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April 25, 2017

「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」(ダン・シモンズ)

●以前に当欄でご紹介したジャック・ヴァンス著の「天界の眼 切れ者キューゲルの冒険」(国書刊行会)があまりにおもしろくて、もっとヴァンスを読みたくてしょうがないのだが、読むべき邦訳がない。が、ヴァンスの「滅びゆく地球」シリーズへのトリビュート作品ともいうべき短篇をダン・シモンズが書いており、これが以前SFマガジンで翻訳されていたことを知った。ダン・シモンズは熱烈なヴァンスの崇拝者であり、ヴァンスと同じく科学が衰退し魔法が効力を持った遠未来の地球を舞台にした、ヴァンス風味の物語を書いたのである。しかも、この「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」は、切れ者キューゲルこそ出てこないものの、「天界の眼」に登場した公女ダーヴェ・コレムの後日譚となっているのだとか。それは読みたい。パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。ヴァンスが訳されなければシモンズを読めばいいじゃないの。
●そんなわけで、SFマガジンの2016年8月号と同年10月号の2冊を手配して、ダン・シモンズの「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」を読んだ。なぜ2冊かといえば前後編に分けて掲載されているから。短篇というには長めか。そして8月号と10月号なのはこの雑誌が隔月刊になっていたから(それを知らなくて、どうして9月号がないのかとうろたえてしまった)。
●もととなったヴァンスの「天界の眼」では、美しく気位は高いものの、どこかどん臭かった(?)公女ダーヴェ・コレムだが、このシモンズの小説ではすっかり垢抜けて、勇敢で抜け目のない女戦士に豹変していた。なんかムチャクチャにキャラが変わっている気がするのだが、もっともヴァンスの作品での彼女の扱いは相当酷いものだった。悲惨な目にあって、そこから生還したという設定なんだから、これくらい人が変わっていてもおかしくないのかも。
●で、「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」、おもしろかったかといえば、たしかにおもしろかった。ヴァンス風味は効いていて、絢爛たる異世界描写も見事。ただし、公女がアマゾネスになったのと同じくらい、やっぱりテイストは違っている。シモンズは正統派というか、陽性で善良。ヴァンスのイジワルさはない。そりゃ、そうだ。お菓子を食べてパンと違うと嘆くのはまちがっている。お菓子にはお菓子のおいしさがある。

April 24, 2017

ルイージ指揮N響とラナ

●21日はNHKホールでファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団。前半にベアトリーチェ・ラナの独奏でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。ラナは先日リリースされたバッハのゴルトベルク変奏曲でも注目されるイタリアの新星。小気味よく軽快、溌溂として機知に富んでいる。澄明で硬質なピアノの音色を駆使して、鮮度の高いベートーヴェンを聴かせてくれた。アンコールはバッハのパルティータ第1番からのジーグ。先日のシフのリサイタルでも聴いたアンコールの定番曲だが、これもみずみずしく軽快。指揮のルイージがステージ上の椅子に腰かけて聴き入っていた。
●後半はブラームスの交響曲第4番。第1楽章の冒頭を、すっと無から有が生まれてくるかのように鳴らすというのはこの曲の入り方の理想形だとは思うが、ルイージはとりわけ念入りにタメて入った。そこからは「ここまでエモーショナルな音楽をする人だったっけ?」と思うような心揺さぶるブラームス。第3楽章の謎めいた浮かれ騒ぎが終わるやいなや、間髪入れずに第4楽章の厳粛なパッサカリアに突入する趣向が効果抜群。これなら緊張感が途切れない。ルイージの気迫はホールの隅々まで伝わったにちがいない。
●ルイージとN響はもっと聴いてみたい組合せ。もしマリオ・ブルネロをソリストに呼べば、マリオとルイージのコンビが誕生するじゃないかと思い至る。

