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■ チョン・ミョンフン/東フィル「第九」期間限定無料配信中 | |
以前にもご紹介したso-netのWonder Jukeにて、現在チョン・ミョンフン指揮東京フィルによるベートーヴェン「第九」特別演奏会の映像が無料で配信されている。もちろん全曲配信。期間は2005年1月31日まで。
これは昨年2003年の年末にインターネット生中継されたときの公演なのだが、今回Wonder Juke Classicの一周年を記念して、再度オンデマンドで配信されることになった。非会員の方でも自由に視聴できるので、一度試しにご覧になってみては? フツーにネットで音楽を楽しめるのだということを実感できると思う。要Windows Media Player、要ブロードバンド環境。(2004/12/30) |
■BBCフィルが新潟支援チャリティ・コンサートを開催 | |
なんと、来日オーケストラが日本で起きた災害のためにチャリティ・コンサートを開くんである。“がんばれ新潟!”新潟県中越地震支援チャリティコンサートとして、英国マンチェスターのBBCフィルハーモニック管弦楽団(ジャナンドレア・ノセダ指揮)が、急遽チャリティ・コンサートを開催する。チケット代金による収益金が新潟県に寄附されるほか、会場内では募金箱も設置される。
11月16日(火)19:00開演(18:00開場) |
■ ショパン・コンクールのサイトがオープン! | |
ショパン・コンクール(ショパン国際ピアノ・コンクール)の日本語公式サイトがリリースされた。コンクール概要はもちろんだが、スクリーンセーバーや壁紙のダウンロードができたり、インタヴュー・コーナーがあったり(第一回は小山実稚恵さん)となかなかバラエティに富んだ作りになっている。毎月更新していくそうなので、楽しみなことである。
(2004/10/27)
>> フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール |
■ 秋は大砲をぶっ放せ! | |
10月30日(土)、陸上自衛隊朝霞訓練場にて、ホンモノの大砲を使ったチャイコフスキーの大序曲「1812年」のコンサートがある(笑)。入場整理券制なので、要事前申込(入場無料)。大砲は105mm榴弾砲4門(といわれてもなんのことかわからんのだが)。詳しくはこちらまで。どなたか知らないけど、これ企画した人は偉い。(2004/10/20)
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■ラカトシュ来日公演チケット・プレゼント! | |
「ヴァイオリンの怪人」なるキャッチフレーズ、数度の来日公演、DGからのアルバムなどで、すでにラカトシュの名前はクラシック音楽ファンにもおなじみだと思う(→参照:知らない人のためのラカトシュ講座)。「クラシックからジャズ・映画音楽なんでも弾けちゃう」というアーティストはいくらでもいるだろうが、ラカトシュの場合はその毛並みの良さで他と一線を画している。ハンガリーのジプシー・ヴァイオリンの名門ラカトシュ家(っていうのがあるんです)の出、ご先祖様はベートーヴェンやリストを感動させたという伝説の持ち主ヤノーシェ・ビハリだし、ラカトシュ本人にだってメニューインやイダ・ヘンデルを魅了した逸話がある。これで華麗なテクニックがあるんだから、本格派のエンタテインメントといっていい。
で、ジプシー・ヴァイオリンのアンサンブルなんだから、やっぱりライヴが楽しそうじゃないっすか。なぜここでラカトシュを話題にしているかといえば、それはこの秋に来日するラカトシュ・アンサンブルの東京公演に、本サイト読者様限定で2組4名様を抽選によりご招待しちゃうからだ(おお!)。11月2日(火) 午後7時開演、会場は東京オペラシティ コンサートホール。応募締切りは2004年9月20日。遠慮なく、応募してやってくれ!(2004/09/03) >> |
■いよいよ、あの超ベストセラーが! | |
いよいよ登場! 大ベストセラー連作歌曲集のシリーズ第2弾、今回のテーマは「さすらいの旅」。水車小屋に働く平凡な若者が、希望に満ち溢れた冒険の旅へと出発、冬の雪と氷と戦いながら、菩提樹で憩ったり、鬼火と戯れたり、ガール・フレンドを懐かしんで涙を流したり、郵便馬車と出会ったりと大活躍。ラストシーンでは謎の辻音楽師と対決、果たして主人公は敵の魔法のライアーが生み出す幻想と幻覚、そして孤独に打ち勝てるのか!
