●DAZNでマリノスvs福岡戦を観戦。今シーズン、マリノスは内容的にはもうひとつなのに結果が付いてくる試合が目立っていたが、この試合は久しぶりに好調時のアタッキング・フットボールができていた。選手同士の連動性が高く、流れるようなパスワークが随所に見られ、プレスも効果的。前半、福岡が守りを厚くして5バックで臨むと、マリノスが一方的にゲームを支配する展開に。前半8分と20分にアンデルソン・ロペスのゴールが決まって2対0。後半、福岡が布陣を修正してからはぐっと拮抗した内容になったが、前半のリードを生かしてそのまま逃げ切り。ボール支配率、シュート数、パス成功率すべてで相手を上回って完勝。終盤、交代出場でケガから復帰の宮市が入ると、スタジアムが沸いた。宮市が激しいタックルをくらうと大ブーイング。まあ、そうなる。主審は山下良美さん、ふたたび。
●J2では町田ゼルビアが首位を快走中。今節は退場者が出て徳島に敗れてしまったが、それでも18試合を終えて12勝3敗3分。2位の東京ヴェルディとは勝点6差。なにがすごいって、青森山田高校の黒田剛監督を新監督に大抜擢して、それでこの成績だということ。黒田監督は高校サッカー界では知らぬもののいない名監督とはいえ、つまるところは学校の教員。そこからいきなりプロの世界に飛び込んで、ありえないほどの快進撃ぶり。黒田監督もすごいが、氏を監督に招いた町田もすごい。もし、黒田体制で序盤につまづいていたら、だれもが「部活サッカーがプロで通用するはずがない」「プロは高校生みたいに従順ではない」と批判しただろうし、選手の心はあっという間に監督から離れたはず。でも、完璧な結果が出ている。高校サッカーみたいなロングスローも使う。昨年まで高校の保健体育の先生だった監督が、オーストラリア代表のミッチェル・デュークや元U-23ブラジル代表のエリキ(以前マリノスでも大活躍)を率いている。開かれたサッカーの世界は才ある者を放っておかない。
マリノスvs福岡 久々の完勝 J1リーグ第15節、J2は町田が首位を快走
ドイツ・グラモフォンの「ステージプラス」日本版を体験する
●先月に記者会見の模様をお届けした、ドイツ・グラモフォン(DG)の定額制映像&音楽配信サービス「ステージプラス」(DG Stage+)日本版をようやく実際に使ってみた。映像配信サービスとしてはベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールと同様で、ライブ配信とアーカイブ配信があって、いつでも好きなだけ観ることができる。映像や音声のクォリティも十分。ドイツ・グラモフォンなので、過去にDVDでリリースされていたような映像もたくさんある。加えて、CD音源もある。音源は普通にSpotify等のストリーミングでも聴けるので、わざわざドイツ・グラモフォンのものだけこのサービスで聴こうとは思わないが、ドルビーアトモス対応なので、空間オーディオを求める人には重要かも?
●で、メインとなる映像コンテンツだが、さすがに豪華なラインナップ。最新アーカイブ映像にはネルソンス指揮ウィーン・フィル、ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団、ユジャ・ワン、キーシン、トリフォノフ、リシエツキ、ブルース・リウ、藤田真央、チョ・ソンジンらの名前が並ぶ。まだ少し見ただけだけど、ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集がすごそう。めちゃくちゃうまい。あとミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮の映像がいくつかあったので、こんな指揮ぶりの人なのかと認識。バイロイト音楽祭2022のワーグナー「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」(バレンティン・シュワルツ演出)があって、サムネイルを見ただけで奇天烈な演出であることが伝わってくる。字幕はどうなっているのかと思ったら、ちゃんと日本語があった。
●ベルリン・フィルのDCHとの大きな違いは、先々までどんなコンテンツがあるのか見通せないということか。あと、今はスタートしたばかりだから、アーカイブ映像の数はそんなには多くないので、人によっては見たいものをさっさと見尽くしてしまうかもしれない。これはDCHが始まったときと同じで、最初は選択肢が少なく感じたものだが、時とともにアーカイブの厚みが増して、サービスの価値が高まったのを思い出す。ともあれ、今は音楽だけじゃなく多種多様なサブスクが林立している時代なので、ユーザーにはカジュアルに契約したり解約したりして複数のサービス間を渡り歩く人も多いだろう。もうサッカーは完全にそうなっている。
-------
●今週末のテレビ朝日「題名のない音楽会」は「突拍子もない作曲家リゲティの音楽会」がテーマ。昨年は生誕100年でクセナキスの回が実現したけど、今年はリゲティが生誕100年。ハンガリアン・ロック、100台メトロノーム(抜粋)他。
ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団のウィーン古典派プログラム
●24日はサントリーホールでファビオ・ルイージ指揮N響。プログラムはハイドンの交響曲第82番「くま」、モーツァルトのホルン協奏曲第3番(福川伸陽)、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。3人の作曲家が並んだウィーン古典派プログラム、なんだけど、さらにいえば森の動物プログラムだと思う。熊が山にいて、田園で小鳥がさえずる。ホルン協奏曲は狩のイメージ。
