February 22, 2019

パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のストラヴィンスキー

●21日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のオール・ストラヴィンスキー・プログラム。前半に幻想曲「花火」「幻想的スケルツォ」「ロシア風スケルツォ」「葬送の歌」、後半に「春の祭典」。マイクが立っていて録音が入っていた模様。前半は小曲が並列的に配置されていて、初期作品が中心なのだが、「ロシア風スケルツォ」のみ後年のアメリカ時代の作品。「幻想的スケルツォ」と「ロシア風スケルツォ」というスケルツォつながりの選曲なのか。「幻想的スケルツォ」のほうはメンデルスゾーン的な妖精たちの飛翔を描いたようなスケルツォ。「ロシア風スケルツォ」はもともとポール・ホワイトマンのジャズ・バンド用に書かれたロシア民謡由来の曲で、すっとぼけた能天気さが吉。「使用前/使用後」くらいの隔たりがある両スケルツォ。「ロシア風スケルツォ」はテーマパークとかお店のセールの呼び込みの音楽とかにも使えると思う。いつか著作権が切れたら「呼び込み君」の音楽にぜひ。「葬送の歌」についてはサロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団で演奏されたときや、初演時のニュースでもここで触れているけど、新発見の初期作品がこんなに盛んに演奏される例も珍しいのでは。
●「春の祭典」、冒頭のファゴット・ソロを思いきり歌わせるというのは、すっかり最近の流行になった感。第1部のおしまいの高速テンポによる「大地の踊り」はスリリング。直線的にクライマックスに向かう快感。第2部に入ると一段と熱気と推進力を増して、ソリッドな鋼のストラヴィンスキーに。全体に速めのテンポで、コーナーギリギリを攻めるかのような疾走感がある。
●弦楽器の配置が、いつもの対向配置と違って、従来型の音域順に並ぶストコフスキ配置(チェロは外側)。N響首席指揮者就任時にパーヴォは「一部のレパートリーでは対向配置だとうまくいかないので、その時は従来型の配置にする」と語っていたのだが、ストラヴィンスキーがそれに該当する模様。どうしてなんでしょね。

February 21, 2019

新国立劇場「紫苑物語」、ひとまず

●20日は新国立劇場で西村朗作曲「紫苑物語」。17日の世界初演に続く2回目の公演。西村朗作曲、笈田ヨシ演出、佐々木幹郎台本(原作は石川淳)、芸術監督の大野和士が東京都交響楽団を指揮。日本のオペラ界の力を結集して生み出した新作がついに上演されるとあって、注目度は高い。この後、23日と24日とまだ公演が続く。歌手陣は宗頼に髙田智宏、平太に松平敬(この役のみダブルキャストで、初日は大沼徹)、うつろ姫に清水華澄、千草に臼木あい、藤内に村上敏明、弓麻呂に河野克典、父に小山陽二郎。全2幕でそれぞれ約1時間。すべてにおいて入念に準備された舞台といった感で、見ごたえがあった。
●まだ公演中なので、ネタばらしにならない範囲で感じたことをいくつか。まずは管弦楽のくらくらとするような豊麗さ、色彩感、語法の多彩さ。ピットから聞こえてくる音の濃密さは普段の公演ではまず聴けないもの。歌手陣と合唱の難度は人外魔境の域といった感で、とりわけ第2幕の後半からしか出番がないのに平太役は超越的な歌唱に挑んで強烈な印象を残す。重唱の場面に重きが置かれ、特に2幕の四重唱は山場となる。全般に、伝統的な調性音楽じゃないけど、聴きやすい。ひたすら苛烈な音響が続くと付いていけないが、まるっきり伝統的書法に留まられても困るという、未知の新作オペラに対する不安を払拭してくれる。
●原作との関係、台本についてはいろんな見方があると思う。古典でもそうだが、やはりオペラと原作は別もの。オペラである以上、テキストの分量は原作よりはるかに減るのは必至。だから大胆になにかを削ったり省略したりすることになる。説明的な要素をどこまで入れて、どこまで削るかがオペラ台本の難しいところなんだろう。さらに、オペラならではの独自要素も付加される。特に第2幕後半から独自性が目立ってきて、これは映画「2001年宇宙の旅」でいうところの「スターチャイルド」パートだなーと思った(なんだそれは)。石川淳がクラーク、オペラがキューブリック。原作とは「文体」に相当するものがぜんぜん違うわけだから、石川淳というよりは伝奇ファンタジーみたいなテイストか。漂う昭和感。「とうとうたらり」「あっぱれ」「行(ぎょう)」などオペラ独自の言葉の使い方は効果的で、音楽と合わさって音としてのおもしろさを生み出す。
●うつろ姫の設定が、原作の醜女から美女に変更されているのはどうしてなんだろう。あと、平太は終盤にやっと出てくるだけで、宗頼との出会いという伏線がない。結果的に、三段階にわたって自己の分身を乗り越えるといったテーマ性は薄れて、うつろ姫/千草の側の重みが大きくなっている。もし原作を読んでいなかったら、ずいぶん違った受け止め方になったことはまちがいない。
●NHKによるテレビ収録あり。

