October 11, 2019

ニッポンvsモンゴル代表@ワールドカップ2022カタール大会 アジア2次予選

モンゴル●W杯アジア2次予選、アウェイのミャンマー戦に続いて、第2戦はホームで対モンゴル戦。モンゴルはまったく未知のチーム。FIFAランク的には2次予選で対戦する相手とは思えないほど下位なのだが、今回初めて2次予選まで進出できたそう。監督はドイツ人のミヒャエル・ヴァイス。元京都パープルサンガのコーチで、奥さんは日本人なんだとか。最近の日本代表事情についても詳しい模様。結果を先に書いておくとニッポン 6対0 モンゴル
●モンゴルの布陣は4バック。4-1-4-1、あるいは4-4-2のようにも見えたが、開始早々から一方的にニッポンに押し込まれ、90分を通じて一度も攻撃らしい攻撃をすることができなかった。近年、代表チームは各国の力の差がなくなってきて世界のどこでも弱小チームとの対戦は減ってきているのだが、今回のモンゴル代表は天皇杯に出場する大学生チームにも及ばないのでは。これはモンゴルの問題ではなく、AFCの問題なんだけど、1次予選ならともかく、2次予選でこういう試合が実現してしまうのは予選のレギュレーションに難があるのではと疑ってしまう。
●ただ、モンゴルの選手たちに立派なフェアプレイ精神があったことは称えるべき。ニッポンが次々とゴールを決めていくなかで、多くのアジアの対戦相手のようにラフプレイに走ったりせず、どんなに力の差があってもあくまでサッカーをし続ける態度を貫いた。何点取られても、攻める姿勢を失わなかった(だからますます失点したわけだが)。ヴァイス監督の哲学なのか、国民性なのかはわからないが、こういった姿勢はいずれ報われるはず。
●ニッポンは右サイドに堂安ではなくゲンクで活躍中の伊東純也を起用、トップは不在の大迫に代わってFC東京の永井謙佑が務めた。セントラルミッドフィルダーは柴崎と、シュトゥットガルトへ移籍して出場機会を失っている遠藤航。途中でポルティモネンセの安西幸輝、フランクフルトの鎌田大地を投入するなど、公式戦ではまずできないような、選手層の厚みを増すことを狙った森保采配。GK:権田-DF:酒井宏樹(→安西幸輝)、冨安、吉田、長友-MF:遠藤航、柴崎-伊東純也、南野(→鎌田大地)、中島-FW:永井(→原口)。南野がキレていた。完成された選手になりつつある感。中島は意味のないボールキープがやや心配。両サイドからのクロスボールがほとんどチャンスにつながっていたが、なにしろ相手の守備がまったく付いてきていなかったので……。得点は南野、吉田、長友、永井、遠藤、鎌田。シュート41本を打った。

October 10, 2019

「B→C バッハからコンテンポラリーへ」 成田達輝

●8日は東京オペラシティのリサイタルホールで「B→C バッハからコンテンポラリーへ」成田達輝(ヴァイオリン)。共演は百留敬雄(ヴァイオリン)。くらくらするような強烈な一夜。看板に偽りなしの「B→C」、プログラムは前半にバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調とファーニホウの「見えない色彩」、後半にマテウ・マロンドラ「24のモジュラー・セル ~2台のヴァイオリンのための」(2019、成田達輝委嘱作品/世界初演)、パガニーニの「24のカプリス」から第24番イ短調、エルンスト「夏の名残のバラにもとづく変奏曲」、クラウス・フーバー「インタルシーミレ」(2010)、ヴィヴァルディのトリオ・ソナタ ヘ長調RV70、ジョン・ボールドウィン「ウト、レ、ミ、ファに基づいて」。
●切れ味鋭くパワフル、音色は輝かしく、強靭さとしなやかさを兼ね備えたヴァイオリンで、とにかくうまい。キレッキレのヴァイオリンが唸りをあげる。ファーニホウはどこか発話風で、能弁な語りを耳にするかのよう。続く初演作マロンドラの「24のモジュラー・セル」はまさに対話で、2台ヴァイオリンのひとりが発話すると、それに被せ気味でもうひとりが発話する。反復的な対話のおもしろさ、にじみ出るユーモア。これらモダンな超絶技巧曲の後で聴くパガニーニは、もはや軽やか。続くエルンストとともに余裕綽々のヴィルトゥオジティ。この文脈に乗って、2台ヴァイオリンによるヴィヴァルディやボールドウィンから予想もつかない風景が見えてくる。HIPとは正反対で、「もしこれらの曲が今書かれたばかりの新作だったらどう弾くか」というアプローチなんだと思う。鋭利で遊び心にあふれたヴィヴァルディ。ボールドウィンでは成田ひとりがステージで弾き、バスを奏でる百留は袖からスタートして歩きながら客席を一周してステージに帰ってくるという趣向。このプログラムにこれだけ楽しさが詰まっていたとは。脱帽するしか。アンコールはなし、成田の短いあいさつで終演。