新境地へ到達した不朽の名作、ハンス・ホッターと冬の旅、大好評発売中!
(2004/09/02)
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■ カルロス・クライバー、逝く | |
カルロス・クライバー死去の報(Die
Welt, SPIEGEL)。享年74歳。すでにずっと前から指揮台からは遠ざかっていたにもかかわらず、どこかで「クライバーがまた指揮してくれたら」といった希望を抱いていた人も多かったと思う。これで「伝説的指揮者」の時代が終わったように感じる。
クライバーは現役の頃だってなかなか指揮台に立たなかった。指揮者が指揮をするのは当たり前のことであるはずなのに、クライバーの場合は「×年×月、×××で指揮をする」ということだけでニュースになった。一頃、夏ごろに発表される世界各地の主要オーケストラの来季スケジュール表のなかに tba (= to be announced) と印刷されているだけで、「これはもしやクライバーと交渉中なのでは!」と囁かれる時代があった。結局クライバーではなかったとしても、「これはクライバーとギリギリまで交渉したけど、それがダメで誰それになったのではないか」などと根も葉もないんだかあるんだかわからないようなウワサが跋扈していた。 録音・録画も少ない。追悼セールなんかされても買うものがない。特に自分にとって強烈だったのは、ベートーヴェンの交響曲第4番。曲そのものの印象がこれを聴いてガラリと変わった。それくらい鮮烈だった。 (2004/07/20) |
■ ザッパの名言 | |
右に挙げたジャケ写はアンサンブル・モデルンの演奏によるフランク・ザッパの「グレッガリー・ペッカリー」なんだが、このCDの話題じゃ全然なくって、とりあえず絵ネタが欲しいから置いただけであって(これはこれで聴いたらよい)、いま知りたいかなと思っているのは以下のフランク・ザッパの有名らしい引用句をあちこちで見かけるんだが、この出典はどこ/なにであるかという程度のことだったりする。 Some scientists claim that hydrogen, because it is so plentiful, is the basic building block of the universe. I dispute that. I say there is more stupidity than hydrogen, and that is the basic building block of the universe. -- Frank Zappa.いっしょに世界に絶望しようぜー、イエーイ! (2004/06/22) |
■ ヴァイオリン、悪魔の楽器 | |
先週末にNHK-BSで「バイオリンの芸術」が再放送されていた(DVDでの題は「アート・オブ・ヴァイオリン」)。改めて見たけど、やっぱりこれっておもしろいっすね。モンサンジョン制作のドキュメンタリーはみんな質が高い。
海外盤DVDではArt of ViolinのタイトルにDevil's Instrumentの副題が付いているようだが、これは本当に痛感した。ヴァイオリンくらい悪魔的な楽器はない。パガニーニのイメージのせいもあるが、このドキュメンタリーに登場する数々の名ヴァイオリニストの映像を見ていると、みなテクニックなんかとは別の部分で人間離れしていると思ってしまう。 「電話ボックスで弾いているみたいだ」って言われたのはシゲティだっけ。長身痩躯で貴人の風格でヴァイオリンを自在に操ればそれだけも十分悪魔風だ。ミッシャ・エルマンは水木しげるのマンガに出てきそうで、悪魔を超えて妖怪風。ハイフェッツは機械でできているみたいでメカデビルと呼ぼう。右腕の運動速度が光速を超えていそうな感じだ。メニューインは悪魔じゃなくて神の子、天使、実に神々しい。オイストラフは土の香りがプンプンしてて、体からなにか芽吹いてきそうなくらいの大地の精、巨人。伝説クラスの巨匠はみんな人ではない何かになっている気がする。 ピアノだと人が作った機械だけど、ヴァイオリンは弾いているうちに人間と楽器が合体しているような雰囲気がある。名刀ならぬ銘器に魂宿るで、弾きこむうちに人間が楽器を弾いているんじゃなくて、楽器が人間に弾かせているんじゃないか、みたいな。映画「レッド・ヴァイオリン」をちょっと思い出した。もっとも、これはやっぱり巨匠の映像だからそう思うわけで、現代の名手に同じような悪魔性を感じるかって言われるとビミョー。 (2004/06/08) |
■ 中野、クラシック、オタク | |
東京・中野の名曲喫茶「クラシック」はまだ健在だったのかあ(参照:k-tanakaの映画的箱庭、中空庭園)。あの一角だけ、時間が止まっているのかもしれん。古い記憶だが、最初に入ったときには本当に驚いた。なにしろ、コーヒー、音、居心地、すべてが凶悪(笑)。え、どうして、ここ有名なの?
