July 1, 2022

アレクサンドル・カントロフ ピアノ・リサイタル

アレクサンドル・カントロフ ピアノ・リサイタル
●30日は東京オペラシティでアレクサンドル・カントロフのピアノ・リサイタル。偶然にも昨夜のガジェヴに続いて、若い世代を代表するピアニストのリサイタルが同じ会場で続いた。アレクサンドル・カントロフは2019年のチャイコフスキー・コンクールの第1位(第2位が藤田真央だった)。お父さんはジャン=ジャック・カントロフ。あまりに父が有名だったが、でも今や「カントロフ」といえばアレクサンドル。
●プログラムはリストを中心として、そこにシューマン、スクリャービンらが織り込まれたもの。前半にリストのJ.S.バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による前奏曲、シューマンのピアノ・ソナタ第1番、後半にリストの巡礼の年第2年「イタリア」から「ペトラルカのソネット」第104番、リスト「別れ」(ロシア民謡)、「悲しみのゴンドラ II」、スクリャービンの詩曲「焔に向かって」、リストの巡礼の年第2年「イタリア」からソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」。全体がひとつの作品のような趣で、別れと悲しみ、超越性を題材にしたロマン主義の大作に触れたかのよう。重厚で濃密。前夜のガジェヴもそうだったけど、カントロフも高い技術を持ちながらも、華やかさやテクニックで魅了するのではなく、作品世界に深く没入し、楽器の存在を感じさせない。白眉は前回のリサイタルでも聴いた「ダンテを読んで」。凄まじい集中力。細身ながらも楽器を鳴らしきった強靭なフォルテが響きわたり、色彩感も豊か。
●本編だけでも満足できたと思うけど、アンコールが「第3部」になった。グルック~ズガンバーティ「精霊の踊り」、ストラヴィンスキー~アゴスティの「火の鳥」フィナーレ、ヴェチェイ~シフラ「悲しきワルツ」、ブラームスの4つのバラードから第2曲、モンポウ「歌と踊り」op.47-6、ブラームスの4つのバラードから第1曲。はりつめた雰囲気の本編とはまた違った楽しみ。休憩中にカーテンコールは写真撮影OKというアナウンスがあったので、写真も撮ることができた。あわてて撮ったのできれいに撮れていないけど、なによりのお土産。

June 30, 2022

アレクサンダー・ガジェヴ ピアノ・リサイタル

●29日は東京オペラシティでアレクサンダー・ガジェヴのピアノリサイタル。昨秋のショパン・コンクールで第2位(反田恭平と同位)を獲得したガジェヴとあって会場は満席。熱気と期待感が渦巻いていた。プログラムは前半がショパンの前奏曲嬰ハ短調op.45、ポロネーズ第5番嬰ヘ短調、ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調、後半がシューマンの幻想曲ハ長調。まずは会場を真っ暗にして、ガジェヴからのメッセージが流され、2分間の沈黙の後に演奏を始めたいと述べられた。オペラシティの天窓から明かりがわずかに漏れるなか、完璧な静寂が続き、それからピアニストの靴音が聞こえて、照明がつくとともに音楽が始まるというドラマティックな幕開け。
●磨き上げられた演奏を再現する予定調和的な音楽ではなく、一期一会のインスピレーションを大切にしたような、詩的で思索的なショパンとシューマンを堪能。パッションにもあふれている。本人談によれば、シューマンの幻想曲はショパンのソナタの「悲劇性に対する解毒剤」のようなもの。両曲のコントラストは際立っていた。ショパンの厳粛な葬送行進曲とシューマンの中間楽章のシンフォニックな祝祭性が対照的なクライマックスを作り出す。ダークサイドとライトサイドのようでいて、真のダークサイドはシューマンに潜んでいるのかも。終楽章もショパンが急峻な峰を全力疾走で駆け上がるエクストリーム登山だとすれば、シューマンはなだらかに広がる裾野から山頂へと一歩一歩踏みしめながら登り切る音楽。どちらにも最後は壮観が待っている。きわめて濃密な一夜。
●アンコールは2曲。ショパン「24の前奏曲」より第4番ホ短調、ドビュッシー「12の練習曲」より第11曲「組み合わされたアルペジオのために」。スタンディングオベーションも多数。いまだにブラボーの声は出ないわけだが、若い女性が多いせいか、拍手が高密度。なんというか、想いを乗せた拍手。

