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February 28, 2017

時差ボケの有利と不利

●少し前の記事で気になったのがこちら。「東の球団、時差ボケで不利? 大リーグの移動の影響分析」(asahi.com)。米科学アカデミー紀要(電子版)に掲載された論文で、大リーグの過去4万試合以上を対象に分析した結果、「西から東の本拠に戻った球団は勝率が明らかに落ちる」のだという。これは2時間以上の時差がある長距離移動を伴うケースについて見られる現象で、逆に東から西に戻った球団には影響が見られないのだとか。つまり、東への長距離移動は不利だが、西への長距離移動は不利ではない。
●なるほどー。そういえば海外に移動するときも、東に移動するほうが西に移動するよりも時差ボケが大変だって話があったっけ。
●が、要注意なのは、これはホームに戻った場合に限っての話であって、アウェイに乗り込む場合は東西どちらでも影響は見られないのだとか。なぜホームゲームとアウェイゲームで事情が違ってくるのだろうか。アウェイゲームではホテルに宿泊するのに対して、ホームゲームでは自宅に帰るから? いや、それじゃ理由になってないか。いまひとつよくわからない現象だが、どういうメカニズムなんだろう。

February 27, 2017

Jリーグ開幕、DAZNでマリノスvs浦和戦

●ついにJリーグ開幕。J1からJ3まで全試合をDAZNが独占的にインターネット配信するスポーツ・ストリーミング配信の幕開けがここに。さっそくオンデマンドでマリノスvs浦和戦を観戦。ノートPCの小さな画面で見たのだが、このサイズで見る分には画質は上々(動きの素早い場面は不得手だが)。そしてカメラワークやアナウンス、解説は期待以上によくできていて、「バタ臭さ」は皆無。従来のテレビによるスポーツ中継と同じように見ることができた。ただ、時折画質が極端に低下してしまう。これはこちらの環境の問題なんだけど、ごく標準的な光回線+無線LANで起きている。2.4GHz帯の混雑ゆえの干渉が原因だろうか。一度有線で試合を見てどうなるか確かめてみたい。
●で、試合だが、やっぱりJリーグはおもしろいじゃん! いや、それはマリノス者にとって痛快な試合展開だったからで、浦和側から見るとそうでもなかったのかもしれないのだが、逆転また逆転のスペクタクルな試合展開であった。マリノスが序盤にダビド・バブンスキーのゴールで先制すると、後半に浦和がラファエル・シルバの立て続けの2ゴールで逆転。しかし終盤にマリノスがウーゴ・ヴィエイラの同点弾で追いつき、アディショナルタイムで前田直輝が勝ち越しゴールを奪って3対2。ドラマティックな勝利だった。内容的には大半の時間帯で浦和がボールを保持しており、マリノスの攻め手は齋藤学のドリブルくらいしかない。左サイドからの齋藤の崩しから中央に合わせてシュートという、ほとんどパターン練習みたいな形から2ゴールを奪った。内容は褒められたものじゃないが、結果だけが付いてきたという感じ。なぜかこの対戦カードはそうなりがちな印象。
●マリノスはずいぶんメンバーが変わった。中村俊輔だけでなくいろんな選手が去った。これまでのモンバエルツ監督の手腕はまったくいただけないが(成績/予算で換算するとリーグ最低ランクでは?)、世代交代はむしろ遅すぎたくらい。GK:飯倉-DF:松原健、中澤、ミロシュ・デゲネク、金井-MF:喜田、天野純、ダビド・バブンスキー(→前田 直輝)-FW:齋藤学、マルティノス-富樫敬真(→ウーゴ・ヴィエイラ)。天野純や富樫敬真が開幕スタメンを勝ちとった。中町、伊藤翔はベンチ。新外国人選手のダビド・バブンスキー(今年23歳)とウーゴ・ヴィエイラはともにレッドスター・ベオグラードでプレイしていた選手。ミロシュ・デゲネクはクロアチア出身でドイツの2部(1860ミュンヘン)から移籍。昨シーズンからのマルティノスと合わせて、外国人選手が4人いて「ん?」と首をかしげてしまうのだが、ミロシュ・デゲネクがオーストラリア国籍を持っているためアジア枠1にカウントされる模様。セルビアの年代別代表に選ばれた後、オーストラリア代表に選出されている。Jリーグのアジア枠1の活用法として、オーストラリア国籍を持つ欧州出身選手を獲るというのは妙手だと思う。