ワタシがなにかまちがえてるのかな?みたいな、ものすごい困惑があったっけ。実際、ワタシがなにかをわかっていなかったんだろうけど。
中野は昔は普通の街だったけど、今や完全にオタクの街で、東の秋葉原、西の中野ってことになっている(と思う)。10年くらい前に「まんだらけ」が北口ブロードウェイに入ってからの変貌ぶりはすさまじく、既存の商店、つまり洋服屋だの食堂だの医者だのが、次々とまんだらけ×号店と化していった。今やまんだらけを核として、他にも同人誌、アニメのセル画、コスプレ、アイドル生写真、なにかすらよくわからないコレクター・アイテムなどが堂々と売られるオタクの牙城である。フツーにメーテルとかラムちゃんのコスプレがショーウィンドウに並んでいて、近隣の非オタク系住人は怖くて近づけない(かもしれない)。もちろんあなたやワタシのようなクラヲタは大丈夫、オタク文化に耐性があるから、ANIME大好き白人が嬉々として買い物しているのを見ても平然としていられるはずだ。 しかしオタクの街にも弱点がある。やたら夜が早い。これは秋葉原とも共通するのだが、夜8時、せいぜい9時になると、お客は退散、お店は閉店。これは不思議。近くのスーパーマーケットは夜11時とか12時まで開店している。中野は夜になると普通の街に戻る。 (2004/05/26) |
■ 評伝「サリエーリ」(サリエリ) その1 | |
作曲家サリエリの名を知ることができたのは、映画「アマデウス」のおかげである。「アマデウス」は映画だからもちろんフィクションなのだが、その主人公サリエリの人物造詣は実に魅力的なものであった。
では史実における作曲家サリエリは魅力的だったのか。この本格評伝「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」(水谷彰良著/音楽之友社)を読むと、彼の生涯が映画に劣らず興味深いものだったことがわかる。それは「サリエリによるモーツァルト毒殺説」のためなどでは断じてない。ワタシの知る限り、映画「アマデウス」を観てこの俗説を信じた人などいないし、それは映画のなかですら中心的なテーマではない。一言でいえば毒殺説などどうでもいい。それよりも、18世紀末から19世紀のウィーンにおいて、圧倒的な名声を得ていた大作曲家サリエリが、なぜ忘れられた存在になったのかということのほうが、はるかに興味を惹く。 実際、この本を読んでいておもしろいのは、第一にサリエリが栄華を極めるまでの成功譚であり、次にその後、時代がサリエリからロッシーニらへ移っていく件である。えっ、サリエリなんて、単に権謀術数に長けただけのいやらしい作曲家だろうって? チッチッチッ、そりゃ違う。本書で引用されているサリエリ激賞の証言に耳を傾けてみよう。 ある晩、私はオペラ座へ行った。サリエリの「ダナオスの娘たち」が上演されていた。そこには荘厳、舞台の輝き、オーケストラと合唱団の壮大な響き、ブランシュ夫人の悲壮な演技と見事な声、デリヴィスの崇高な荒々しさがあった。(中略) 私が混乱と興奮で陥った忘我状態は言葉で表せそうにない。山奥の湖で小舟しか見たことのなかった船乗り志望の若者が、大海を進む三層ブリッジの大型船に突然乗せられたようなものなのだ。その夜は一睡もできなかった。はい、それではここで問題です(えっ、クイズなのかよっ!) 上の尋常ではない賛辞を述べている「船乗り志望の若者」とは誰か。ヒントとしては、彼はこのサリエリ体験の後、大作曲家としてその名を歴史に残したってこと、あともう一つ、「私が混乱と興奮で陥った忘我状態」ってあたりにキャラが出てるなってこと。 その答えは、そしてサリエリ話の続きは、下の「その2」にて。(2004/03/30) |
■ サリエリ その2 − サリエリは18-19世紀の泉重千代だった | |
まず、昨日の激烈なサリエリへの賛辞の主についての解答である。実は引用中に「オペラ座」とあるので、パリでのことだとわかる(この時代に黙って「オペラ座」と書いたら、パリ・オペラ座のことだ)。正解はベルリオーズ。彼の「回想録」からの引用だった。
