「影のない女」試論
文=野口方子(ドイツ文学)
text by Yasuko NOGUCHI

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 フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの作品『影のない女』に、リヒャルト・シュトラウスとの共同作業の所産であるオペラ台本と、物語との二つの版があるのは周知のことである。前者は1915年(1919年初演)に、後者は1919年に完成された。言うまでもなくこの頃のオーストリアは、ハプスブルク帝国滅亡の影に脅えながらも最後の輝きを見せていた時期である。

 このような時期にホーフマンスタールが書いたこの『影のない女』には、さまざまな典拠がある。カルロ・ゴッツィの『トゥーランドット』『鴉』ならびに(リヒャルト・ヴァーグナーも彼のオペラ《妖精》の題材にしたという)『蛇女』や、『影のない女』の素地とも言える『石の心』のもとになったヴィルヘルム・ハウフ、またニコラウス・レーナウのバラード『アンナ』、そしてゲーテの詩『秘儀』(これは物語版の最後の一文にはっきりと影響が認められる)、さらにこの他にも民話や伝承など枚挙に遑がない。さらに、ホーフマンスタールがシュトラウスに宛てた1911年3月20日付けの手紙(註1)に見られるように、この作品がモーツァルトのオペラ『魔笛』を意識して描かれ、当初はヴィーン民衆劇の定型通り皇帝−皇后のペアに対してコメディア・デラルテのペアが対置される予定であったこともよく知られている(註2)。

 こうして見てみると、ホーフマンスタールは得意の換骨奪胎の技(註3)を駆使して、一つのより高次な調和的世界を創出しようとしていた観がある。クラウディオ・マグリスによれば、ホーフマンスタールはカトリックの特別な要素、すなわちバロック的で反宗教改革的なカトリック主義の影響を受けて形づくられたオーストリア的文化に属しており、後年彼はこのカトリック主義の中に一つの全キリスト教的共同体、つまりヨーロッパ的普遍主義とでも言うべきものを見ていたという(註4)。このことからしても、また彼が『道と出逢い』『イェーダーマン』『ザルツブルク大世界劇場』等の作者であるということからしても、この『影のない女』の登場人物たちがさまざまな試練を経て真の愛を獲得してゆくその過程のなかに、キリスト教的な考え方の反映を見たとしてもあながち的外れとは言えまい。そこで本稿では、民間伝承やメルヒェンの要素が勝っていると見えるこの作品の、キリスト教的な影響と思われる部分にも光を当ててみたい。

 この作品の主人公である皇后が、夫である皇帝を呪いから救うために人間界へ降りて行く。そしてこの妖精王の娘が真の愛に目覚め、遂には影を獲得しそして皇帝の呪いも解かれる。その間の試練と浄化が作品の主題であるわけだが(註5)、この『影のない女』は先にも述べたようにさまざまな素地を持ち、まことに含蓄に富んだ描写からなっており、そのため如何ような解釈も許されるように思われるだが、ホーフマンスタールが伝えたかったことは何かと考えるとやはり愛、それもメルヒェン仕立ての作風のなかに散見されるキリスト教的要素として捉えうる愛による人間性の獲得、ということに収斂されるのではないか。

 以下はこの考えに立脚した一つの試論である。


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 ホーフマンスタールは自ら書いたこの作品のあらすじのなかで「バラクとその妻、皇帝と皇后の四人は皆、浄められなければならない。一方はあまりに世俗にまみれており、もう一方はあまりに誇り高く世とかけ離れている」(註6)と言っている。浄められるためには試練を受けなければならない(そしてその試練を与えるのは神である)。「真の愛による人間性の獲得」と言うと何かまるで穢れのない行為であるかのようにも思われかねないが、人間とは決して全能ではなく、独りで生きて行くことはできない。自然界の弱肉強食の摂理に従い、時には殺生しなければならないこともあるだろう。そのような、きれいごとだけでは済まされない影の部分をも容認し、また自分の弱さを認識し他人の痛みを自らのものとして感じられるようになって初めて、自己を確立したと言うことができる。この自己の確立なくして他者と共に手を取り合って生きて行くことなどできようはずもない。四人の登場人物は、それぞれの置かれた立場と状況に見合った試練の道を歩まなければならない。だが、試練を受けなければならない不完全な存在だからこそ、神の祝福を受ける資格があるわけでもある(註7)。