April 21, 2017

日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑2016が公開

●日本オーケストラ連盟が毎年刊行している「日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑」の2016年版がリリースされた。ウェブ上にもPDFで公開されているので、だれでも閲覧することができる。各プロ・オーケストラの活動状況を知るための基礎資料として頼りになる。ちなみに掲載対象は日本オーケストラ連盟の正会員25団体、準会員9団体。一般的にはこれが日本のプロ・オーケストラの数ということになる。
●いろんな情報が載っているが、p.138-139の2015年度の統計だけでも興味深い。たとえば年間の公演総数はどこが多いか。1位はぶっちぎりで東フィル309公演。2位が群響で169公演、3位が日フィルで159公演。東フィルだけが別次元だが、309公演中、依頼公演が271公演もあるのが特徴。楽員数の多さでもナンバーワン。
●演奏収入も見てみよう。10億円を超えている団体は3つ。1位は東フィル、2位はN響、3位は日フィル。公演総数が多い東フィルが1位なのは納得として、2位に公演総数が107しかないN響が入っているのがすごい。公演総数に占める定期公演の割合が非常に高く、しかも巨大なNHKホールを埋める集客力を持つからこそ。3位の日フィルは定期公演以外の自主公演が多くて、「打って出る」感が伝わってくる。
●楽員の平均年齢について。若手奏者育成オケである兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオケ)が31.9歳と若いのは当然として、それ以外の団体はすべて40代の範囲に収まる。ベテラン組のトップ3は、1位が九響49.3歳、2位が神奈川フィル48.0歳、3位が東フィル47.5歳。若いほうは僅差で拮抗していて、42歳代が東響、セントラル愛知、名フィル、43歳代がN響、大フィル、関西フィル。今やN響は若いオケに入るんすよね。あと、これは一般聴衆の関心外かもしれないが、事務局の平均年齢まで出ている。こちらは楽員よりももっとばらつきが大きくて、上はセントラル愛知の53.0歳から、下は日本センチュリーの37.8歳まで。
●ところでこの資料、印刷用のPDFが公開されているが、どうせなら公益性を鑑みて、二次利用が容易な形で中身のデータを公開してくれるとありがたい。CSVなりExcelなりテキスト・ファイルなりがあれば、上記のようなデータを昇順降順に並べたりとか、事業活動収入における演奏収入の割合を見るとか、支援の金額と総入場者数の相関を見るとか、年ごとの変化を調べるといったことが容易にできるので。この年鑑自体が文化庁委託事業みたいだし、ぜひオープンデータの精神で。

April 20, 2017

ゾンビとわたし その34:ゾンビがブームに

●当ブログでは不定期連載「ゾンビと私」として、2009年より折にふれて現代を襲うゾンビ禍について考察してきたのであるが、先日asahi.comに掲載された記事「襲われたい?ゾンビがブーム VRに小説、イベント続々」には軽く驚いた。いま、ゾンビがブームになっている、東京ジョイポリスでゾンビ系アトラクションにみんなが夢中だ、テレビや映画でも大人気。そんな肩の力が抜けたトーンで、どこか他人事というか、来るべきZ-dayへの危機感がまったく感じられない。こんな記事が出てくるということは、裏を返せばゾンビの脅威は過去のものになりつつある(とみんなが思っている)証拠なのかもしれない。記事中でゾンビアイドル(ってなに?)の女性が「ゾンビがはやったおかげで滞納した国民年金も払えた。真人間になれた」とコメントしてて、むしろゾンビのおかげで人間になったというまさかの逆転現象が起きているのが興味深い。ゾンビ・ブーム→国民年金払う→人間になる。新たな救済スキームの誕生だ。
ゾンビに注意●少し興味をひいたのは記事中に紹介されている「ゾンビラン」という米国発祥のイベント。「追うゾンビと逃げるランナーに分かれて走る」という。その日に向けた練習という意味ではいい線を行っていると思うのだが、「逃げるランナー」として走るのはともかく、「追うゾンビ」になって走るというのは意味がわからない。ゾンビになりたくないから走るのであって、わざわざゾンビになって走る練習をする意味はないと思う。ゾンビになったら、勝手に走る(あるいは歩く)し、勝手に噛みつく。公式サイトを見たら、「ゾンビランのあとはパーティで盛り上がろう!」みたいなノリで、自分は明らかにお呼びじゃない。そっとページを閉じた。

