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◎新国立劇場『ばらの騎士』上演批評


文=野口方子(ドイツ文学)
text by Yasuko NOGUCHI

禁無断転載。引用の際は出典と著作者を明示してください。 
 

 新国立劇場で上演された『ばらの騎士』を観た(6月15日・17日)。
 まず特筆すべきは、四人の主役を歌った歌手たちの素晴らしさだろう。作品中、一貫して重要な役割を担う元帥夫人(マルシャリン)を歌ったカミッラ・ニールントは、声も美しく、また毅然とした態度を保った品格は、まさにマルシャリンを体現するものであった。オックス役のペーター・ローゼは、田舎貴族の朴訥さからくる野卑な部分の表現とともに、貴族階級に連なる人間という役の属性を見事に歌い演じていた。欲望に単純であるあまりどこか憎めず、あのワルツごとくチャーミングな面をも持つオックス。しかしながら、あくまで貴族であるという事実。とかくなおざりにされがちであるが、非常に重要なこのオックスという役柄のもつ二重性を忘れてはならない。オクタヴィアン役のエレナ・ツィトコーワは、まだまだ未熟で直情径行な青年将校を、また、ゾフィー役のオフェリア・サラも、善良で一途なブルジョワの令嬢をよく表現していた。そしてこの若いペアとなる二人の声が、非常に美しく響きあっていたのも印象的であった。
 ジョナサン・ミラーの演出では、舞台の時代を、第一次世界大戦直前の1912年に設定している。これは、ホーフマンスタールが設定したものよりも150年以上後の時代になるわけだが、ミラー独自の作品の「読み」と洞察により、首尾一貫した、説得力のある解釈となっていた。プログラム冊子に載っているミラー自身のプロダクション・ノートによると、このような時代設定にした理由は、「このオペラの創り手の2人と、劇中の登場人物たちが、どちらも、迫り来る『時代の大変動』を薄々感じている人々であるから」とある。これは大変に貴重な指摘で、シュトラウスのオペラを「興行としての社会史的受容」という面から見ようとする場合には、特に見落としてはならない(にもかかわらず、大抵の場合、まるで理解されていない)点である。
 このオペラの主題が「時の移ろい」であることは言うまでもなく、それは、先に公開した前稿「あまりに美しい音楽」でも扱ったように、マルシャリンを取り巻く時間の移ろいが直接の素材である。それと同時に今回の舞台では、作者ホーフマンスタールとシュトラウスの置かれた当時の状況、そしてこのオペラを当時聴いていた聴衆の置かれた時代の移ろいであることをも、強烈に想い起こさずにはいられなかった。これこそ、この演出の最大の功績ではなかろうか。
 このような視点から、いま一度リブレットを読み直してみると、そのあちらこちらに、表面的な意味だけではない、時代背景をも埋め込んだ言葉が見られることに、今さらながら驚かされる。第三幕で、オックスと逢引きをするマリアンデル(=オクタヴィアン)が、「あまりにきれいな曲で、泣けてくる」「時が過ぎれば、風に吹き消されるように、あたしたち二人も消えちまう。人間なんだから、それはどうしようもない」と歌う場面は、もちろん『死すべき存在である人間』のことを言っているのであるが、現時点から歴史を遡って見れば、軍靴の行進や砲弾の炸裂が聞こえてくるかのようであるし、同じく第三幕の終盤では、マルシャリンがオックスに「ものごとには終わりがある」と説得する場面にも、間近に迫ったハプスブルク帝国の崩壊(1918年)への危惧と諦念が仄見える。「紳士たるもの、何も考えずにおくのよ(マルシャリン)」という台詞にも同様のものが感じられ、 “帝国崩壊の危険に関しては敢えて考えたくない”ホーフマンスタール自身の儚い望みすら感じ取れるのである。あの有名な第三幕の三重唱でのマルシャリンの歌い出し、「相応しいやり方で愛そうと思っていた……でも、こんなにも早く償いを課されるときが来るなんて!」という言葉も、オーストリア・ハンガリー帝国の瓦解をおぼろげながらも予期していたホーフマンスタールの気持ちが表れている。
 そして、マルシャリンとファーニナルが退場したあとの、オクタヴィアンとゾフィーの二重唱は、極論するならば、非の打ち所のない完璧なまでに美しい「おとぎ話」である。具体的な戦争を予測はできなかったまでも、第一次世界大戦直前の混乱の世相に生きていた当時の人々は、劇場の中で「夢のよう」な美しいメルヒェンの世界に浸りたかったのではないだろうか。そういう時代の要求によく応えたのが、シュトラウスの音楽だったのである。何故、作品名を冠したドレスデン行きの特別列車まで出るほど熱狂的に迎えられたのか、という疑問に対する答えのヒントは、ここにある。今回のミラー演出を機に、シュトラウス・オペラの受容史も再考が不可避となろう。