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追記:日本語字幕の下に英語字幕もあった。

February 20, 2019

まもなくJリーグ開幕、マリノスの行方は?

●さて、早くもこの週末、Jリーグが開幕する。まだこんなに寒いのに。とても屋外のスタンドになど座っていられないので、またDAZNを全面的に頼りにしたいわけだが、そんなことより、次々と主力が去って行ってしまったマリノスはどうなるのか、という目下の問題がある。昨季、ポステコグルー監督による狂乱の戦術により旋風を巻き起こした結果、残留争いにまで巻き込まれてしまったマリノスだが、なななんと、監督は続投するんである。はたして大量得点と超大量失点を重ねるエキサイティング自滅フットボールが続くのか。波瀾万丈の昨季を振り返ってみれば、結局のところ、個の力で大きく相手を上回っていない限り、極端なポゼッション・サッカーは成立しないという割と当然の結論に至った気がするのだが。
●で、その「個の力」が困ったことになっている。「J1移籍情報」を見れば、マリノスの苦境は一目瞭然。昨季の最大のストロング・ポイントだった左サイドバックの山中亮輔は浦和に去った。エースストライカーのウーゴ・ヴィエイラもいなくなった。ウーゴ以外では唯一頼れるストライカーだった伊藤翔は鹿島に移った。オリヴィエ・ブマルもユン・イルロクも移籍した。久保建英は予想通りFC東京に帰った。そして、中町公祐はいったいなにを思ったのか、アフリカのザンビアでプレイするらしい。海外組にまさかのアフリカ組誕生。レジェンド中澤佑二は引退した。
●そんなわけで、ポステコグルー監督は一からチームを作るようなもの。新戦力というと左サイドバックのタイ代表ティーラトン、トップにベテラン李忠成、中盤に札幌から三好康児、そしてブラジル人フォワードをふたり、エジガル・ジュニオとマルコス・ジュニオール。ニッポン代表クラスの選手の獲得が噂されていたが、どうやら失敗したのか。問題はふたりのブラジル人で、これまでマリノスは南米から有力選手を次々と獲得しては、みんないつの間にかピッチから消えていくという謎展開があまりに多かった。このふたりがそろってチームにフィットしないかぎり、戦力ダウンは避けられない。ちなみにマルコス・ジュニオールのゴール・セレブレーションはかめはめ波のポーズなんだとか。どうやらマリノスの浮沈はブラジル人のかめはめ波がどれだけ見られるのかにかかっているようだ。頼んだぞ、ポステコグルー監督(そこなのかっ!)

February 19, 2019

最強のマーマレードを求めて

マーマレード
●検索でたまたま見つけて震撼したのが「マーマレード・リサーチ」。しばらく更新が止まっているブログだが、約70種類ものマーマレードを食べ比べて、それぞれに「苦味」「酸味」「甘さ」を評価して、ランク付けをしている。なんというマーマレードへの情熱。これだ、ワタシが読みたかったのは! まるで名曲名盤ガイドのような網羅性と評点主義への熱狂。その根底にあるのは「苦みがなければマーマレードではない」という一般的な国産市販品への批評性である。同時に「甘さとの協調も必要」とするバランス感覚にも好感が持てる。
●で、このランキング上位のものを試してみようと思ったわけだが、トップ15位以内でその辺のフツーのスーパーで見かけるような商品は、ST.DALFOURしかない。かといって日常使いのマーマレードのためにデパ地下を探すのもリアリズムを欠く。そこで、成城石井(←コンサートホールの近くによくあるイメージ)やカルディに置いてあるもの、あるいはamazon等で容易に購入できるものを試そうということで、この数か月ほどをかけて、TIPTREE、MACKAYS、HEROビターオレンジを使ってみた。
●現状、TIPTREEが自分内1位だ。しかし最初に口にしたときは「こんなマーマレードがあったのか!」と感動するんだけど、日々使っているとあっという間になにも感じなくなる。このあたりで紙パックの国産マーマレードにいったん回帰して、ランキング上位商品と交互に消費するのが最適解なのかも。

