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June 12, 2026

葵トリオ ピアノ三重奏の世界 サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン

●11日はふたたびサントリーホールのブルーローズ(小ホール)へ。チェンバーミュージック・ガーデンで「葵トリオ ピアノ三重奏の世界」。来年のベートーヴェン没後200年に向けた7年プロジェクトの第6回。プログラムはベートーヴェンのピアノ三重奏曲第6番変ホ長調、武満徹の「ビトゥイーン・タイズ」、ラヴェルのピアノ三重奏曲。葵トリオのメンバーは、ピアノの秋元孝介、ヴァイオリンの小川響子、チェロの伊東裕。
●一曲目のピアノ三重奏曲第6番は、前夜に聴いたエベーヌ弦楽四重奏団のひりひりしたエクストリーム・ベートーヴェンとは別世界。自然な音楽の流れによる伸びやかなベートーヴェン。パッション、歌、ユーモアの要素が一体となった愉悦のひととき。武満の「ビトゥイーン・タイズ」をライブで聴いたのは初めてだと思う。作曲者は曲名に多義的な意味を込めたようだが、文字面だけを見れば、潮の満ち引き、潮の変わり目といった感じだろうか。あわい、移ろい、揺れ動きを表現したような音楽で、明確に水や波のイメージがある。骨格の大きさは違うが、ドビュッシーの「海」のエコーのようにも。15分くらいあって意外と長め。後半はラヴェルのピアノ三重奏曲。ものすごい密度の奇跡の名曲で、比較的聴く機会に恵まれた作品でもある。フレッシュで爽快。3人が一体となった胸のすく快演だった。アンコールにリリ・ブーランジェの「春の朝に」。オーケストラ版ではなんどか聴いているが、ピアノ三重奏版を初めて聴けてうれしい。
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●宣伝を。本日の早朝、メキシコvs南アフリカ戦でワールドカップ2026北中米大会が開催したわけだが、タイミングを合わせてONTOMOに「W杯で世界的人気に! プッチーニの『誰も寝てはならぬ』が“勝利の歌”になった理由」を寄稿した。日本ではあまり語られていないエピソードだと思うので、ご笑覧ください。

June 11, 2026

エベーヌ弦楽四重奏団 ベートーヴェン・サイクルII サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン

エベーヌ弦楽四重奏団 ベートーヴェン・サイクルII サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン●10日はサントリーホールのブルーローズ(小ホール)でエベーヌ弦楽四重奏団。今年のチェンバーミュージック・ガーデンのベートーヴェン・サイクルはエベーヌ弦楽四重奏団。ついに真打登場といった感。全6回シリーズの第2夜のみ参陣。メンバーはヴァイオリンがピエール・コロンベとガブリエル・ル・マガデュール、ヴィオラがマリー・シレム、チェロが岡本侑也。昨年、トッパンホールで聴いたときも書いたけど、このカルテットに日本人奏者が入っている様子に、マンチェスターユナイテッドに香川真司がいたくらいのインパクトを感じる(←たとえが古い)。曲は弦楽四重奏曲第2番ト長調、第16番ヘ長調、第14番嬰ハ短調。後期作品を2曲聴けるのがうれしい。
●演奏は恐るべき完成度で、弦楽四重奏の枠をはみ出すほどのスペクタクル。表現のコントラストを極大に設定したようなアグレッシブなベートーヴェンで、まるで交響曲を聴いているかのようなスケール感。彩度とシャープネスはマックス、精彩に富み、振幅が大きい。が、もちろん鋭さ一辺倒ではなく、柔らかさ、やさしさも十分。第2番、初期作品がこんなに大きな音楽だったとは。第16番は第3楽章の祈るようなカンタービレが印象的。第14番、自分のイメージではくすんだブルーグレーの色調に惹かれる作品なのだが、むしろエネルギーを全開放した壮麗さに圧倒される。全体にヴィブラートとノンヴィブラートの使い分けも効果的。
●あまりにすごすぎる音楽に接すると、興奮と同時に軽微な憂鬱がセットで付いてくる現象がかねてからの謎なのだが、たぶん、「この水準に慣れると、満足のハードルが高くなりすぎて、ふだんの喜びが減るのではないか」という心配なんだと思う。

