2023年3月 3日

第65回グラミー賞のクラシック音楽部門

●そういえば少し前に第65回グラミー賞が発表されたが、クラシック音楽部門について、今年も軽く振り返っておこう。なんどか当欄でご紹介しているようにグラミー賞の価値観は日本やヨーロッパとはかなり違っており、なかなか刺激的なラインナップなのだ。グラミー賞は全部で80部門以上あり(これでも一時期より減ったのだが)、クラシック音楽関連では10部門ほどある。そのなかから主要部門の受賞アルバムを、Spitifyの公開プレイリストとしてまとめておいたので、よかったら後で聴いてみてほしい。
●まずは、オーケストラ部門 BEST ORCHESTRAL PERFORMANCE。受賞アルバムはマイケル・レッパー指揮ニューヨーク・ユース・シンフォニーによる「フローレンス・プライス、ジェシー・モンゴメリー、ヴァレリー・コールマン作品集」だ!……えっ。たぶん、「は?」と、なる人が多いんじゃないだろうか。演奏者も作曲者もなじみがないが、これは説明を聞けば納得する。フローレンス・プライスはアメリカの黒人女性作曲家のパイオニアなのだとか。で、ジェシー・モンゴメリーとヴァレリー・コールマンは現代のアフリカ系アメリカ人女性作曲家。なるほど今にふさわしい受賞アルバムではある。ただ、日本や欧州のレコード賞とはだいぶ視点が違う。指揮者がどんな解釈で名曲と向き合って、どんなサウンドをオーケストラから引き出すかといったことよりも、そのアルバムが世の中にどんなインパクトを与え、どのような意義を有するかが重視されているようだ。
●続いてオペラ部門はテレンス・ブランチャードのFire Shut Up in My Bones。これは幸いに日本でもMETライブビューイングで上映されているので知っている人は知っていると思うが、その際に日本語題が作られなかったのが惜しい感じ。もっとも一般的なオペラ・ファンからすると「テレンス・ブランチャード、だれ?」って感じだろうか。ヤニック・ネゼ=セガン指揮メトロポリタン・オペラ・オーケストラ&合唱団の演奏(やっと知ってる名前が出てきた!)。
●室内楽部門 BEST CHAMBER MUSIC/SMALL ENSEMBLE PERFORMANCE は、キャロライン・ショウの「エヴァーグリーン」。演奏はアタッカ四重奏団。以前に同じアタッカ四重奏団によるショウの「オレンジ」もグラミー賞を受賞していた。前作同様、しっとりとした情感のあるリリカルな作品だ。
●器楽部門 BEST CLASSICAL INSTRUMENTAL SOLO は、Time for Threeの「Letters For The Future」。これはレーベルがドイツ・グラモフォンだ。Time for Threeというのはヴァイオリン2+コントラバスのトリオで、3人全員がヴォーカリストでもあるというグループ。今回の受賞アルバムにはケヴィン・プッツとジェニファー・ヒグドンによる協奏曲作品が収められている。
●ここまで作曲家の名前がほぼ現代の人ばかりなのだが(!)、これらとは別にちゃんと現代音楽部門 BEST CONTEMPORARY CLASSICAL COMPOSITION がある。今回の受賞作は上記Time for Threeのアルバムに収められたケヴィン・プッツのContact。
●声楽部門 BEST CLASSICAL SOLO VOCAL ALBUM は、ルネ・フレミングのソプラノとヤニック・ネゼ=セガンのピアノによる Voice Of Nature - The Anthropocene。ふー、やっとクラシック音楽っぽいアルバムが出てきた。だが、安心するのはまだ早い。このアルバムにはフォーレやレイナルド・アーンの曲に並んで、ケヴィン・プッツやニコ・ミューリー、キャロライン・ショウらの作品も収められている。もうコンテンポラリーな作品が入っていないとグラミー賞では賞を獲れないのかと思うほど、現代の作曲家の名前ばかりが出てくる。その一方でこれら現代の作曲家の作品はどれもおおむね聴きやすく、耳当たりがよいのも興味深いところ。ともあれ、今を生きている人に賞を与えるというのはもっともな話ではある。


