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■ サロネン、マーラー、シェーンベルク。柔らかく尖がり中 | |
サロネンの新譜を2枚。まずはロス・フィルとのマーラーの3番。
マーラーの3番といえば、83年に急病のティルソン・トーマスの代役として、サロネンが指揮デビューを飾った曲。当時、本格的にまだ指揮活動を始めていなかった作曲家志望の25歳の若者が、ある日早朝の電話で叩き起こされ、わずか3日間の猶予しか与えれていなかったにもかかわらず大成功を収めたというのは有名っすね。で、その記念の曲を、デビューして以来15年の順調なキャリアを積み上げて(見た目は若いが年齢的には立派なオッサンだ)、ついに録音したってのがこのディスク。まあ、マーラーの録音は山ほど世に出ているわけで、そこで新たな一枚を買うってのは動機的にはよほどのことがないときついんだが、こんなサクセス・ストーリーが背景にあればOKかと。 ていねいで、テクスチャー重視、響き柔らかげ。最終的にスコアから削られてしまった各楽章の標題を持ち出すまでもなく、3番ってのはマーラーの交響曲の中では基本的に楽観的な自然賛歌、人間賛歌の音楽なわけで(とワタシ的には思っとります)、巨大建造物構築型ドラマ大好き派の方々には物足りないかもしれないんだが、穏やかでナチュラルな生命感ってのが、すぽんとツボにハマってくれるのだ。満足なり。
で、もう一枚はサロネンとストックホルム室内管弦楽団による、シェーンベルクの「清められた夜」と弦楽四重奏曲第2番。どちらも作曲者の編曲による弦楽合奏版。こちらはもうちょっと尖がった世界も楽しめるっすよ。ソプラノ付きの弦楽四重奏という第2番(ソプラノ付きだってことをすっかり忘れた第3楽章になっていきなり歌が入ってくるよく分からん唐突さがちょっと笑える)を弦楽合奏で聴けるっていうカップリングが吉。曲的にはどちらも初期のシェーンベルクってことで、調性ありありのロマンティックな作品。といっても、「清められた夜」はカラヤンみたいなスーパー・ロマンティックにはならず、編成が小さいこともあって、いい感じでギスギスしとります。耳的には目くるめく官能の音楽(笑)って受け取り方もありな曲ではあるんだが、標題のもととなったデーメルの詩からすると(って大意しか知りませんが。苦笑)、これって結構ヤな話なんだよなー。インモラルな女とワケの分からん救済者みたいな男の対話で、清めるものがなんなんだよな。ってことで、愛と官能よりも、暗くて尖がっててよし。
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●Mahler: Symphony No.3
●Schoenberg: Transfigured Night, String Quartet No.2 |
■[LD] 二大コワいオペラ「外套」&「道化師」。オペラ好きじゃなくても大丈夫。 | |
これはコワイ。スーパーナチュナルな要素を排したモダン・ホラー、あるいはサイコ・サスペンスと言ってしまおう(笑)。で、何がコワイかって言えば、作品以上にテレサ・ストラータスがとにかくコワイ。この「外套」と「道化師」の短い2作品を一夜で公演したメトロポリタン・オペラのプロダクションをこうしてLDで収めているわけだが、フツーに見れば、「外套」ではドミンゴが、「道化師」ではパヴァロッティが歌うという、3大テナーのうち二人もが一夜に登場するというメトならではの贅沢さが注目されるのかもしれない。しかし、これを見終わって頭に残るのはひたすらストラータスの視覚的なインパクトの強さ。
まず、顔がすごい。完全に婆さん顔である(若くてかわいい顔からオバサンを通り越していきなり老婆顔になってしまうタイプ)。しかし彼女の役はどちらの作品でも、夫と歳の離れた(そして気持ちも離れた)若い奥さん。これがオペラならではの滑稽さ(んなのぜんっぜん見えねーよってヤツ)に堕してしまっているっていうんじゃなくて、ストラータスは完璧にその役を演じてしまうからコワイ。すさんだ生活の中から若い男とともに新しい土地を目指して抜け出ようとするという、両者共通した物語の中で、無気味な美しさを見せてくれる(太股も鎖骨もこれでもかというくらいに見せまくり→笑)。が、その一方でアップの顔を見ればほとんど病に臥す老婆(笑)。メイクのせいなのか地なのか分からないくらいに、病んでいて、疲弊している。このアンバランスさ、無気味さ、不安定さ。コワイものは美しかったり、美しいものはコワかったりする。 いったいストラータスってのはホントは何歳なんだ? 1938年生まれだそうだから、えーと、今年で59歳!? ゲゲーッ。そんな歳っすか。まあ、本来ならオペラなんだから声楽的にどうかを云々しなきゃいかんのでしょうが、とにかく視覚的に強烈。「道化師」の有名な「鳥の歌」、旅芝居の一座から(そして夫である座長から)逃れ、鳥のように大空を晴れやかにまだ見ぬ土地を目指して(村の若い男とともに)、翼の限り飛ぶと歌う場面だが、ここで鳥の翼を模して両手をバタバタやっちゃうわけです。フツーの人がやったら爆笑もののタダのバカ・シーンになっちゃう演技が、ストラータスがやれば羽ばたく鳥の自由さ、救済の土地への渇望をリアルに伝えてくれてしまう。いやー、すごい。で、コワイ。 ところで、この2作品。音楽的にはまったく異なるが、ドラマ的には共通したものがある。一言で言えばどちらも「不倫間男殺人事件」(笑)。犯人は夫。不倫相手の若い男が被害者。妻と若い男との不倫を恨んでの犯行という動機も同じ。この不倫はロマンスというよりは、閉塞した殺伐とした生活におけるただ一つの逃げ道であり希望だ。夫が妻の不倫を疑い、「誰が不倫相手か」を探し出して殺害に至るというプロットまで共通している。
プッチーニがダンテの「神曲」(地獄篇+煉獄篇+天国篇)に着想を得て書いたオペラがいわゆる「三部作」だが、その地獄篇に対応するのがこの「外套」である。舞台は伝馬船。船長(夫。歌うのはポンス)のもと荷役人夫たちが土地から土地へと渡って重労働を強いられる厳しくも貧しい生活がそこにはある。一片の希望もなく、直視するに耐えない現実からの逃げ道はどこにもなく、男たちは酒を飲むことでそれを忘れるしかない。船長の妻、ジョルジェッタ(ストラータス)は、若い人夫ルイージ(ドミンゴ)と密通する。 もう一つのレオンカヴァッロの「道化師」は、庶民階級の日常を写実的に描いたヴェリズモ・オペラの代表作。劇中劇の形をとったメタフィクション・オペラと言ってしまおう(笑)。コメディア・デラルテの旅芝居の一座で起きる殺人事件。座長カニオ(パヴァロッティ)は、道化として劇の中で妻ネッダ(ストラータス)を寝取られた男を演じて村人の笑いを誘うという役柄なんだけど、演ずる内に現実と虚構の境目が怪しくなって、しまいに客席にいた女房の不倫相手を刺殺してしまうという狂気の物語。「実際にメトで舞台を見ている本物の聴衆」(1)、「舞台上で一座の芝居を見ている観衆」(2)、「一座の芝居」(3)という三層構造があって、1と2の間をオペラの前口上としてトニオ(ポンス)が、2と3の間を物語中で現実認識を失うカニオが、それぞれ橋渡しをしてくれるという、なかなか美しい構成のお話であります。まあ、こっちのほうは話も音楽も有名っすね。(97/10/31)
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●プッチーニ:オペラ「外套」&レオンカヴァッロ:オペラ「道化師」 |
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