November 20, 2020

ムーティ指揮ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団公演を東京・春・音楽祭サイトで無料配信

ムーティ指揮ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団
●11月22日(日)と29日(日)、日本時間19時からリッカルド・ムーティ指揮ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団の演奏会が東京・春・音楽祭のサイトで無料配信される。会場はラヴェンナのダンテ・アリギエーリ劇場で、無観客。ラヴェンナ音楽祭公式サイト、イタリアの通信社ANSAサイト内でも同時配信されるそう。このオーケストラは2004年にムーティが創設したユース・オーケストラで、30歳以下のメンバーにより構成される。プログラムは22日がシューベルトの交響曲第8番「未完成」と同第3番。29日はマルトゥッチの「ノットゥルノ」、プッチーニの交響的前奏曲、ヴェルディの序曲&バレエ音楽集。詳細と視聴リンクはこちらへ。
●上記写真はプレス用に配布されたものだが、「マスクを着用して演奏するヨーロッパのオーケストラ」という図は、ほんのわずか前には想像もつかなかった。後で振り返ったときに、2020年特有の光景として思い出されることになるのだろうか……?
●ついでにお知らせをひとつ。東京・春・音楽祭サイトの「作曲家の横顔 ~脇道コラム集」で拙稿「ほとばしるバッハ」全3回公開中。ご笑覧ください。

photo © Zani-Casadio

November 19, 2020

新国立劇場「アルマゲドンの夢」

新国立劇場「アルマゲドンの夢」
●18日は新国立劇場で藤倉大作曲の新作オペラ「アルマゲドンの夢」。西村朗「紫苑物語」に続く、大野和士芸術監督による日本人作曲家への新作委嘱シリーズ第2弾。台本はハリー・ロス、演出はリディア・シュタイアー。原作はSFの祖、H.G.ウェルズによる短篇小説(既訳邦題は「世界最終戦争の夢」)。13日のゲネプロ・レポートをONTOMOに書いたので、一通りのご紹介はそちらをご覧いただくとして、以下は本番を観て思ったことを列挙。なにしろ新作、しかも情報量の多い舞台なので、やはり2回目があると格段に親しめる。
●まず、ウェルズの原作なんだけど、事前に読んでおく必要があるかないかといえば、ないと思う。むしろ事後に読むとおもしろいかも。オペラ化にあたって、新しいアイディアがふんだんに盛り込まれているし、原作から削った要素も大きいので、ウェルズを念頭に見るとかえって混乱しかねない。でも、原作を読めばさらに楽しめるのもまちがいないところで、そのあたりは「ボエーム」とか「マノン・レスコー」のような名作オペラと同じ。
●いちばんオペラと原作と大きく違うのは、主人公とヒロインの立ち位置。原作での主人公は、政治の表舞台から退いて恋人との愛に生きる男であって、無責任にのほほんと過ごしているうちに、かつて自分の配下にいた男が独裁者となって、強権的な全体主義国家を築く。オペラでは、主人公はもっと普通の男。台本のハリー・ロス言うところの「行動を起こさず、現実逃避をして生活している」「リベラルなエリート」が投影されている。一方原作では名前もなかったヒロインは、エリート政治家の娘であり、行動する女性。
●このオペラは通勤電車のシーンから始まるわけだけど、電車の音とか「軍靴の足音」みたいなものとかシュプレヒコールとか、わりと反復的というか律動的なモチーフがたくさんある。藤倉大のオペラといえば、以前に東京芸術劇場でレム原作の「ソラリス」が演奏会形式で上演されたけど、ソラリスの海や宇宙船内の密室に比べると、「アルマゲドンの夢」は音楽が具体的な情景と結びつきやすい。そして、思った以上にユーモアの要素がある。あと、無伴奏の合唱ではじまる。合唱が陰の主役。電車オペラでもあり合唱オペラでもある。
●台本は英語なんだけど、日本語字幕は作曲者と台本作家の監修を受けたもの。となると、これ以外の日本語字幕はない。新国立劇場は英語字幕も出る。平易な言葉を使うというポリシーははっきりしている。だから日本語字幕の言葉も平易。
●で、これって政治オペラでもあるんすよね。藤倉作品としては意外というか、台本のハリー・ロスの視点ではあるんだろうけど、原作にない政治性を帯びている。実はゲネプロを観たときは、ハリー・ロスがどこに焦点を当てているのか、いまひとつピンと来なかった。というのも、問題意識の所在が少し違うみたいなので。これは長くなる話だから簡潔に言うと、ハリー・ロスはジョンソン=悪を自明とする側から描いているけど、今わたしたちが目にしているのは、ジョンソン的な指導者のほうが実は国民は豊かで健康的で幸福な暮らしを享受できるのではないかという価値観の台頭であり、そこに現実の裏付けがないと言い切れない難しさがあるということ。
●休憩なしで100分。将来的にレパートリー化されれば、ダブルビルも可能かもしれない。たとえばもう一本は、現実と虚構つながりで「道化師」とか。あるいは疎外された個人つながりで「青ひげ公の城」とか。