>> 不定期終末連載「ゾンビと私
April 19, 2017

B→C 荒木奏美オーボエ・リサイタル

●18日は東京オペラシティのリサイタルホールで、B→C 荒木奏美オーボエ・リサイタル。国際オーボエコンクール・軽井沢で日本人初の優勝を果たした東京交響楽団首席奏者の登場ということでチケットは完売。この日、同じオペラシティのコンサートホールではギルバート&都響がジョン・アダムズの「シェエラザード .2」を演奏してて、初台のコンテンポラリー度高し。
●プログラムは盛りだくさん。前半にテレマンのファンタジア イ長調、バッハのオーボエ・ソナタ ト短調 BWV1030b、シューマンの「アダージョとアレグロ」、細川俊夫の「スペル・ソング 呪文のうた」、後半がホリガーのオーボエ・ソナタ、エリオット・カーターの「インナー・ソング」、ジョリヴェの「コントロヴェルシア」、ドラティの「ドゥオ・コンチェルタンテ」。ピアノにリード希亜奈、チェンバロに桒形亜樹子、ハープに景山梨乃。「バッハからコンテンポラリーへ」というこのシリーズの趣旨に従って、バロックから現代まで、きわめて多彩でチャレンジングなプログラム。ハードなプログラムだが、美しくのびやかな音色でどれも自然体の音楽として奏でられていたのが印象的。余裕すら感じる。アンコールはモーツァルトの「後宮からの逃走」のアリア「幸せと喜びが」で開放的に。
●知らない曲をたくさん聴けたので、作品について感じたところを備忘録的にメモ。エリオット・カーターの「インナー・ソング」。モダンではあるんだけど端整な造形の美しさみたいなものを感じさせ、しかも音楽の柄というか表現の振幅が意外と大きくて聴き映えがする。バロックと並列するというプログラムの趣旨との親和性の高さも。無伴奏。ホリガーのオーボエ・ソナタはなんと10代で書いた作品を40年以上経ってから改作したもの。もともとは50年代後半の作品。聴きやすいし、みずみずしさも感じる。ジョリヴェの「コントロヴェルシア」。怪しさと真正さの境界上にあるなにか。
●ドラティの「ドゥオ・コンチェルタンテ」。ある意味、最大の驚き。「ドラティっていう作曲家、知らないなあ」と思って出かけてみたら、往年の名指揮者アンタル・ドラティのことだった! えっ、なんだ、そなの? そういえば、ドラティが作曲もしている話はどこかで目にしてただろうか。不覚。作風としてはモダンっぽく始まるんだけど、先鋭ではなく、折衷的だったり、ハンガリー風(?)だったり、軽快でユーモラスだったりと、どこか円満さがにじみ出ている感。気になって帰宅してからNMLにアクセスしてみたら4種類も録音があって、オーボエのレパートリーとして根付いている模様。アンタル・ドラティが活発なレコーディング活動で指揮者として名を馳せていた頃に、彼が作曲家として後世に名を残す可能性を意識していた人はどれくらいいるんだろうか。
●勢いでNMLにあるドラティの交響曲とかも聴いてみるべき?

April 18, 2017

DAZNなサッカーライフ

●今週のサッカー界はいろいろあった。J3のFC東京U-23対セレッソ大阪U-23で、東京の久保建英が15歳10ヶ月11日でJリーグ最年少ゴールを達成した。初めて映像を見たけど、こんなすごい才能が日本にいたのかと驚くばかり。もうひとりの久保、ベルギーのヘントの久保裕也は1部リーグ・プレーオフで完璧な決勝ゴール。ベルギーだとフィジカルでもまったく見劣りしない。マリノスは広島相手にセットプレイから中澤が足でゴールを決めてこれを守り切った。なぜか広島とは相性がいい。
●こういうのをぜんぶDAZNで見れてしまうのがスゴい。Jリーグ開幕前はずいぶん懐疑的な見方をしてしまったが、始まってみたらもうDAZNなしのサッカーライフを想像できない自分がここに。テレビと違って「わざわざ録画予約しなくてもいい」ことが、こんなに気楽だとは。不満点もまだまだあるが、J1、J2、J3も海外サッカーも、そして野球とかバスケとかモータースポーツとか自転車競技とか、なんでもかんでもクリックすれば楽しめるという飽和状態。すっかりスカパー等が遠いものになってしまった。
●思った以上に便利なのは各試合の約5分間のハイライト。テレビのスポーツニュースの短いハイライトと違って、5分もあればずいぶんと試合の様子がわかる。おかげでどんどん堕落して(録画では)90分の試合をきちんと見ることができなくなりそうで怖い。
●で、思うんだけど、これだけのコンテンツがあって月額1750円というのはずいぶん気前がいい。「メディアを通して見るサッカー」の値段は長期的にずーっと低落し続けている。その一方で、生の試合を観戦する料金は下がっていないし、むしろ上がっている(プレミアリーグなんてすごく高価な娯楽になった)。これって、音楽の世界で起きてることとよく似ている。録画や録音はどんどん安価になり、相対的に生の価値(体験の価値)が上がり続けている。