February 24, 2017

ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィルのストラヴィンスキー&プロコフィエフ

●23日は東京オペラシティでミハイル・プレトニョフ指揮東京フィル。ストラヴィンスキーのロシア風スケルツォ、アンドレイ・イオニーツァのチェロでプロコフィエフの交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番)、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1945年版)というおもしろいプログラム。もしこのコンサートにキャッチを付けるなら「自作の再創造」だろうか。ストラヴィンスキーのロシア風スケルツォは最初にポール・ホワイトマンのジャズ・バンド用に書いたジャズ版を、一般的なオーケストラ用に編曲した曲。プロコフィエフの交響的協奏曲は作曲者が若きロストロポーヴィチとの出会いをきっかけに旧作のチェロ協奏曲第1番を作り直して生まれ変わった作品、ストラヴィンスキーの「火の鳥」1945年版は人気の高い1919年版を編曲しなおした作品。特に後の二者は若き日の作品を後の円熟した筆で書き直すという共通項を持っている。プレトニョフならではの切り口というべきか。
●しかもプロコフィエフの交響的協奏曲もストラヴィンスキーの「火の鳥」1945年版も、せっかく作り直した割にはそんなに演奏されないっていうところもいっしょなんすよね。でもこの日の客席は盛況。プロコフィエフでは2015年チャイコフスキー国際コンクール第1位のアンドレイ・イオニーツァが鮮烈な技巧を披露。それにしてもこの曲、というかプロコフィエフの晩年の作品全般に思うんだけど、若いころの奔放で爆発的な創作力、自信満々の天才ぶりみたいなのがすっかり影をひそめて、晦渋な職人芸の世界にこもっているかのよう。あるいは老いなのか、どうか。ソリスト・アンコールが2曲も。バッハの無伴奏チェロ組曲第3番のサラバンドとプロコフィエフのマーチ。
●「火の鳥」1945年版は昨秋にヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団で聴いたばかり。そのときも感じたけど、1919年版に比べるとより硬質というかドライなイメージ。終曲で主題を一音一音短く切るところが顕著な違いではあるんだけど、あの部分はむしろ楽しい。燦然とした明るい「火の鳥」だった。プログラムの後半に置くのにほどよいボリューム感があるのも吉。とはいえ、いまひとつ作り直す必然みたいなものが見えにくいというか、「1919年版があんなにすばらしいのにどして?」って思いは残る。これに1910年全曲版などもあって「火の鳥」のバージョンは錯綜しているが、だったら毎年のようにアップデイトして「火の鳥」ver8.1とか「火の鳥」ver10とか量産してくれてもよかった(ウソ)。

February 23, 2017

パーヴォ・ヤルヴィ&N響のマーラー「悲劇的」

●22日は横浜みなとみらいホールでパーヴォ・ヤルヴィ&N響。サントリーホールが休館中の間、N響定期のBプロはお休み。その代わり、今月は「N響横浜スペシャル」として横浜みなとみらいホールで2公演が開かれることに。このホールでN響を聴くのがなんだか新鮮。遠いのでかなり余裕をもって現地に到着したんだけど、みなとみらい駅の改札で駅員さんに「コンサートホールはどちらですか」と尋ねている年配男性がいた。わかる。ホールは駅直結なんだけど、駅空間が巨大すぎて一瞬どこの案内を見たらいいのかわからなくなる。長いエスカレーターをのぼって、2017年みなとみらいへの旅。
●プログラムは武満徹の「弦楽のためのレクイエム」とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。休憩なし。続く欧州ツアーでも演奏するプログラムで、コンサートマスターふたりがそろい踏み。チェロの首席もふたり並ぶという豪華仕様。「弦楽のためのレクイエム」は思った以上に振幅の大きな音楽。いつにも増して精緻な響き。マーラーとつなげて演奏することまではしなかったが、両曲が並ぶことで哀悼と破滅というストーリー性が際立つ。「悲劇的」もこれまでのパーヴォのマーラーと同様、引き締まったサウンドによる筋肉質な推進力にあふれた音楽。このコンビの最初の記念碑的な「巨人」を思い出す。うねるような悲劇的情感が噴出するというよりは、精密で高純度なスペクタクルで、カタストロフに向けて一直線に驀進する。いつも楽章の配置が問題になる曲だが、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテ。終楽章のハンマーは2回。弦楽器の配置はこれまで同様に対向配置でいちばん下手にコントラバス、さらにハープ3台も。
●休憩がなく普段よりは早めの終演だが、帰り道はみなどことなく急ぎ足のような。東京から足を延ばしたということか、あるいは「悲劇的」第1楽章のきびきびとした行進曲のリズムが頭にこだましていたのか。