●ルイージの音楽はHIPではなくスマートで流麗。ハイドンの交響曲は傑作の宝庫だが「くま」も痛快。「くま」の愛称は終楽章のバグパイプ風低音が熊使いのムチを連想させるから付いたそうだが、あの低音そのものにのっそりした熊のイメージを思い浮かべて聴く人も多いと思う。モーツァルトのホルン協奏曲第3番では元N響の福川さんが凱旋。古巣のオーケストラと一体となった室内楽的で親密なアンサンブル。柔らかくまろやかな音色で、繊細な弱音表現が魅力。モーツァルトだけだとパワフルに吹く場面がほとんどないので、もっと聴きたくなるが、ソリスト・アンコールでロッシーニ「狩のファンファーレ」。充足。後半の「田園」はいくぶん抑制的に始まったと思ったが、次第に高潮し、陶酔的な終楽章がクライマックス。ルイージの音楽は前任者と対照的。パーヴォは縦に鋭く楔を打ち込む鮮やかな音楽だったが、ルイージは柔らかく温かい音色で横にしなやかに流れる。
●楽員退出後も拍手が鳴りやまず、ルイージとコンサートマスターふたり(郷古廉と篠崎史紀が前後半で席を入れ替わった)が登場して、3人でカーテンコール。
ガンバ大阪vsマリノス サポーターたちの無言の抗議 J1リーグ第14節
●昨日の記事はAIによる音楽評論だったが、今日はAIではなくワタシ自身が書くサッカーの話題だ。現在、J1リーグでは神戸が予想外の強さでトップを走っている。マリノスは現時点で2位。昨季から大幅に戦力ダウンしていることを考えれば、上出来だろう。週末にはアウェイでガンバ大阪と戦い、退場者を出すなどかなりの苦戦を強いられたものの、ガンバ 0-2 マリノスで勝利。序盤からガンバが激しいプレスで襲いかかり、ボールを奪ってどんどん前に攻める。マリノスのサイドバックやボランチが次々とプレスの餌食になり、まるでビルドアップできない。ガンバはとても最下位とは思えないプレイ強度。
●劣勢が続き、これではプレイスキックくらいしかチャンスはないだろうと思ったら、前半37分、永戸のコーナーキックから中央で西村が頭で合わせて先制ゴール。後半、松原が2枚目のイエローカードで退場するも、後半34分、距離のあるフリーキックで、永戸がミラクルなブレ球を蹴ってスーパーゴール。これは年間ベストゴール級のスペクタクル。終盤はガンバの勢いも落ち、ひとり少ないマリノスが攻めるという、マスカット監督らしい強気の展開になった。
●で、この試合なのだが、アウェイなのに中継ではなぜかマリノスの声援ばかりが聞こえてくる。実はガンバ大阪のサポーター連合が応援のボイコットをしていたのだとか。ガンバのような名門クラブが最下位に低迷し、J2降格の危機にあるのだから、サポーターたちが黙って見ていられないのはわかる。が、応援ボイコットというのはどうなんすかね。マリノス側から見ると、アウェイなのにアウェイ感があまりなかったわけで……。スタジアムに詰めかけたサポーター連合以外の一般のファンがどう感じたのかも気になるところ。25年ぶりの5連敗が決まった試合後、ガンバの選手たちとポヤトス監督はゴール裏に向かい、サポーターたちと話し合いを行った。キャプテン宇佐美貴史は涙を流しながらサポーターと握手したという。ファンあってのプロスポーツではあることはまちがいないが、考えさせられるシーンではある。選手への重圧はどこまで許されるのか、選手と集団的サポーターとの距離感はどれくらいがよいのか、等々。
●ところでガンバのゴールキーパーはベテラン東口だった。今季先発の座を奪ったかと思われた谷晃生はベンチに座っている。そしてガンバでは3番手と目されている一森純を、マリノスはわざわざローンで獲得して正ゴールキーパーとして起用しているのだ。少し不思議な感じもするが、求めるプレイスタイルの違いということか。なお、契約上、一森はガンバ戦に出場できないので(ローンだとよくあるパターン)、マリノスは大ベテラン飯倉を先発させ、ベンチにオビを置いた。飯倉は一森の控えであり、オビは控えの控えという扱いなのだ。マスカット監督はそれほど一森を買っている。
ドゥダメル指揮ベルリン・フィル(5月13日)のアメリカ音楽プログラムの公演評
ドゥダメルとベルリン・フィルが描くアメリカ音楽のカレイドスコープ
文・鷲尾慎太郎
グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした魅力的なプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが卓越した技巧と表現力で圧倒した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気に満ちたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと緊密な連携をとり、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。
後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。この作品はまるで、アメリカの歴史や文化を音楽に映し出したカレイドスコープのようだった。
ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。
●……えっと、これってもしかして? そう、ピンと来た人も多いと思うが、上の公演評は見出しから本文まで、すべてAIに書いてもらったものだ。使用したのはMicrosoftのBing AI(内部でGPT-4初期バージョンを用いている)。対象となったのは、デジタル・コンサート・ホールでも配信されている2023年5月13日のドゥダメル指揮ベルリン・フィルのアメリカ音楽プログラム。セルジオ・ティエンポの独奏によるヒナステラのピアノ協奏曲第1番やアイヴズの交響曲第2番他が演奏された。文章の内容はAIがそれらしく書いたものであって、実際にはAIは演奏を聴いていない(そりゃそうだ)。どうやって書かせたのか、以下、種明かし。こんな対話をした。AIの言ってることが少しヘンだが、気にしない。