June 10, 2026

もうすぐワールドカップ2026が始まるのだが

ワールドカップ2026参加国
●さて、まもなく4年に1度のフットボールの祭典、ワールドカップ2026が開幕する。開幕戦は6月12日午前4時だ。しかしこの大会をなんと呼べばいいのか? 北中米大会、それともカナダ・メキシコ・アメリカ大会なのか(長い)。いや、そんなことはどうでもいい。問題は今回から参加国が48か国になり、試合数が全104試合に肥大化していることだ。あまりに試合数が多い。AからLまで12ものグループがあり、各グループの上位2位、および3位チームの上位8チームが決勝トーナメントに進出できる。は? つまり48チームを32チームに絞るために、グループリーグ72試合(6試合×12グループ)もするの? だれですか、こんな非効率な試合方式を考えたのは!
●というと、サッカー古老の人はこう言うかもしれない。「いやいや、32チームに増えたフランス大会より前は、24チームが参加して、そこから16チームを残すためにグループリーグをやってたんだから、昔も似たようなものじゃないの」。ちーがーうーーー。24チームなら全チーム追いかけられたでしょ。今は48チーム! 参加国を全部言えない。知ってた? キュラソー代表やハイチ代表やカーボベルデ代表が大会に参加していることを。
●そもそもわれわれファンにとって、ワールドカップの戦いとは仕事など生活との両立をどうするかという戦いでもある。時差の問題も含めて、戦略性が必要。仕事については、自主的に「ワールドカップ進行」をして、できるものはどんどん先取りして済ませるという考え方もある……と書いてみたけど、ムリか。なにせワールドカップは一か月を超える長丁場だし。それで、思ったんだけど、もうグループステージは日本戦とブラジル戦だけ追いかけるみたいな割り切りが必要なんじゃないか。だって、決勝トーナメントの時点でまだ32チームも残ってるから、そこからが「ワールドカップ本大会」みたいなもの。
●で、ああだこうだと言いつつ、ここからが本題なんだけど(えっ)、今大会は番狂わせが続出して、いわゆる強豪国(優勝経験国)がどんどん敗退すると思う。理由はいくつかあって、ひとつはもちろん各国間の実力差が縮まっていること、もうひとつはVARでフェアになったこと(大舞台の経験の乏しい主審でも勇気をもって強豪国に不利な判定を出せる)、あとはトーナメントが32チームから始まるので一発勝負が1試合増えたこと。現代サッカーにおいて、決勝トーナメントに入ったら、強豪国でも90%勝てる相手なんてほぼ存在しない。せいぜい70%から80%くらいの勝率だろう。たとえば75%の勝率でも、3連勝できる確率は42%しかない(0.75^3=0.42)。決勝トーナメントに入ってから優勝するまでに必要なのは5連勝だ。強くても運の助けがないと勝ち続けるのは難しい。
●あるブックメーカーのオッズを見たところ、優勝国の上位3つはスペイン16%、フランス16%、イングランド11%。最強国でもこの程度の優勝確率とみなされている(ここでは胴元のマージンを考慮しない)。ブラジルでも8%、ドイツでも5%。つまり、かなり分散しているのだ。ノルウェー、ベルギー、コロンビア、日本、モロッコあたりはいずれも2%。ドイツの5%と比べて極端に低いわけではない(かつてないほど日本が評価されている!)。別の言い方をすれば、どの国であっても「当たりくじ」を引かないかぎり、優勝できないとも言える。

June 9, 2026

高崎市美術館と高崎市タワー美術館

高崎市美術館
●6日、せっかく高崎まで遠征したのだから高崎芸術劇場&群響の「トスカ」の前に、高崎市美術館高崎市タワー美術館に足を運んだ。というか、毎回、高崎遠征は芸術劇場と美術館をセットにしている。両美術館とも駅のすぐそばでアクセスは抜群によい。とくに高崎市美術館は建築物としても独特の魅力があって、ほかにはない居心地の良さがある。
●高崎市美術館での展示は「版画集ぜんぶ見せます!」と「特集展示 小林正」。版画集はかなり強力なラインナップで、フェルナン・レジェの「サーカス」48点、ジョルジュ・ブラックの「もしも僕が死んだら」17点、シャガール「ポエム」24点、ピカソ「闘牛」26点など、ひとつの版画集をまるごと見せるというコンセプト。自前の収蔵作品だけでこれだけできるのは立派。しかも、週末でも空いていて快適。座る場所もたくさんあるので、のんびり過ごせる。ぜいたくな場所である。

