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May 29, 2026

アーシュラ・K・ル=グウィンの「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて」

●「ゲド戦記」の作者として知られる作家、ル=グウィンほど聡明な書き手はめったにいないと思うのだが、数年前に刊行された生前最後のエッセイ集「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて ル=グウィンのエッセイ」(アーシュラ・K・ル=グウィン/谷垣暁美訳/河出書房新社)を読んでみたら、この人は80代になってもキレッキレの知性を保っていたことがよくわかった。81歳になって始めたブログの記事がもとになったエッセイ集で、老いることや文学や社会について、あるいは飼い猫の話などが自由に綴られている。書名はハーバード大学の同窓会から送られてきた「余暇にはなにをしていますか」というアンケートへの回答に由来する。80代にとって余暇とは? ル=グウィンの回答は「暇なんかないわ、大切なことを考えるのに忙しくて」だった。
●ル=グウィンのもとには、大勢の読者からの手紙が届く。それはそうだろう。そこには作者への質問がたくさんある。なかには作品の意味を問うものもある。それに対してル=グウィンの言っていることが、とてもいいなと思うので、以下に引用したい。

 この本の意味は何ですか? この本のこの出来事の意味は? この物語の意味は? 何を意味しているのか教えてください。
 でも、それは私の仕事じゃないの。あなたの仕事よ。
 私は自分の物語が自分にとって何を意味するのか、少なくとも部分的には知っている。同じ物語が、あなたにとってはまったく違うものを意味することは大いにありうる。そして、1970年にその物語を書いたときに、それが私にとって意味していたことは、1990年にそれが私にとって意味していたこととも、2011年の今、意味していることとも、まったく異なるかもしれない。(中略)

 芸術(アート)における意味は、科学における意味と同じではない。言葉が理解されている限り、熱力学第2法則の意味は、誰がいつ、どこで読んでも変わらない。『ハックルベリー・フィンの冒険』の意味は変わる。(中略)

 それが自分にとって何を意味するのか見定め難いときに、書いた私に訊きたくなる気持ちはわからなくもない。だけど訊かないでほしい。書評家や評論家やブロガーや研究者の書いたものを読めばいい。彼らは皆、本が自分にとって意味することについて書く。そうすることで、本を説明して、ほかの読者にとって役に立つ、適切な共通の理解を打ち立てようと努める。それが彼らの仕事であり、彼らの一部は非常にうまくやってのけている。

●これは文学についての話だけど、音楽もまさにそうだし、芸術とはみんなそんなものだろう。作者に意味を尋ねてはいけないし、作者は読み手の解釈を正しいともまちがいとも言う立場にはない。作者のなかに一義的に定められた答えがあるわけではなく、作者のなかでも意味は変化し続ける。芸術の大前提だ。以前、バルガス・ジョサ(リョサ)の「街と犬たち」(都会と犬ども)について、カイヨワが作者に対して話をまったくわかっていないと断じたエピソードを紹介したが、一脈通ずる話でもある。
●ちなみに音楽についての話題だと、ル=グウィンはジョン・ルーサー・アダムズがお気に入りなんだとか。有名なジョン・アダムズじゃないほうの作曲家。環境とか自然との共生がキーワードになるのかな。まあ、わかる話ではある。