2022年9月16日

パーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のジョン・アダムズ・アルバム

●指揮者界のレコーディング・チャンピオンである父ネーメ・ヤルヴィには及ばないものの、息子パーヴォ・ヤルヴィの録音点数も相当なものだと思う。ドイツ・カンマーフィル、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、パリ管弦楽団、NHK交響楽団と、シェフを務めたオーケストラでそれぞれに応じた作曲家のアルバムを制作し、現在音楽監督を務めるチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とはチャイコフスキーに続いて、ジョン・アダムズ・アルバムをリリース。チューリッヒでジョン・アダムズというのは意外な選択だけど、楽しい曲がそろっている。
●で、「スロニムスキーのイアーボックス」「トロンバ・ロンターナ」「ロラパルーザ」は他でも聴く曲だけど、「私の父はチャールズ・アイヴズを知っていた」っていう曲が入ってるんすよね。ワタシは初めて聴いた。全3曲で30分近くある。特に第1楽章「コンコルド」が思いっきりアイヴズ調でかなりおかしい。第2曲「湖」、第3曲「山」と続く。「山」はジョン・アダムズ自身の登山体験に基づいているそうで、21世紀の「アルプス交響曲」と名付けたくなるような神々しい瞬間がやってくる。
●それにしてもジョン・アダムズの父親がアイヴズと面識があったとは。いったいどういうつながりなんだろ……と思ったら、なんと、別に知り合いでもなんでもないって言うんすよ! ただ「私の父はチャールズ・アイヴズを知っていた」という曲名を付けただけ。ジョン・アダムズによれば、自分と父の親子関係と、チャールズ・アイヴズとその父ジョージの親子関係には似たところがあるそうで、もし出会う機会があれば親同士がよい友達になったんじゃないかという。どちらの父親も芸術肌でビジネスセンスに乏しく、夢見がちで、息子を触発することには長けていて、ニューイングランドの小さな街での暮らしを気に入っており、ソローの思想に賛同していたのだとか(Hallelujah Junction: Composing an American Life / John Adams を参照)。でも、だからといってそんな混乱を招くような曲名を付けるかね……。


2022年6月16日

ブリュッヘン指揮新日本フィルのベートーヴェン交響曲全集 CD

●2011年2月にすみだトリフォニーホールで開催されたフランス・ブリュッヘンと新日本フィルの「ベートーヴェン・プロジェクト」のライブ録音が「ベートーヴェン交響曲全集」としてCD化された。当時のプログラムノートに寄せた小さな拙稿が解説書に転載されている。このシリーズは記憶に残るコンサートだった。当時の新日フィルはブリュッヘンやハーディングやメッツマッハーらを呼んで、かなり尖がった活動をしていたっけ……。今とはずいぶん楽団のカラーが異なる。ブリュッヘンとの活動がこうして録音で残ることになったのはありがたいこと。
●ひとまず、気になるところだけをいくつかピックアップして聴いてみたが、なんとも生々しく、懐かしい。「英雄」冒頭、お客さんの拍手がまだ続いているなかで、いきなりブリュッヘンは意表を突いて振り始めたんだけど、その様子もそのまま収録されている。あれは、ゆっくりゆっくり指揮台に向かって歩いてきて、椅子に腰かけるのかなと思わせておいて、座らずにシュッ!って腕を振ったから、拍手と重なったんすよね。絶対に拍手に被せるっていう決意を感じた。そして、始まった「英雄」の巨大なこと。
●荒れ地のような寂しげな「田園」も思い出深い。律義なノンヴィブラート。ブリュッヘンの手のひらの大きさ。2011年2月、大地震の前月のことだった。

