September 25, 2020

BLUOOM X SEP 2020 organized by KAJIMOTO #1 New Generations & Super Brass Stars

BLUOOM X SEP 2020
●22日はKAJIMOTOによるオンラインフェスティバル BLUOOM X SEP 2020(ブリューム・バイ・セップ2020、って読むのだそう)。TOKYO FMホールから13:30配信開始、21:30終了という8時間にもわたる大規模なライブ&トーク・イベント。ライブセッションのテーマは「クラシック新世代×管楽器界のスーパースター」ということで、出演者は豪華。アーティスト陣は外村理紗、高木凛々子、荒井里桜(以上ヴァイオリン)、小林愛実、角野隼斗、亀井聖矢(以上ピアノ)、瀧本実里(フルート)、古部賢一(オーボエ)、鈴木大介(ギター)、菊本和昭、長谷川智之、エリック・ミヤシロ(以上トランペット)、本田雅人(サックス)、中川英二郎(トロンボーン)他。トークセッションでは、真鍋大度氏、東響の辻敏氏も。配信プラットフォームは、楽天チケット配信サービス、Streaming+、PIA LIVE STREAM。アーカイブ配信は2020年10月22日まで。
●なにせ8時間もあるので、全部は見れない。ラジオのようにPCで流しっぱなしにしておいて、ところどころ気になるセッションを視聴する。今の配信イベントはどれもそうだけど、画質も音質も十分。このBLUOOM X SEP 2020、もともとは「若手アーティストとリスナーのコネクト」をコンセプトに掲げたBLUOOMと、「オープン・イノヴェーション・パーティ」をテーマとしたSUMMER END PARTY "future cider" のふたつのイベントをルーツに持つというだけあって、ノリは普通のクラシックのコンサートとはぜんぜん違う。照明やカメラワークも凝っていて華やか、衣装もみんなオシャレだし、若いアーティストたちからは普通の公演とは違った浮き立つような雰囲気が伝わってくる。
●タイムテーブルの発表が直前で、どの時間にだれが出てなにを弾くのかわからなかったんだけど、そういうものなのかな、フェスは。若者たちのパーティにうっかり迷い込んでしまったオッサンみたいな気分を味わいつつも、若手奏者たちの鮮烈さとベテラン陣の貫禄に目と耳を奪われる。特に印象的だったのは、いちばん最初に登場した外村理紗と小林愛実。こんなノリだから軽い曲を弾くのかなと思いきや、いきなりのグリーグのヴァイオリン・ソナタ第3番全曲。これは熱かった。

September 24, 2020

鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンのロ短調ミサ

埼玉で開催 Tokyo2020
●21日は所沢ミューズにプチ遠征。鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのロ短調ミサを聴く。BCJは神戸、東京、所沢で3日連続公演。駅からうろ覚えで会場に向かったら、うっかり所沢航空記念公園に迷い込んでしまう。航空公園最高すぎる。だが、今日はバッハだ。「埼玉で開催! Tokyo2020」という錯綜気味の看板を目にして寂寥感に浸る秋。
●ソプラノに澤江衣里、松井亜希、アルトに布施奈緒子、テノールに西村悟、バスに加耒徹。入国制限があるのでキャストはすべて国内組。なにより今は合唱をどうするのかという大問題があるわけだが、BCJはオーケストラの前に合唱を配置するという解決策を見出した。舞台後方、左右いっぱいに管弦楽が広がってチェロ以外は立奏、その前に20名ほどの声楽陣が立ち、十分に距離を取って指揮者が立つ。声楽陣の飛沫を避けるべく、指揮者の前には広いスペースができる。なるほど、こういう対策ができるのかと得心。客席は一席空け。
●オーケストラは左右いっぱいにトラヴェルソとオーボエが分かれる配置で、ステレオ効果が生まれるのかなと思いきや、むしろ残響の豊かさが勝って、全体がひとつの音の塊となって客席に届く。最初は響きのバランスに違和感を感じたが、聴き進めるうちにあっという間に慣れてしまい、ただただバッハの作品世界に没入する。仰ぎ見るような荘厳さよりも、親しみが勝った等身大のバッハ。この曲を聴くたびに感じるのは、旧作の転用を多く含むはずなのに、全体に力強い一本のストーリーが貫かれているとしか思えないということ。第1部のおしまい、 Cum Sancto Spirituの高揚感は尋常ではない。第1部の後に休憩あり。
●ロ短調ミサは「マタイ」や「ヨハネ」と違って、己の異教徒ポジションに起因するアウェイ感に苛まれることがほぼないのが吉。具体的な物語がないので、神を規定されないというか、たとえばスピノザの神のような自然界を貫く絶対的な真理への畏怖をもって信仰心と置換可能だと思って聴いている。