February 18, 2019

「紫苑物語」(石川淳著/新潮文庫 Kindle版)

●新国立劇場では西村朗作曲の新作「紫苑物語」が初演されたところである。後日足を運ぶのだが、先に予習も兼ねて、原作の「紫苑物語」(石川淳著/新潮文庫 Kindle版)を読んだ。もちろん、どんな場合でもオペラと原作は別物というのが大前提だが、情報量の多い舞台を予想して読んでおくことに。以下、すべて原作の話。
●主人公は国の守、宗頼。歌の家に生まれ、生まれながらの和歌の才に恵まれるが、やがて歌を捨て、叔父の弓麻呂を師として弓に生きる。宗頼はまず「知の矢」を習得する。しかし宗頼が放った矢はことごとく獲物を仕留めるが、射ると同時に獲物が消えてしまう。次に宗頼は「殺の矢」に開眼する。弓麻呂の導きにより、人を射ることを覚える。ついには「魔の矢」を身につけ、敵対する者を次々と殺め、さらには無辜の者まで手にかけるようになる。死骸の後には紫苑を植えよという。悪霊を背負うまでになった宗頼は、人の立ち入らない岩山で、岩肌に仏像を彫る平太なる者に出会う。ただ仏像を彫るだけの平太に、宗頼は自分自身の影を見て、宿敵とみなす。宗頼は仏像に立ち向かい、矢を射る……。
●といった一種の神話的な雰囲気をまとった自分探しの物語。主人公は「知の矢」「殺の矢」「魔の矢」と三段階にわたって弓術を究めることで、同時に三段階にわたって自己の分身を乗り越える。まずは父を越え、次に叔父を倒し、最後に平太と対決する。弓麻呂は主人公にフォースのダークサイドを教えるダースベイダーのようなもの。ならば平太はジェダイである。宗頼と平太の対決は、アナキン・スカイウォーカーvsオビ=ワン・ケノビか。ただ、剣ではなく、ここでの武器は弓矢だ。最後のエンディングは、炎のモチーフが少し「ワルキューレ」を連想させる。
●最後のシーンは、魔と仏、善と悪の対消滅と読むか、必定の合一と読むか。

February 15, 2019

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019記者会見

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 記者会見
●15日、東京国際フォーラムのホールEで、ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019記者会見が開催された。今年も5月3日~5日にかけて東京国際フォーラムを中心にラ・フォル・ジュルネが開催される。主催は昨年と同様、ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019運営委員会(KAJIMOTO、東京国際フォーラム、三菱地所)。写真は今年のアンバサダー、別所哲也さんとルネ・マルタン。別所さんは今年のナントの音楽祭を訪れたほか、朗読で東京の公演にも出演する。
●まず、今回のテーマは「ボヤージュ ─ 旅から生まれた音楽(ものがたり)」。音楽に「ものがたり」とルビを打っている。異国の地に新たなインスピレーションを求めた作曲家たちの旅の軌跡を反映したプログラムが用意された。旅する作曲家は数多い。モーツァルトを筆頭に、リスト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、サン=サーンス、タンスマン、ジャン=ルイ・フロレンツ(20世紀フランスの作曲家)が例に挙げられた。昨年は「亡命者」がテーマだったんだけど、今回は「旅」。異国の地を訪れるという意味では関連性のあるテーマだが、強いられるのか、自ら進んで求めるのか、という対照性がある。すでに3日間のプログラムが発表されているが、今回も多彩なアイディアが盛り込まれているようだ。
●今年の新しい話題をいくつか。まず、ホールB7にサイドビュー席が設置される。このホール、今までフラットで舞台が遠い感じの配置だったんだけど、今回はアーティストを囲む形の配置にするそうで、改善が見込めそう。あと、「0歳からのコンサート」3日間に加えて、「キッズのためのオーケストラ・コンサート」も開催される。これまでも名目上、「0歳から」以外の公演も昼なら3歳から入場できたのだが、実際にはとても小さい子供が歓迎されるような雰囲気ではなかった。このキッズ・コンサートはきっと人気を呼ぶはず。
●それと、「フォル盆」が開催される。これはLFJオリジナル盆踊り。山田うんの振付、ブラック・ボトム・ブラス・バンドの演奏で、お盆じゃないけど盆踊り。事前ワークショップに参加した子供たちが「フォル盆キッズバンド」としてともに演奏する。会場はホールE。クラシック音楽モチーフの盆踊りなんだとか。「ダンシング・ヒーロー」を超える新時代の盆踊り名曲の誕生を期待したい。
●参加型企画としては「みんなで宝島」も。シエナ・ウインド・オーケストラの公演で、最後に演奏する「宝島」に客席から参加できる。楽器持参でどうぞ。
●あと、昨年は池袋地区での開催があったんだけど、今回はなし。去年は2か所で開催するのもいいんじゃないかと思ってやってみたんだけど、やってみたら演奏家のエネルギーだとかスタッフだとか熱気だとかが分散されてうまくいかなかった、みたいなお話。あと、西口公園の工事がすでに始まっているので、去年と同じこともできない。
●気の早い話だが、ルネ・マルタンは来年のナントのテーマも教えてくれた。生誕250年なのでベートーヴェン、ただし独創的な形にするという。もっとも、東京がどうなるかは未定。