June 29, 2022

ユーザーレビューの点数

●たまにamazonとかで心ないレビューを見かけることがあるじゃないすか。どんな商品でもレビューに晒されることは避けられない。本を書いたり、CDを出したりすれば、必ず点数を付けられるのが今の世。それだけじゃない。Googleマップを見れば、近所のあらゆるレストランや個人商店にも容赦なく点が付けられている。こういうのを見ていると、いずれはごく普通のサラリーマンにも点が付くようになるんじゃないかと思う。レビューサイトに名刺が晒されて、〇〇社の営業3課の××さん、星3つ、みたいに。
●でもamazonで納得いかないレビューを付けられたすべての人々を勇気づけるような発見をしたんすよ! 聞いてほしい。なんとなんと、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」は星4つなのだ!(本日時点)。世界文学の最高峰に位置する名著であっても、4点しか取れない! 20世紀の人類の最高到達点みたいな傑作が、レビューで「忙しい人向きではない」「頭に入ってこない」「この小説を解説した評論を読めば十分」と一蹴されてしまうのだ。ならば、凡人がなにを気にしろと?

June 28, 2022

国立新美術館「ワニがまわる タムラサトル」

ワニがまわる 展示室
●開館直後に行って以来、なんとなく心理的に遠くて敬遠していた国立新美術館だが、現在開催中の企画展「ワニがまわる タムラサトル」(~7/18)をどうしても見たくなって足を運んだ。コンセプトはシンプルで力強い。とにかくワニが回っている。それだけ。でも抜群に楽しい。大小さまざまなワニが設置され、これらがすべて回転している。一匹、「ん、こいつは静止しているのか?」と思うワニがいるが、実は回る。
ワニがまわる 巨大ワニ
●これが最大のワニ。巨体にふさわしく、重々しくゆっくりと回転する。口が大きく開かれているが、凶暴さは感じられない。むしろ親しみを感じる。
ワニがまわる 群生するワニ
●こちらは群生するワニ。仲よく一列に並んで回転している。なぜワニはみな回転しているのか。作者は言う。「ワニが回る理由は、聞かないでほしい」。
ワニがまわる 小さなワニ
●展示室全体で1000匹ものワニが回っているらしい。数の上で多いのはこの小型のワニ。すべてのワニは電源につながっており、したがって至るところに口数の多い電源タップが転がっている。電気を喰らうワニとも言える。

June 27, 2022

「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)