May 28, 2026

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮フランス放送フィルのブルックナー

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン フランス放送フィル
●このブログ、演奏会の話題が続くと、茶色っぽい写真ばかり並んで、揚げ物だらけお弁当みたいになる。唐揚げ、トンカツ、コロッケ、エビフライ、メンチカツ、みたいな。うまそう~(ウソ)。
●さて、27日はサントリーホールでヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮フランス放送フィル。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第21番(藤田真央)、ブルックナーの交響曲第7番(ノーヴァク版)。前半、オーケストラは磨き上げられたきらびやかなスイート・モーツァルト。藤田真央のピアノは生気にあふれ、フレッシュ、陰影も豊か。聴きものは独自のカデンツァで、たっぷり。期待にたがわず創意にあふれ、モーツァルトの様式を超えて即興性に満ちている。やっぱり、カデンツァはこうでなくては。カデンツァのおしまいで、ぴたっとオーケストラが入れた。当たり前かもしれないけど、うっかりすると入れないんじゃないか的なタイプのカデンツァだったので。第3楽章のカデンツァも自作(ですよね?)。ソリスト・アンコールは、最初、あれ、なんだろうこの曲と思っていたら、「マイスタージンガー」の旋律がだんだんはっきりと聞こえてきて、最後はオペラの堂々たるエンディングにつながった。会場表記はワーグナー(藤田真央編)「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕より「朝は薔薇色に輝いて」およびフィナーレ。アンコールとしては長いのだが、素直にうれしい。後半のブルックナーにつなげる選曲ということか。
●フランスの楽団が来日公演でブルックナーをとりあげるのは珍しいが、これが期待を大きく上回る秀演。ヴァン・ズヴェーデン、前半のモーツァルトといい、以前のニューヨーク・フィル来日公演といい、自分の好む方向性とはだいぶ違う指揮者だと思っていたのだが、このブルックナーには好感しかない。オーケストラのサウンドが明るく滑らか、ふっくらとして輝かしい。自然体でのびやか、壮麗。深遠さを気取らない感じがいいと思った。実際、ブルックナーの後にアンコールでドヴォルザークのスラヴ舞曲第8番を賑やかに鳴らしてくれたわけで、このあたりのブルックナー観が興味深いところ。日本的な感覚では、ブルックナーにアンコールはまずない。でも、おかげでシンバルとトライアングル奏者の出番が、ブルックナーの第2楽章のクライマックスの一瞬だけで終わらずに済んだ。よかった(?)。
●ブルックナーがメインプログラムなのに、休憩中の男性トイレが空いていた。これは長年のコンサート通いで初めての経験。恐るべし、藤田真央効果、自然の摂理を超越するとは!(違う)。

May 27, 2026

シルヴァン・カンブルラン指揮読響のメンデルスゾーン、コルンゴルト、ドヴォルザーク

シルヴァン・カンブルラン 読響
●26日はサントリーホールでシルヴァン・カンブルラン指揮読響。黄金コンビが帰ってきた。プログラムはメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲(イリア・グリンゴルツ)、ドヴォルザークの交響曲第8番。先にカンブルランと読響はデュティユー他の公演があったが、そちらは都合が付かず。ああいったモダンなプログラムが本領だとは思うが、この日のような名曲プログラムでも、このコンビは本当にすばらしい。有名曲をすっきりと洗い直してくれる稀有な存在。
●一曲目のメンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」から充実。見通しがよく明快で、キレがあり高分解能。もっさり感ゼロ。整った造形から自ずと奇観がもたらす神秘とロマンが立ち昇ってくる。あらためて完璧な名曲と実感。コルンゴルトではイリア・グリンゴルツのソロが細身で優美繊細。アンコールにタルティーニの30の小ソナタの第2番より第3楽章アレグロ・アフェットゥオーソ。後半のドヴォルザークの交響曲第8番は理想的な快演。整然として爽快、土の匂いどころか清潔感すら漂うスマート・ドヴォルザーク。ドヴォルザークの作品で、自分にとっていちばんグッとくるのがこの曲。あまりにも自然で、人間が作ったものという気がしない。大地に埋まっていたものを作者が掘り起こしたかのような錯覚を覚える。愉悦にあふれ、心の底から楽しめるドヴォルザークだった。拍手はあっさりと止んだのだが。
●カンブルラン、身のこなしがあまりに若々しくて、つい年齢を調べてしまった。77歳とは。カッコよすぎる。

May 26, 2026

ロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団のシュトラウス&ラヴェル

ロレンツォ・ヴィオッティ 東京交響楽団
●東響の話題が続くが、24日はミューザ川崎でロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団。音楽監督就任披露と銘打たれた特別演奏会で、リヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」(マリーナ・レベカ)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(東響コーラス)。前週のベートーヴェンとマーラーに続いて、練り上げられた完成度の高い演奏。ヴィオッティの音楽監督としての最初のシーズンからは多様なレパートリーに取り組む姿勢がうかがえるが、今回は前半に独唱者、後半に合唱が入るという意味では歌の回。
●「4つの最後の歌」のマリーナ・レベカは声量豊かで、艶やか、雄弁。オーケストラは繊細な響き。後半のラヴェル「ダフニスとクロエ」は鮮烈。色彩感が魅力の作品だが、透明感のある水彩画というよりは滲みのないマットなアクリル画というか。淡い官能性よりも、かっちりとした格調高さを感じる。フルートの冴え冴えとしたソロが印象的。終盤は熱量もありドラマティック。この日も客席は大喝采で、新音楽監督の就任披露としては望みうる最上の結果だったんじゃないだろうか。
●ヴィオッティはとてもカッコいいのだが、早く新しい「アー写」がほしい。「アー写」は露出が大きいほど、賞味期限が短くなるので。