February 14, 2019

テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナのチャイコフスキー

●13日はサントリーホールでテオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナ。東京ではオール・チャイコフスキーで3プログラム3公演がすべて異なるホールで開催されたが、ウワサのコンビが待望の初来日とあって全公演チケット完売。ようやく最終日に一公演だけ聴けた。驚きに満ちた演奏会。
●プログラムからして意表をついている。チャイコフスキーとはいっても、前半に組曲第3番ト長調、後半に幻想序曲「ロメオとジュリエット」、幻想曲「フランチェスコ・ダ・リミニ」という3曲(後半は当初の予定から曲順を入れ替え)。ムジカエテルナはどうやらチェロ以外は立奏のよう。管楽器は椅子があるので休みの間に座ることもできるが、弦楽器は椅子すらない。バロック・アンサンブルならどうということもないわけだが、シンフォニーオーケストラでみんな立っている光景は壮観。クルレンツィスは長身痩躯、棒を持たずにしなやかな身のこなし。ムジカエテルナはスーパーオーケストラではないかもしれないが、ひとつの解釈を実現するという点で鍛え抜かれている。通常のオーケストラでは不可能なくらい、たっぷりとリハーサルを重ねてきたといった様子。意外性のあるダイナミクスやテンポ設定など、次々となにかイベントが起き続ける。この日、18時30分の開場を迎えても、ロビー開場のみで客席に入れなかったのだが、直前まで練習をしていたのだろうか。
●前半の組曲第3番。これは渋すぎる選曲だとは思ったが、最後の長い変奏曲で独奏ヴァイオリンが大活躍する。コンサートマスターが生き生きとソロを披露して、最後は盛り上がって終了。そしてこの日最大のサプライズが訪れる。前半なのに、なぜかアンコールが始まった。曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第3楽章。勢いよくドカンッ!と始まったが、ソリストはどこに?……そう!コンサートマスターがそのままソロを弾いたんである! な、なんじゃこりゃーっ! 別日のプログラムではコパチンスカヤがこの曲のソリストを務めていたのだが、まさかのコンサートマスターのサプライズ抜擢。客席のどよめきを喜んでいるかのような、ノリノリのソロ。協奏曲なのにみんなが名前を知らない人が弾いているという、まさかの事態が出来(後でアンコールの掲示でアイレン・プリッチンという人だと知る)。もちろん、曲が終わったら場内は大喝采。これは伝説だ。一回限りの伝説的反則技。しかもコンサートマスター氏、さらにソリスト・アンコールまで弾いてくれた。イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の第1楽章(オブセッション)。コンサートマスターによる華麗なる「アンコールのアンコール」。どんな演奏会だ、これ。
●後半のダブル幻想曲、どちらも精力的な演奏で、並の演奏にはない張りつめたテンションがあったけど、よりおもしろみを感じたのは「フランチェスコ・ダ・リミニ」のほう。熱風を浴びるかのよう。後半が始まった時点で20時40分くらいになっていたので、さすがにこれ以上のアンコールはなく、終演は21時半くらい。客席の反応は熱狂的だったけど、遅くなったこともあってか終わるやいなや席を立つ人もちらほら。アクの強い音楽ではある。
●前日に行われた来日記念トークセッションで(ネット中継があった)、クルレンツィスは「みんなといっしょに修道院で朝日とともに練習を始めたい、そしてわれわれの音楽を聴いてほしい人だけに聴いてもらいたい」みたいなことを語っていたっけ。「メインストリームと別の世界を切り開いていきたい」とも。指揮者とオーケストラの関係という点でも、このコンビはどれだけ持続可能で、どこに行く着くのだろうか。解釈の徹底と演奏の一回性の均衡点みたいなことについても、つい思いを巡らせる。

