amazon

Books: 2015年4月アーカイブ

April 30, 2015

「甘美なる作戦」(イアン・マキューアン著/新潮社)

「甘美なる作戦」(イアン・マキューアン著/新潮社)●やっと読んだ、イアン・マキューアンの近刊「甘美なる作戦」(新潮社)。マキューアンには「現代イギリスを代表する保守系作曲家」を主人公とした「アムステルダム」を読んで以来、すっかり魅了されているのだが、今回の「甘美なる作戦」も傑作。舌を巻くほどの巧妙さ。主人公はなんと、英国機密諜報部MI5の下っ端女スパイ。この女性と、若い小説家とのロマンスを軸とした恋愛小説の形式になっている。といっても、額面通りの古典的小説に収まらないのがマキューアン。主人公のロマンスの相手が小説家であるという時点である程度予測がつくように、やはり自己言及的なポストモダンの小説になっている。完成度はきわめて高い。
●外観が恋愛小説という点では名作「贖罪」と同じ。実のところ、「贖罪」ですべてが書き尽された感はあった。「甘美なる作戦」は同種のテーマをもっと肩の力を抜いて、なおかつ細部に意匠を凝らして書いた一作とも思える。「贖罪」でマキューアンは小説を書く女性登場人物に「現代の小説家がキャラクターやプロットを書けないのは、現代の作曲家がモーツァルトの交響曲を書けないのと同じことだ」と語らせた。ワタシたちは今だって本当は起伏に富んで生き生きとしたおもしろい物語を読みたい。でも、21世紀にもなって、小説家がキャラクターやプロットに依存した物語を書くわけにはいかない。調性と機能和声の世界に留まって美しい音楽を書くことができないのと同じように。かといって、前衛的な手法も色褪せたモダニズムの再生産に終わってしまう。そこで、小説家は「なにをどう書くか」について書く、という自己言及的な手法をとらざるをえない。その上で、表層に完璧なエンタテインメントを築けるところがマキューアンの尋常ではないところ。ところどころにマキューアンのなんともいえない「イジワルさ」が滲み出ていて、それがまた実にいい。恋愛小説には底意地の悪さがないと。

April 22, 2015

「最高の選手と最低の選手」問題

「サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか」(クリス・アンダーゼン、デイビッド・サリー著/辰巳出版)先日当欄でご紹介した、「サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか」(クリス・アンダーゼン、デイビッド・サリー著/辰巳出版)について、もう一点。チームを強くするためには、チーム内の最良の選手の質を上げるべきか、最低の選手の質を上げるべきか、という問題が統計的に分析されている。もしあなたが今後サッカー・チームの監督を務めることがあったら、大いに役立つかもしれない。
●著者は、プレイの質を算出する評価法であるカストロール・ランキング用いて、最良の選手と最低の選手の両方がチームの得失点差と勝点にどんな影響があるかを欧州各国のクラブについて調べた。すると、もちろん、両方とも正の相関があった。つまり、チーム最高の選手の質が高ければチームの成績は上がるし、チーム最低の選手の質が高くてもやはりチームの成績は上がる。
●しかし、最高の選手の質と、最低の選手の質と、どちらがよりチーム成績に強く影響を及ぼしているのか。これを回帰分析を用いて検討したところ、より重要なのは最低の選手の質のほうであることがわかったという。ざっくりいえば、最良の選手の質を10%向上させると、チームは一シーズンで(全38試合として)勝点5を獲得する。5ポイントもあれば、優勝するかどうか、降格するかどうか、結果が変わってくる。しかし、最低の選手の質を10%向上させた場合の影響はさらに大きく、一シーズンで勝点9も得ることができる。断然、こちらのほうがいい(しかも安上がりだ)。
●つまり、チームの強化のためには、多くの場合、主力選手を入れ替えるよりも、そのチームでいちばん弱いポジションを強化したほうがずっと効率的ということになる。最低の選手を入れ替えるために、その選手よりいくらかすぐれた選手(チーム内では並の目立たない選手かもしれないが)を獲得するという一見地味な人事がチームに躍進をもたらすわけだ。
●もっとも、最低の選手が若くて未熟なプレーヤーという場合もよくあるだろう。経験の少ない選手は試合を通して大きく成長するということが十分ありうるので、並の選手と入れ替えるくらいならガマンして使って成長を促したほうが、最終的なチームの勝点に貢献するかもしれない。