May 25, 2026

東京交響楽団 ロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督就任記者会見

東京交響楽団 ロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督 就任記者会見
●21日、ミューザ川崎で東京交響楽団のロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督就任記者会見が開かれた。コンサートホールの舞台上で行われ、プレス関係者は客席に座るスタイル。新音楽監督のロレンツォ・ヴィオッティ、廣岡克隆楽団長、岡崎哲也理事長が登壇。冒頭に福田紀彦川崎市長のメッセージ紹介あり。すでにベートーヴェンとマーラーを組み合わせた就任披露公演が大成功に終わっており、廣岡楽団長からは「期待を大きく上回る成功」「客席を巻き込む力のある指揮者」とのコメント。
●ヴィオッティは音楽監督を務めることについて「大きな名誉であり責任を感じている。持てるエネルギーのすべてを注ぎ込みたい」と抱負を述べつつ、まずは取り組むべき課題として「若い聴衆を巻き込みたい。楽団員は年々若くなっているが、それに比べると聴衆は若返っていない。若い人々を呼ぶことを大きなミッションとしたい」。ヴィオッティ自身、36歳と指揮者としては若いわけだが、若い聴衆を呼ぶ試みに各地で取り組んでいる様子。なるほどと思ったのは「オーケストラはよく子ども向けの公演を行うが、そうではなく、大学生くらいの年齢の人々にアプローチしたい」
●ミューザ川崎の音響を称賛し、レストランにたとえて「シェフにとって最高のキッチンが最高の料理を作るように、オーケストラにとって最高のホールが最高の音楽を生む」。また、「一般的に日本の聴衆は非常に集中力が高い。先日の就任披露公演の後、ママに電話して『演奏中、あちこちで咳が出ないって信じられる?』と話した。楽章間で静けさが保たれているとき、聴衆との結びつきを感じる」
●新シーズンのプログラムでは、大作、フランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」が目立つ。この作品について「楽団側からこの曲を提案されて、もちろんやらせてほしいと即答した。この曲は、昔、アーノンクールの指揮で合唱団の一員として歌ったことがある。いつかこの曲を指揮したいと思っていたが、どこのオーケストラでやりたいと言っても断られてきた。今日、この曲はウィーンでしか演奏されない。それなのに楽団から提案されたのだから、これは信じがたいこと」
●あとは印象に残ったのは、現代の作曲家として、ひとり名前を挙げるなら、トーマス・アデスと言っていたこと。それから、ヴィオッティは初めてのプロオーケストラの指揮が東響で、当時の記憶については「オーケストラが我慢強かった。また招いてもらえたのだから悪くなかったとは思うが、まだまだ自分は若かった」。プログラミングについて、マーラー・シリーズとかベートーヴェン・シリーズみたいなものは「好きではない。そういったシリーズもの企画は指揮者のため、あるいはレコード会社のためのもので、自分は興味がない」
●全体の印象としては、とても率直な語り口で、誠実で知的。東響は前任者ノットがあまりにも大きな成功を収めたので、次の監督はだれがなっても難しいんじゃないかと思っていたが、最高の人選だったんじゃないだろうか。
東京交響楽団 ロレンツォ・ヴィオッティ音楽監督 就任記者会見

May 22, 2026

ジョン・アダムズ指揮東京都交響楽団の「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」「ハルモニウム」