ワタシ:つい先日、ベルリンでグスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会がありました。アイヴズなどアメリカの作曲家がとりあげられたそうです。ご存じですか。
Bing:はい、ご存じです。グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、2021年5月14日にベルリン・フィルハーモニー・ホールで行われました。アイヴズの交響曲第2番のほか、オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲(独奏:セルジオ・ティエンポ)も演奏されました。このコンサートはデジタル・コンサートホールでライブ配信され、日本時間5月15日に時間差再配信もされました。アメリカ大陸の音楽をテーマにしたこのプログラムは、ドゥダメルの得意とする分野ですね。
ワタシ:そうです、その公演です。では、音楽評論家になり切って、この演奏会の公演評を600字ほどで書いてみてください。内容は架空でかまいません。文体は「だ・である」体とします。
Bing:わかりました。音楽評論家になり切って、この演奏会の公演評を書いてみます。以下が私の試みです。
グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした興味深いプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが見事な技巧と表現力で魅了した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気じみたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと息の合った伴奏を行い、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。
ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。この演奏会はデジタル・コンサートホールで視聴できるので、ぜひチェックしてほしい。
(字数:600字)
ワタシ:ありがとう。よくできていますね。最後の一文は不要だと思います。また、もう少しアカデミックな雰囲気を出すために高度な表現を使って書いてみてくれますか。
Bing:わかりました。最後の一文を削除し、高度な表現を使って書き直してみます。以下が私の試みです。
グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした魅力的なプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが卓越した技巧と表現力で圧倒した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気に満ちたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと緊密な連携をとり、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。
ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。
(字数:596字)
ワタシ:とてもいいと思います。さらに人間的な文章にするために、なにか比喩を一か所くらいで用いてみてはどうでしょう。
Bing:わかりました。比喩を一か所で用いてみます。以下が私の試みです。
グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした魅力的なプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが卓越した技巧と表現力で圧倒した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気に満ちたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと緊密な連携をとり、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。この作品はまるで、アメリカの歴史や文化を音楽に映し出したカレイドスコープのようだった。
ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。
(字数:600字)
ワタシ:すばらしい!とてもよいです。さきほどの公演評に見出しを付けてください。
Bing:わかりました。さきほどの公演評に見出しを付けてみます。以下が私の提案です。
ドゥダメルとベルリン・フィルが描くアメリカ音楽のカレイドスコープ
ワタシ:いいですね。今あなたが演じた架空の音楽評論家に名前を付けてほしい。評論家らしい日本人名を考えてくれませんか。独自性のある名前を考えてください。
Bing:わかりました。私は、日本人名の珍しい姓と名を組み合わせて、いくつかの候補を作ってみました。
鷲尾慎太郎:鷲尾は日本で最も珍しい姓のひとつで、慎太郎は慎重で力強い人という意味の名前です。
綿貫紗織:綿貫も日本で最も珍しい姓のひとつで、紗織は細やかで美しい織物という意味の名前です。
蛭田光一:蛭田は日本で最も珍しい姓のひとつで、光一は光り輝く一人者という意味の名前です。
以上が私の提案です。どれが気に入りましたか?