 さて、ホーフマンスタールを論じる際に重要な概念となるのが「前存在 Praeexistenz」だが、これはひとことで言うと「外界とは隔絶し人生とも繋がりを持たぬ、完成した」(註8)状態である。人里離れた南東の島すなわち「外界と隔絶し」た状況で暮らし、狩人とかもしかとしての最初の出逢いを繰り返そうとするかのような、いわば unter uns の生活を続ける皇帝と皇后はこの状態にあると言える。かもしかの姿をした皇后を獲物として捕らえるのを助けたのが皇帝の赤い鷹であったが、この鷹は、物語版で後に明かされるように皇帝自身の未来の子供たちの一人である(註9)。未生の子の一人、すなわち神の領域に属する存在である鷹が皇帝に皇后を与えたということは、これが神の寓話的象徴カイコバート(註10)の意向であることを物語っている。カイコバートが娘に与えていた護符には持ち主に変幻自在の能力を与える力が備わっていたが、このいわば自然のなかに溶け込むことのできる能力を持つということは(人間の生としての人生にではなく)自然と無意識に繋がっている、すなわち「前存在」状態にいることの証しに他ならない。この「前存在」を経て本来の存在に至らせることがカイコバートの意図であり、これこそが試練である。無意識の状態から自己を確立し自意識を持った状態に至る過程には、流されるだけでなく自分で選び取らなければならない分岐点もあろうことを考えると、皇后が皇帝のものになった時に護符が喪われたことの意味が見えてくる。先の鷹によって再び皇后の手に戻ってきた護符は、いまや彼女に試練を告知するものとなった。もはや無意識な「前存在」に留まることは許されない。そのことを皇后に知らしめるために神の無条件の恩寵の証であった護符が喪われなければならなかったのだ。

 影を得るために皇后は下界へ降りて行こうと決意する("Ich will den Schatten!")ものの、まだこの時点では具体的な方策がわからず乳母に頼らざるをえない。妖精界に執着する乳母は影をかすめ取る相手として染物師バラクの妻を選ぶ。そしてこのバラクの家が皇后の試練の場となり、バラク夫妻との関わりを通して「前存在」から本来の存在への「相互変容」に繋がる場となる。


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 人間界へ降り立った皇后はまず人間の醜悪さに竦んでしまうが、驢馬の優しい眼に心を和ませ、皮を剥がれて吊り下げられた仔羊が優しい眼差しで自分を見つめているのに気付く。異稿では、皇后はこの場面で仔羊と自分を重ね、夫のために自分は喜んで血を流しているのだと感じている(註11)。皮を剥がれた仔羊で思い起こされるのが神に捧げる生贄であり、神の仔羊である。皇后には喜んで生贄になる心構えができているのだ。そんな彼女を見つめる仔羊の背後にカイコバートの暖かい眼差しを見るのは行き過ぎであろうか。

 そして皇后はバラクに出遭う。このバラクが後の浄化に重要な役割を果たすことになるのだが、バラクとは旧約聖書の師士記に出てくる人物の名であり、特定の名を持たない登場人物が殆どを占めるこの作品にあって、カイコバートと並んで名を有する稀有な存在である。そして、先に皇后が眼にした仔羊を担ぐ者であり(註12)、仔羊を屠って血に染まった肉屋の服を漂白し、また花や虫や鳥の羽からとった染料の中から撚糸を取り出し空気に晒して「汚い黄緑色」を「輝くような青」に変える(註13)者である。穢れを落とし自然から最も美しい色を取り出すことを生業とするバラクは、皇后の心の結び目を解く者として神から指名された存在なのだ。そのバラクの下で、皇后は仕事を手伝い人間の営みの尊さを徐々に学んでゆく。R.シュトラウスが、日曜学校で歌われる"Gott ist die Liebe"という歌からまさに「神は愛なり」という歌詞に該る部分の旋律を採ってバラクのライトモチーフにしたのも(註14)、上で述べたことを受け聴衆にバラクの神性を伝えようとしたものと思われる。