February 22, 2017

テープ起こしプレーヤーの無償提供

株式会社アスカ21が文字起こしに特化した音声再生ソフト「テープ起こしプレーヤー」を無償提供。気になってダウンロードしてみた。ぱっと触ってみた第一印象だけを言うと、音声再生中にPlay/Stopボタンを押すと自動的に数秒巻き戻るという仕様が便利そう。「今のところをもう一回聴きたい」というときにPlay/Stopボタンだけで済む。場合によってはこの機能だけでも通常のプレーヤーより便利かもしれない。あと、自分なりのキー設定は必須か。試してないけど「ノーマライズ」とか「オートマキシマイズ」は録音の環境が今一つだったときに役立つかも。
●このソフトウェアを公開している会社は、テープ起こしを請け負ってくれるところなんすね。ユーザーがソフトの力を借りて自力で起こしてみて、「あー、これは便利だなあ」と実感するけど、でもやっているうちにだんだんへこたれてきて「やっぱり、もうイヤだ~」となって外注に出したくなるというビジネスモデルなんだろうか。笑。でも、それってリアル。もっとも、聴き慣れない固有名詞や専門用語が連発されるような分野では、外注は困難だと思うけど。
●「テープ起こし」の「テープ」とはいったいなんのことなのか。という疑問が昨今ありうる。

February 21, 2017

かぞえてんぐとカウント伯爵

●NHK Eテレ「おかあさんといっしょ」で、だいすけお兄さん卒業にともなって「かぞえてんぐ」コーナーも終了するという。かぞえてんぐは数を数えるのが大好きという天狗キャラ。数えているうちにテンションが上がってくる暴走気味のノリが特徴的なのだが、これってまさしくセサミストリートのカウント伯爵が元ネタではないの。と、最初に見たときから思っていた。
カウント伯爵●カウント伯爵の本来の名は Count von Count。Count(伯爵)を数えるにかけているのだが、さすがに日本語ではそこまで訳出できない。数を数えずにはいられない性分で、なんだって数えてしまう。よく好きな数字は~とかいって、その日の気分で任意の数字を挙げていたような気がするのだが、カウント伯爵にとって特別に大好きな数字は34,969なのだとか(BBC News)。34,969……なんで?と思うが、34,969は187の二乗だから好きだという。じゃあ、187はなんなんだ。はっきりしないが、17*11という素数同士の積になっているのがカッコいいから、という説に説得力を感じる。
●カウント伯爵は吸血鬼キャラ。吸血鬼には「数を数えたくなる」習性があることから、このようなキャラクターが生まれたのだろう。この習性を利用した吸血鬼対策として、ケシの種など細かなものを大量に撒いておくと、吸血鬼が思わず数えてしまい、数えているうちに夜が明けるというものがある。吸血鬼に限らず、怪異の多くには「数えずにはいられない」習性があるようで、一説によれば節分の豆まきも鬼に豆を数えさせるためなのだとか。
●ちなみにゾンビの直接的ルーツはリチャード・マシスン著の吸血鬼小説「地球最後の男」にたどり着くのが定説だと思うが、となると、ゾンビにも「数えたくなる」性質はないのだろうか。もしそうであれば、さっそく多量の豆やら種を用意しておくのだが。