November 18, 2020

ニッポンvsメキシコ代表、グラーツでの親善試合

メキシコ●本日早朝のニッポンvsメキシコ戦を録画観戦。以下、結果バレするので、これから録画観戦する方はご注意を。グラーツでの無観客試合で、相手は強豪メキシコ。メキシコ代表にはプレミアリーグのウォルバーハンプトンのラウル・ヒメネスやナポリのロサノなどもいるが、実は国内組も多い。メキシコは国内リーグが充実しているらしく、伝統的にそんなイメージ。メキシコとオーストリア間の渡航制限はどうなってるんすかね。ニッポン代表は全員欧州の選手。層は格段に厚くなったが、一方で所属チームを見るとプレミアリーグやビッグクラブで常時出場しているレベルの選手はひとりもいないとも言える。布陣は4バックに戻った。GK:シュミット・ダニエル-DF:酒井、冨安、吉田、中山雄太-MF:遠藤航、柴崎(→橋本拳人)-伊東(→三好)、鎌田(→浅野)、原口(→久保建英)-FW:鈴木武蔵(→南野)。
●序盤はひたすら押し込まれる展開。メキシコの精力的なプレスに苦しんで、ニッポンはほとんどボールを前に運べない。しかし10分過ぎ、鎌田からの細かいパスで鈴木がキーパーと一対一のチャンスを作ったあたりから流れがニッポンに。原口のミドルや、鈴木武蔵のシュート、こぼれ球に対する伊東のシュートなど、次々と決定機を作る。前半は特にニッポンの右サイドに大きなスペースがあり、ここで伊東が躍動する。中盤の遠藤航、柴崎のコンビも攻守にわたって機能し、鎌田もクリエイティブなワンタッチ・パスを見せるなど、見ごたえあり。質の高いプレスをする相手に対して、こんなふうに流れを取り戻せるのかと感心。振り返ってみればここで一点でも決めていればというところだったが、メキシコのベテランキーパー、オチョアがナイスセーブを連発した。
●後半は流れががらりと変わる。メキシコのマルティーノ監督はサイドバックの選手を交代し、伊東に破られていた左サイドをふさぎ、中盤はダブルボランチで守備を強化。しばらくすると霧が濃くなり、ピッチが見えにくくなる。ニッポンが鈴木武蔵と柴崎を下げて、南野と橋本を投入した直後あたりから、序盤と同じく一方的なメキシコのペースに。日本の守備陣が落ち着きをなくしつつある中、後半18分、ゴール前の混戦から抜け出したヒメネスが技巧的なトゥーキックでキーパーの肩の上を抜いて先制ゴール。ここで濃霧のためボールをカラーボールへ変更。続いて後半23分、スルーパスにディフェンスラインの裏を抜け出したロサノが一対一を冷静に決めて追加点。短時間のうちにメキシコが試合を決めてしまった。この後、ふたたびニッポンが流れを押し戻せればよかったのだが、メキシコがペースを握り続けたようで、ニッポン0対2メキシコ。実のところ後半途中からは濃霧のため、なにが起きているのかさっぱりわからず。サッカーを見ているんだか、霧を見ているんだか。なかなか日本では見られない光景。終わってみれば順当に力の差を見せつけられた試合ではあるが、前半にあれだけできたのは予想以上の健闘。つまるところ、決定機に決められるかどうかという、永遠の課題が浮き彫りになった試合でもある。

November 17, 2020

録画に失敗したニッポン対パナマ戦なのだが

●さてウィーン・フィルはひとまず無事に日本から帰国したわけだが、ニッポン代表は現在もオーストリアに滞在中である。親善試合、ニッポン対パナマでは南野のPKで1対0で勝利した。次は日本時間で18日早朝に今回の遠征の目玉、メキシコ戦がある。パナマにしてもメキシコにしても日本と事情は同様で、渡航制限があるため、代表戦をヨーロッパで組んでいる(ちなみにメキシコは先に韓国と試合をしている)。
●で、本来なら当欄でニッポン対パナマを振り返るところなのだが、なんと録画予約を失念しており、慌てて試合の途中から録画することに。おまけに録画を見る前に結果を知ってしまい、がっくり。テンションが上がらずぐずぐずしているうちに次のメキシコ戦が迫ってきた。
●が、それよりも問題なのはニッポン代表のジャージだ! チラッと録画を見て、ワタシはテレビの前で崩れ落ちそうになった。なんすか、あれは? シャツ・パンツ・ソックスが白・白・赤。赤いソックス、ありえない。ニッポン代表の色は青、そして白。地の色で許せるのはそのどちらかのみ。赤は韓国の色。赤は北朝鮮の色。赤は中国の色。アジアは赤い代表チームだらけで、そのなかでわれわれは独自の青を選んでいる。もちろん、ワンポイントや模様の一部で赤を使うのは問題ない。しかしシャツ・パンツ・ソックスの地の色は青か白だ。ときどきニッポン代表を赤化したい勢力が出てくるようなのだが理解に苦しむ。だいたい、一度、赤に変えてひどい目にあったじゃないの。赤ジャージの横山ジャパンがW杯1990イタリア大会アジア一次予選で敗退して以来、代表では赤は呪いの色。八咫烏は青空で羽ばたいてほしい。