さて、ここで「えっ!?」と思った方もいらっしゃるのではないだろうか。ベルリオーズとサリエリは時代が重なっているのか、と。重なっているのだ。グルック、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ベルリオーズ、シューベルト、リスト、以上全員とサリエリの生涯は重なっている。初めて18世紀から19世紀にかけての音楽史年表を見た方は必ず驚愕する。この時代の「西洋音楽史」では、ものすごい勢いで新しい音楽語法やスタイルが発明され、ギュンギュンと時代が進んでいたのだ。ベートーヴェンの「第九」からベルリオーズの「幻想交響曲」まではたったの6年、「幻想」からワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」までだって35年でたどり着く。21世紀のワタシたちは50年も前に書かれた作品を「現代音楽」などと呼ぶほど呑気で牧歌的だが、18-19世紀は目もくらむようなスピードで時代が動いていた! そして、もう一つ重要なことがある。サリエリは18-19世紀ウィーンの泉重千代だった。彼は74歳で没した。前項でご紹介している「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」に、こういう記述がある。 当時のウィーン人の平均寿命は男性が36歳から40歳、女性が41歳から45歳だったから、サリエーリは充分長寿者だったのだ。ええっと、驚天動地、こりゃマジっすか。ワタシらは認識を改めねば。35歳で死んだモーツァルトや38歳で逝ったメンデルスゾーンを早世といってはいけない。平均寿命と変わらないではないか。一方、74歳のサリエリは統計的には並大抵の長寿者ではないということになる。 どうやらサリエリ最大の悲劇はここにありそうである。この音楽史的に激動の時代にあって、これほど長生きしてしまうということは、自分の傑作が古びて時代に取り残されていくことをリアルタイムで経験するということである。大作曲家にはなったものの、地位と社会的名声より作品寿命のほうが短いという恐るべき事態。これでは作品が忘れられるのも無理はないではないか。(この項、次に続く) (2004/03/31) |
■ サリエリ その3 − オペラ全曲盤、聴くしか | |
評伝「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」(水谷彰良著/音楽之友社)を堪能した後、次はもちろんサリエリの音楽そのものを聴きたくなる。録音は少なくない。特に最近の大きな話題としては、チェチーリア・バルトリのアリア集
The
Salieri Album がある(リンク先のamazonでちょっぴり試聴可能)。フツーに演奏の質を考えれば、これをまず聴くのがよさそうなものだが、しかし待て、オペラ作曲家なのだから、やはりオペラ全曲盤を先に聴きたいではないか。グルックに理想像を見ていたというサリエリのオペラはどのようなものなのか。
で、まず頭に浮かんだのは、先日ご紹介した若き日のベルリオーズ激賞の「ダナオスの娘たち」。EMIにジェルメッティの録音があるらしい……。が、ちょっと入手までに時間がかかりそうなのと、録音がこれしかないという点で、現代での評価はそれほど高くはないことがうかがえて、一番手ではないと判断。で、あれこれと悩んだ末に、写真のオペラ「ファルスタッフ」(Chandos)をamazonに発注した。指揮はアルベルト・ヴェロネージ。CDおよびDVDのサリエリ録音を品薄のものも含めて調べてみると、録音回数では「ファルスタッフ」がもっとも多いようである。別レーベルにマルゴワール指揮の録音もあってかなりそそられたのだが、入手までに時間がかかるのが難点。こういうのは自分の中で関心が高まっているときに聴けないと、楽しさが半減する。 ちなみに擬藤岡屋日記のPrima la musica, poi le parole (dopo le parole) 〜 その2 にて、まさしく上記の「ファルスタッフ」が薦められているではないか。CDの到着がますます楽しみになってきた。聴くしか。忘れ去られた名曲だろうが、思い出された駄曲であろうが、ワタシは大歓迎である。(2004/04/03) |
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