ワタシ:いいですね。では「鷲尾慎太郎」を採用しましょう。
Bing:「鷲尾慎太郎」ですね。わかりました。あなたが演じた架空の音楽評論家にぴったりの名前だと思います。😊
ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のマーラー「悲劇的」他
●20日はサントリーホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。チケットは完売。プログラムはリゲティのムジカ・リチェルカータ第2番(ピアノは小埜寺美樹)とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。休憩なし。興味深い組合せだけど、頭にこんな短いピアノ独奏曲を演奏するために舞台転換をするの?と思ったら、そうではなく、ステージ上手奥にピアノが置いてあって、全員着席した状態でリゲティを演奏し、切れ目なくマーラーにつなげる方式。マーラーが始まる瞬間はすこぶるドラマティック。
●マーラー「悲劇的」は遅めのテンポで始まったのが意外。ピンと張りつめた空気のなかで、マッシブな響きが鳴り響く。解像度が高く、なおかつ豊麗なサウンド。楽章配置は第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテという順番。自分が比較的近年にライブで聴いた「悲劇的」では、このスケルツォ─アンダンテの順がネルソンス&ボストン、パーヴォ・ヤルヴィ&N響、サロネン&フィルハーモニア、アンダンテ─スケルツォの順がドゥダメル&LAフィル、カンブルラン&読響(だったと思う)。先にスケルツォだと、第1楽章との連続性が感じられて(第5番の第1楽章と第2楽章と似たように)、楽曲全体を急─緩─急の三部構成でとらえることもできる。第3楽章のアンダンテが情感豊か。絶美。第4楽章は始まって間もないところで、いきなり問題のハンマーが鳴らされて「えっ!?」。こんなところでなぜハンマー。この曲にはハンマーの打撃は2回か3回かというトピックスがあるわけだが、ノットが選んだのはなんと5回。初めて聴いたけど、5回の初期稿がある。ともあれ、ハンマーはあくまで楽音のひとつとして扱われ、過度にスペクタクルに傾かない。カウベルは2階上方なのか、不思議なところから聞こえてきて立体音響に。
●先日、同コンビでシュトラウス「エレクトラ」を聴き、その巨大さに圧倒されたばかりだが、同じ1900ゼロ年代に誕生したこの「悲劇的」もやはり巨大な音楽で、荒れ狂う嵐のよう。「エレクトラ」と違い物語性がないところで、音楽的なイベントが次から次へと起きるわけで、これを当時の人が初めて聴いてなんらかの文脈を把握して味わうのは至難の業だったにちがいない。次になにが起きるか、あらかじめ知っているから満喫できる曲というか。これほど録音再生技術の恩恵を受けている作曲家もいないかも。
●演奏後の客席は熱かった。とりわけホルンには大喝采。ノットのソロカーテンコールとスタンディングオベーションあり。ノットは客席を讃えるような仕草で、満足げ。
新国立劇場 ヴェルディ「リゴレット」(新制作)
●18日は新国立劇場でヴェルディ「リゴレット」(新制作)。エミリオ・サージの演出で、ビルバオ・オペラとリスボン・サン・カルロス歌劇場の共同制作で初演されたプロダクション。指揮はマウリツィオ・ベニーニ。歌手陣はリゴレット役にロベルト・フロンターリ、ジルダ役にハスミック・トロシャン、マントヴァ公爵役にイヴァン・アヨン・リヴァス、スパラフチーレ役に妻屋秀和、マッダレーナ役に清水華澄、モンテローネ伯爵役に須藤慎吾。歌手陣、オーケストラともども高水準。演出はおおむねオーソドックスで、奇を衒わない。
●特に印象に残ったのはハスミック・トロシャンのジルダ。以前「ドン・パスクワーレ」のノリーナ役を聴いたときもすばらしいと思ったが、今回も清澄な声質と過不足ない表現でまさしくジルダそのものといった純粋さ。リヴァスの公爵は最初は控えめだと思ったが、その後エネルギー全開で見せ場を盛り上げてくれた。フロンターリはリゴレットという人物の多面性を描き分ける。嫌なヤツだけど深く共感できるリゴレット。ベニーニ指揮東フィルは緻密。オーケストラがきれいに掃除されたかのよう。ときにはもう一段熱量がほしくなることもあるが、第3幕冒頭の弦楽器などぞくぞくするような精妙さ。歌手の魅力を存分に引き出す指揮ぶりで、全体として「整っていた」という感触。