●(承前)たまたま読んでいた2冊の本でともにジョン・チーヴァーの短篇集が言及されていた偶然から「これは今読めということでは?」と思い、「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)を読んでみた。全20篇に訳者である村上春樹の前書き付という親切仕様。ナボコフ絶賛の「カントリー・ハズバンド」をはじめ、どれもおもしろい。多くの作品は「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載されており、ニューヨーク近郊の高級住宅地を舞台としている(家にプールがあって、使用人がいて、近隣住民同士がパーティに招きあうような土地)。だけど、焦点が当たっているのはそんな恵まれた階層からこぼれ落ちていく人々。ステキな生活にしっくりとなじんでいるようでいて、その内実は案外と危うく、脆いもの。どれもそこそこ苦味があって、少し手厳しすぎるんじゃないかなと思わなくもない。それでも気に入った作品はくりかえし読みたくなるのだが。
●表題作となっているのは「巨大なラジオ」と「泳ぐ人」で、この2作はほかと少し作風が違って、リアリズムから逸脱している。「巨大なラジオ」では、高級アパートメントに住む一家が旧式のラジオを最新式の巨大なラジオに買い替える。最初、ラジオからは大音量でピアノ五重奏曲が聞こえてくるが、やがて人の話し声が混入するようになる。どうやらそれはアパートメントの他の住人たちの会話のようなのだ。表には見えないそれぞれの一家の事情がラジオから聞こえてくる……といった少しP.K.ディック的な設定。
●小説としてよりおもしろいのは「泳ぐ人」で、こちらは主人公が高級住宅地の各家庭にあるプールの連なりをひとつの水脈と見立てて、これを泳いで自宅まで帰ろうとする。招かれた他人の家のプールを出発点として、頭に地図を描き、まずは〇〇家のプール、次に××家のプールというようにプールを泳いでいけば、水着でそのまま家に帰れるともくろむ。自分の奇抜な発想に満足して、意気揚々と知人たちのプールを泳ぐ主人公。どこの家でも似たようなパーティが開かれており、水着で現れた突然の来訪者を歓迎してくれる……。しかしプール水脈を進むにつれて、様子が変わり、異なる現実が見えてくる。この短篇集から一本を選ぶならこれ。
●忘れがたい味わいを残すのは初期に書かれた「ぼくの弟」。成人した四人兄妹が、夏の休暇で母親のもとにそれぞれの家族を連れて帰省する。久しぶりに兄妹が勢ぞろいすることを主人公は喜んでいるのだが、気になるのは弁護士の末弟。この弟はファミリーの中で異質なキャラクターを持っており、旧交を温めているうちに、主人公のみならず母親もみんな彼のことを「好きじゃない」ことを思い出す。みんなが打ち解けて休暇を楽しもうとしているのに、この弟はいちいち棘のある言い方をし、酒も飲まず、ボードゲームにも参加せず、他愛のないことに興じるファミリーを冷ややかな目で見つめる。楽しい仮装パーティにも普段着にやってきて陰気な顔をしている。腕のいい料理人に向かって安月給で働きすぎだと憐れんで相手を怒らせる。貴重な休暇を過ごしているのに、だんだんみんなこの弟に対する悪意を抑えられなくなってくる。主人公は思う。夏の野原に建つ農家を自分は美しい光景だと思って眺めているが、弟はそこに土地の衰退を見て取っているだろう。そんなふうに弟のネガティブな物の見方を自分の内面にありありと再現する。読み進めるうちに、その弟とは主人公自身の内なるもうひとつのエゴなのではないかと思い当たる。傑作。

June 24, 2022

6月24日はUFO記念日

空飛ぶ円盤
●今日はなんの日か。6月24日はUFO記念日なんである。1947年6月24日、アメリカのワシントン州で高速で急降下や急上昇をする空飛ぶ円盤が目撃され、これがUFOと呼ばれることになった。あの円盤が高速だねと君が言ったから6月24日はUFO記念日。そんなわけで、今日はUFOを題材にした曲を聴きたくなる。
●おそらく史上最多の交響曲作曲家、フィンランドのレイフ・セーゲルスタムにUFOの題がついた交響曲があったはず。現在、交響曲第348番まで作曲しているセーゲルスタムだが、えーと、どれだったかな……あ、これだこれだ。交響曲第190番 UFO, Under F & Over...。まあ、このタイトルを見ただけで、どちらかといえば興味が湧くというよりも若干萎える気もするのだが、UFO交響曲と呼べる作品であるにはちがいない。ただ、セーゲルスタムは多作家なのはいいのだが、一度も演奏されていない曲もあるようだし、音源も望み薄。軽く調べてみると初演はされているようだが、聴くのは困難。
●が、UFO交響曲はダメでも、UFO協奏曲ならあった! 吹奏楽ではおなじみの作曲家、オランダのヨハン・デ・メイにUFO協奏曲がある。ちゃんと録音もある。この曲、ユーフォニアムと吹奏楽のための協奏曲なのだ。だからUFO協奏曲。第5楽章がご機嫌である、宇宙まで連れて行ってくれそうなくらいに。