April 17, 2015

「ピアノ音楽の巨匠たち」(ハロルド・C・ショーンバーグ著、後藤泰子訳/シンコーミュージック)

「ピアノ音楽の巨匠たち」(ハロルド・C・ショーンバーグ)●この本は時間をかけて読み進めたいので、読みはじめたところで先に紹介。「ピアノ音楽の巨匠たち」(ハロルド・C・ショーンバーグ著、後藤泰子訳/シンコーミュージック)。ニューヨークタイムズの音楽評論家として活躍したショーンバーグの名著が、新しい翻訳でよみがえった。というか、正確には増補改訂版がようやく翻訳されたというべきか。原著は1963年で、かつて芸術現代社から邦訳が出ていたが、本書は87年原著刊行の増補改訂版を新たに翻訳したもの。訳はこなれていて、とても読みやすいのでご安心を。全544ページ、ずしりと重い。
●この本の狙いはまさしく書名通り、ピアノ演奏の歴史を一望しようというもので、ほぼ有史以来のピアノ演奏、つまりモーツァルトとクレメンティからスタートして現代の巨匠たち(ポリーニとかブレンデルとか、アシュケナージやペライアまで)をつなぎ目なくひとつの歴史の流れとしてとらえようとしているのが特徴。そう、実際に歴史はそんなふうにつながっているはずなんだし。なぜかワタシらはモーツァルトらのピアニスト兼大作曲家の時代と、現代の名手たちとの時代が、地続きであることを忘れがちだ。
●となれば、読む前に興味がわくのは(大いに職業的関心もあって)、「どうやって書くのか」という点。このアイディアで書くなら、3種類のピアニストをあつかうことになる。(1)ひとつはモーツァルトやベートーヴェンのような、だれも実際にはその演奏を聴いたことがないピアニスト。(2)もうひとつは初期の録音で聴ける往年の大ピアニスト。そして、(3)実際に著者が生で聴いたことのある現在の(といってもショーンバーグの同時代のという意味だけど)ピアニスト。まず読みはじめるにあたって、本の最初から(1)の部分を読み進めながら、(2)の部分と(3)の部分も拾い読みしている。分量としては(1)が圧倒的に多い。
●まだ全体のほんのほんのごく一部を目にしただけだが、(1)の部分はまちがいなくおもしろい。つまり、読み物としてのおもしろさ、読書の楽しみが保証されているなと感じる。なるほど、ショーンバーグって漠然と高名な評論家の先生みたいなイメージだったけど、長年新聞で書いていただけあって一般の読者に向けての書き方を心得ていて、さすがに巧い。アカデミックな香りを決して漂わせず、平たく書きながらも見識を感じさせる。一方、(3)の部分に入ると扱うピアニストによってかなり濃淡があるかもしれない。生演奏ではなくレコーディングのほうに重きを置いた記述が目立つのがやや意外か。(1)(2)との整合性を優先したためなのかどうなのかはわからないが……。現代のピアニストに対しては、よく演奏会評やレコード評で用いられるような形容句を積み重ねて演奏スタイルを詳述するというよりは、客観性を心がけつつ歴史的文脈のなかでの位置づけを明らかにしようとする記述が目立つだろうか。著者の基本的な姿勢として、19世紀風のロマン主義的なスタイルの演奏に対する共感がある、と思う。あ、いやいや、まだ読んでない、今から読もうとする本にそんなに決めつけてしまってはいけないのだった。ともあれ、これは「内容」という点でも「どう書くか」という点でも、大いに読みがいのある一冊になりそう。
●索引は力作。これはすばらしい。こういう本は索引の役割が超重要。できることなら電子版もあって検索できたら最高だけど。ひとつよくわからないのは訳者略歴が載っていないこと。名著の新訳という性格を考えれば、刊行の経緯なども記した訳者あとがきもぜひ欲しかった。

April 9, 2015

「サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか」(クリス・アンダーゼン、デイビッド・サリー著/辰巳出版)