September 23, 2020

東京芸術劇場で広上淳一指揮N響

●18日は池袋の東京芸術劇場でN響9月公演。今シーズンのN響は従来の定期公演を休止して、代わりに同日・同会場で新たな主催公演を開催するという方式で開幕している。この日は当初予定されていたパーヴォ・ヤルヴィに代わって広上淳一が登場。ゲスト・コンサートマスターに白井圭。会場はNHKホールではなく東京芸術劇場。これはNHK放送センターの建替工事とNHKホールの改修工事に伴う変更として以前から決まっていたこと。ここでN響を聴くのはかなり新鮮というか、初めてかも。芸劇好きとしては歓迎。
●プログラムはウェーベルンの緩徐楽章(ジェラード・シュウォーツ編の弦楽合奏版)、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」からの六重奏(弦楽合奏版)と組曲「町人貴族」。ウイルス禍の副産物として、このところどの楽団でも編成を絞った曲や弦楽器のみの曲が多くなっていて、結果として新味のあるプログラムが増えている。逆に言えば管楽器奏者によっては出番が極端に少なくなっていて、それはそれで大変そう。ウェーベルンの緩徐楽章は後期ロマン派のスタイルで書かれた官能的な音楽。濃密で耽美。シェーンベルクは無調や十二音技法で名を残しながら実際にみんなが好んで聴くのは「浄夜」や「グレの歌」という皮肉な現象があるが、ウェーベルンでもこの曲や「夏の風のなかで」で似たようなことになるのかもと思わなくもない。休憩なしで、シュトラウス作品が続く。「町人貴族」は愉快。元ネタになじみがないのでネタのわからないギャグを聞いている感はあるのだが、アンサンブルの喜びは伝わってくる。ソロの活躍の場が満載。ウェーベルンがロマンティックで、シュトラウスがクラシカルという組合せの妙。
●客席は一席空けなのだが、再開後の公演のなかでも目立って空席が多かった。いろんな理由はあるだろうが、池袋という新しい会場に移ったことも大きな要因か。客層が普段のN響定期とは違うようで、だいぶ若めの印象。常時なら新しいお客さんの開拓の余地が大いにありそう。この日もオーケストラ入場時に拍手あり。人は少なくても、客席に熱はあったと思う。