フェルナン・レジェ「サーカス」
●一点、惜しかったのは全点撮影が禁止だったことで、コレクション展では珍しいかも。代わりによそのサイトからダウンロードした、フェルナン・レジェ「サーカス」の一点を上に置いておく(レジェの著作権は切れている)。

takasaki2026kobayashi.jpg
●同時開催の「特集展示 小林正」も見ごたえあり。高崎市出身の画家、小林正(1949~)の絵画23点が展示され、こちらは撮影可。一点選ぶなら、上の「我ら」(1990)。家族や街をテーマにした作品が多いのだが、時期によって作風はかなり変わる。
●もう一か所の高崎市タワー美術館は、駅から芸術劇場に向かう途中にあって、こちらはビルのなかの小ぢんまりとした展示。現在の展示は「物語る日本画」。これもよかったのだが、写真がないのですぐに記憶が薄れる。写真は「そこに行った」というライフログとして欲しいんすよね。

June 8, 2026

高崎芸術劇場 GTシンフォニック・コンサート vol.2 オペラ「トスカ」

高崎芸術劇場
●6日は高崎遠征。群馬交響楽団と高崎芸術劇場の主催によるGTシンフォニック・コンサートvol.2でプッチーニのオペラ「トスカ」(セミ・ステージ形式)。沼尻竜典の指揮で、高崎を皮切りに、神奈川フィル、名古屋フィルでも同様に「トスカ」が上演される。歌手陣は佐藤康子のトスカ、シュテファン・ポップのカヴァラドッシ、上江隼人のスカルピア、妻屋秀和のアンジェロッティ他。合唱にGTシンフォニック・コンサート・プロフェッショナル・シンガーズ、藤岡市立小野小学校合唱部(児童合唱)。舞台構成は粟國淳。高崎芸術劇場はステージがとても広いので、前方に演技用のスペースを設置して、ここでしっかりと演技する。テーブルなど、大道具、小道具も一通りあり。背景にスクリーンが設置され、主に舞台設定となる場面を静止画で映し出す方式。照明にも一工夫あり、全体としてほとんど舞台上演と変わらない密度で物語を楽しめる形態になっていたと思う。奇をてらった趣向はなく、初めて観る人にも安心の「トスカ」。
●群響を聴くのはかなり久しぶり。8年ぶりかな。今、どこのオーケストラも技術的水準が高まっていると感じるが、群響も例外ではなく、綿密な音作りで、繊細な表現から豪快な咆哮まで雄弁に音のドラマを作りあげる。大空間だが、かなりパワフルで、たたみかける場面は迫力満点。プッチーニのオペラはオーケストラも主役のひとりだと改めて実感。オーケストレーションが魅力なので。歌手陣は好演。なかでもシュテファン・ポップの声が強烈。抜けるような明るい声。子どもたちの合唱のひたむきさに心打たれる。
●自分は名作オペラであってもストーリーを本気で観る派なので、毎回「トスカ」のたびに同じようなことを言うけど、トスカって本当に嫌な女だと思うんすよね。嫉妬深さに加えて、聡明さを欠いているところが耐えがたい。ある意味、事件の張本人。いちばん嫌なのは画家に眼の色を塗り直せと要求するところで、歌手なのに他人の芸術への敬意が足りない。自己中心的で、短絡的で、その場の瞬間的な感情だけで物事を判断する。本当ならカヴァラドッシやアンジェロッティよりも、スカルピアの側にいるはずだった人間なんじゃないかと思うことがある。トスカとスカルピアのそれぞれに信仰告白をさせているところにも、作者からの「似た者同士」的な扱いを感じる。

June 5, 2026

ステファヌ・ドゥネーヴ指揮NHK交響楽団のフランス音楽プログラム

ステファヌ・ドゥネーヴ NHK交響楽団
●4日はサントリーホールでステファヌ・ドゥネーヴ指揮N響。爽やかな初夏を思わせるフランス音楽名曲集で、オネゲルの「夏の牧歌」、ベルリオーズの歌曲集「夏の夜」(ガエル・アルケーズ)、イベールの「寄港地」、ドビュッシーの「海」。こういった季節感のあるプログラムは大好物。オネゲルのホルンやイベールのオーボエなど、管楽器の聴かせどころも満載でご馳走感たっぷり。オネゲルの「夏の牧歌」ほど清涼感のある名曲もない。夏の高原そのもの。明るいけど、明るいだけではなく陰もある。ベルリオーズの「夏の夜」はメゾ・ソプラノのガエル・アルケーズが温かみのある声を披露。この曲、ベルリオーズにしては「こじらせ」系成分が薄くて、ひたむきな愛の音楽を味わえる。
●後半のイベールは痛快。色彩感豊かで清爽な響き。ドビュッシー「海」も同様にカラフルではあったのだが、ドゥネーヴが気迫のこもった指揮で、熱気にあふれたドビュッシーになった。おしまいは精緻なバランス感よりも情熱が勝って、すごい高揚感に。楽員退出後、いったん拍手が止みかけたが、そこから次第に高まって、ドゥネーヴのソロ・カーテンコールに。マエストロはうれしそう。愛すべきキャラクターが伝わってくる。
●今回もゲストコンサートマスターにジュリアン・ズルマン。