November 16, 2020

熊倉優指揮NHK交響楽団&藤田真央のシューマン、メンデルスゾーン他

熊倉優指揮N響
●14日はNHKホールで熊倉優指揮N響。ゲスト・コンサートマスターに白井圭。N響の客席は今も一席空け。客席に若い女性の姿が目立つのだが、これは藤田真央効果? プログラムは前半にメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」、シューマンのピアノ協奏曲(藤田真央)、後半にバッハ~レーガーのコラール前奏曲「おお人よ、おまえの罪に泣け」、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。ウイルス禍による編成上の制約もあってか、ここ最近は珍しい曲を聴く機会が多かったのだが、久々に有名曲が並んだプログラム。「フィンガルの洞窟」はかなり遅いテンポでじっくりとスタート、海蝕洞の威容に心がざわめくかのよう。シューマンは藤田真央にぴったりのレパートリー。よどみなく音楽が流れ、詩情豊か。澄んだ音色でみずみずしい音楽が紡ぎだされる。タッチが繊細なのでNHKホールの巨大な空間にニュアンスが埋もれてしまった感も否めないが、これは彼に限ったことではなく。アンコールはシマノフスキの4つの練習曲作品4の第3曲。
●「イタリア」はとりわけ弦楽セクションの底力を感じる立派な演奏で、豊かな中音域に支えられた厚みのある響きが印象的。しなやかで快活、けれんのない健やかなメンデルスゾーン。決して微温的なメンデルスゾーンに陥らず、血の通った音楽になっていた。指揮の熊倉優が1992年生まれという若さにもびっくりだが、藤田真央は1998年生まれ。そしてN響も今やかなり若い集団なので、客席含めてすべてがフレッシュ。

November 13, 2020

東京国立近代美術館 MOMATコレクション 「今」とかけて何と解く?

東京国立近代美術館
●まだ本格的な寒さはこれからなのに、この数日で感染者数が急増している。このままだとこの冬はふたたび「あれもこれも自粛」に逆戻りしかねない。もっともなにをすればいいのか、以前よりはわかっているわけだから、先手を打つことはできる……のか?
●で、東西線に乗る用事があったので、ついでに竹橋に寄って東京国立近代美術館のMOMATコレクションへ。常設展だが、11月3日から展示替えがあって、内容が刷新されている。特集テーマは「『今』とかけて何と解く?」。現在のウイルス禍をふまえて、たとえば「ディスタンス」を切り口とした作品が集められた部屋があるなど、所蔵作品でこれだけ時宜を得た展示ができるのがスゴい。ここはMOMATパスポート等、手軽に「年パス」を持てるので、隙間時間を作って寄り道できるのが吉。今日は4階だけ見て帰ろうとか、なんなら特定の一枚だけ見て帰ろうみたいな発想がありうる。なにより空いているので、のんびり鑑賞できる。一時、密を避けるために事前予約が必要だったが、今はぶらっと立ち寄れるようになった。
●MOMATコレクションはほとんどの作品が写真撮影可。以下は宇佐美圭司「ドーム・内なる外」。