September 18, 2020

マリノスvs清水エスパルス J1リーグ第24節 ふたたび師弟対決

●サッカーでは珍しい3試合連続逆転負けを喫していたマリノスだが、水曜日の清水戦は久々の完勝。3対0。なにしろ前半13分で相手のディフェンスが一発レッドで退場してくれた。さすがにこれだけのアドバンテージがあれば勝てる。
●この試合、マリノスはまた3バックを採用したのだが、メンツはチアゴ・マルチンス、畠中槙之輔、松原健。松原はサイドバックの選手だが、今センターバックの選手が足りない。ところが開始3分で畠中が負傷退場してしまう。控えにセンターバックの選手はいない。これで従来型の4バックに戻すのかなと思いきや、ポステコグルー監督は中盤の喜田を下げて3バックの真ん中に置き、渡辺皓太を投入した。3バックで行くと決めているようなのだが、畠中までいなくなってしまうとは。なお、キーパーは梶川。ウィングバックのポジションには高野遼と水沼宏太が入り、3トップはエリキ、オナイウ阿道、仲川。3バックがどれだけ機能するかと思っていたが、早々に相手がひとり減ってしまったので、あまり参考にならない試合になってしまった。
●ところで清水の監督はクラモフスキー。以前にもご紹介したが、オーストラリア時代からコーチとしてずっとポステコグルー監督の右腕を務めてきた。戦術が同じだけではなく、なんとなく風貌も似ている。兄ポステコグルーと弟クラモフスキーみたいな感じで、師弟対決というか兄弟対決というか。しかもマリノスに合わせて3バックの同じ布陣を敷いてきた。今までクラブチームの監督経験はなく、清水が大抜擢したことになる。現在7連敗で大変に苦戦しているようだが、この戦術に付き合ってきたマリノス・ファンとしてはよく理解できる。どうしたって守備がもろくなってしまうのだ。しかもこの戦い方は選手の戦術理解度が進めば勝てるという気がまったくしない。むしろ戦術の穴を埋めるために、次々と個の能力の高い選手を補強し続けることによって機能するという、お金を溶かす戦術だと感じている。

September 17, 2020

映画「ミッドウェイ」(ローランド・エメリッヒ監督)

●気分転換したかったので、思い立って映画館へ。ローランド・エメリッヒ監督の映画「ミッドウェイ」。太平洋戦争の転換点となったミッドウェイ海戦を描く。大作ハリウッド映画そのものなので、CGがCGに見えないほどリアルな戦闘シーンが最大の見もの。山本五十六役を豊川悦司、山口多聞役を浅野忠信が演じているなど、それなりに日本市場のことも配慮した作りになっているのだが、そうはいっても8割がた米国視点で描かれるのはしょうがない。映画としては少し妙な作りになっていて、本筋は暗号解読による情報戦のはずだったのに、いつの間にか超人的なパイロットの活躍に焦点を当てたアメリカン・ヒーローの物語に着地してしまっている。
●で、軍事的なトピックスに興味のない自分は、ひたすら迫力のある戦闘機のバトルシーンに目を奪われていたのだが、途中からなんだか既視感を感じる。ヘンだな、ミッドウェイ海戦のことなんてなんにも知らないんだけどな……と思ったら、ハタと気づいた。これ、知ってる、「スター・ウォーズ」で見た! 米軍の戦闘機はレジスタンスのXウィングだし、大日本帝国海軍の空母は銀河帝国軍のデススターじゃないの。ヒーローのパイロットが弾幕のなかに突っ込んでも決して当たらないのはフォースのおかげか。クライマックスの戦闘場面って、完全にデススターの急所を襲ったルーク・スカイウォーカーだと思った。あれ、でもこれは史実なんだった。ってことは、「スター・ウォーズ」第1作のほうがミッドウェイ海戦だったのか。