June 23, 2022

鈴木優人指揮NHK交響楽団の「パッサカリアとフーガ」プロ

●22日はサントリーホールで鈴木優人指揮N響。プログラムが凝っていて、前半がバッハ~鈴木優人編「パッサカリアとフーガ」ハ短調BWV582、ブリテンのヴァイオリン協奏曲(郷古廉)、後半にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。最初に置かれた「パッサカリアとフーガ」が基調となって、ブリテンの協奏曲でパッサカリア、モーツァルトの交響曲でフーガが登場して、全体に統一感がもたらされるという趣向。オーケストラのコンサートではしばしば協奏曲はソリスト都合で無関係な曲になりがちだけど、こんなにピタッとハマるとは。しかも演奏機会の少ないブリテンで。弦は対向配置、後半はバロック・ティンパニ使用、指揮は前半のみ指揮棒使用。
●一曲目、「パッサカリアとフーガ」の管弦楽版といえばストコフスキーの編曲があるわけだが、あちらはスペクタクル志向でどうしても編曲者の顔がバッハよりも先に浮かぶ。それはそれで独自の価値があるとしても、現代だったら今のバッハ観に即した編曲がありうるはず。そんな期待を満たす編曲で、21世紀のオーケストラ版バッハとして、今後広く演奏されてよいのでは。最後はほとんどオルガン的な響き。
●ブリテンでは郷古廉のソロが圧巻。現在、N響ゲスト・アシスタント・コンサートマスターを務める。切れ味鋭く鮮烈、オーケストラを背負って主役として聴く人をぐっと引き付ける力がある。曲は1940年の初演。冒頭がティンパニで始まるというパーカッションによる導入が一瞬ガーシュウィンのピアノ協奏曲を連想させるが、曲調は戦時を反映してはなはだシリアス、時節柄も手伝ってペシミスティックな思いにとらわれるほかない。第2楽章のスケルツォはプロコフィエフ風だが、パッサカリアや、長大なカデンツァからアタッカで終楽章につながるあたりはショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を思わせる(ブリテンのほうが先)。ときにDSCHの幻聴が聞こえてきそうなくらいショスタコーヴィチ。ブリテンとショスタコーヴィチがたちまち意気投合したのも納得か。ソリスト・アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番より第2楽章「サラバンド」。これも全体のプログラムに応じた選曲。休憩後のモーツァルトの「ジュピター」、ふだんであれば堂々たる壮麗な音楽として聴くところだが、ブリテンの悲劇的な空気がまだ客席に立ち込めていたせいもあってか、いくぶん渋めの色調と、早世した天才の最後の交響曲という意味合いを強く感じる。

June 22, 2022

オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 サロメ(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)

●なるほど、こういう手があったのかと腑に落ちたのが「オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 サロメ」(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)。オペラの対訳と分析が一体となったハンドブック。見開きの左のページが対訳、右のページが該当箇所についての音楽面の解説(譜例もたくさん入る)になっている。オペラの質の高い対訳ってファンにとってマストアイテムだと思うんだけど、やっぱり対訳だけだと本としての商品性がもうひとつ(紙だと検索できないし)。かといって対訳に解説がたくさん付いて厚い研究書になってしまうと実用面での軽快さに欠けてしまう。そのあたりのバランスが考え抜かれていて、ハンドブックとしての扱いやすさと専門性を両立しているのが大吉。訳者・著者はおなじみ広瀬大介さん。言うことなし。
●いかにもシリーズっぽい雰囲気なんだけど、「第1巻」みたいな表示はどこにもない。続きはあるんだろうか。ひとつ要望があるとすれば、このままの判型で文字の大きさをもう1ポイント大きくできたら最高なのだが!(←老眼)

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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