February 20, 2017

東京芸術劇場「蝶々夫人」全国共同制作プロジェクト

●18日は金沢で初日を観た笈田ヨシ演出「蝶々夫人」を、もう一度。同じプロダクションではあるが、この日は題名役が小川里美さんで、オケは読響。あとは指揮者も含めて同じ。同じ演出、同じ指揮者であっても、主役の歌手とオーケストラが違えばずいぶん雰囲気が違ってくるなと実感。中嶋彰子蝶々さんで強く感じられた「失敗した女の崖っぷち感」はいくぶん薄まり、代わって蝶々さんの少女性が顔をのぞかせる。こちらも見事。本筋の部分では変わりはないのだが、幕切れのポーズも少し違う。室内オケであるOEKが精悍でシャープなサウンドを聴かせてくれたのに対し、読響は厚みのある豊麗なサウンド。第1幕は鳴らしすぎた感もあったが、停滞しないバルケの指揮は吉。
●演出面については金沢初演の際に書いた通りなんだけど、全公演終わったのでネタバレ的なことも書くと、第2幕に入って蝶々さんが姿を見せたときに「えっ?」ってなるんすよね。モンペみたいなのを履いてて。一瞬、これ誰?みたいな。でも、そうであるべき。だってこのウチ、3年も男がいないんだし、すかんぴん寸前だし、蝶々さんが着飾ってるわけがない。生活に疲れてなきゃおかしいもの。あ、あと第1幕の終わり、蝶々さんとピンカートンがラブシーンになって、「あれ、どこまで脱ぐの?」ってドキッとするじゃないすか。主にピンカートンについての心配なんだけど。笑。ワイシャツ脱いだら、下着がランニングシャツでオッサンの汗臭さが伝わってくる。15歳の嫁とランニングシャツ。なんだか妙に鮮烈。
●記者会見の際に指揮のバルケから話が出たが、ピンカートンの妻ケイトが蝶々さんと対面する場面のみブレシア再演版が用いられたということで、この役の存在感が通常よりも大きくなっている。彼女の人物像は旦那とは対照的に「しっかり者」っていうことなんすよね。旦那は逃げる。ケイトは向き合う。この場面によって、不在のピンカートンの人物像が一段深く描かれる、ということなのだろう。しかしケイトもイヤな女なんじゃないかな。だって、「この子の未来のために」みたいなことを言って、生きてる母親から子供を奪うってのはどうなのか。どす黒い善意を感じる。
●それと結末で、蝶々さんは死ぬところまでを見せていない。舞台上では死なないんすよ。死ぬ覚悟までは見せるが、その先は描かないという、開いた結末になっている。これがこの作品を救っていると思う。亭主に捨てられたからといって、幼い息子がいるのになんの逡巡もなく母親が死ぬなんて物語をワタシは受け入れられない。幕が下りた後に、蝶々さんにはたとえヤマドリにすがってでも息子とともに逞しく生き抜くという可能性が一分でも残されていてほしい。全世界全劇場の蝶々さんに言いたい。幼子のそばで死ぬな! どうしても死ぬってのなら子供を笑顔でアメリカに見送ってから死んでくれ。

February 17, 2017

「竜を駆る種族」(ジャック・ヴァンス著/早川文庫)

●今、自分内ジャック・ヴァンス・ブームが到来中。国書刊行会の「宇宙探偵マグナス・リドルフ」「奇跡なす者たち」に続いて、早川文庫の「竜を駆る種族」をゲット。といっても、ずいぶん古い本で、古書でしか手に入らないと思う。2006年刊行となっているが、これは1976年に刊行されたものを復刊したもの。原著は1962年。すでに半世紀以上前に書かれた古典ということになる。ヒューゴー賞受賞作。
●やはりこれも異文化異世界ものなのだが、基本設定に関するアイディアの部分はさすがヴァンス!おもしろい!と思えるのだが、プロットは弱いと思う。これは別の一冊「ノパルガース」にもいえるんだけど、これだけ秀逸なアイディアがあれば、もっと話を膨らませることができるはずなのに、なにか「長い話を書くことに対するメンドくささ」みたいな気分が漂っているというか……。でも基本設定は無茶苦茶おもしろいので、そこのところだけ紹介しちゃう。
●舞台となる惑星では人類最後の生き残りと思われる人々が住んでいる。彼らは「竜」を戦士として操っているのだが、その「竜」というのは、かつて異星から攻めてきた爬虫類型異星人を捕虜として捕え、そいつらを何世代にもわたって人工交配して品種改良した種族なんである。いろんなタイプの竜がいて、それぞれ獰猛な戦士なんだけど、人間にすっかり飼いならされている。
●ところが、爬虫類型異星人がまたこの惑星に攻めてくる。で、爬虫類型異星人もやはり捕虜としてかつて人類をとらえていたので、その人類を品種改良した者たちを奴隷として使役したり、軍隊を編成させたりしている。つまり、こっち側と同じことをやってるわけ。この発想が秀逸。だから戦闘になると、人類は爬虫類型異星人を品種改良した竜に戦わせ、爬虫類型異星人は人類を品種改良した亜人みたいなのを戦わせるという、なんとも倒錯的な状況が生まれる。
●で、人類の側は、敵の爬虫類型異星人のことを「ベイシック」って呼んでいるんすよ。つまり、自分たちの操る竜の原種であるから「ベイシック」。ってことは、先方からすれば自分たち人類だって「ベイシック」ってことになるわけで。こういう少しブラックなセンスが味わい深い。

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