September 16, 2020

オヤマダさんのこと

●一昨日、オヤマダアツシさん(山尾敦史さん)の突然の訃報を聞いて、動揺している。とても信じられない。まだ60歳になったところだと思うが、自分のなかの印象は40代くらいから変わらないまま。
●最初の出会いは90年代半ばくらいだと思う。オヤマダさんを知ったのは、パソコン通信(インターネットよりもずっと前からあったテキストベースの掲示板)で。パソコン通信の世界には音楽について造詣が深く、しかも筆の立つ人がたくさんいて、なかでもオヤマダさんの文才は光っていた。当時、月刊誌「音楽の友」編集部にいた自分は、勇気を奮ってオヤマダさんにメールを書いて、原稿をお願いした。こんなに書ける人がいるんだから、雑誌にも書いてもらえばいいじゃないか、と思ったんである。で、実際にお会いしてみたら人柄もよく、まったく偉ぶるところがなく、フットワークも軽い。しばらくすると編集部のほかの人たちもどんどんオヤマダさんに仕事を依頼するようになり、あっという間に売れっ子になった。
●あるとき、オヤマダさんは名前を筆名にしたいと言ってきた。本名をもじって、山尾敦史を名乗る、と。この名義で出版された「ON BOOKS ビートルズに負けない 近代・現代英国音楽入門 」はイギリス音楽のガイドとして評判を呼んだ。インターネット以前の時代、海外の情報に触れるためのハードルは現在よりはるかに高く、ほかのだれにも書けない一冊だった。イギリス音楽に格別の思いを寄せるオヤマダさんは、ドイツ音楽やフランス音楽に比べて、どうしてイギリス音楽はこんなにも日本での地位が低いのかということをよく嘆いていた。
●オヤマダさんは同じことをずっとやり続けることをよしとしない人だった。はたから見るとうまく行っていることでもリセットする。いつ頃だったか、山尾敦史の名前は封印され、オヤマダアツシとして再出発した。せっかく名前が売れたのに捨てるなんてもったいない……と思ったものだが、それでもどんどん活躍の場が広がっていったのはさすがだった。
●ワタシは雑誌編集部を離れてからは、いったんオヤマダさんとのご縁は減ってしまったのだが、時が経ち、思い切って会社を辞めて独立して間もない頃、オヤマダさんが声をかけてくれた。ラ・フォル・ジュルネの公式ブログ隊を始めるから、メンバーに加わってほしいという。まだ辞めたばかりで仕事の少なかったワタシを応援してくれたんだと思う。感謝するほかない。オヤマダさんはいろんな人にご縁を作ってくれる人だったので、彼に感謝している同業者や演奏家、業界関係者はものすごく多いはず。ブログ隊は優秀な若いメンバーにも恵まれ、とてもいい雰囲気で続いていたのだが、ある年、オヤマダさんは隊長を辞めて、メンバーから抜けると宣言した。うまくいったから、もうやらない、ということだったのかな……。そこで隊長役をワタシが引き継ぐことになったのだが、オヤマダさんと同じことはできないので、以後は自分がいいと思うやり方でやらせてもらった。
●その後は演奏会や記者会見などでたまに顔を合わせるといったペースだった。会う機会が減っても、SNSなどで近況は目にしていた。病気になったといっても生死にかかわるような状況には見えず、しばらく入院したら元気になって帰ってくるイメージしかなかった。ぜんぜん気持ちの整理がつかない。