 これに対しバラクの妻はまるで頑是無い子供のように描かれている。乳母に唆されて永遠の美と引き換えに影を手放す、つまり来るべき子供を葬り去ることに同意する、欲に目の眩んだ人物ように描かれているが、初めからそうであったわけではない。オペラ第一幕第二場で彼女がバラクに「二年間もの間、私を身籠らせることができなかったから母親になるのを諦めざるを得なかった」と訴えていることを忘れてはならない。その背後では彼女の苦悩のモチーフが鳴り、未生の子らのモチーフが弱音器付きの弦楽器によって変形されひっそりと奏でられている(註15)。更に、乳母の焼く魚から未生の子らの叫びを聞き取るのは物語版では皇后だが、オペラではバラクの妻なのである。したがって、物語の始まった時点では、彼女は(生来の子供っぽい性格も手伝って)人間の暗い影の部分に一時的に接していただけと考えられ、だからこそ皇后は彼女のこの醜い部分からも人間らしさを学び共感を覚えることができるようになったのだと言えよう。後にバラクの妻から離れた彼女の影が皇后に究極の選択を迫り黄金の水を差し出す(物語版)のは、影というものがバラクの妻に典型的に現れている人間の暗い部分をも包含していることのあらわれである。母となって後世に生命を引き継ぐためには清濁併せ呑む勇気も必要であることを知らなければならず、それを知って初めて、誘惑に打ち克ち人間としての道を選び取ることが可能になる。シュトラウスが皇后よりも、このように人間の弱さを曝け出してしまっているバラクの妻に魅力的な音楽を与えようとした(のでホーフマンスタールに忠告されたのだが 註16)のももっともなことではあったのだ。皇后がこのように試練の道を歩み始めた頃、皇帝は件の鷹に導かれ山の内奥へと入り、未生の子らに逢うことになる。


3

 皇帝が鷹に導かれて入ったのがカイコバートの勢力圏であり、やがて未生の子らに逢うことになる洞窟に辿り着いたことには少なからず天の意志が感じられる。皇帝は洞窟に入る際、「何事か呟いて手で水に触れ」る(註17)。この動作からカトリック教会の入口にある聖水を想起できようし、洞窟が滝で覆われている、つまり聖なる水で隔てられていることはそこが教会にも等しい神聖な場所であることの暗示だとも理解できる。また山の内奥、大地の内奥は女神ガイアの古より女性のイメージを持ち子宮の象徴でもあるから(註18)、ここに未生の子がいるというのも頷ける。更に、オペラではここに該当する場面(第二幕第四場)が皇后の夢のなかで繰り広げられることをも考え併せると、この洞窟は皇后の胎内、延いては皇后の内面の象徴であるとも言えよう(註19)。洞窟の中すなわち皇后の内で皇帝が石になるということは、二人が運命のなかで別ち難く結ばれているということを強く思わせる(註20)。

 洞窟の中で皇帝はそれとは知らず自身の未生の子らに逢う。しかし未生の子らの意味深長で含蓄に富んだ言葉が理解できず、自己を高める問いに到りかけながらも「前存在」的未熟さ短慮さから、その問いをじっくり考えることなく差し出された黄金造りの壷に入った飲み物を「思わず unwillkuerlich 」飲んでしまい、石と化してしまう。この一連のエピソードは皇帝と皇后の間に子供が授からなかった理由を暴露している。皇帝がいくら情熱を持って皇后の中へ分け入っても、内面の真の理解、時として非常な痛みを伴いかねないほどの理解と愛がないために未生の子らを生じさせることができない。皇帝が洞窟の階段を降りるときに聞こえる「これがどんな実を結ぶのか、ぼくたちは生まれないのに」(註21)という未生の子らの歌声はこのことを意味している。そしてこの場、二人の子となるべき未生の子らの前で、皇后が皇帝と同席できない(註22)のは、二人が真の愛の結実たる子をこの世に生じさせ得る関係をまだ結べていないことの表れである。この時点では未だ「前存在」状態に留まっている皇帝の方に、よりその罪の重さを求めることができよう。だからこそ未生の子らは「お后さまは来たがっておいでです!でも、そうできずにおられるのです!」(註23)と訴えるのだ。人間は独りでは生きられないものである以上、皇后一人の力では愛を結実させることはできない。バラクたちの下で懸命に模索する皇后と共に、皇帝も努めなければならない。皇帝がかつて、未生の子らをこの世に生じさせる唯一の可能性である皇后を捕らえさせた鷹(註9参照)を剣で傷つけたことは、自らの子を否定したということになる。皇帝がその鷹に導かれて洞窟に入り未生の子らに逢ったのは、子の否定という、石の呪いを実現させる最大の直接要因となる罪深い行為の償いをする最後のチャンスでもあった。しかし、慈悲を乞う未生の乙女の言葉に腹をたて、皇帝はこの場で再び剣を投げようとする。過去・現在・未来が共存する場で永遠に等しい一瞬(註24)を棒に振り、神が与えた自己確立のためのチャンスを台無しにしてしまった罰として、彼はここで擬似死とでも言うべき石化を経なければならない。「剣を取る者は剣で滅びる」という聖書の言葉が実現されたわけである(註25)。