October 9, 2019

マルク・ミンコフスキ指揮東京都交響楽団のシューマン&チャイコフスキー

●7日は東京文化会館でマルク・ミンコフスキ指揮都響。シューマンの交響曲第4番(初稿)とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」というプログラム。前半のシューマン、自分は改訂稿が大好きすぎて、最近ときどき耳にする初稿のよさがあまりピンと来ていないのだが、どのあたりが魅力なんだろうか。オーケストレーション? でも第4楽章なんて断然改訂稿のほうがカッコいいと思うんだけど。
●後半の「悲愴」は鮮烈。一貫して速めのテンポでぐいぐいと進む。ほとんど踊れそうなインテンポの「悲愴」。慣習的なタメをよしとしないけど、ところどころの間は長めにとるのがミンコフスキ仕様。べたついた感傷をすっきり洗い落とす、でもドラマはしっかり残っていてエモーショナル。第1楽章のppppppはバスクラリネットで代用せず、そのままファゴットで。なんの問題もない。ミンコフスキは楽章間で指揮棒を下ろさずに緊張感を保ったまま次へと進む。第3楽章の驀進は爽快。先月、この曲はディエゴ・マテウス指揮サイトウ・キネン・オーケストラの熱演を聴いたばかりだけど(メンバーは何人か重なっているはず)、まったく別種のアプローチ。終楽章は十分にドラマティックでありながら、儀式性を排除することに成功していた。荒々しいホルンのゲシュトップ。カーテンコールをくりかえした後、いったん拍手は止みかけたものの、数人のお客さんが熱心に手を叩き続けたおかげで周囲に拍手が広がり、ミンコフスキのソロ・カーテンコールに。残ったお客さんだけで立ち上がって大喝采。

October 8, 2019

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のシェーンベルク「グレの歌」

ミューザ川崎 グレの歌●5日はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のシェーンベルク「グレの歌」。ミューザ川崎シンフォニーホール開館15周年記念公演として二日間にわたる「グレの歌」の初日へ。本来ならめったにない貴重な機会だが、当欄でなんどか記しているように、今年ほかに2団体がこの作品を取り上げるというまさかの「グレグレグレの歌」祭りが出来。
●恐るべき巨大編成ではあるが、ホールの特徴もあってか、もっとも盛大に鳴らす場面でも響きが飽和せず、激しくはあっても決して狂暴ではない。今年聴いた「グレの歌」中ではもっとも清澄で豊麗なサウンド。そして歌手陣が強力。ヴァルデマールにトルステン・ケール、トーヴェにドロテア・レシュマン、山鳩にオッカ・フォン・デア・ダメラウ、農夫にアルベルト・ドーメン、道化師クラウスにノルベルト・エルンスト、語り手にサー・トーマス・アレン。合唱は東響コーラスで暗譜。前回も書いたように、第2部で大編成のオーケストラの咆哮に立ち向かうヴァルデマールの声が客席まで届かないのは、神に異議申立てをする人間の王の非力さと傲慢さを表現していると解することができる。ただ、ほかの2公演に比べれば、ケールの声は相当に健闘していて、むしろ「えっ、ここまで聞こえるの?」と思ったくらい。あと少しで神に勝てそうな超人の王。こんな強大な王が最後にはさまよえるゾンビになってしまうとは(なりません)。トーマス・アレンの声の力強さ、存在感の大きさも印象的。
●三者三様の「グレの歌」を聴けて、それぞれに違ったタイプのグレっぷりだったけど、作品そのものの印象はほぼ一貫していて、まだら模様の大作といった感じ。やっぱり後半のほうがおもしろい。というか、第1部の「山鳩の歌」から、おもしろくなってくる。最後にやってくる「見よ、太陽を」の問答無用の解決がすごい。ノットと東響は、来シーズンにシェーンベルク「ペレアスとメリザンド」、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(演奏会形式)へと、後期ロマン派の愛の音楽を遡る。
●終演後は盛大な喝采とカーテンコールの後、オーケストラの退出後もノットと歌手陣が2度にわたって呼び出された。まだ退出中だった合唱団への拍手の意もあったとは思うが、それにふさわしい記念碑的な演奏だったと思う。祭りは壮麗に閉じられた。

