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◎連載第3回[山尾、驚喜乱舞を経て大口を開ける]
「ナクソスが全部使えるそうです」
初めてのミーティングでそんなことを言われたら、それはもう、そのまま勝利宣言である。現在、ナクソスからいったい何枚のCDがリリースされているのか数えようとも思わないが、あのレーベルを使えるということイコール、クラシック音楽と呼ばれる枠の音楽をほぼ手中に収めたと言っていい。音源というよりもカタログである。……と同時に、それだけの音源が手の内にあるのだから何でもやりたい放題だが、ただ配信しっぱなしではあまり意味がないのではないかという疑問も頭をよぎる。
優れた剣豪作家であり、自他共に認める熱烈な音楽ファンでもあった故五味康祐氏(彼のことをオーディオ・ファンだと思っている人は、この人のことをぜんぜん理解していない)は「レコードを何枚持っているかよりも、何枚しか持っていないかをただした方が、その人の音楽的な教養や趣味性の高さを証明することになりはしないか」(山尾の要約)という名文を残されたが、膨大な枚数を前にしてしまうと驚喜をおぼえながらも、不安要素のことを考えてしまうのだ。
「これをいったい、どうしろっていうの?」
書くのが遅れたが、山尾と共にこのプロジェクトに呼ばれたのは、音楽メディアはもちろん雑誌「ブルータス」等の一般誌でも活躍しておられる、音楽ライターの林田直樹さんなのである(音楽評論家じゃなしに、音楽ライター2人にお声がかかったのは単なる偶然ではないと思う)。だから、ここは当然われわれ2人の企画・編集能力が問われるところだ。手元にあるナクソスの最新カタログを見ながら「これは大変なことになったな」と思ったのは言うまでもない。
しかし、さほど時間がたつことなくSo-netのN氏(前回登場)から、われわれは「おいおい、ちょっと待ってくれ」とツッコミを入れたくなるような事実を聞かされる。
「しかし使えるのは、全部ではありません」
「!????……」
「最初はCDが500枚ほどです」
(まあ、500枚でもすごいことだ)
「最初に配信する500枚については、すでにオーダーを出して購入してあります」
(ん?……)
そのリストを拝見して、2人して腕組みをしてしまった。「ザ・ベスト・オブ・ベートーヴェン」とか「ロマンティック・ピアノ曲集」とか、つまりいわゆるコンピレーション盤がほとんどを占めていたのである。これはクラシック音楽を知らない人にとっては、落とし穴なのだ。つまりロックなどでいうところの「ザ・ベスト・オブ・なんとか」を並べれば、最大公約数的な(そして、それなりに見事な)リストが出来上がるという考え方。しかしクラシックにおいて、残念ながらそれは通用しない。「運命」は第1楽章しか聴けないし、オペラは有名なアリアや序曲しか聴けない。マーラーだって1曲まるまる聴けるのがまったくない。レンタルCD店などでもそうだが、一メーカーの「クラシックベスト100」などというシリーズをとりあえずそろえれば、クラシック音楽ファンも満足だろうという考え方は、残念ながら大きく的をはずしていることになる。
僕は別にそれに関してSo-netやレンタルCD店を責めるつもりは毛頭ないのだが、これについては今後、同様のビジネスが拡大していくことを見越しつつ、大きな声で訴えたい。
「クラシック音楽に関するコンテンツは、企画の段階から事情に詳しい人間をメンバーに加えておくこと!」
走り出してから修正をしていくというのは、山菜や豆腐などが材料として並んでいる厨房に案内され「これでおいしい海鮮鍋を作ってください」と言われるようなものなのである。
[次回につづく]
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