November 12, 2020

ほうじ茶ラテ、あるいはほうじ茶オレ

お茶とミルク
●最近、気に入っているのがほうじ茶ラテ。ほうじ茶のティーバッグが買ったままほとんど使われないままになっていたのに気づき、もしや?と思って試してみると、これがいい。飲むとほっとする。カップに牛乳を1/3くらい入れて、レンジで1分ほど温める。それからティーバッグを入れ、熱湯を注ぐ(ミルクティーもそうやって入れている)。で、さらに自分はスティックシュガーを加える。甘さが加わることで、いくぶん堕落したムードの飲み物になるのが好ましい。
●いや、待てよ。ほうじ茶ラテと言ったが、ほうじ茶オレではないのか、これは? カフェラテとカフェオレはぜんぜん別の飲み物だ。ワタシの理解では、カフェラテはエスプレッソにスチームミルクが入っている。カフェオレはコーヒーと温めたミルクが合わさったものだ。この場合、自分が飲んでいるのはほうじ茶ラテなのか、ほうじ茶オレなのか。ほうじ茶にはエスプレッソという概念はないと思うし、ミルクは普通に温めただけだから、どちらかといえばほうじ茶オレなのではないか。オレのラテは実はオレなのか。
●いやいや、それも違うだろ、ラテはイタリア語でオレはフランス語で意味は一緒だろう。カフェラテとカフェオレの本質的違いは、豆の焙煎度やミルクの温め方ではなく、コーヒー+ミルク飲料をイタリア風の様式で飲むかフランス風の様式で飲むか、といった話では。バッハにたとえるなら、イタリア協奏曲かフランス風序曲なのか。そう考えれば、ほうじ茶ラテなのかほうじ茶オレなのか、おのずと答えは出る。これはイタリアでもなくフランスでもなく、日本様式の飲み物だ。以後は「ほうじ茶牛乳」と呼ぶことにしたい。

November 11, 2020

ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルのプロコフィエフ&チャイコフスキー

●ニッポン代表がオーストリアで合宿をしている今、オーストリアからはウィーン・フィルが来日している。ニッポン代表の選手たちは全員が欧州在住だが、ウィーン・フィルは正真正銘の来日公演。先日の「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2020」オンライン記者会見でも述べられていたように、メンバーは来日前から継続的になんどもPCR検査を受け、チャーター機で来日し、バスや新幹線の車両を貸し切って移動、日本入国後もホテルと会場を往復するのみで、外食もしないし人とも会わないという「一種の隔離状態」を全員が受け入れている。ウイルス禍以降、ずっとオーケストラの来日は不可能だったわけだが、日墺両政府のバックアップを受けてウルトラCでの来日が叶った。ウィーン・フィルはウィーン・フィルにしかできないことを行っている。
●で、今回はゲルギエフが指揮ということで、ロシア音楽がプログラムの柱。プロコフィエフ&チャイコフスキー・プロを聴いた。プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」からの4曲、同じくプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番(デニス・マツーエフ)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ステージ上にはウイルス禍以前と同様にぎっしり楽員たちが並ぶ。マスクを着用して入場し、演奏時は外す。コンサートマスターはシュトイデ、その隣にダナイローヴァ。ゲルギエフの指揮棒はお団子用の竹串みたいなもの。こうして本来の姿のウィーン・フィルを日本で聴いていることに、タイムスリップしたかのような錯覚すら感じる。豊麗で絢爛たるウィーン・フィルの響きは健在。
●驚いたのはマツーエフ。曲がプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番ということで、強靭な打鍵で暴れまくるのかと思いきや、パワー一辺倒ではぜんぜんなく、むしろ軽快なほど。結果として、作品の荒々しさや執拗さに向こうにある、清冽なリリシズムが伝わってくる。それにしても、この曲をこんなに軽々と弾いてしまうとは。
●ゲルギエフとウィーン・フィルの「悲愴」は以前にも聴いた。プログラムノートで確かめたら2004年。けっこう昔だから記憶などまったくあてにならないが、凄絶な名演だったという印象が残っている。が、今回の「悲愴」は別の味わい。喜びや悲しみの感情表現の幅を極大にするようなアプローチではなく、エネルギーはあっても咆哮せず、一瞬一瞬の美に浸るかのよう。第1楽章のおしまいに、これほど明白なノスタルジーを感じたことがあるだろうか。第2楽章以降は楽章間で棒を下ろさず、一瞬の間で次の楽章へと進み、一貫性のあるストーリーを作り出す。第3楽章の音量的なクライマックスにあってもゲルギエフの上半身は脱力して煽らず。行進曲よりもスケルツォの性格を強く感じる。あくまでクライマックスは終楽章で、ゲルギエフの身体は大きくしなり、音楽の流れは伸縮自在。悲劇的な結末を受け入れるのではなく、運命に抗い、もがきながら、これを制圧するといった物語性を読みとる。現在の特殊な状況下ゆえか、感じられるのは慈しみ、そして運命の超克。沈黙と喝采の後、まさかのアンコールへ。「悲愴」の後に演奏できる曲があるとは。曲はチャイコフスキーの「眠りの森の美女」より「パノラマ」。遅いテンポで淡々と演奏され、舞踊性はきわめて希薄、寂寞としてどこか現実離れした儚い音楽として響く。退出時、楽員たちはふたたびマスクを着用。現実が帰ってきた。拍手は鳴りやまず、ゲルギエフのソロ・カーテンコールとスタンディングオベーション。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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