September 15, 2020

山田和樹指揮NHK交響楽団の武満、モーツァルト、ブラームス

●12日夜はNHKホールで山田和樹指揮NHK交響楽団へ。本来はパーヴォ・ヤルヴィが指揮する予定だった公演。首席指揮者パーヴォの公演とあって、ぎりぎりまで可能性を探っていたようだが、やはり渡航制限のため来日できず。曲目も一部変更。武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、モーツァルトの交響曲第29番イ長調、ブラームスのセレナード第2番イ長調。このプログラムだと休憩ありかなしか微妙な線だと思ったが、休憩なし。実は正味の演奏時間でいえば休憩ありとなしの差は案外少ない。
●大編成の作品がすっかり消えた結果、どこの楽団も室内オーケストラみたいなプログラムばかりになってきて、結果的に新鮮味のあるプログラムが増えている。N響の底力を感じる公演だったが、特に印象的だったのはモーツァルト。最近ではまったく聴けなくなったスタイルのモーツァルトで、ひたすらしなやかでみずみずしく、甘美。角をきれいに丸めて、磨き上げたシルキーなサウンド。近年、自分が好んで聴く鋭利でアグレッシブなモーツァルトとは対極にある。この曲、外観は4楽章制のかっちりした交響曲だけど、こういった演奏で聴くとすごくオペラ的だなと感じる。プリマドンナがいる曲、というか。「モーツァルトのピアノ協奏曲はすべてオペラの翻訳である」と言ったのはアンヌ・ケフェレックだが、一時期の交響曲にも同じことが当てはまるのかもしれない。
●ブラームスのセレナード第2番は珍しいヴァイオリンなしの曲。シンフォニックな第1番に比べると地味な曲だと思っていたが、名手ぞろいで聴くとやはり楽しい。心地よい愉悦にあふれている。ヴァイオリンを必要としない管弦楽曲はあることはあるけど(バッハのブランデンブルク協奏曲第6番とか、ドヴォルザークらの管楽セレナード系の曲とか)、演奏会のメインプログラムでヴァイオリン不在のケースは相当珍しいのでは。こういう場合、ヴァイオリン奏者たちは先に帰宅しちゃうんでしょうか。首席ヴィオラ奏者がコンサートマスターの場所に座って、楽員に立ったり座ったりの合図を出す場面はなかなか目にできない。
●開園時に楽員が入場した際、拍手が起きた。これまで東京のオーケストラの定期公演では、オーケストラの入場時に拍手をしないのが普通だった(海外や地方など、よその土地からやってきたオーケストラに対しては拍手が出る。そういうルールが自然発生的に定着していた)。しかし、緊急事態宣言後に音楽界が再開されてからは、拍手が出るようになっている。喜びと歓迎、感謝の意思表示だろう。これが新しい習慣として根付くのか、また元に戻るのかはわからない。だれが決めるというわけではなく、わたしたちみんなで決めるわけだが……。

September 14, 2020

読響鈴木優人指揮読響のベートーヴェン

東京芸術劇場
●12日午後は東京芸術劇場で鈴木優人指揮読響。ベートーヴェン・プログラムでヴァイオリン協奏曲(郷古廉)と交響曲第6番「田園」。休憩あり。一席空け、入場時のマスク着用、体温チェック、手指消毒などは今のコンサートの標準仕様。舞台上の配置は散開配置で、特に管楽器は奏者間距離を大きくとる。この配置だとやはり響きがまとまりにくい傾向があるものの、一方で分離のよい響きとも言えるわけで、奏者側が経験を積んだゆえか、こちら側が慣れてしまったせいか、もはや違和感はない。弦楽器は対向配置でコントラバスが下手側。
●郷古廉の独奏によるヴァイオリン協奏曲はけれんのない真摯なベートーヴェン。音に芯があって、しかもよく鳴る。第1楽章のカデンツァは珍しいブゾーニ作。ふだん聴けないカデンツァは歓迎。アンコールにバッハ。後半の「田園」は清新。キレがよく躍動感にあふれている。モダンかピリオドかという二者択一の向こうにある今のベートーヴェン。第2楽章の後、袖からトロンボーン、ティンパニ、ピッコロ奏者らが入場。舞台上の密を避けるためなのかもしれないが、後半楽章でのオーケストレーションの拡大を視覚的に明示するという意味で効果的。「嵐」のティンパニはモダン楽器による痛烈な強打。これくらいのインパクトがないと、自然に対する人間の卑小さ、畏れの感情は伝わらないということか。読響の演奏力の高さ、指揮者とオーケストラの一体感を感じた公演。
●終演後はこれもお決まりの時差退場。そうはいっても池袋駅からはずっと人込みだし、電車もそこそこ混んでいるのだが。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会合で、9月19日以降はイベント開催制限を緩めるとして、クラシックのコンサートや演劇、映画館、美術館など参加者が声を発しないタイプのものは100%の収容率が容認されることになった(asahi.com)。

facebook / twitter

facebook Twitter instagram

過去記事一覧

過去記事見出し一覧はアーカイブに。

月別 アーカイブ(まとめ読みに)

制作者

飯尾洋一(Yoichi Iio)

このサイトについて/プロフィール
since 1995.

ショップ

MyBlogList

shortcut

CLASSICA [HOME]
home
links
side_b