4

 皇后はバラクの仕事を手伝ううちに彼に対して心を開くようになり、バラクの妻から影を奪うことに罪を感じ始めているが、バラクには悪いと思いながらも、まだ皇帝のために何としてでも影を手に入れたいと考えている。皇后の浄化とはこのように、罪の意識が芽生えさえすれば達せられるというほど単純ではない。罪の意識を抱きつつも自分の夫のためには(延いては自分のためには)犯行に及ぶのもやむを得ないという、黯い想いが皇后の内に潜んでいる。我が身に降りかかったこのような想いを克服するのは口で言うほど容易なことではない。他者と自己の双方に対して誠実であろうとすればするほど、また内面の声を真摯に捉えようとすればするほど苦悩は深まり、律法に適うような「正しい」行動には出られないことも多いものである(註26)。このような想いを抱くようになった皇后は、徐々に人間らしさを持つようになってきたとも言えよう(註27)。

 一方、バラクの妻は乳母の甘言に惑わされ、影を売る儀式として魚を火に投げ入れてしまう。この魚はとりもなおさず未生の子らの象徴である。妻が影を売り、子供を永遠に葬り去ってしまったと知ったバラクは、怒りに我を忘れて妻を手にかけようとする。オペラではこの時、天から剣が降りバラクの手に収まる。ホーフマンスタール自身の梗概によれば、「未生の子らが父に持たせた」(註28)のだが、バラクが剣を振り上げた瞬間、剣は彼の手から離れる。この時オーケストラが審判のテーマを響かせ、カイコバートのモチーフと影のモチーフを奏する。処刑はバラクの役割ではないのだ(註29)。処刑がバラクの役割ではないことをカイコバートのモチーフが語っているということはすなわち、処刑は人間がなすことではなく、神の意志ということになる(註30)。そしてこの神の意志は、バラクの妻自らが罪を贖うようにと、彼女を漁師夫妻のもとへ行かせる。誰も投げ入れていないものを水中から取り上げるこの漁師は、まったく不漁だったにも拘らずイエスの言葉そのままに今一度網を投じて大量の魚を引き上げたシモン・ペテロを彷彿とさせる人物でもある(註31)。この無からすなどる漁師の下で、自分の未生の子である魚を打ち捨ててしまったバラクの妻は再びそれをすなどらねばならないのだ。彼女は無意識のままにバラクのことを「師士 mein Richter 」と呼び、自分を殺そうとしていたバラクに「私をあんたの好きなようにしておくれ」と言う(註32)。自分の犯した罪の重さに気付きバラクへの愛を再認識した彼女は、夫のためならば死をも辞さないと考える心の持ち主になったのだ。そしてこの後、既に怒りが解け妻への愛を取り戻したバラクに手を差し伸べると、再び彼女は影を投ずるようになる。「友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」という聖句(註33)の成就である。

 皇后の浄化はどうだろうか。彼女はかの山の内奥で、石と化した皇帝を前に究極の選択を迫られる(2章参照)が、バラクに対して罪を負っていることを告白し(物語版)、「私は――飲みません! Ich ―― will ―― nicht!」と黄金の水を拒否する(オペラ)。皇后は友バラクのために、自分が生贄となって血を流してでも救いたかった、自分の命よりも大切な皇帝を犠牲にし、また自らの死をも覚悟したのである。そして「友のために命を捨てる」決意をした皇后はまさに「これよりも大きな愛はない」ほどの愛に満ちており、そのことで死という瞬間から生という永遠を得た。つまり、母となり子へと、そして更にその子らへと自分の血を永遠に伝えることのできる身になったのだ。神の掟が守られたいま、皇帝の石の縛めは解かれる。そして、皇后は誰のものでもない、彼女自身の影を得る。先の聖句の祝福は皇后たちにももたらされたのだ。

 皇帝−皇后、バラクとその妻の二組のペアは、初めは上下の世界に分かれていたが、皇后が試練から浄化に至る一連の動きの原動力であり、最下層で暮らしていたバラクが神に指名された者であることが顕れ、また皇后と自分の妻の愛を目覚めさせたことを考えれば、ホーフマンスタールの言う通りに四者が四者ともに浄化されたと言えよう。そしてこの真の人間性の獲得のなかにキリスト教的な意味での愛をも見ることができるのである。