June 4, 2026

東京都美術館 アンドリュー・ワイエス展

東京都美術館 アンドリュー・ワイエス展 「ケネットの集会所」
●東京都美術館開館100周年記念のアンドリュー・ワイエス展へ。20世紀アメリカの具象絵画。アメリカ北東部の田舎の風景、あるいは人物が、どれも彩度の低い色調で描かれ、多くの作品では外の光の明るさと室内の陰が強いコントラストをもたらす。豊かな田園風景ではなく、自然環境の厳しさ、暮らしの質素さが伝わってきて、どういうわけか自分の内側には存在しないはずの郷愁を呼び起こす。写真は一部撮影可。上は「ケネットの集会所」(1980)。

東京都美術館 アンドリュー・ワイエス展 「灯台」
●こちらは「灯台」(1983)。ワイエスが所有していたメイン州の小さな島にある灯台の内側を描いている。これで灯台と言われても。ていうか、ワンちゃんだし、主役は。全体に厳しさを感じる作品が多いんだけど、この作品のように80年代後半から90年代になると、少し和らいだ雰囲気も漂う。

東京都美術館 アンドリュー・ワイエス展 「納屋の猫たち」
●もうひとつ動物テーマで「納屋の猫たち」(1993)。隣人の納屋を描いている。猫を探しても見つからない。代わりに左下に猫のエサ入れがある。奥で荷車を押しているのは隣の奥さん。猫はねずみ退治のために外で飼っていたというから、今は仕事中なのかもしれない、人と同じように。こんなふうに室内から外の明るい光を目にする構図が多い。
●全体として目立つテーマは、不在、孤独、痕跡。「その状態に至る前の過去」に思いを巡らせてしまう。

June 3, 2026

映画「スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー」 もうひとつの父子の物語

●映画館で「スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー」を観る。めちゃくちゃおもしろくて、びっくりした。結論はもう出ている。これが「スター・ウォーズ」の正史だ。「スター・ウォーズ」7~9はとっくに自分のなかでは存在しなかったことになっているのだが、このマンダロリアンの映画を「スター・ウォーズ」と銘打ったのは正解だと思う。ルークもダース・ベイダーもいないし、ジェダイも出てこないし、ジョン・ウィリアムズのテーマ曲もないが、まぎれもなく「スター・ウォーズ」。これでよかったのだ。
●「マンダロリアン」はもともとDisney+で配信されているドラマシリーズで、シーズン1からシーズン3までが公開されている。ダース・ベイダーが倒れた銀河帝国崩壊後の時代に、孤独な戦士マンダロリアン(マンドー)が民族の掟を背負って生き抜く様が描かれている。もともと「スター・ウォーズ」とは神話を時代劇/西部劇の文法で描いた物語だと思うが、「マンダロリアン」もまさにそう。ただ、ルーク・スカイウォーカーのような若者の成長の物語ではない。マンダロリアンは孤独なオジサンなのだ。ダークなテイストの物語になる。が、そこにグローグーというヨーダと同じ種族の幼児が加わったことで、「マンダロリアン」は父子の物語になった。時代劇の観点から言えば「子連れ狼」のスペースオペラ版。かつての「スター・ウォーズ」が子の立場から描いた父子の物語なら、「マンダロリアン」は父の立場から描いた育児の物語である。マンドーの戦いは、シングルファーザーの育児以外のなにものでもない。グローグーの愛らしさの背後にはつねにマンドーの苦悩や葛藤が潜んでいる。父性は「マンダロリアン」の最重要テーマだろう。
●今回の映画「スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー」に関して言えば、「スター・ウォーズ」シリーズではおなじみの裏社会の支配者ジャバ・ザ・ハットの息子に焦点を当てたことで、ぐっとストーリーに味わいが出たと思う。マンドーはあの息子の姿を見て、まちがいなくグローグーの将来について思いを馳せたはず。ディズニーっぽさは正直、ある。そこは許容するしかない。あと、過去の「スター・ウォーズ」へのオマージュが今までの映画ではぜんぜんうまくいっていないと思っていたのだが、この作品では見事に成功している。あの怪物たちと来たら……。結局のところ、大事なのは幹となるストーリーなのかな。

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制作者

飯尾洋一(Yoichi Iio)

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