●ヴェルディの主要オペラのなかで、いちばん心が痛むのが「リゴレット」だと思う。悲劇は数あれど「アイーダ」も「オテロ」も「ドン・カルロ」も、たとえそれが人間の本質を描いたものであったとしても、英雄でもなければ高貴な生まれでもない自分には無関係な話。でも「リゴレット」は違うんすよね。だれもがリゴレットのような道化になりうる。望まなくてもリゴレット的な役割を負ってしまう場面があるのではないだろうか。たとえば、組織で働いていても。
●愛人をさらったと思っている廷臣たちに対して、リゴレットがあれは自分の大切な娘であると言って、娘を返してほしいと懇願する場面の気まずさときたら。あの場面はリゴレットの悲哀に共感すると同時に、廷臣たちの側の「うっかりノリでやっちまったけど、そんなつもりじゃなかった……でもオレ知らねえ」にも共感してしまうようにできている。やった側とやられた側のどちらにも同時に感情移入させられるところが天才の技。
●最後、ジルダは自分を弄んだ公爵を救うために犠牲になると決意する。リゴレットにとって娘は世界のすべてなんだけど、娘は父親の所有物ではなく、ひとりの人間なのだから、自分の運命を自分で決める権利を持っている。だからリゴレットはしかるべき罰を与えられたとも言える。そこが辛辣。もとはといえばモンテローネ伯爵の呪いが発端だが、呪いはリゴレットと公爵の両者にかけられていたはず。リゴレットへの呪いが描かれているけど、公爵への呪いはどうなったのか、という疑問がこの物語の余白にあると思う。
「クスクスの謎」(にむらじゅんこ著/平凡社新書)
●最近、クスクスを家に常備するようになった。なぜ今まで、こんなに手軽でおいしいものを食べていなかったのか。ご飯、スパゲッティ、蕎麦、うどんなどと並んで、主食のラインナップに加わりそう。クスクスはデュラム小麦を用いた粒パスタ。だから基本的にスパゲッティと同じような食べ方ができると思っているのだが、調理が圧倒的に楽なのがいい。スパゲッティなどロングパスタは大量のお湯を沸かして、そこで7分前後茹でるのに対して、クスクスは食べる分量と同量のお湯をかけて、数分放置するだけ。お湯で戻したら、オリーブオイルと塩をかける。戻すのも楽だし、後片付けも楽なので、ふだんのランチにちょうどいい。食べ方は無数にあるようだが、今のところ、スパゲッティ用のソースと合わせている。スパゲッティを食べるときと同じように、トマトソースやガーリックオイル系のソースを作れば、麺を茹でる必要がない分、手間が減るし、なんならレトルトのソースでもいい。
●で、これは本当はどういうふうに食べるものなのか気になって、手に取ったのが「クスクスの謎」(にむらじゅんこ著/平凡社新書)。クスクスがどういう食べ物で、どこから来て、どんなふうに広まり、どう食べられているのかが記されている。レシピ集ではなく、読んでおもしろい本。もともとアルジェリア、モロッコ、チュニジアといったマグレブ諸国で食べられていたクスクスがヨーロッパにわたり、フランスでは国民食といえるほど食べられている(著者はフランス在住)のに対し、イベリア半島では消えたとか、実に興味深い。
●いろんな国でいろんな食べ方がされているので、日本では日本なりの家庭の食べ方があってもいいわけで、もしかするとご飯オルタナティブな食べ方もあり得ると思った(最近、オートミールがそんな位置づけになりつつあるが)。ご飯の代わりにクスクスでカレーくらいは大ありだと思うが、卵かけクスクスとか、納豆クスクスもあり得るのかも?
●クスクスと関係ないけど、この本でひとつ知ったこと。ショートパスタの「マカロニ」とお菓子の「マカロン」は同じ語源。フランスでは17世紀頃まではどちらも「マカロン」と呼ばれていたのだとか。片や乾燥させ茹でるもの、片や甘いものだけど、加熱前はどちらもパスタ(ペースト)。