October 7, 2019

アンサンブル・ウィーン=ベルリン ~ 東京文化会館プラチナ・シリーズ

アンサンブル・ウィーン=ベルリン●4日は東京文化会館小ホールでアンサンブル・ウィーン=ベルリン。2年ぶりの来日、全席完売。カール=ハインツ・シュッツ(フルート)、ジョナサン・ケリー(オーボエ)、アンドレアス・オッテンザマー(クラリネット)、リヒャルト・ガラー(ファゴット)、シュテファン・ドール(ホルン)という超豪華メンバーによる木管五重奏。前回、現行メンバーで聴いたときも感じたけど、ドール、ケリー、アンドレアス・オッテンザマーというベルリン・フィル勢が3人いて、かなりベルリン・フィル色が強まっている。しかしオッテンザマーはウィーンの人だからアンドレアスをウィーンとベルリン半々でカウントすれば、ちょうどウィーン勢とベルリン勢が2.5人ずつになって釣り合う。
●前回はさいたまでオール20世紀音楽プログラムを聴いたのだが、今回はモーツァルトを柱に置いたクラシカルなプログラム。なので編曲物も入る。前半がモーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」より6曲(編曲はウルフ=グイド・シェーファー。NDRエルプフィルの首席クラリネット奏者)、クルークハルトの木管五重奏曲ハ長調op79、後半はイベールの3つの小品、モーツァルトの五重奏曲ハ短調(セレナード第12番K388=弦楽五重奏曲K406からモルデハイ・レヒトマンが編曲)。クルークハルトは19世紀後半の人だがこの木管五重奏曲は古典派風味。4楽章構成で第2楽章にスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章を配置するスタイルの曲で、構築感よりは名技性が前面に出る感。イベールは真の傑作。洒脱というよりはむしろがっしりとしたシリアスなテイストで聴かせてくれる。
●最後のモーツァルトの木管五重奏編曲バージョンは、もともと木管八重奏で書かれた原曲をモーツァルト自身が弦楽五重奏曲に編曲しており、それをさらにレヒトマンが木管五重奏に再変換したというアレンジ。なるほど、そんな手があったとは。まろやかでスマートなモーツァルト。アンコールにベートーヴェンの弦楽五重奏曲op4(木管五重奏版)より。