April 17, 2017

カンブルラン指揮読響の「青ひげ公の城」他

●15日は東京芸術劇場でカンブルラン指揮読響。前半にメシアンの「忘れられた捧げもの」、ドビュッシーの「聖セバスティアンの殉教」交響的断章、後半にバルトークのオペラ「青ひげ公の城」(演奏会形式/字幕付き)。1月のメシアン「彼方の閃光」に続いて、11月に演奏会形式で上演されるメシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」全曲日本初演に向けて期待を高めるようなプログラム。
●圧倒的に感銘を受けたのは後半のバルトーク。「青ひげ公の城」って、オペラといっても登場人物の動きなんてまったくないようなものだから、演奏会形式であることになんの欠落感もない。というか、主役は雄弁な管弦楽。物語も音楽も陰鬱ではあるんだけれど、カンブルラン&読響コンビの鮮やかで澄明なサウンドとのバランスが絶妙。絢爛たる陰惨さとでもいうべきか。イリス・フェルミリオンのユディットとバリント・ザボの青ひげ公も役柄に合致していて吉。強奏時には声をマスクするほど遠慮なくオーケストラが鳴らされたが、ぜんぜんこれでいい。
●で、「青ひげ公の城」。サイコ王子と崖っぷち姫の似合いのカップルによる、ダークサイド版「美女と野獣」。ユディットって人は、ヤバい噂を聞いていながら、婚約者も家族も捨ててわざわざこの城に来ちゃう人なんすよね。お互いが望んでああなったのがこのカップルであって、そういう意味では当事者的にはハッピーエンドのオペラという気もする。
●もともとの「青ひげ」って(ペローの童話だと)、最後の場面で新妻(ユディットに相当する人)の兄弟がズバッとやってきて、青ひげをバサッと倒してしまう。で、青ひげには後継ぎがいなかったので新妻が全財産を相続してウハウハみたいな結末に至る。そう考えるとバルトークのオペラのバラージュ台本はよくできているというか、ずいぶんモダン。

April 14, 2017

新国立劇場「オテロ」 マリオ・マルトーネ演出

●12日は新国立劇場でヴェルディの「オテロ」。演出はマリオ・マルトーネで2009年プレミエの再演。パオロ・カリニャーニ指揮東京フィル。カルロ・ヴェントレのオテロ、セレーナ・ファルノッキアのデズデーモナ、ウラディーミル・ストヤノフのイアーゴ、与儀巧のカッシオ、清水華澄のエミーリア、村上敏明のロデリーゴ他。マルトーネ演出は舞台上に水路を配したもので、これが遠く離れたキプロス島での出来事ではなく、ヴェネツィア当地で起きたこととして置き換えている。その意図をうまく受け止められたという手ごたえはないのだが、あえていえばオテロの異邦人性、社会的孤立が際立つということなんだろうか?
●カリニャーニ指揮東フィルがいい。要所でタメを利かせたドラマティックな「オテロ」。ヴェルディのオペラのなかでも「オテロ」、とりわけ第1幕のシンフォニックで推進力にあふれた音楽は神がかってると思う。
●で、「オテロ」という作品。ここのところワーグナーづいていたからそう思うのかもしれないんだけど、これって「ニーベルングのハンカチ」みたいな話だと思う。魔女が魔法の糸で織ったハンカチには呪いが込められている。オテロがそうデズデーモナに口走ったときって、デズデーモナへの脅しや警告として口から出まかせでそう言ってるのかなと思っていたんだけど(一応リアリズムに則ったストーリーだし)、やっぱりそうじゃないんじゃないか。「マクベス」の魔女と同様に、この魔女は実在しているにちがいない。で、そのハンカチの呪いがオテロやデズデーモナを破滅させる。とすれば、イアーゴ=アルベリヒ。オテロはデズデーモナと愛の力で結ばれて、それゆえに失敗したのに対し、イアーゴはおそらく愛を断念して妻エミーリアと結ばれて、それゆえに成功するという、呪いのハンカチが起こす「ヴェネツィアの黄昏」。
●「オテロ」では、しばしば「イアーゴはなぜ悪事を働いたか」ということが問われる。近年のトレンド(?)としては、イアーゴはオテロを欲していたゆえに、デズデーモナに嫉妬したという解釈があると思う。この一種の三角関係はとても説得力を感じる。イアーゴのオテロへの執着の仕方って、いかにもそんな感じ。ただしマルトーネ演出はオーソドックスなもので、オテロのデズデーモナに対する不信を巧みに視覚化していた。
●この物語のキーパーソンはエミーリア。一見、デズデーモナの忠実な侍女のようでいて、実はイアーゴにハンカチを渡してしまった真犯人。いや、ハンカチを渡すのはしょうがないんすよ、力づくで奪われたらそれまでだから。でも、その後、起きた出来事をデズデーモナに伝えればいいじゃないの。

オテロ 「あのオレが贈ったハンカチをどこにやった!」
デズデーモナ 「あら、あのハンカチならイヤーゴに無理やり奪われたってエミーリアが言ってましたよ」
オテロ 「へー、そうなんだ」

●これで事件は未然に防げたはず。報告、連絡、相談。オペラの登場人物たちには全般に「ほう・れん・そう」が足りない。

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