ジョン・アダムズ 東京都交響楽団
●21日はサントリーホールでジョン・アダムズ指揮都響。ジョン・アダムズは2024年1月の都響定期で遅すぎた日本デビューを飾って「ハルモニーレーレ」他を指揮してくれたわけだが、今回、ようやく再共演が実現。79歳。あのジョン・アダムズも爺になる。でも、スリムで動きは軽やか、指揮棒の動きは明快。もっとも成功している現代の作曲家のひとり。未来から振り返ったとき、20世紀後半から21世紀初頭のオーケストラ音楽の代表的作曲家としてジョン・アダムズの名が刻まれるのだろうか。
●曲は前半にジョン・アダムズの「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」(1999/日本初演)、後半にアイヴズの「答えのない質問」、新国立劇場合唱団との共演でジョン・アダムズ「ハルモニウム」(1980)。「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」(日本語表記の揺れあり、「繊細で感傷的な音楽」等)は、曲名を見れば「ナイーヴ」で、しかも「センティメンタル」だというのだから、すごく「ベタな」音楽なのかと思うわけだが、作曲者自身の解説によれば、これは誤解を招くのを承知で使っている言葉なのだとか。本来はシラーの論考「素朴な詩と感傷的な詩について」における意味で使っているという。すなわち、「自分と周囲の環境とのあいだに、あるいは自分自身の内部に、いかなる亀裂も意識していない者」がナイーヴ、「意識している者」がセンティメンタル。このふたつの語を対立する概念として把握する発想がなかったけど、「それって、どっちを選んでも敗北なんじゃね?」って気はする。まあ、この分類でいえば、客席に詰めかけているたいていの人はセンティメンタルの側に立つ……のか?
●シラーとか、「ベートーヴェンかよっ!」って突っ込みたくなるところだけど、でも音楽は完全にジョン・アダムズそのもので、衒学的なところはなく、すこぶる明瞭で爽快。「急─緩─急」の3楽章構成で、中間楽章は瞑想的。第3楽章が壮麗で、前の2楽章に比べると、典型的なジョン・アダムズという意味で新鮮さよりも古典性を感じる。とても楽しい。短いパターンによるリズミカルな反復をもとにすると、いくらでも長大な曲ができてしまうので、ジョン・アダムズ流のポスト・ミニマルはシンフォニーにもオペラにも適しているとは思うんだけど、そのなかで新味となじみやすさのバランスをどうとるかは難しいところなんじゃないだろうか。自分の心のなかのどこかに「ハルモニーレーレ」の再生産を期待する気持ちがないとはいえない。
●「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」は45分の大作だけど、合唱入りの「ハルモニウム」は33分ほど。これも十分大作だけど、聴いてみると短く感じる。3つの部分からなり、それぞれテキストはジョン・ダンの「否定でしか表せない愛」(ネガティブ・ラブ)、エミリー・ディキンソンの「私が死のために立ち止まることができなかったから」、同「大荒れの夜」(荒れ狂う夜)。それぞれ英語圏ではとてもよく知られた詩なのだと思う。作曲者がテキストに求めたイメージは「さざ波のような音の波に乗って進む大勢の人間の声」。まさにその通りの音楽ではじまる。これもおおむね「急─緩─急」の構成。第3楽章はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」終楽章を思い出させる高揚感あふれる楽想で始まる。これはワイルド・ナイト、嵐の夜として歌われるのは狂おしい愛(字幕はなかったが、プログラムノートに対訳あり)。自分は後から知ったんだけど、この詩はエミリー・ディキンソンが彼女の義理の姉に対する情熱を表現したものという解釈が一般的なのだとか。マグマのようなエネルギーが噴出するが、最後は波が引いて、消え入るように終わる。「愛と死」というもっとも根源的なテーマを扱った全3楽章。
●間に演奏されたアイヴズの「答えのない質問」もたいへん見事な演奏。トランペットを2階席に配置、木管をP席に置いて立体的な音響。始まる前に指揮者の脇に椅子が置かれ、そこに客席に背を向けて合唱指揮の冨平恭平さんが座ったので「?」と思ったが、木管への副指揮だった。よく見たら、プログラムノートに副指揮としてもクレジットされてた。
●ジョン・アダムズのソロ・カーテンコールあり。

May 21, 2026

宇都宮美術館「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」展

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●もうひとつ美術館の遠征ネタを。大型連休の合間の平日に足を運んだ宇都宮美術館の「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」。開館30周年記念としてドイツのヴァルラフ=リヒャルツ美術館のコレクションによる印象派をめぐる全70点を展示。初めて来たが、「うつのみや文化の森」という緑豊かな公園のなかに建てられた立派な美術館で、すこぶる快適な空間。

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●上はゴッホの「跳ね橋」(1888)。人だかりなし。ゴッホや印象派を謳ったら、都内なら平日だろうが休日だろうが大混雑必至だが、ここでは好きな作品を心行くまで見ていられる。演奏会は都心に一極集中だけど、美術館は中規模都市の優位があることを実感する。ゴッホは2点だけなのだが、ほかにモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン等々、そうそうたる布陣。