October 4, 2019

ハーゲン・クァルテット~ハイドン&バルトーク・ツィクルス第3夜

●3日はトッパンホールでハーゲン・クァルテット。3夜にわたるハイドン&バルトーク・ツィクルスの最終日にすべり込む。三夜とも3曲構成で、ハイドン+バルトーク+ハイドンというサンドイッチ型の配列。ハイドンとバルトークをハンガリーつながりでプログラムにする。これはクァルテットに与えられた特権だろう。一般的には渋いプログラムかもしれないが、トッパンホールのお客さんにとっては大歓迎なのでは。
●曲は前半がハイドンの弦楽四重奏曲第79番ニ長調「ラルゴ」とバルトークの弦楽四重奏曲第6番、後半がハイドンの弦楽四重奏曲第80番変ホ長調。前半はハイドン「ラルゴ」の第2楽章とバルトークの全楽章にともに「メスト」(悲しげに)と記される悲嘆の四重奏曲集。といっても、両者の性格の違いは際立っている。ハイドンの「ラルゴ」第2楽章に感じられるのが懐旧の念だとすれば、バルトークは1939年ヨーロッパの「今そこにある危機」。第2楽章、悲しみの主題に続いて登場する行進曲モドキは戦慄の20世紀軍隊行進曲。第3楽章はスケルツォならぬブルレッタ。諧謔の音楽というが、本当に「カッカッカッ」という笑い声を模したような嘲笑の音楽。えぐいジョークの連続の後、第4楽章でやってくるのは祈り、あるいは諦念か。ハーゲン・クァルテットの演奏は表現の振幅がきわめて大きく、生々しく苛烈。前半だけでほとんど充足してしまうが、後半はふたたびハイドン。この第80番、戯れに満ちた音楽ではあるんだけどバルトークの後に聴くと、さすがに軽い。これでおしまいでいいのかなと思ったら、アンコールでシューベルトの弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」から第3楽章メヌエット。深淵をのぞき込むような虚無の音楽。ここまで含めてひとつのプログラムなのかと納得。
●第2ヴァイオリンのライナー・シュミットのみ楽譜を持たず袖から出てくる。足元に黒いフットスイッチらしきものがあったので、なにか電子楽譜を使っていたのだろうか。

October 3, 2019

「なめらかな世界と、その敵」(伴名練 著/早川書房)

●最近読んだ小説のなかで、ずば抜けて強烈な印象を残したのが「なめらかな世界と、その敵」(伴名練 著/早川書房)。表紙絵がこんな感じなので書店では手に取りづらいが、全6篇からなる恐るべき短篇集。完全にSFというジャンル小説にとどまりながら、これほど新しく、今を描いた小説はないんじゃないか。
●秀逸なのは世界設定。表題作「なめらかな世界と、その敵」では、まず女子高生のなんでもないスクールライフが描かれるのだが、少し読み進めると、この世界ではだれでも自由意志によって並行宇宙を渡り歩くことができるとわかってくる。つまり、都合の良い現実を選択できる万能の人生を送っている。ところが、そんな世界で並行宇宙を移動する能力を失ってしまった人、たったひとつの現実を生きなければならない登場人物が出てくる。彼らを指して呼ぶには「乗覚障害」。この言葉にくらっと来る。ひとつの現実を生きる人間を障害とみなす世界観。そして、その舞台設定が正しく青春小説に結実していることに驚嘆する。
●「シンギュラリティ・ソヴィエト」は歴史改変小説。アメリカがアポロ計画に取り組んでいる頃に、ソ連が先んじてAIを開発していたら、という舞台設定。「ひかりより速く、ゆるやかに」で描かれるのは、走行中の新幹線が突然「低速化」するという事故で、車両内では時間の流れが2600万分の1の速度に低下する。新幹線内の修学旅行生たちは結晶化した時間のなかに取り残され、旅行を欠席した主人公の現実と切り離されてしまう。これも青春小説。巧緻。