2022年6月 6日

エンリコ・オノフリ&イマジナリウム・アンサンブルの「自然の中へ ヴィヴァルディ『四季』と母なる大地の様々な音色たち」 CD

●エンリコ・オノフリとイマジナリウム・アンサンブルの新譜「INTO NATURE 自然の中へ ヴィヴァルディ『四季』と母なる大地の様々な音色たち」を聴く。配信ではなくCDで。これはすばらしい。今までさんざんいろいろなスタイルの「四季」を聴いてきたつもりだったけど、まだこの曲をこんなにも新鮮な気持ちで聴けるとは。そして恐るべき完成度。ワクワクした。
●選曲がおもしろくて、ヴィヴァルディの「四季」に至るまでのストーリー性があって、ジャヌカン「鳥の歌」(編曲)、ウッチェリーニ「異種混淆 雄鶏とカッコウによる麗しき奏楽」、パジーノ「様々な野の動物の鳴き声を模倣して」など、鳥や動物たちの描写的な音楽から始まる。たっぷりと豊かな「四季」前史を味わった末に、ヴィヴァルディがやってくる。ここでふんわりと柔らかく「四季」が開始される瞬間が鳥肌もの。なんという暖かさ。オノフリ自身の解説によれば、楽器編成はル・セーヌ版に従っているということで、通奏低音にオルガン(「秋」のみチェンバロ)が用いられている。このオルガンが非常に効果的で、ときに幻想的で、ときに重厚。全体に柔らかさと鋭さがバランスした成熟した「四季」だと感じる。
●あと「春」第2楽章のヴィオラ犬がかつてないほど犬。

2022年2月18日

「ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ベルリン」

●昨年10月に開かれたジョン・ウィリアムズ指揮ベルリン・フィルのライブ録音が、CD他のフィジカルでもリリースされた。すでにベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホールでライブ映像は観ているわけだが、こうしてパッケージ用に整えられたレコーディングにはまた別の感動がある。ライブ映像はコンサートの興奮を記録して伝えてくれるものだが、一方、時間をかけて編集された「音源」こそが(CDであれストリーミングであれ)プロダクトとしての最終形であるという気持ちも強いので。「スーパーマン」冒頭を聴いてゾクッとする。全般に「タメ」多め。
●それにしてもフィジカルの世界は細分化されている。同じ「ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ベルリン」と題された商品が、ユニバーサルミュージックの商品ページには5種類も載っているんすよ! いちばん豪華なのがDELUXE EDITIONで、CD2枚にBlu-rayが付いている。CDはMQA-CD&UHQCD仕様で「ハイレゾCD」を謳っていて、そのあたりは深入りしたくないのだが、普通のCDプレーヤーで普通のCDとして再生可能。映像が必要ない人は通常盤を購入すればいい(こちらもMQA-CD&UHQCD仕様)。で、このDELUXE EDITIONと通常盤について、それぞれの輸入盤も掲載されている。これで合計4種類。では残りもう1種類がなにかといえば、輸入盤のBlu-ray Audio+Video。Blu-rayが2枚入っていて、CDは入っていないわけだ。Blu-ray Audioという需要があることに感心。
●なんというか、マニアックだなって感じる。結局、フィジカルもストリーミングもマニアが求めるものであって、一般人はYouTubeで間に合ってるということなのかも。
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●今週末のテレビ朝日「題名のない音楽会」は、クセナキス生誕100年を記念して「クセが強いのにクセナキスの音楽会」。松平敬さんと神田佳子さんの「カッサンドラ」より等、地上波民放では激レアなので観るが吉。関東は土曜午前10時から。

2021年12月 8日

Gramophone Classical Music Awards 2021

●遅ればせながら、英グラモフォン誌のGramophone Classical Music Awards 2021のラインナップを眺めてみた。グラミー賞みたいなツンツンした尖がり方はないものの、毎年お国柄が反映されていて興味深い。賞にいろんなスポンサーがついているのもうらやましい感じ。もっとも時節柄、華やかなセレモニーは開けなかったようだけど。
●今年のRecording of the Yearはオペラ部門の受賞アルバムであるブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」(Chandos)。エドワード・ガードナー指揮ベルゲン・フィルの演奏で、題名役はスチュアート・スケルトン。新国立劇場の「ピーター・グライムズ」でも歌っていた人。ベルゲン・フィルの本拠地グリーグホールでの録音で、コンサート後にセッション録音されたそう。
●オーケストラ部門はパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団によるフランツ・シュミットの交響曲全集(DG)、協奏曲部門はアリーナ・イブラギモヴァとウラディーミル・ユロフスキ指揮ロシア国立交響楽団によるショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲集(Hyperion)、ピアノ部門はピョートル・アンデルシェフスキによるバッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻より(Warner)。このあたりは日本の音楽ファンの感覚と近いセレクションか。「らしさ」が出ているのは室内楽部門で、タカーチ四重奏団とギャリック・オールソンの共演によるエイミー・ビーチとエルガーのピアノ五重奏曲(Hyperion)。なお、HyperionレーベルはSpotifyにもApple Musicにも音源を提供していないと思うので、聴くならダウンロードで購入するか、CDを購入する必要がある(違ってたら教えて)。
●少しおもしろいなと思ったのは、Label of the Yearにドイツ・グラモフォンが選ばれたこと。老舗メジャーレーベルの選出に一瞬「は? なにを今さら」と思ってしまったが、彼らのサイト、特にDG Stageでの有料映像配信の取り組みなどを目にすると、従来のビジネスの枠を打ち破ろうとしている様子が伝わってきて、なるほどと思う。古くて新しいのがDGなのか。