 ところで、本公演のプログラムの記載に対して、ここで一つ指摘をしておきたい。マティアス・フォン・シュテークマンは、自身の寄稿文「『ばらの騎士』の台本についてのノート(p.12〜15)」の中で、「最後の三重唱で(・・・)3人の女性の声は人間の結びつきと社会的結びつきを1つにする」と記述しているが(p.15)、これは全くの誤解であると思われる。むしろ、この3人の社会的な差が残酷なまでに残ったまま終わってしまっているのがこの作品なのだ。音楽が美しいからといって、また、この三重唱が和声的に見事に調和しているからといって、それがそのまま「社会的結びつきを1つに」している、と見るのはあまりに短絡的である。ホーフマンスタール自身は、シュトラウスに宛てた、1910年7月12日付けの書簡の中で、「カンカンが三角関係に遭遇して、行き当たりばったりの娘のほうになびくということ自体が、ヴィッツ Witz (洒落)なのです。しかも、マルシャリンは依然として、オックスとカンカンに対して、女性的な支配力を失っていません。この3人の主要人物と比べて、ゾフィーは明らかに一段下の人物なのです」と述べているのである。それでもなお、この齟齬をカヴァーして余りある、美しい音楽を創ったのがシュトラウスのシュトラウスたるゆえんなのであるし、これが時代の要求に応えた彼の名人芸なのだとも言える。解る人にはよく解るが、見えない者には永遠に見えない、そのような、天才二人が仕掛けた深謀遠慮である、かけがえのない贈り物が、このオペラの幕切れなのである。
 また、シュテークマンは、シュトラウスよりもホーフマンスタールのほうを「一段下」に見ているようだが、これも大きな誤解だ。確かに、シュテークマンに限らず、よく言われるのが「音楽を解っていないホーフマンスタールと、職人的なシュトラウス」という構図であり、そして、この二人は理解し合えずに、「結局はシュトラウスの言いなりになっていたホーフマンスタール」という関係である。しかしながら、この二人の生きた時代にあって、この二人ほどの真の教養人は、現在の我々のような付け焼刃の知識では、到底太刀打ちできないほどの鋭いセンスと洞察力を持ち合わせていたことを忘れてはならない。日本でいえば、森鴎外や夏目漱石くらいの存在だと言えば、想像しやすいだろうか(現に、鴎外とホーフマンスタールは直接書簡を交わしており、このことは、ドイツ文学者の関根裕子氏によって報告されている)。シュトラウスもホーフマンスタールも、今の我々など及ぶべくもないほど、互いの芸術を理解し合い、そして十分に認め合った上で、「この一線だけは譲れない」という、自身の芸術上の主張をめぐって激論を戦わせたのであって、だからこそ、あの数々の作品の質が保たれたのだ。決してシュテークマンの言うように「盆栽のようなつくりもの(同p.12)」を送り出したわけではない。
 これは、所詮日本人だから理解できない、といった次元の話ではなく、日本人であるというだけでは、鴎外や漱石の文学を深く理解できるわけではないのと同じことで、先人の遺産を受け取るには、謙虚な思考力が必須なのである。異文化に対するコンプレックスも、無批判に信奉したり鵜呑みにしたりすることなく、常にクリティカルな読みをすることによって、初めて打破しうる可能性を持つのである。
 話が少しそれてしまったが、最後にもう一つの大きな功績を讃えなくてはならない。ペーター・シュナイダーの指揮と、東京フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。始めのうちこそ、ままありがちな音量過剰の部分も聞かれたが、舞台が進むにつれて響きが洗練されていき、そのアンサンブルは、確かにシュトラウスの意図したものであった。歌手たちも、声や音だけでなく、言葉をとても大切に歌っていたのが印象的で、それぞれの役柄の持つキャラクターの表現や、所作のひとつひとつに至るまでが、聴く者の心を捉えたのは、言葉に対する深い理解が背景にあったものと思われる。これもまた、指揮者と演出家の指導の結果であったのであろう。
 ノヴォラツスキーの置き土産は、確かに受け取った。新国立劇場において、これだけのクオリティを持った上演に接することができたのは、幸せなことだった。開場10年目にして、ここまでの成果を出せたことも感慨深い。さて、この先の10年ではどのような実を結ぶのであろうか。真価を問われる後継者の責任は重い。 (2007/06/25)

 

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