5

 さて、最後にホーフマンスタールとシュトラウスの共同作業の意義について少し私見を述べておきたいと思う。冒頭に書いたように、この『影のない女』にはオペラと物語の二つの形態がある。リブレット完成よりも後に物語版が上梓されたために、物語版を執筆したのはシュトラウスの音楽に失望したホーフマンスタールの補償行為であった、という誤解を招きかねないが、ホーフマンスタールが物語版を志向したのは別の考えあってのことだった。というのも、シュトラウスに宛てた1913年12月3日の手紙に既に"erzaehlende Version"(註34)の記述が見られ、また同年同月19日のホーフマンスタールの手紙には、この物語版によって話の素材、登場人物とその連鎖が聴衆の心に深く根づくようにとの配慮が窺えるのである。(註35

 1913年当時のホーフマンスタールは、オペラに重要なのは筋の次に言葉と音の釣り合いであり、作曲家がこの均衡を損なうことは許されず、音楽にできるのはせいぜい人物の性格付けの弱さを補うことくらいだ、と考えていたのだが、(註36)これはオペラにではなく音楽を効果音として扱う演劇にのみ有効な考え方なのではないか。ここに著名な音楽美学者ダールハウスの興味深い指摘がある。

「オペラにおいて、戯曲的な要素はテクストを通して表されるという先入観、すなわちオペラというものは、それがテクストに多くの権利を譲り渡せば渡すほど劇的になるという先入観ほど妄想的なものはない。というのは、オペラにおいて、その戯曲的あるいは演劇的意味と呼び得るものは、テクストからのみ読み取られるのではない。そうではなくて音楽・台詞・舞台の情景・身振りの競合があって初めて定まるものだからである。この競合とは弁証法か或いは相互作用にもなり得るものであり、そこではテクストはしばしば取るに足らない役割しか果たしていないのである。演劇とデクラマツィオーンを混同することは、戯曲論Dramaturgieにおける初歩的な誤りである。オペラにおいて言葉より決定的なのは、そこから言葉が生じるような、視覚的で感得できるような舞台状況なのである」(註37

 これは無論、ホーフマンスタールとシュトラウスの共同作業を特に指して言っているものではない。だが、これを『影のない女』にあてはめてみることも可能と思われる。つまり、オペラとは(言葉と音の均衡が重要だとは言いながらも)ホーフマンスタールが考えていたように、音楽がリブレット(=言葉)の欠落部分を補うものなのではなく言葉と音楽と舞台が一緒になって初めて、一個の作品として見るに値するものなのである。そしてこのことを精確に察知していたのは、やはり舞台人たるシュトラウスであったのだ(註38)。こうして考えてみると、確かにリブレットの部分でしか具体的には関与することができない(しかも作曲のほうが後から行われるという作業手順は、やむを得ないとはいえ詩人には不利と感じられただろう)という限りにおいてはホーフマンスタールは不満を持っていたであろうが、リブレットはある意味で所詮リブレットに過ぎないのであり、オペラ『影のない女』は作曲家シュトラウスがいて初めて一個の作品としての存在が可能になるのだということは明白である。つまり、リブレットは音楽と共に語られて初めて物語版と対等になると見做すのが妥当であろうし、逆に言えば、だからこそホーフマンスタールにとっては、リブレットばかりでなく自分だけの手になる物語の形で発表することに意義があったのだと言うこともできよう。

 ホーフマンスタールの純然たる文学形態の物語版とオペラとでは表出形態が異なるのは明らかなことであるし、また音楽という相方がいれば百パーセント自分の意見を押し通すのが不可能なのも当然のことなのであってそのことが文学にとって不幸なことと考えるのは些か早計であろう。また、ホーフマンスタールもシュトラウスの音楽によって作品に別の魅力が備わることを理解していたのでなければ、あれほど辛抱強くまたあれほど大量の往復書簡を交わしてまで共同作業をしたとは考えられない(註39)。ホーフマンスタールとシュトラウスの『影のない女』は、文学と音楽の表現の可能性を追求した作品のひとつとなっているのである。(98/01/12)


著者プロフィール

武蔵大学および同大学院人文科学研究科ドイツ語ドイツ文学専攻修士課程を経て、現在慶應義塾大学大学院文学研究科独文学専攻博士課程に在籍中。ピアノを海藤美和、岡田みどり氏に、ヴィオラを李善銘、中山良夫氏に師事。卒業論文のテーマは『ナクソス島のアリアドネ』。
また、『和風の魔圏−南ドイツ新聞《影のない女》評−』( Richard Strauss 93 日本リヒャルト・シュトラウス協会年誌 所収)の翻訳(共訳)のほか、現在 Kurt Wilhelm の "Richard Strauss persoenlich"(第三文明社より刊行予定)の翻訳(共訳)作業中。

(この論文は1997年3月発行の『慶應義塾大学独文学研究室研究年報』第14号に掲載されたものです)



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