February 13, 2019

アシモフの「鋼鉄都市」

asimov_caves_of_steel.jpg●うんと昔に紙の本で読んだ本を、つい電子書籍で買い直してしまうというケースがある。Kindleでセールになっていたので、アイザック・アシモフの古典的SFミステリ「鋼鉄都市」(福島正実訳/早川書房)を購入して、「どんな話だっけ?」と思って最初の1ページを読み始めたらもう止まらない。最後まで読んで、ミステリとしての核心の部分も忘れていたことに気づく。まあ、30年以上も前に読んだきりなので、忘れていてもしょうがないし、どこかにあるはずの紙の本も再読できる状態ではないはず。
●で、再読してこれはまぎれもなく傑作だと思うと同時に、古き良き時代のSF小説を読んで感じる居心地の悪さからも逃れられない。なにしろ、アシモフほどの知性をもってしても予測できなかったのが、インターネット、そしてネットワーク化された社会におけるモバイルコンピューティング。恒星間宇宙船が実現するほど高度なテクノロジーが発達しているのに、だれもネットワークにつながっていない。「鋼鉄都市」で描かれる未来の地球では、人口増加問題に対処すべく、人々は「シティ」と呼ばれる千万人規模の超巨大集合住宅で配給制度のもとで暮らし、だれもが野外に出るという習慣を失って久しい。人口密度が極限まで高く、効率化のために食事をするときはみんな食堂に集まって食べる。人口爆発が社会問題として描かれているのも時代を感じさせる。ただ、それでも慧眼だなと思うのは、各個人の住居でライブラリを持つのではなく、集団向けの大規模ライブラリをみんなで共有するという設定になっているところ。

おのおのの家に持つ貧弱なフィルム図書のコレクションと、厖大な規模の総合ライブラリのコレクションとを比較してみるがいい。一軒一軒独立したヴィデオ設備と、現在の集団のヴィデオシステムとの経済的技術的な差違を。

ここで述べられるライブラリは物理ライブラリだと思うが、もしインターネットが予測できていれば、これはNetflixとかKindleみたいなものに近かったはず。SpotifyとかApple Musicとかも含めて。
●逆に当時の予測に現実がまったく追いついていないのは、宇宙開発とロボット工学。人類は別の惑星への植民どころか、久しく月にも立っていない。ロボット工学の3原則も生み出されそうにない。AIによる車の自動運転はまもなく実現しそうだが、ヒト型ロボットが運転席に座って車を運転するという形では決して実現しそうにない。取材音源の自動文字起こしもまもなく実現しそうだが、ヒト型ロボットがイヤホンで録音を聴きながらキーボードをカタカタ打つという形では決して実現しそうにない。くくく。
●でも、外形としてはいろいろ古びていても、ロボットや宇宙移民に対する憎悪や差別感情の描かれ方は今の排外主義にも通じている。記憶にあったよりずっとユダヤ色の強い小説で(初読のときはわからなかった)、主人公の刑事とコンビを組むロボットのダニールは、旧約聖書のダニエルに由来するようだ。ウォルトン作曲の「ベルシャザールの饗宴」なんかにも出てくる場面で、饗宴中に突然人の手の指が現れて壁に「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」と書いたので、王がバビロン中の知者たちを集めるがだれも読めなかったところ、ユダの捕虜ダニエルひとりがこれを読み解いて、国の終焉を警告したという話があった。ダニエルは謎解き役の相棒にふさわしいということなのか。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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