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Books: 2013年6月アーカイブ

June 13, 2013

「終わりの感覚」(ジュリアン・バーンズ著)

●先日の「ねじの回転」の話題でふと思い出して、「終わりの感覚」(ジュリアン・バーンズ著)の終盤を改めて何か所か拾い読みしてみた。2011年ブッカー賞受賞の話題作。この小説、すばらしく傑作だと思うんだけど、最後のパートがどうにも腑に落ちなくて気になっていた。物語はまず高校時代の主人公と親友の多感な時期を描く。出来のよい親友はケンブリッジに進学し、その後、自殺したという知らせを受ける。続いて60代半ばのすでにリタイアした主人公が、ある出来事を機に青春時代の記憶をたどり、過去の真実へと近づく、というのが話の骨子。
●若い男はみんなイタい。そして年を取った男も実はやっぱりイタい。そんな真実を容赦なく描いた苦い話で、登場人物が「歴史とは、不完全な記憶と文書の不備から生まれる確信である」というように、人は記憶を都合よく操りながら自分だけの歴史を作り出して、絶えず自己承認を繰り返しながら齢を重ねる。そのテーマを描く辛辣さは気持ちいいくらいに鮮やかなのだが、最後に明らかになる真相には期待していたものと別種の悪意が込められていて、やはり好きになれないな、と再確認。
●で、一方でディテールですごく好きなところがいくつかある。たとえば青年期の主人公をガールフレンドが訪れる場面。音楽の趣味がよい彼女が、主人公のレコードコレクションに目を通して、微笑んだり渋面を作ったりする。彼女は主人公が敬愛するドヴォルザークとチャイコフスキーを毛嫌いし、合唱曲や歌曲を好んでいた。主人公は大序曲「1812年」のレコードは隠しておいたが、ホリーズ、アニマルズ、ムーディーブルースで自滅する。
●主人公がパブで「手切のチップス」をたまには細く切ってくれないかと頼んで、バーテンダーにイヤな顔をされる場面も秀逸。手で切るんだから、いつもより細く切ることもできるんじゃないかと思って頼んだんだけど、どうやらヨソで機械で切られたのが店に届く「手切風のチップス」だったようで、ムダに雰囲気が悪くなる。めったにそんなことしないんだけど、ふと気の利いたことをしようとしたら、それがトンチンカンで間の悪いことになるっていうこの感じ。全般にそういうものよね、ワタシたちは。

June 4, 2013

続「ねじの回転」 (ヘンリー・ジェイムズ)

ねじの回転先日記事にした(ブリテンのオペラではなくその原作の)ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」であるが、光文社古典文庫の土屋政雄訳のほうも手にしてみた。といっても、何か所か拾い読みしてみたのと、訳者あとがきと解説(松本朗氏)を読んだだけなんだけど。
●訳文はさすが、読みやすい。おまけに組版も読みやすい。この光文社古典文庫のシリーズ、やっぱりよくできているなあと感心。ただ、創元推理文庫の「ねじの回転 心霊小説傑作選」(南條竹則、坂本あおい訳)が表題作以外にいくつも作品を収録しているのに対して、光文社古典文庫はこの「ねじの回転」一作のみで、お値段もこちらのほうが高い。音楽ファンはブリテンがらみで「オーエン・ウィングレイヴ」も読みたいから創元推理文庫を選んでしまうが、土屋政雄訳といえばカズオ・イシグロ作品でのすばらしい訳文を思い出す(ジュリアン・バーンズの「終わりの感覚」も)。さらにこの2冊以外にも何種類も翻訳はあって、「名曲名盤」みたいなノリで読み比べることすら可能かもしれない。「『ねじの回転』は土屋政雄訳があれば他は必要ないと言えよう!」みたいに(←あくまで例)。
●最後の一文を比較。

わたしたちは静かな日の光の中に二人きり――そしてマイルズの小さな心臓は、魔を祓われて、止まっていました。(創元推理文庫:南條竹則、坂本あおい訳)
わたしたち二人だけの静かな午後、憑き物の落ちたマイルズの心臓はすでに止まっていました。(光文社古典文庫:土屋政雄訳)

この一文をとるだけでも、原文の難しさが想像できそう。「魔を祓われて」あるいは「憑き物の落ちた」というあたり、どう解するか。
●解説文のほうも非常に明快かつ親切で、セクシャリティの問題についてもていねいに説明されている。加えて、赤毛のピーター・クイントがアイルランド人のステレオタイプ的特徴を持って描かれており、イギリス帝国主義に対する批評性を読みとれると指摘されていて、なるほど、と。

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