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●こちらはマネ「アスパラガスの束」(1880)。今回の展示でいちばんおいしそうな一枚。購入者が絵を気に入って代金を多めに送金したところ、喜んだマネは後日「束から一本、抜けていました」とメッセージを添えて、一本だけのアスパラガスの絵を送ったエピソードが紹介されていた。

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●モネの「ヴェトゥイユ上流、春の効果」(1880)。この小さな写真ではディテールは伝わらないとは思うけど、ぼやっとした淡い空気感があって、湿度を感じる絵。

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●中庭にあったオブジェ。チューブからニュルッと白が飛び出している。こういうのが楽しいのだ。

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●ぜひまた来たいと思う美術館なのだが、一点、注意が必要なのはアクセス。バスの本数が少ない。宇都宮駅から美術館行きのバスは1時間に1本か2本で、なぜか12時台はゼロ。11時45分の後、13時20分までの空白がある。この時間帯は餃子タイムなのか(駅ビル内においしそうな餃子のお店がたくさんある)。閉館時間とバスの時刻も連動していないので、うっかり閉館の17時まで滞在してしまうと、平日は17時36分、日曜に至っては18時12分までバスがない。ただ、別の路線を使う手はあるかもしれない。検索すると、美術館から徒歩14分にある帝京大学というバス停を使うルートが出てくる。歩行者フレンドリーな道かどうかは知らない。

May 20, 2026

パーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

●19日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団。プログラムはシューマンの「ゲノフェーファ」序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ジャニーヌ・ヤンセン)、チャイコフスキーの交響曲第5番。このコンビをライブで聴くのは初めて。パーヴォの指揮はN響でたくさん聴いてきたけど、来日オーケストラとの共演も多い。ドイツ・カンマーフィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ、パリ管弦楽団、シンシナティ交響楽団……。どこのオーケストラを振っても、輪郭のシャープな明瞭鮮烈なパーヴォ印のサウンドが出てくるんだけど、同時にオーケストラのカラーが生かされているのがおもしろいところ。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の柔らかくてノーブルな響きを堪能。温かみを感じる。チャイコフスキーの交響曲第5番はパーヴォとしては意外なレパートリーかなと思ったけど、このコンビで録音がリリースされていることに気づいて納得。
●弦は対向配置、コントラバス下手、16型。シューマンの「ゲノフェーファ」序曲、名曲プログラムとしては渋めの曲ながら、パーヴォが振るとシューマンですら鮮やかに。ブラームスではソリストのジャニーヌ・ヤンセンが大熱演。以前にパーヴォ&N響で同じ曲を聴いてパワフルな人だと思った記憶はあるけど、ここまで強烈だったかな。とくに終楽章はダイナミックな表現で、オーケストラの厚いサウンドをものともせずに真っ向から対峙する。燃えるようなブラームス。アンコールにバッハの無伴奏パルティータ第2番よりサラバンド。
●後半、チャイコフスキーの交響曲第5番は期待を大きく上回るおもしろさ。全楽章ほとんど間を置かずに一気呵成。鮮烈なサウンドで、土の香りを感じないきらびやかなスペクタクルではあるのだが、テンポの操作など造形はエモーショナル。録音も済ませ、ツアーでもなんども演奏しているだろうに、フレッシュさを失わない。この曲にはほとんど避けがたい「気恥ずかしさ」があると思うんだけど、パーヴォだと恥ずかしくない。心の底から楽しめる。終楽章、あまりに盛り上がったので、コーダ前で拍手がでないかと一瞬心配になったが、サントリーホールで出るわけないか。客席の盛大な喝采に続いて、アンコールにアルヴェーンの「グスタフ2世アドルフ」より「エレジー」。父ヤルヴィが録音している曲。パーヴォのソロ・カーテンコールあり。
●パーヴォとチューリッヒ・トーンハレ、チャイコフスキーの交響曲全集のほかにもマーラー、ブルックナー、メンデルスゾーンなど、次々とレコーディングをリリースしてすごいなと思うんだけど、こういうのは日本以外でも物理CDが売れるものなんだろうか。どういうビジネスモデルで成り立っているのか、気になるところ。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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