2021年9月15日

ヴィキングル・オラフソンの「モーツァルト&コンテンポラリーズ」

●ヴィキングル・オラフソンの最新アルバム「モーツァルト&コンテンポラリーズ」を聴いた。タイトルだけ見ると、モーツァルトと現代音楽を組み合わせたのかな?と誤解しそうになるが、そうではなく、「モーツァルトとその同時代の作品」という意味。モーツァルトのピアノ・ソナタ第14番ハ短調やロンド、アダージョなどの小品に、ガルッピ、チマローザ、C.P.E.バッハ、ハイドンの作品が加わっている。オラフソンのコンセプトは個々の作品をただ並列するのではなく、アルバム全体としてひとつの作品にするというもの。「編集」的な視点による再創造というか。オラフソン自身は「私の他のアルバムと同様、コラージュ作品」と言っている。
●で、特に目をひいたのはモーツァルトの幻想曲ニ短調 K.397。この曲は厳密には未完成の作品で、ニ長調のコーダの最後の10小節が他人による補筆だと知られている。でも、そのあたりは気にせずに、モーツァルトの作品として演奏されるのが一般的。この補筆がイマイチだと思う人は多いようで(内田光子の録音でも一工夫してあった)、オラフソンは失敗作と切り捨てている。で、短調のセクションで演奏を終わらせ、代わりにニ長調のロンド K.485をつなげて弾いている。他人の手が入ったニ長調のコーダをつなげるくらいなら、モーツァルト真作のニ長調をつなげたほうがいいだろうという発想で、おもしろい(先例があるのかどうかは知らない)。しかもこの幻想曲ニ短調に先立って置かれているのが、チマローザ~オラフソン編のソナタ第42番ニ短調。これはかなりオラフソンが原曲に手を入れているらしいのだが、モーツァルトの幻想曲ニ短調の序奏に同じ雰囲気でつながる趣向になっていて、トータルで3部作みたいな連なりができている。
●「モーツァルト&コンテンポラリーズ」と銘打っておいて、ガルッピの曲からスタートするのも味わい深い。




2021年7月16日

マリオ・ラスキンのアルベロ ソナタ集

●CDだったらたぶん買わなかった新譜でも、Spotify等の定額制ストリーミングだと、ふとした思いつきで聴くことはままある。比較的最近の新譜だと、マリオ・ラスキンというチェンバロ奏者によるセバスティアン・デ・アルベロのソナタ集がそのパターンで、おもしろかった。アルベロ(1722-1756)はスペインの作曲家なんだけど、Wikipedia英語版でも立項されていない(もちろん日本語でも)。聴いてみると、これがドメニコ・スカルラッティそっくり。自分にはぜんぜん区別がつかない。ソレール以上にスカルラッティ。もうジェネリック・スカルラッティと呼びたいくらい似てる。
●やはりスペイン王宮でスカルラッティと親交を持っていたようなのだが、年齢差がけっこうあって、1685年生まれのスカルラッティに対して、アルベロは1722年生まれ。余裕で親子くらいは年が離れている。ところが早世していて、没年はスカルラッティより1年早いことに気づいて、あれこれと思いを巡らせる。
●後で気づいたけど、アンドレアス・シュタイアーの「ファンダンゴ」にアルベロが2曲収められていた。ただし、そちらは「レセルカータ、フーガとソナタ」で、一味違う感じ。

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