●直感的にあるいは経験則に照らし合わせて一見正しそうに思えることであっても、統計的な裏付けがない限りは鵜呑みにできないというあなたやワタシ。であれば、サッカー界の「常識」に対しても強い猜疑心を抱いているはずである。Jリーグ初期の頃、テレビのサッカー中継で元日本代表クラスの解説者がコーナーキックの場面で言った。「チャンスですね。コーナーキックはだいたい5回に1回くらいはゴールになりますから」。以前、当ブログでも書いたように、コーナーキックは40回に1回しかゴールにならない。いったい「5回に1回」という数字はどこからでてきたのか。
「サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか」(クリス・アンダーゼン、デイビッド・サリー著/辰巳出版)●「サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか」(クリス・アンダーゼン、デイビッド・サリー著/辰巳出版)は、サッカーにまつわるいろんな疑問に対して、統計によって答えを教えてくれる。コーナーキックについていえば、プレミアリーグの01/02~10/11シーズンの統計によれば、コーナーからゴールが生まれる確率は2.2%。チャンスでもなんでもない。「そんなバカな。コーナーから得点が生まれるシーンを今までに何度も見ている!」と感覚的には反論したくなるかもしれないが、それは2.2%のゴールシーンが強く印象に残ったというだけの話であって、なにごとも起きなかった97.8%のシーンは即座に忘れ去られている。
●いくつか覚えておきたいことをメモしておこう。まず、膨大な過去データに基づくと、プレミアリーグでは、48%がホームの勝利、26%がドロー、26%がアウェイの勝利になる。もう少し大ざっぱに、半分がホームの勝利、1/4がドロー、1/4がアウェイの勝利とでも記憶しておけばいいだろうか。ちなみに、以前、ワタシがJリーグの数シーズンについて計算したときも、J1では1/4がドローだった(J2では少し高めになった)。
●平均してシュート8本につき1ゴールが生まれる。
●サッカーにおける、実力と運の要素をどう評価するかについて。一般に考えられているよりも、運が結果を大きく左右する。天体物理学者ジェラルド・スキナーらの研究によれば、ワールドカップの試合の約半数が、実力ではなく、運によって決定している。別の研究でケンブリッジ大学のデイビッド・シュピーゲルハルターによれば、プレミアリーグのシーズンの勝点の約半分は運によってもたらされている。
●欧州4大リーグ(イングランド、スペイン、イタリア、ドイツ)のトップリーグでは、どこのリーグであっても同じ程度の数のゴールが生まれている。10年間にわたって、1試合あたりのゴール数はどのリーグでも2.5~3点。それどころか1試合あたりのパスの成功回数もロングボールの本数もPKの数もシュートの数も、ほぼ同じ。「スペインは攻撃的で華麗にショートパスを回し、イタリアは守備的、イングランドはロングボールが多い」といったイメージが根強いが、数字で見ればこれがただの先入観であることがわかる。
●このあたりはまだほんの序の口。もう少し刺激的なテーマを挙げると、1点目のゴール、2点目のゴール、3点目のゴール……のそれぞれの価値を勝点に換算したら何点になるかという発想がある。つまり、ゴールの価値はどれも同じではない。結論だけをいえば2点目のゴールの価値がもっとも高い(1点目が0.8、2点目が1.0、3点目が0.5、以下ゴールの価値は急速に下がってゆく)。一方で、逆に「無失点であること」を勝点に換算すると、平均して勝点2.5の価値がある。すなわち、1点を奪うよりも、1点を与えないことのほうにはるかに大きな価値があるのがサッカーの本質。メディアに対しては「攻撃的なサッカーを志す」と公言しながらも、実際には守備組織の強化に力を入れる監督が多いのには合理的な理由があったわけだ。
●読む前は、野球について書かれた「マネー・ボール」のサッカー版みたいな本かと思ったが、読んでみると「マネー・ボール」にある読み物としてのおもしろさは希薄で、その代りに統計的に興味深いデータが期待以上に数多く紹介されていた。なかには疑問を感じるものもなくはないのだが、ポゼッションについての考え方や監督の影響力など、大いに示唆的。

このアーカイブについて

このページには、2015年4月以降に書かれたブログ記事のうちBooksカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはBooks: 2015年3月です。

次のアーカイブはBooks: 2015年5月です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。