●昨日の続きで、イプセン著「ペール・ギュント」について。主人公ペールは無茶苦茶な男で、他人の花嫁を奪ったり、トロールの王の娘と結婚しそうになったり、奴隷貿易で大金持ちになったり、砂漠で首長の娘にだまされたり、エジプトの精神病院でクレイジーな会話をしたり、奇想天外な冒険の旅をする。そして終幕で老いて故郷に帰る。で、最後にペールはどうなるのか、結末をご存じだろうか。人生の終着点でペールは、ボタン作り職人に会う。で、溶かされてボタンにされそうになるんである。ボタン作り職人はペールに向かって、お前は天国には行けないし、かといって地獄に行くほどの悪党にもなりきれなかった、お前はお前自身であることなど一度もなかったのだから、その他大勢といっしょに溶かされてボタンになるがよい、と断ずる。好き放題に生きたペールが「自分自身であることなど一度もなかった」というのは一見奇異に感じるかもしれないが、これは昨日の記事で書いた、指を切り落とした男が羞恥とともに生きながらも自分自身を貫いたことと対照をなしている。
●この「溶かされてボタンにされる」というくだりを読んで、即座に思い出したのが松本零士の「銀河鉄道999」。「銀河鉄道999」の最終話で(といってもいろんなバージョンがあるが、とりあえずビッグコミックス第14巻)、主人公の鉄郎は念願の「機械の体をただでもらえる星」に到着するのだが、それは肉体を機械の部品のネジにされるという意味だと知る。主人公が冒険の旅の終着点で、「銀河鉄道999」ではネジにされ、「ペール・ギュント」ではボタンにされる。これは完全に相似形をなしていると思った。そしてメーテルの母性的なイメージは、そのまま絶対的な母性ソルヴェイグと重なる。ペールは最後にソルヴェイグに人生の意義を認めてもらうことで、ボタンにされずに済んだのだ。
●松本零士のクラシック音楽好きはよく知られているが、映画版「銀河鉄道999」の音楽に当初グリーグの「ペール・ギュント」をイメージしていたという話もあるので、「ペール・ギュント」が「銀河鉄道999」の着想源のひとつ(最大の源は宮沢賢治だとしても)になっていた可能性は十分にあると思う。
Books: 2022年1月アーカイブ
「ペール・ギュント」と「銀河鉄道999」
イプセンとグリーグの「ペール・ギュント」
●「ペール・ギュント」くらい音楽と原作でテイストが異なる作品もないと思う。グリーグの名曲を先に耳で知ってから、イプセンの原作を読むと必ず驚くはず。グリーグの音楽にはのびやかでみずみずしいロマンティシズムが息づいているが、イプセンの原作は鋭く風刺的で、あちこちに棘がある。グリーグの有名な「朝」みたいな爽やかな場面はまったくない。イプセンは「ペール・ギュント」でノルウェー文化を揶揄しているというのだが、19世紀後半時点でのノルウェーっぽさがどこにあるか、今の日本人が読んでもピンと来ない。にもかかわらず、ここには普遍的なテーマがあり、端的にいえば「いかに生きるか」が問われている。
●イプセンの原作で、ペールの冒険とは別に強い印象を残すのが、第3幕、森の奥の場面。びくびくして周囲をうかがう若い男が、隠し持った鎌を取り出す。で、木の株に手のひらを乗せて、自分の指を切り落とすのだ。その場面を目にしたペールは、男がなんのためにそんなことをするのか訝しむが、すぐに理由に思い当たる。徴兵を逃れるためだ。どうしても兵隊になりたくないから、そうする。そう思いつくのはわかるが、実行に移すなどとても理解できないとペールは思う。
●この場面は本筋とは直接関係ないが伏線になっていて、第5幕で老いたペールに向かって、牧師がその若い男の行く末を語る。指を一本失った男は徴兵検査で唾を吐かれ、出て行けと怒鳴られて山に向かった。そして半年後に母親と新妻と幼子を連れて戻ってきて、荒れ地を耕し、家を建てた。だが洪水に流されたり、雪崩に襲われたりして、なんども家と畑を失う。その度に男はまた畑を耕し、家を建て、3人の子供を育てあげる。だが、子供らは成人すると新大陸に渡り、故郷の父親のことなど忘れてしまう。男は民衆や祖国など高尚なことは目に入らない人間であり、徴兵検査以来、ずっと身を低くし、恥じとともに生きてきた。立派な市民でもなく、立派な信徒でもない。ただ自分の家では偉大だった、なぜなら男は己自身であり続けたから。牧師はそんなふうに説教をする。
●おっと、ほかに書きたいことがあったのだが、本題に入る前に長くなってしまった。この話、つづく。
「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」1~3 (奥泉光著/文春文庫)
●年末年始に一気に読んでしまった、奥泉光著「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」、「黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2」、「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」(以上文春文庫)。有能すぎるほど有能なAmazonのレコメンド機能が最近文庫化されたシリーズ第3作をオススメしてきたのだが、どうせ読むなら第1作からと思って、3冊まとめて読んでしまった。めっぽうおもしろい。
●ジャンルとしてはユーモアミステリということになるのかな。主人公は底辺大学で日本文学の准教授を務める桑潟幸一。学生のレベルが最底辺なら教員も教員で一切の向学心がなく、授業は「寅さん」を見て感想を書けとかそんなレベル、研究など言語道断、ただひたすら保身にしか関心がなく、しかもそのしがみついている地位というのがコンビニのバイトと変わらない低賃金で、汲々とした暮らしを送っている。学生から寄せられる尊敬はゼロ、文芸部の顧問をするも学生たちの言いなりになるばかりの便利な教員。はなはだ自虐的なトーンで描かれているのだが、これがぜんぜん嫌な感じがしない。むしろ「そうだよなあ、人間みんなそういうものだよなあ」と己の中に住むダメ人間が全面的に共感してしまう。イジワルでありつつハートウォーミングという絶妙なバランス感が保たれている。毎回、小さな事件が起きるのだが、主人公の役割はホームズでもなければワトソンでもなく、ただ右往左往している間に学生が事件を解決してしまう。学生たちの会話がぶっ飛んでいて真に笑える。しかも主人公の業務の大半が受験生獲得のための営業に費やされていたりとか、大学の運営がすっかり民間教育産業頼みになっているあたりの描写とか、けっこうきわどい。
●この主人公、だいぶ前に読んだ同じ著者の「モーダルな事象」に登場してたのを覚えている。そこから少し雰囲気が変わって、独立したシリーズになっている模様。主人公は風采のあがらないしょぼくれたオッサンだと思っていたのに、なんだか表紙絵がステキすぎるような気が。