御岳山ロックガーデン
●そしてやってきたのが、ロックガーデンだ! なんという爽快さ。苔むす岩をぬって流れる清流のせせらぎに耳を傾けていると、あまりの心地よさになにもかも忘れてしまいそうになる、この地上にゾンビ禍が訪れようとしていることまで……。

御岳山でキノコ狩り♪
●帰路はケーブルカーには乗らず、大塚山、丹三郎尾根、古里駅ルートを歩いた。写真は途中で見かけた2種のキノコである。左は白くて大ぶりで食欲をそそる。右は鮮やかな赤が魅惑的である。山へ逃げた場合、食糧の確保は重要な問題になる。したがって、どのような場所に何が生息しているかという植生を観察しておくことは大切である、mgmg、うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、とりわけ容易に採集できるキノコ類なんてサイコーだろ、うひょひょひょひょ、くっくっくっくっくっ、ふひゃひゃひゃひゃ……。

御岳山登山口
●はっ。下山したのだった。古里駅に通じる登山口には上記のような注意書きがある。獣害対策用に金網の開き戸があり、最上部には電流が流れている。これはいざというときには有効であろうか? いや、ヤツらを留めるにはあまりにも脆弱な金網であり、電流など猿相手ならともかく連中にはいかなる痛痒も与えないであろう。ヤツらは痛みを感じない。恐怖も感じない。ただひたすら「喰いたい」という本能のみを持つのである。今回確認した範囲では、御岳山の安全度は他の低山に比べかなり劣ると断定せざるを得ない。むしろここは純然たるハイキングに最適な山である。今後、さらなる調査に邁進したい。

October 5, 2010

ゾンビと私 その17 「ワールド・ウォー・ゼット」(マックス・ブルックス著)

ワールド・ウォー・ゼット●ゾンビたちが跋扈する現代日本にあって必読の書ともいえる小説が刊行された。World War Z、もちろんZはゾンビのZ。「ワールド・ウォー・ゼット」(マックス・ブルックス著/文藝春秋)。「ふーん、ゾンビ小説ねえ、でも文字で読んだってゾンビの怖さなんて伝わらないんじゃないの?」と訝しむあなた。違うんですよ、これは。スティーヴン・キングがその並外れた筆力によって「呪われた街」でドラキュラという古典的すぎる題材に新たな生命を与えた、というタイプの話ではない。「ワールド・ウォー・ゼット」では小説的完成度なんてものは脇に置かれて、現実としてのゾンビに立ち向かっている。すなわち、まさにゾンビがこの地球上を覆うというときにわれわれはどうすればいいのかという切実な問題意識から生み出された小説といえる。この点で、本作はあらゆるゾンビ映画にもゾンビ小説とも一線を画している。
●「ワールド・ウォー・ゼット」は、世界Z大戦後にまとめられた報告書という体裁を採る。ゾンビ大戦を終えた後、さまざまな生き残った証言者たちにインタヴューするという形だ。そう、人類はゾンビに打ち勝ったのだ。当初、地球規模でパニックが広がり、地上の多くがゾンビで埋め尽くされることになるが、人類はそこから反転攻勢に出て、ふたたび文明を取り戻した……という大きなストーリーが前提にある。アメリカで、ロシアで、中国で、日本で、なにが起きたのか。これはまさにゾンビ禍に対する予習だ。たとえば日本は国土が狭く、人口が多い。そのためいったん感染が広がり始めると止めようがない。しかもゾンビ大戦以前の社会の安全性が高かったため市民の武装度が低く、ゾンビと戦うこともできず、結局は国土を見捨てて難民として海外に脱出せざるを得なくなったという。これでは第二の「日本沈没」ではないか。小松左京の先見性をこんなところで思い知らされようとは。
●著者のマックス・ブルックスは映画監督メル・ブルックスの息子なんだそうであるが、実はこのブログでは彼の著作をすでに一度ご紹介している。The Zombie Survival Guide: Complete Protection from the Living Dead (未訳)がそうだ。つまり、彼はまず「ゾンビから生き残るためにどうしたらいいか」というガイドブックを、あらゆるシチュエーションを考慮して書き、続いてその成果を小説という形態に発展させたのだ。本書が実践的なサバイバル小説として、実用可能な水準に達しているのはそのためだ。ワタシたちは証言者の記録に耳を傾け、考えなければいけない。その日、どこを目指すのか。山か、森か、海か、都市か、あるいは北なのか。

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