October 2, 2019

新国立劇場「エフゲニー・オネーギン」

新国立劇場「エフゲニー・オネーギン」●1日は新国立劇場でチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」新制作(劇場表記は「エウゲニ・オネーギン」)。シーズン開幕公演であり、大野和士芸術監督が力を入れるロシア・オペラ・シリーズ第1弾となる公演。演出はモスクワ・ヘリコン・オペラの芸術監督ドミトリー・ベルトマンで、新国立劇場初登場。指揮はウクライナ出身のアンドリー・ユルケヴィチで、こちらも初登場。タチヤーナにエフゲニア・ムラーヴェワ、オネーギンにワシリー・ラデューク、レンスキーにパーヴェル・コルガーティン、オリガに鳥木弥生、グレーミン公爵にアレクセイ・ティホミーロフ。ピットに入るのは東京フィル。文化庁芸術祭オープニング公演。秋篠宮夫妻がご臨席。
●音楽面は充実。第1幕、ムラーヴェワのみずみずしい歌唱は純朴なタチヤーナにぴったり。貴婦人然とした第3幕との対照も見事。コルガーティンのレンスキーは甘美な声でイケメン度高し。脇役ながらティホミーロフのグレーミン公爵がすごく利いている。声量豊かで、格調高い。ユルケヴィチ指揮のオーケストラは、抒情性という点で出色。煽らず、熱くも甘くもないのだが、ていねいで、しなやかで清潔感のあるサウンドを引き出していた。有名なポロネーズの場面で、快速テンポでサクサク粘らず進めるのにも好感。厚塗りではない、素顔のチャイコフスキー。
●演出のベルトマンにとって9回目となる「エフゲニー・オネーギン」は、「スタニスラフスキーの偉大なプロダクションを主軸として発展させた」というもので、名作に正面から取り組んだ演出。大胆な読み替えや衝撃的な解釈などで目を引くものではなく、演劇的な視点から登場人物の心理を丹念に描写した舞台ということになるのだろうか。とはいえ、いろんな点で演技の過剰さは感じるかな。第3幕、タチヤーナが脱ぎ捨てた赤いドレスに、オネーギンが顔をうずめてクンクンしている変態感とか、少し笑いそうになったのだが、みんな平気だったんだろうか。目を引いたのはオリガの人物像。かなりトリッキーで、片時もじっとしていられない不思議女子。どうしてこんなめんどくさそうなガキにイケメンのレンスキーがぞっこんなのか謎、と言いたいところだが、世の中は往々にしてそういうものかも。全般に演技の真摯さはギャグと交換可能であり、一方で明示的なユーモアは笑えない。舞台には絵画的な美しさあり。ちなみに休憩は1回で、第2幕の第1場の後に入る。
●名作オペラに登場する惨めな男ナンバーワンがオネーギン。ぶっちぎりでナンバーワン。しかもレンスキーもけっこう情けない男で、ささいなことで嫉妬して命を落とす。ともになに不自由なくぬくぬくと育った男が、愚かさによって罰を受けるという話が「エフゲニー・オネーギン」。大抵のオペラと違ってヒロインは賢く、男はバカばかり。そこにこのオペラの真実味があるんだろう。で、演出家の意図とは違うかもしれないのだが「オペラは見たままに理解する」キャンペーン絶賛開催中の自分としては、オネーギンとレンスキーの力関係についても思い至るところがあった。このプロダクションに関していえば(原作上の設定は差し置いて)、どう見てもレンスキーのほうがモテそう。オネーギンは財産はあっても、レンスキーより野暮ったくて、オッサン感のある若者。口ではニヒルを気どっているが、実はホントはぜんぜんモテない男で、レンスキーに嫉妬していたから決闘で引き金をひくことができたんじゃないだろうか。せっかく世間知らずのタチヤーナにラブレターをもらったのに、大人の男を気どってカッコをつけてしまったばかりに、神様がくれたワンチャンスを逃すことに。外国を旅していたとか言って公爵家にあらわれたけど、本当は自宅に引きこもっていたのでは……と妄想をたくましくしてみる。
●演出のベルトマンはインタビューで、タチヤーナのモデルはチャイコフスキーの結婚相手だったアントニーナ・ミリューコヴァだと断言している。当時チャイコフスキーはウラジーミル・シロフスキーという若い金持ちと付き合っていたが、シロフスキーとの関係を清算しようと思って、アントニーナと結婚を決めた(よく知られているようにこの結婚は短期間で破綻する)、しかしチャイコフスキーとシロフスキーの別れ話はもつれて大げんかになり、シロフスキーは当てつけでチャイコフスキーよりも先に女性と結婚してしまったという。チャイコフスキーがなぜ女性と結婚してしまったのか、資料によっていろんなふうに記述されてはいるが、結局のところ、彼の心の中までは想像でしか語れない。人間、手紙にだって、いつでも本心をさらけ出すものではないし、そもそも本心というものはひとつではないだろうから。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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