●「ゲド戦記」の作者として知られる作家、ル=グウィンほど聡明な書き手はめったにいないと思うのだが、数年前に刊行された生前最後のエッセイ集「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて ル=グウィンのエッセイ」(アーシュラ・K・ル=グウィン/谷垣暁美訳/河出書房新社)を読んでみたら、この人は80代になってもキレッキレの知性を保っていたことがよくわかった。81歳になって始めたブログの記事がもとになったエッセイ集で、老いることや文学や社会について、あるいは飼い猫の話などが自由に綴られている。書名はハーバード大学の同窓会から送られてきた「余暇にはなにをしていますか」というアンケートへの回答に由来する。80代にとって余暇とは? ル=グウィンの回答は「暇なんかないわ、大切なことを考えるのに忙しくて」だった。
●ル=グウィンのもとには、大勢の読者からの手紙が届く。それはそうだろう。そこには作者への質問がたくさんある。なかには作品の意味を問うものもある。それに対してル=グウィンの言っていることが、とてもいいなと思うので、以下に引用したい。
この本の意味は何ですか? この本のこの出来事の意味は? この物語の意味は? 何を意味しているのか教えてください。
でも、それは私の仕事じゃないの。あなたの仕事よ。
私は自分の物語が自分にとって何を意味するのか、少なくとも部分的には知っている。同じ物語が、あなたにとってはまったく違うものを意味することは大いにありうる。そして、1970年にその物語を書いたときに、それが私にとって意味していたことは、1990年にそれが私にとって意味していたこととも、2011年の今、意味していることとも、まったく異なるかもしれない。(中略)
芸術(アート)における意味は、科学における意味と同じではない。言葉が理解されている限り、熱力学第2法則の意味は、誰がいつ、どこで読んでも変わらない。『ハックルベリー・フィンの冒険』の意味は変わる。(中略)
それが自分にとって何を意味するのか見定め難いときに、書いた私に訊きたくなる気持ちはわからなくもない。だけど訊かないでほしい。書評家や評論家やブロガーや研究者の書いたものを読めばいい。彼らは皆、本が自分にとって意味することについて書く。そうすることで、本を説明して、ほかの読者にとって役に立つ、適切な共通の理解を打ち立てようと努める。それが彼らの仕事であり、彼らの一部は非常にうまくやってのけている。
●これは文学についての話だけど、音楽もまさにそうだし、芸術とはみんなそんなものだろう。作者に意味を尋ねてはいけないし、作者は読み手の解釈を正しいともまちがいとも言う立場にはない。作者のなかに一義的に定められた答えがあるわけではなく、作者のなかでも意味は変化し続ける。芸術の大前提だ。以前、バルガス・ジョサ(リョサ)の「街と犬たち」(都会と犬ども)について、カイヨワが作者に対して話をまったくわかっていないと断じたエピソードを紹介したが、一脈通ずる話でもある。
●ちなみに音楽についての話題だと、ル=グウィンはジョン・ルーサー・アダムズがお気に入りなんだとか。有名なジョン・アダムズじゃないほうの作曲家。環境とか自然との共生がキーワードになるのかな。まあ、わかる話ではある。












